131:綺麗な音を聴いていたい

「ぜ、善逸くん!!」

慌てて地面を蹴り、善逸くんの元へと駆け寄った。

「足っを!」

泥だらけの背を目の当たりにし、怒りの熱が全身を駆け巡る。

「退かしてください!」

善逸くんの背を踏みつける大柄な男性の太い足を、左手を使って振り払う様に退けると、自由の身となった善逸君が飛び付くように抱きついてきた。

「わーん!!!桜ちゃん!!会いたかったよお!」
「善逸くん大丈夫?!それにこの人達は一体」
「ちょいと、お嬢さん」

二、三歩離れた所で見ていた仲間らしき中年の女性が、袖で口元を隠しながら、品定めの目つきで近寄り言った。

「邪魔するって事は、お嬢さんが代わりに払ってくれるのかい?」
「払うって何をですか」

気が高ぶっているせいで、語気が強まる。

「この坊やはね、私達に借金してんのさ」
「借金、」

抱きついている善逸くんの肩が大きく揺れた。

「それなのに、坊やは返せないって駄々こねて夜逃げするもんだから、ちょいと躾けしてやってたのさ」
「だからと言って!暴力で支配するような事は」
「ーーーーー円よ」
「え…」
「そこの坊やの借金、ーーーーー円よ」
「えぇ?!」

日常生活の中では聞く事はない数字の羅列は、私がしのぶちゃんに貰ったお金の約二倍。

なんで善逸くんがそんな多額の借金しているのか。というか、どうして借金をする事になったのか。まさか、また女性関係のトラブルじゃないでしょうね…。

驚きのあまり瞠目して言葉を失っていると、善逸くんは私を見て、さっと血の気の引いた顔をして弁解を始めた。

「桜ちゃん違うんだ!」
「まだ何も言ってないよ」
「借金は事実だけど、でも!」
「わかっ、たから、身体、揺らさない、で!」
「俺、俺、ほんとうに!」
「このアマよくもやりやがったな!!!」

善逸くんの言葉をかき消すような大声が辺りに響いた。善逸くんの頭越しに視線を移すと、先程吹き飛ばした大柄の男性が数メートル先から、私に向かって一直線に走ってくる。目は血走って、額の血管は浮き出ている、完全なるブチ切れ状態。

鬼に比べれば、この男性なんて比べ物にならない程弱いだろう。だけど、鬼と幾度か戦ってきたとは言え、自分に向けられる「怒り」というのは、何時になっても慣れないもの。それと、男性の頬に小さなスリ傷と血液が見えて、左手を使って一般の人に怪我をさせてしまった罪悪感とで、身体と思考が一瞬固まってしまう。…と同時に善逸くんが甲高い声を上げた。

「うぎゃあぁーーー!!」
「え、ちょっ」

善逸くんは私の手を力強く握り引っ張ると、その場から逃げ出すように、物凄い速さで走り出した。


















「ぜ、ぜんいつ、くん、足、は、やすぎ、」
「桜ちゃん、大丈夫?」

逃げ回って辿り着いた、町のどこかの路地裏。地面にへたり込み、息も絶え絶えに言葉をなんとか発している横で、余裕そうな善逸くんは、おろおろとした様子で私を心配そうに見ている。背中擦ろうか?という、下心が透けて見えた優しさを断り、走った後の喉の痛みを和らげるように唾を飲み込んだ。

「善逸くん、は、あんなに走った、のに、余裕そうだ、ね」
「俺、逃げ慣れてるからさ。これくらいどうってことないよ!」

ちょっぴり自慢げに話す善逸くんに、凄いねと素直に伝えた。修業も何もしていない状態で、この足の速さと持久力なら、もし善逸くんが修業して全集中の呼吸や雷の呼吸を身に着けたら、とても強くなれるんじゃないだろうか。
私も随分と修業をしているはずなのに、善逸くんにほぼ引っ張られるだけだったし、脚力だけで見たら獪岳さんより優れているかもしれない。





「…善逸くん、さっき借金って聞いたけど、一体どうしたの?何があったの?」

呼吸も落ち着いた所で改めて問えば、善逸くんは「違うんだよー!桜ちゃん!!」と抱きついてきて、泣きべそをかきながら話始めた。


なんでも、五人目の彼女さんが関わった呉服屋さんでの借金?が返し終わった直後に、六人目となる彼女さんと出会ったのだとか。彼女さんは年上の美人系舞妓さんで、所作が美しくて上品な感じの方。ご実家は裕福且つ戦国時代から続く名家で、良家のお嬢様でもある。けれど、とても厳しい家庭らしく、結婚は家同士の結びつけを強めるための元と考えるご両親の方針の元、来月に十五歳年上の人と無理矢理結婚させられる予定だった。

そんな落ち込む舞妓さんと偶然出会った善逸くんは、話を聞いて励ましてあげた。
すると、善逸くんの優しさに惚れたのか舞妓さんの方から、「貴方みたいな優しい人と結婚したい。一緒に駆け落ちして欲しい」とお願いされたらしい。
実家からの援助は望めないから、駆け落ちするためのお金を用意して欲しいと泣いて請う舞妓さんに案内された高利貸でお金を借りて、渡した次の日。舞妓さんは待ち合わせの場所には来ず、以降音信不通。
後に分かった事らしいのだけれど、…本当に好いている別の男性と駆け落ちをしていたらしい。善逸くんが借りたお金を使って。


……善逸くんは騙されていた。


借りた額だけなら、ある程度の期間働詰めすれば返せるから、最初は働いては返済、働いては返済を何度か繰り返して頑張ってみたけれど、借金は数日単位で増えていった。返せど、返せども一歩進んでは五歩下がるような状態が続いて、ようやくある日気付いた。…善逸くんが借りた高利貸し屋は、未来の言葉で言う【悪徳金融業者】だと。

そして気付いた時には借金は五倍に膨れ上がっていた。
一日でも返済が滞ると数人係りで暴力や脅しまでしてきて、ついには命の危険を感じりようになり、このままじゃ殺されると察して逃げてきたけれど、捕まってしまい、現在に至ると。





「俺、逃げたんだ。逃げるのは得意だからさ」

得意だと言う割には、声に皮肉さをにじませている。さっきは逃げ足を少し自慢気に話していたというのに。

「音で分かってたはずなのに…。……欲しさに、信じて裏切られて」
「…?うん」
「俺、ずび、と桜ちゃんに会いたくてさ…ずび、うっ。時から」

涙と鼻水を垂らし嗚咽しながら話すものだから、所々不明慮な部分があって全てを上手く聞き取れない。けれど、今は話す事で少しでもすっきりするならと聞き役に徹することにした。

「桜ちゃんが、ぐすん」
「うん」
「…東八代郡に行くって言ってたから」
「うん」
「彼奴らにはバレないだろうと。ずぴ。ってさ」
「うん」
「でも見つかって。巻き込むつもりなかったんだぐすん」
「うん」
「桜ちゃん、浮気してごめんね。でも」

浮気も何も、善逸くんの彼女になった覚えなんてないけど。と返そうとした時、一時間前に出会ったばかりの声が、後ろから聞こえてきた。

「お嬢さん、坊やの女だったのかい」
「はい!そうです!」

デレっとした顔という表現がぴったりと当てはまった表情で、元気よく答えた善逸くん。

「そういう時だけ元気に即答しないの!と言うか後ろ!」

私の突っ込みに、ハッとした善逸くんは後ろを振り返って、顔を真っ青にして「ひぃいいーー!」と叫ぶ。表情がコロコロ変わる善逸くんの後ろには、先程の悪徳金融の中年女性と細身の男性。
細身の男性は、鋭い眼光をさらに吊り上げて言った。

「彼女さんよ、こいつの代わりに払ってもらおうか?」
「!!!桜ちゃんはか、か、関係ないだろう!」

震えながら私を庇ってくれようとする善逸くんに大丈夫だよと言って、細身の男性を力強く見上げた。

「善逸くんから話は聞きました。貴方達のやっている事は法外です。僅かな期間で何倍にもなるなんておかしいです」

まだ法の設備が整っていない、大正時代にも利息制限法はあるはず。こんな非人徳的な行いはあってならない。

「そうは言われてもね。こっちは商売でやってるんだ。貸した金はきちんと返してもらわないと」

その言葉に、懐から禰豆子ちゃんから貰った巾着を取り出した。中から全財産を握り取り、中年の女性に突き出す。

「私の全財産と、過去に善逸くんが返済した金額を合わせれば、借りた金額と本来の利息分にはなるはずです。これで納得して頂けないなら、警察に通報させていただきます」
「………」
「………」

なんで黙ってるの?!お願いだから撤退してー!と内心ドキドキしているのが悟られないように、強気な態度を装っていると、私の全財産を見て無言だった二人は、堪えきれないと言った様子で笑い出した。

「?!な、なにがおかしいんですか?!」
「彼女さんよ、これが全財産って…ぷ!そこの小僧より貧乏じゃねぇか」
「ないなら、貸してあげようか?それと、警察に訴えても無駄さ。世の中にはね、色んな抜け道があるのよ。残念ね、世間知らずのお嬢ちゃん」

中年の女性は見下すように嘲笑った。

「だけどね、私らも鬼じゃないよ。今すぐに、全額払ってくれさえすれば、私達は何一つ文句は言わずに、このまま帰ってやるさ」
「そうだとも。今この場で払ったら俺達は何も言わず立ち去るぜ。…で払えるのか?払えないのか?」
「無理に決まってるだろォーーー!!」

泣きながら叫ぶ善逸くんに、細身の男性は脅迫と遊びを混ぜた、悪意に満ちた声で言った。

「なら、坊主は内臓売って、彼女さんには、そうだな。身体で払ってもらうか。いい遊郭紹介してやるよ」
「………!!」

細身の男性の台詞に、場違いにも時代劇みたいな台詞だ…!!と変に感心していると、ふと横に人影が現れた。伸びた影を辿って、見慣れた義足を目にした瞬間、無力感が安心感に塗り替えられる。

「その金、儂が全額払おう」

優しくも厳しい声が、たった一言で場を支配した。
その声の主を、正義のヒーローのように呼ぶ。

「桑島さん!」


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