122:ナンドモ、シンデ

この数時間だけで、一年分走った気がする。


鬼は身体能力が人間の何倍も高いのか、走って逃げてもすぐに追い付かれてしまった。その度に近場の木を引っこ抜いて振り回したり投げたりして距離を離し、たまに自生しているフジの花を見つければそこで息を整えたりもした。それを何度も繰り返してきたけれど、……さすがに限界も近くなってきた。

走りすぎて喘鳴呼吸になり、息をする度に脇腹が酷く痛む。足はガクガクと音をたて震え、額から汗が滝のように流れ、着物は汗でびしょ濡れ。
大正時代に遡ってから体力が向上したとはいえ、未来での楽に慣れ切った17年間の生活が生んだ身体能力をたった1年半で改善出来るわけもない。

「あぁーー…やめた、やめたぁ!」
「え?」

フジの花の下で四つん這いになり、少しだけ身体を休めていると、追い付いたカマキリ鬼が呆れたように大声を出した。

「鬼ごっこはやめた、って言ったんだよ!」

カマキリ鬼は八つ当たりのように、近くの木を切りつけ、また叫ぶ。

「胸糞悪い花の下に隠れてちょこまかと逃げやがって!こっちは腹すいてるんだよ!」

そして鬼は、一番恐れていた言葉を放つ。

「村に行って、2〜3人喰ってくるか」

言われた瞬間、脳内に浮かんだ絵面は、あの優しい老夫婦が血海の中うつ伏せで倒れている場面。
目がかっと開き、咄嗟に叫ぶ。

「だめ!!」
「お前に指図される筋合いはねぇ。一人生き延びた事に感謝でもしてな。お前の勝ちだ、じゃあな」

そう言って、カマキリ鬼は来た道を逆走しだした。
本当に、村を襲うつもりだ。

「だ、だめ!行かせない!!」

重い身体を引きずるように立ち上がり、慌ててカマキリ鬼を追いかけた。さっきと逆転した立場に泣きそうになる。
カマキリ鬼の足は早く、私は疲労困憊。距離はあっという間に離され、たった数十秒で鬼の姿は見えなくなってしまった。

「うそ、うそ、…いやっ」

力がぬけたように、その場に座り込む。
しくじった。やってしまった。夜明けまであと少しだったと言うのに…、私のせいで、村が、あの女性が、あの夫婦が殺されてしまうかもしれない。

「追いかけ、…なきゃ…」

諦めず少しでも追いかけなければと思うのに、身体が疲労で思うように動かない。

「はやく…、」

赤子が歩くより遅いスピードで地面を這っていると、後ろからがさりと音がした。なぜだか嫌な予感がして振り返ると、大人3〜4人分の木の上に二つの光が見えた。暗順応した両目がそれを的確に捉え、瞬時に判断する。二つの光は月に反射した両目で、その両目の持ち主はカマキリ鬼。…村に向かって消えたはずのカマキリ鬼が、木の上に潜んで隠れていた。
あ、っと声を上げる間もなく、カマキリ鬼は木からが飛び降り、そのまま私に馬乗りになる。

「引っかかったな」

そう言ってニヤリと笑うカマキリ鬼は、カマキリのように尖った両腕を頭上で×のマークを作るようにクロスさせ、振り下ろす動きを見せた。








ーーーーー位置的に首を切断されるのだろう。
そしたら私は死んで、カマキリ男の力を奪って生き返り、より強くなった私はカマキリ鬼が村に行くことも簡単に食い止められるし、今ここでこのカマキリ鬼を殺すことも容易になる。
カマキリ鬼を殺せば、誰かが再び襲われる事も防げる。私が何倍にも感じる痛みや死ぬ事、殺す罪悪感を我慢すれば、この力のオカゲデ全てが上手くいく。このまま殺されるのが得策だと思う。だけどやっぱりーーーーーー。


「−−−−−ー!!」

誰かに呼ばれた気がして、目が覚めたように目を限界まで開き、ぐっと左手を突き出す。
私の左手は、首まであとわずかの距離にあるクロスした状態のカマキリ鬼の両手を掴んだ。カマキリ鬼は骨と皮だけの細い、脂肪のない身体だった事が幸いして、なんとか左手だけでも両手を掴めたので、そのまま力づくで抑え込みながら叫ぶ。

「は、話をしましょう!!」

包丁を力いっぱい鷲掴みしているようなものだ。私の左手から流れ落ちた血が、自身の首にぽたぽたと音をたて落ち、包丁で何度も切断されているかのような激痛に顔が歪む。

「話に応じてくれるなら私も攻撃しませんから!」

カマキリ鬼は驚いたように私の左手を凝視している。

「なんで人を襲うんですか?!どうして人を食べるんですか?!人の代わりの食事はないんですか?どうしたらやめてくれますか?!」
「…………ー血だ」
「血?血だけで我慢できるなら、私の血でしたらあげますから!…だから人を襲うのはやめて!」

カマキリ鬼は私の上から退き、ゆらりとした動きで立ち上がった。そして両手についた私の血を恍惚な表情で見つめた後、ゆっくりとした動きで舐めとり、笑う。笑い声は徐々に音量を上げ、狂った笑い声が静かな森の中に響いた。

「あぁ!これは確かにうまい…!たったこれだけで力が湧き出てくる!」

鬼は笑い声をピタリと止め

「甘っちょろ〜いお言葉に甘えてよぉ。ありがたくお前の血を貰うとするか」

舌なめずりをして甘い声を出した。

「全部な」
「っ…!」

鬼が私でも目視出来るぐらいの速さで右腕で攻撃を仕掛けてきたので、左手で掴んで動きを止めると鬼は言った。

「左しか使わねぇな、お前。左手は怪我してるのによぉ?」

ニヤつき何かに気付いた様子の鬼は、次に左腕を振り上げる動作をする。左腕の攻撃が来る、と次の攻撃に身構えると、足で脇腹を蹴られた。蹴られた衝撃で空中に放り出され、地面に叩きつけられるも勢いは死なず、坂を転がりおちる。勢いが弱まった所で木にぶつかり動きは止まるが、苦しさと痛みのあまりにその場で蹲り何度も咳き込む。

「おかしなのは左腕だけってとこか?」

すぐ近くで聞こえた声に顔を上げると、目前に鬼の姿。咄嗟に左腕を突き出すも、疲労や痛みから鈍重な動きになった攻撃は、俊敏な動きのカマキリ鬼に糸も簡単に避けられてしまう。
続けて後ろの木を引っこ抜き振り回しながら投げつけるも、時間稼ぎにもならなかった。

ならばと、視界の隅に映り込んだ、近くのフジの花の元に駆けこもう何とか立ち上がるも、視線の動きで鬼に悟られ、「行かせるか」とばかりに、目に追えなきれない速度で切り裂かれる。右腕が身体より前に出ていたせいで、肘から爪先にかけて大きく切り裂かれ、地面に音を立て大量の血が飛び散った。2〜3歩後ろに下がりながら倒れ込むと、鬼は「あぁ〜!!」と叫び、地面に向かって直行する。

「血がこんなに!勿体ねぇ!」

カマキリ鬼は地面に這いつくばり、もったいないもったいないと連呼し血を舐め始めた。その隙にフジの花の元へ移動するもあと数歩というところで気づかれ、再度襲われる。奇跡的に、適当に突き出した左腕が鬼のみぞうちにあたりヒットし、鬼を軽く吹き飛した。鬼が起き上がるより早くフジの花の元に入る事に成功し、その場に倒れ込んだ。


もうダメ、死んでしまう。という傷や痛みであっても、まだ意識は消えずに痛みの中にいた。いっそ気を失った方が楽なのにと思いながら、裂いた着物で患部を止血し、呼吸の度に痛む折れたであろう脇腹近くの骨を労りながら背中を木の幹に預け、力の入らないだらりとした右腕を見ながら、痛みに喘いでいると、東の空が白み始めた。………もう少しで夜が明ける。

「っち…。朝になっちまうか……。ここにいるのは得策じゃねぇな。おいお前!逃げずにこの村にいろよ!夜にまた喰いにきてやるからよぉ」

今日はなんとかなった。そう安堵していると、背を向け歩き出していた鬼は、「あぁ、そうそう」と言いながら立ち止まり、振り返って笑う。

「もしどこかに隠れてたり逃げたりしたら、代わりにお前の大切な人間殺して喰ってやるからな」

それを聞いた瞬間、音がプツンと途切れた。

死ぬか生き残るかの戦いで興奮状態、痛みや苦しさ、色んな悩みで脳内がキャパオーバし混乱状態。自覚ないまま錯乱していた私は、リアルな幻覚をみた。



黒い服は所々裂かれ、市松模様の羽織が赤黒く染まっている。血海の上には桃色の麻の葉模様と黒い羽織。近くには折れた刀。
まるで現実の光景かのような幻覚が見せたのは、殺された炭治郎君と禰豆子ちゃんが、カマキリ鬼の足元に転がっている姿。



「……さない」
「あぁ?」
「炭治郎君と禰豆子ちゃんを傷つけたら絶対に赦さない!!!!」

この時ワタシは、獣じみた修羅の顔をしていたと思う。
鬼に飛びかかって左手で鬼の左腕を力一杯掴み、逆方向に折り曲げた。鬼が痛みで喘ぎ、隙の出来た間にもう片方の腕の骨も粉々にする。両腕を使えなくなった鬼の片足を持ち上げ骨を折ってから地面に叩きつけ、首を絞めるように押さえつけた。

「二人をコロスナラ、そのマエに、今こコで、あなたをコロス」

平常時なら、大切な人間とはこの村に住む人を指して言った言葉だと分かったはずなのだけれど、錯乱状態だった私は、なぜかこの時、鬼がこの後炭治郎君と禰豆子ちゃんを殺しに行くと思い込んでいた。朝になり身動きの出来なくなる鬼が居場所のわからない二人を殺しに行くなど不可能なのに。むしろ炭治郎君と禰豆子ちゃんの話さえしなければ、知るはずもないのに。


けど、私はこの時確かに感じていた。二人を殺された時の絶望や憎悪を。
そして、思った。二人が殺されてしまう未来を防げるなら、ワタシは修羅の道に落ちてもいいと。


離せと暴れる鬼を睨みつけながら抑え続けている内に、夜が明け日が昇り、太陽の光を浴びた鬼は灰になって消えた。それを見届けたあと、意識を保てず暗闇の中に落ちていく、その間際。枯れてしまったフジの花が見えた。


戻ル


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