呪術廻戦 | ナノ

君を泣かせるのはこれが最後





息を深く吸えば肺が凍ってしまうのではないかというほど冷たい空気が入り込み、その空気を吐けば真っ白な息が星空の夜空に消えていく。

冬生まれだからなのか寒さにはそんなに弱くはない方だが、それでも肌に触れる空気は冷たくて、少しずつ身体から体温を奪っていく。


隣を見てみれば、小さな身体を小刻みに振るわせ、手を口元に持っていき息を吐いて気休め程度に手を温める名前の姿。
手袋もつけていないその手は指先まで真っ赤に染まり、心なしか鼻先も赤い。
彼女は昔から寒がりで、冬が嫌い、なんて言っていたことを思い出し、その震える手を取り、自分のコートのポッケの中に収めてやろうかと考えたが、そんなこと出来るはずもなく伸ばした手が空をきる。



「そんなに寒いの?」

「寒いですよ、むしろ五条さんは寒くないんですか?」


昔から寒さに強そうでしたもんね、と彼女は言うから、自分と同じように昔のことを覚えているという小さなことに喜びを感じ、まるで子供みたいだと自分を嘲笑っていると、聞きなれない着信音が響く。
自分の物ではないとすれば、この着信音は目の前の彼女のものだ。

彼女は携帯をポケットから出し、画面を確認すると僕の顔と電話を交互に見つめるものだから、出て良いか迷っていることを察して、どうぞ、と右手を出せば彼女は遠慮がちに電話を取った。

背を向け、小声で話す彼女の声は優しくて、電話から漏れる声は男のもの。

その男が誰か分かっている。
会ったことも、直接話したこともないが、数日前に彼女から彼氏が出来た、と報告された時にも電話がかかってきて、その時の男の声と同じだった。


僕と彼女の関係は先輩と後輩。
高専時代を共に過ごし、なんだかんだ一緒に過ごす時間は多かった。

何故なら、学年が違うとはいえ高専はひと学年の人数が極端に少なかったため、学年違いでも同じ任務に行くことも多かったし、寮生活という環境の元、顔を合わせることも多かった。

彼女は凄く人懐っこくて、明るくて、穏やかな性格だから、一癖も二癖もある高専メンバーに好かれ、中心的存在だった。
硝子なんかとは先輩後輩というよりも女友達というような感じで、硝子ちゃんと呼んでいるほどだ。

そんな自分も例外なく彼女に惹かれ、なるべく一緒の任務に行くように仕向けたり、休日に遊びに誘ってみたり、彼女が落ち込んでいる時には何も言わずに側にいてみたり、彼女と人よりも多く、下手したら彼女の同期よりも同じ時間を多く過ごしてきた。

それでも彼女たちすれば、五条悟という人物は先輩という枠からは抜け出さなかったようだった。

確かに、彼女は他の女とは違った。
自分の容姿に騒ぐこともなく、特別視を向けてくることもなかった。
初めはそれが心地よかったが、途中からは少しか容姿に絆されてくれても良いんじゃないかと考えたこともあった。
一度彼女に僕のこと格好良いなぁ、とか思わないの?と冗談で聞いたことがあるが、格好良いと思いますよ、と、そんなこと聞いた自分が少し恥ずかしくなるほどに普通に返された。

男として意識されていないというのはこういうことなんだな、と実感した瞬間だった。


そうしている間も彼女は男と楽しそうに電話しており、そんな後ろ姿に惨めなくらいに嫉妬して、彼女を小さな背中にゆっくりと近付き、肩を自分の方へ強く引き、彼女の持つ電話を半ば強引に奪い、電話口で男がなにか話していたが通話終了のボタンを指で軽くタップすればぷつりと男の声が途絶え静かになる。
驚きのあまり声すら出せない彼女をそのまま後ろから抱きしめる形で肩口に頭を乗せれば、慌てた彼女が僕の名前を呼ぶ声が耳に響く。その声は予想外にも怒りではなく、戸惑いに染まっていた。



「五条さん、何してるんですか」


そんな声と奪った彼女の携帯からは先ほど聴いた着信音が響き、画面には男の名前が表示されている。
彼女もそれに気が付き、肩に回る僕の腕を外そうとしながら、携帯を取り返そうとするが、僕よりも一回り以上小さい身体の彼女は携帯を取り返すことも、腕を外すことも出来なかったので、ひとまず彼女の携帯の電源を落とし、五月蝿い着信音を黙らせた。


彼女はどういうつもりですか、と言いながら何か言葉を続けようとしたが、彼女の言葉を聞くのが怖くて、抱きしめた形のまま口を押さえ、何も話させないようにしてみれば、あまり抵抗せずに彼女は大人しく動かなくなった。

手にかかる彼女の息が暖かくて、手の平を中心に熱を帯びていく。
彼女に触れている身体の部分全てが熱く、先程までの寒さは一切感じなくなっていた。

無計画にこんなことをしてしまった為、どうして良いのか自分でも分からなくなり、どうしたものかと考えていれば彼女の口を抑えていた手に少し温かい滴が溢れてきたので、顔を覗き込めば彼女の大きな瞳から次々と涙が溢れ出てきていた。


自分に触れられるのがそんなに嫌だったのか、と頭が冷静になってきたところで、彼女を抱きしめる腕を解き、彼女の身体を捻り、向き合うような形にしてみれば、小さな声で二度目のどういうつもりですか、を聞いた。

彼女の瞳は大きく揺れていて、怒りでもなく、悲しみでもない色が広がっていた。

どう答えるべきかなんて考えているわけもなく、言葉に出来ずに自分の自分勝手な行為を思い出せば殴られても文句は言えないと思う。
考えなしに身体が勝手に動いてしまったのだ。

僕が何一つ答えられないままでいると、彼女は泡のように消えいってしまうかのような小さな声で呟いた言葉を僕の耳は一語一句逃さなかった。



『どうして、今になって』


彼女はそう消え入るような声で呟いた。

その言葉が耳に入った瞬間、全身が震えた。
言葉の意味を理解するのに頭はフル回転で、今になって、という発言は今でなければ良かったという意味だと、理解していた時には、考えるよりも先に身体が動いており、小さく震える彼女の身体を再び引き寄せ、腕の中にきつく閉じ込める。



「ごめんね、今更で。でも僕、狡い男だから今更かもしれないけど名前に伝えたいことがある」


そういえば彼女は僕の言おうとしていることに察しがついたのか、言わせないように首を横に振る。その瞬間また一つ彼女の頬に涙が溢れたので、右手でその涙を掬い、頬を優しく撫でる。



「昔から名前のことが好き。今も変わらず、ずっと名前のことが好きだよ」


まるでダムが決壊したように、彼女の瞳からは止めどなく涙が溢れ出てきて、頬を覆う僕の手も涙に濡れ、風が当たりひんやりと熱を奪っていく。

彼女はただ涙を流すだけで何も言わず、苦しそうに僕の顔を見上げた。



「、、なんで、今さら、そんなこと」

「今更かもしれないけど、このまま名前が他の男と笑ってるところは見たくない。僕が君を笑わせたいし、僕が君を幸せにしたいと思ってる。君が僕を嫌いならこの手を振り解いてくれて良いよ。そうしたら僕は君の幸せを願って、君の前から消えるから」



そう伝えれば頬を包む僕の手に氷のように冷たくなった震える手を重ね、僕の手を力なく握った。
振り解くことはせず、ただ静かに握った。



「振り解けるわけ、ないじゃないですか。どれだけ私が五条さんのこと好きで、でもきっとこの気持ちは迷惑だろうなって思って諦めたと思ってるんですか。なのに、いま…っ」


彼女の気持ちはもう全て伝わっていた。だから、それ以上の言葉を言わせたくなくて、言葉を飲み込むように彼女の唇に唇を合わせれば、彼女は何も言えなくなって、涙に濡れた瞳が大きく揺れた。

全部僕のせいにして良いから、君の罰も悔いも全部僕が背負うから、僕に傾いて欲しくて、優しく、そっと触れるだけのキスを繰り返す。



「君の彼氏とは僕が決着つけるから。たとえ殴られても良いし、罵られたって良い。それでも僕は名前が好きだから、僕のものになって欲しい」



彼女は真っ赤に腫らした目を細めて、優しく笑うと、五条さんにだけ背負わせません、私が自分でケジメつけます。だから、待っててくれますか?と呟いた。

待たないわけなんてない、と返せば、彼女はまた泣いた。











ーーーー君を泣かせるのはこれが最後

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