呪術廻戦 | ナノ

惑わした僕と傾いた君





彼女は俺たちの一つ下の学年に入学した。
一つ下の学年に入ってたのは彼女の他に男が二人。
そのうちの一人の灰原雄は彼女と幼馴染だと話していた。

彼女はいつも明るくて、ころころと表情を変えながらいつも笑顔なのが印象的だった。

彼女は人の輪に馴染むのが上手で、あの少し冷たい硝子も彼女を気に入り、傑もよく話しかけていた。
俺に対しては媚びてくる女が多い中、彼女はそんな素振りは一切見せずに誰に対しても同じ態度だった。

むしろ、悟さんってこんなに柄悪いのにそんなに凄いところの坊ちゃんだったんですか?なんて言って退けた。
そんな彼女とする会話は嫌な気分はしなかったし、名前を呼ばれることも嫌な気がしないどころか、悟さんと呼ばれることに心地よささえ感じていた。


気が付けば彼女が隣に居ることが当たり前になっていて、任務で高専を離れて会いに来ない日なんかは少しつまらなかったりした。






そんなある日、やけに寝付けず、携帯を弄ってみれば逆に目が覚めてしまい、気分を変えるために外に出れば、真っ暗な中、まるでステージのスポットライトに照らされてるかのように月明かりに照らされた名前が一人、立っていた。


「悟、さん?」



月明かりに照らされた名前の横顔がやけに綺麗で、静かに歩み寄ってみれば、気配で俺の存在に気が付いた彼女は振り返り俺の名前を呼んだ。


「何してんの、こんな夜更けに。寒くないの?」

「なんだか少し眠れなくて。少し寒いくらいがちょうど良いです。頭、冷やしたかったんで」



悟さんは?と聞かれたので、俺も寝付けなかった、とだけ答え、それにしてもやけに薄着で見ているこっちが寒くなるような名前に自分の着ていたパーカーを肩にかける。
名前は一瞬、目を見開き驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔になりありがとうござます、と呟いた。

二人で立ちっぱなしというのも変な話なので、近くの椅子に腰掛け、彼女にも隣に座るように促せば、彼女は素直に隣に腰掛けた。やっぱり少し寒そうだ。
いつも少しお喋りな彼女は何も言わなくて、沈黙が痛い。


「なぁ、」
「あの、」


きっと彼女も沈黙が嫌だったのだろう、見事に同時に喋り出した俺たちは少し笑い、彼女に先に話すように促せば、彼女は少し躊躇いがちに話し始める。


「悟さんって本当に好きになった人は居ますか?」

「…なに、その質問」


唐突な質問に何と答えて良いのか分からなかったが、夜更けの空気感にあてられて、真剣に考えてみることにした。
そもそも今まで特定の彼女とやらを作ったことは正直ない。けれども男という性別上、身体の関係だけの女は数えるのもめんどくさい程に居る。
その中の女でこの女じゃなければと思う人も居なくて、むしろ名前すらも曖昧な奴もいる。


「好き、ってどこからが好きなんだろうね?」


絞り出した答えは答えではなくて、質問に質問で返すような形となった。
そんな答えに彼女は私も分からないです、と答えた。
その答えになんだか心に靄がかかったような、何とも言えない気持ちになったが、その理由が俺には分からなかった。


また沈黙になり、何か話そうと思ってもいつもなら適当なことを話せるのに、今に限ってなにも会話が思いつかない。
耳に聞こえるのは木の葉が風で揺めき、そよそよと動く音と風の音だけ。今は何時だろうと思い、ポケットに入れた携帯を出して時間を確認してみようと思えば、少し寒さで冷えた手は感覚を失っており、手に取った携帯はするりと手から落ちていった。

すぐに落ちた携帯を拾おうとすると、彼女も落ちた携帯に気が付き、拾おうとしてくれたのか伸ばしたて 手同士がぶつかる。
俺の手にかぶるようにぶつかった彼女の手は俺よりも少し暖かくて、彼女の手を深く意識した。


「無下限、発動してないんですね。悟さんの手、冷たい」


そう言いながら彼女は手を避けることなく、俺の手を包み込むように握り締めた。
女と触れ合うなんてことに対してなんとも思ったことはないのに、握り締められた瞬間、心臓が大きく動いた。
そんな動揺を彼女に気がつかれたくなくて、いつどこでも発動してるわけじゃない、と平静を装って言いながら反対の手で彼女の手を掴み、手を離させた。
思ったよりも力を入れていなかった彼女の手はすぐに離れていき、自分から離させたくせに掴まれた手が凄く寒くて、少し後悔した。



「例えば悟さんが…、」


何かを言いかけた彼女の言葉はそれ以上続かなくて、やっぱりやめておきます、そろそろ寝ないと明日大変なので部屋に戻りますね、と言いながら、肩にかけたパーカーを手渡し、部屋に戻って行ってしまった。

彼女は何を言いかけて、辞めてしまったのだろう。
落とした携帯を拾って時間を見れば、あと数時間後には起きなければいけない時間が迫っており、それ以上深く考えることはやめてしまった。


どうしても気になるなら、明日彼女に聞けば良い。
そう思い、自室に戻り、ベッドに潜れば、先程まで眠くなかったのが嘘かのように瞼が重くなっていった。


















「実は、名前と付き合うことになりました」



次の日の朝、珍しく灰原と名前の二人で俺たちの教室に来て傑や硝子と話している後ろ姿を見て、軽く朝の挨拶をして座席につけば、灰原はそう言って、へらへら笑っており、その横では笑顔を見せている名前の姿があった。

そんな二人の姿に無性に腹が立って、その場に居たくなくて、くだらねぇ、と呟いてその場から離れれば、あとから教室に戻れば硝子に「何苛ついて八つ当たりしてるんだ。だから灰原に持ってかれんのよ」と言われて、近くにあった机を蹴飛ばした。


「とりあえず頭冷やしてこい、凄い顔してるよ」


と、近くにいた傑に半ば強制的に教室を追い出され、自室に戻って洗面台の前に立って鏡に写った顔を見れば、今にも泣き出しそうな顔をした自分が写っており、一つの感情が湧き上がる。


あぁ、俺は名前のことがどうしようもなく好きだったのだ。

いつも笑顔で悟さんと呼ぶ声、表情、動作、全てが好きだ。
そう思ったら今までの苛つきの答えが簡単に出た。

けれど、彼女は別の男の彼女になって、自分の手には届かないところに行ってしまった。
昨日まではあんなに近くに、手を伸ばせば自分の腕の中に閉じ込められるほど近くにいたのに、もう届かない。

今までの自分の行いに報いが来たのだろう。

女なんて少し甘い声をかければすぐについてきた。
だからそういう欲を満たしたい時には適当に好みの女に声を掛けて、事を済まして、さようなら、それで良かった。

まさかそんな自分が一人の女にここまで心を乱されるなんて思ってもみなかった。









久しぶりに二人きりになった時に、どうしても前より笑顔の減った彼女の理由が気になって、何よりも自分の気持ちに決着を付けたくて、一つ質問を投げかけた。


「今、幸せ?」

「…幸せそうに見えません?」



またその顔だ。
眉を寄せて、今にも泣き出しそうな悲しい顔。
その顔を見るたびに、彼女を自分の腕の中に閉じ込めて、骨が軋むほど抱きしめて、浴びるほどキスをして、滅茶苦茶にしたくなる。

そうしたら彼女はどうするだろうか。
拒絶するだろうか、それとも…なんて考えていれば彼女は幸せですよ、と答えた。


「なら、良かったな」


そうやって良い先輩ぶって答えるのが精一杯だった。
自分の気持ちに気が付くのが遅すぎた。
振り返ってみればチャンスなんて今までたくさんあった。




彼女が灰原と付き合う前に一度興味本位で聞いたことがある。


「おまえの好みってどんな男?」


その質問に彼女は眉を寄せ、いつもの笑顔からは想像できないほど悲しい顔をして、その問いに静かに答えた。


「悟さんみたいな人、かな」


愛の告白とも取れるような台詞を言っているが、彼女の表情を見ればそんな甘ったるいものじゃないことは分かる。
だからそれ以上、その表情に隠した本心を聞くことは出来なかった。

俺はいつものようにふざけた声色で、なら付き合う?って言ってみれば、彼女は笑うだけで何も答えなかった。
それ以上は踏み込むな、と予防線を張り巡らせられたようだった。

この時に踏み込んでいれば何か変わっただろうか。そんな問いに答えはなくて、現実はただ一つだけなのだ。



そんなある日、灰原雄は任務の最中に死んだ。

そう、彼女は恋人を呪霊に殺されたのだ。
それも自分の目の前で。
彼女は呪霊に殺された灰原を抱き締め、泣き叫びながら戦っていたらしい。
その任務を俺が引き継ぎ、祓ってから高専に戻れば、遺体に縋り、泣き叫ぶ名前の姿を見た。

俺はそんな彼女に声をかけてやることは出来なかった。
 

それからひと月が経ったが、彼女の憔悴ぶりは見ている方も痛いほどで、昨日の任務でも怪我をして帰ってきたと同期の硝子から聞いた。あの怪我の仕方はあの子、命を捨てる気だ、と言われ、俺の心は騒ついた。

それ程までに彼女は彼を愛していたのか、と。


日々弱々しく、痩せ細っていく彼女を見ていられなくて、彼女の部屋に訪れてみれば、鍵は空いていて、簡単に部屋の中に入ることが出来た。
勝手に中に入ることは流石に気が引けたので、彼女の名前を呼び掛けてみたが反応はなく、部屋に居ないのではないかと思ったが玄関には彼女の靴があったので部屋には居るはずであった。

まさか灰原の後を追って死んでしまっているのではないかと、慌てて部屋に入れば彼女は明かりも点けず真っ暗な部屋のベッドの上に座り込んでいた。ここ数日の間で幾分か細くなり弱々しく項垂れるその姿は痛々しくて、いつ消えてしまってもおかしくないほど儚かった。

月明かりに照らされた彼女の顔を見れば、数ヶ月前の面影は残ってないほど頬はこけ、やつれきっていた。


「、、名前」


彼女の名前を静かに呼べば、彼女はゆっくりと顔を上げ、虚な瞳で見上げて、悟さん、と俺の名前を呼んだ。不謹慎な俺はこんな時でも彼女に名前を呼ばれただけで、心臓が高鳴る。
それを誤魔化すかのように、彼女に昨日の怪我の具合を尋ねてみれば、まだ腕に傷痕が残っているにも限らず、何も問題ありません、と答えた。そして聞き取れないほど小さな声でこう言った。


「どうして私が死ななかったんでしょうね。私が死ねば良かったのに」


そんな言葉を聞き、胸が詰まる思いをした。
このままだったら彼女はそう遠くない未来に死んでしまうだろうという危うさを感じた。
どうにか彼女をここに繋ぎ止めておきたかった。
これが正解の方法じゃないことは分かっていたが、それでも今の俺にはこの方法しか思いつかなかった。




「俺が忘れさせてやるよ」


そう彼女に告げ、返事を聞く前に彼女の唇を少し乱暴に奪って、彼女の細い肩を押せば、思ったよりも軽くて、簡単に後ろに倒れ込み、それに覆い被さるようにして彼女の顔の横に手を付きキスを繰り返せば、彼女は弱々しい力で俺の胸を叩き抵抗したので、その腕を抑えて唇の隙間から舌を潜り込ませれば、彼女の腕から力が抜けた。
その行動すらも全てを投げ出しているようで、不安になった俺は腕は抑えたまま、一旦彼女から距離を置き、その顔を見下ろした。


「逃げるなら今だけだけど」



そう言った俺に彼女は、悟さんが忘れさせてくれるんでしょ?と、儚く笑い、静かに目を伏せた。
その伏せた瞳の目尻からは一筋の線を描いて、雫が一粒溢れていった。
それを唇で掬ってみれば、彼女はぴくりと身体を震わせたが、否定も肯定もしなかった。

そんな彼女の唇をもう一度深く奪えば、この行為を止められる術は何一つ残っておらず、そのまま深く深く堕ちていった。













いつの間にか眠っていた俺は朝の陽射しで目を覚まし、横を見れば何も身に纏っていない彼女の姿を見て、少しばかりか後悔の念に苛まれる。
彼女の白くて細い身体には所々、自分が付けた赤い花が咲いており、昨日の行為を生々しく思い出させた。

いくら自分の想い人だったとしても、恋人を亡くして弱ってる女を抱くなんてクズ以外のなにものでもないことは自分でも承知の上だ。
それでもこうするしか彼女を留めておく方法は思いつかなかった。
こんなクズな方法しか思いつかない俺が彼女を好きだなんて言う資格はない。

健やかに眠る彼女の顔にかかっていた髪の毛を耳にかけてやれば、くすぐったそうに身を捩ったが、昨夜無理をさせすぎたのか起きる気配はなく、彼女の瞳は閉じられたままだった。


「馬鹿だなぁ」


誰に向けられたかわからないそんな独り言に返してくれる人は居なく、きっとこんなことしたって硝子あたりに知られれば殺されるかもしれないと思ったが、それでも彼女をこうして抱いたことに後悔はなかった。


「雄、、ごめ、ん」


そんな彼女の寝言を聞くまでは。
彼女の身体は手に入れることが出来ても、彼女の心までは手に入れることが出来ないのだ。


願わくば、目を覚ました彼女がこんな馬鹿な俺を軽蔑して突き放してくれれば良いと思う。

そうすれば、俺は一生この後悔を胸に彼女を密かに想い続けることにしよう。









ーーーー惑わした僕と頷いた君

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