それは、まるで、呪いのように
※ 惑わした僕と傾いた君 のヒロインサイドです。
先にそちらを読んでからをおすすめします。
「僕は、名前のことが好きだよ」
夕陽に横顔が照らされ、頬が赤らんだ灰原雄は静かにそう言った。
正直なところどう返事をして良いか分からなかった。
幼馴染としてであって欲しい、そんな思いから、私も雄のこと好きだよ、家族みたいだもん、と残酷な言葉を並べれば、彼は何か決心したかのように言葉を続けた。
「大きくなったら、僕の恋人になってくれるって言った約束覚えてる?」
そう言われ、私は何も言えなくなった。
目の前には緊張のせいか心なしか震えている幼馴染の雄の姿。
彼のことは嫌いじゃない。
今までならその言葉に素直にうん、と答えることが出来ただろう。
でも私の頭には一つ上の先輩である五条悟の姿が過った。
どうしてこんな時に彼の姿が頭によぎるのだろう。
彼の意地悪そうに笑う顔、口は悪いけどいつも気にかけてくれて優しいところ、少し眠そうにしている姿、強くて頼り甲斐のあるところ、名前って私の名前を呼ぶところ。
その全てを思い出した時、私の胸は針に刺されたかのようにチクンと鋭い痛みが走った。
「…覚えてるよ」
「あれは子供の時の約束かもしれないけど、僕は今日までずっと考えてた」
そう話し続けた雄に、私は何も言えなかった。
彼は何も悪くない。
いつも笑顔で、優しくて、彼が居るだけで周りは暖かく穏やかな空気となる。そんな人。
そんな彼の言葉に私は胸が痛くて、苦しくて、何も答えられなかった。
「ねぇ、名前、僕のことは嫌い?」
「…嫌い、なわけないよ」
「嫌いじゃないなら、付き合って欲しい。僕は絶対に名前のこと大切にするし、幸せにするって誓うから。子供の頃の約束、果たそう?」
胸の痛みの理由さえ分からない愚かな私は、その言葉に静かに頷くことしか出来なかった。
頷いた私を見た彼は、この世界中で一番幸せ、だとでも言わんばかりに嬉しそうにはしゃぎ、私の身体を優しく抱きしめた。
私は彼の背中に腕を回すことが出来なかった。
その日の夜、やけに寝付けなかった。
窓の外を見れば空は澄んでおり、星が煌めき、月明かりが綺麗で私の心模様とは真逆の世界が広がっていた。
空を見れば青空のように澄んだ瞳を持つ、悟さんのことを思い出してしまい、睡魔はほど遠くどこかに行ってしまったみたいだ。
どうにか頭を冷やしたく、寝巻きの薄着のまま、何も持たずに私は外に飛び出し、広場に出て空を見上げた。
こうして空を見上げていると、まるでこの世界に一人ぼっちになったようで、少し不安になれば、背後から見知った気配を感じ、振り返った。
「悟、さん?」
そう彼の名前を呼んでみれば、彼の名前が耳に響き、また胸がチクリと痛くなる。
彼はパーカーのポケットに手を入れながら、ゆっくりとこちらへ近付いた。
「何してんの、こんな夜更けに。寒くないの?」
「なんだか少し眠れなくて。少し寒いくらいがちょうど良いです。頭、冷やしたかったんで」
こんな夜更けに彼は何をしに来たんだろう。
悟さんは?と聞いてみれば、俺も寝付けなかった、と答え、羽織っていたパーカーを私の肩にかけた。
その動作は凄く自然で、一瞬のことだったため、断るタイミングを見失い、慌てて彼にお礼を告げれば、彼は近くの椅子に腰掛け、その横を右手でぽんぽんと二回叩いて、隣に座るよう促したので、素直に横に座ることにした。
いつもならくだらない話やら何やら浮かび、スムーズに話が出来るのに、今日に限って何も言葉が頭に浮かばなかった。
肩にかけられたパーカーから悟さんの香りがほのかにして、会話を考えるどころではなかったというのが正直なところ。どうしてこんなに彼は私の心を乱すのだろう。
「なぁ、」
「あの、」
勇気を振り絞って、沈黙を割けば、彼も何か思ったのか言葉のタイミングが被る。
そうしてみれば、彼は私に先にどうぞというように促すので、恐る恐る質問を投げかけた。
「悟さんって本当に好きになった人は居ますか?」
「…なに、その質問」
自分の口から出た唐突な質問に、私も何かの質問、と思ったが、正直知りたいところでもあった。
何故なら悟さんは信じられない程にモテる。
外を歩けば美女という美女に声を掛けられているし、彼が美女と一緒に歩いているところを見たこともある。
だが、いつ見ても同じ女性と歩いているのを見たことがなくて、特定の彼女というものがいるようには思えなかった。
私がいつも当たり前のように彼の隣を歩けるのは、ただの後輩だから。
そんなことは随分前に気が付いていた。
彼にどんな答えを求めて、私はこの質問をしたのか、なんて言って欲しいのか、そう考えた時、頭にひとつ答えが浮かんだ。
あぁ、私はこの目の前の彼に『名前が好き』と言って欲しいのだ。
その答えが出て、私は夕方からの胸の痛みの理由に気が付いてしまった。ーー私は五条悟が好きで、彼の一人の女として愛されたいのだ。
そんな無謀な馬鹿みたいな答えにたどり着いた私は、もうどうすることも出来ない状況に追い込まれていることに気がつく。
あんなに喜んでいた優しい幼馴染を悲しませることなんて出来ない。私のこの感情だって、今気が付いたものだから、勘違いということだってあるのだ。
「好き、ってどこからが好きなんだろうね?」
少し答えに悩んだ様子の目の前の彼はそうわたしに尋ね、私はただ、どうしようもなく、私も分からないです、と答えた。
それ以降は何も話すことが出来なかった。
ただ隣に彼の存在を感じ、耳に聞こえるのは木の葉が風で揺めき、そよそよと動く音と風の音だけ。
彼はズボンのポケットに入れた携帯を出そうとしたところ、手に取った携帯はするりと手から落ち、カシャンと無機質な音が辺りに響いた。
それに気が付いた私は、彼の携帯を拾おうと手を伸ばせば、彼の少し冷たい手にぶつかる。
「無下限、発動してないんですね。悟さんの手、冷たい」
そう言いながら自分でも自分の行為に驚いたが、気が付けば彼の大きな手を上から包み込むように掴んでいた。
彼のその冷たい手が私の熱った心を冷やしてくれるようで、私の想いを凍らしてくれるようで手が離せなかった。
けれど繋がれた手は彼によってすぐに離され、いつどこでも発動してるわけじゃない、と冷静に返され、離された手が寂しく宙に浮いたので、その手を爪が食い込むほど強く握りしめた。
彼の手の感触を忘れたかった。
そうでなければ、私はみっともなく彼に縋って、好きと告げてしまいそうだった。
そんなことしてしまえば、一気にこの関係は崩れ、優しい幼馴染も悲しませてしまうことになる。
だから私はこの濁流のように押し寄せる想いを飲み込んだ。
「例えば悟さんが…、」
家族のように大切に思ってる女性に好きと言われたらどうしますか?なんて質問は続かず、その言葉も全て飲み込む。
きっと彼の答えは一つだから。
誤魔化すように、やっぱりやめておきます、そろそろ寝ないと明日大変なので部屋に戻りますね、と言いながら、肩にかけもらったパーカーを軽く畳んでから彼に手渡し、まるで逃げるかのように自室に戻った。
ベッドに戻って、横になりながら部屋に置き去りにした携帯を開けば、そこに広がる待ち受け画像が笑顔でこちらを見る雄と私、悟さんで息が苦しくなって、待ち受けの画像を初期設定に戻して、閉じた。
この気持ちには蓋をしよう。
私の気持ちも初期化してしまえば、また優しい幼馴染の隣で笑える、そう思い、瞼を閉じて思考を停止させた。
雄が先輩たちに付き合うことになったということを報告してから、悟さんとはあまり会うこともなくなり、久しぶりに会った時、今、幸せ?と静かに尋ねられた。
その声は今まで彼からは聞いたことがないほど悲哀に満ちており、私はその声を聞いた瞬間、何故だか泣きそうになった。それを誤魔化すように、幸せそうに見えません?と、声を絞り出せば、彼もまた苦しい表情をするから、私は幸せですよ、と自分の心にまた嘘をついた。
「なら、良かったな」
そう告げて、去っていた悟さんの背中を私は引き止めることも出来ずに、ただ見送った。
そして、気が付けば頬を涙がつたって落ちた。
一つ、また一つと、一度落ちた涙は溢れたコップのように止まることなく溢れ出た。
その場に立ってることも苦しくて、しゃがみ込み、膝に顔を埋めれば、子供のように声を出して泣きじゃくった。
胸も痛くて、息も苦しくて、どうせならこのまま死んでしまいたいほどに私は自分でもどうして良いか分からなくなっていた。
そんな時、そっと両肩を掴まれ、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げれば、そこには泣きそうな顔をした雄が居た。
雄、どうしてここに?どこから見てたの?なんて言葉は出てこなくて、彼の顔を見つめれば、彼はごめん、と謝った。
「僕、気付いてたよ。名前が五条さんのこと好きなの。きっと名前がその気持ちに気がつくずっとずっと前から…」
だから、名前が自分の気持ちに気がつく前に昔の約束を持ち出して、名前の本当の気持ち言えなくした。狡い男なんだ。それでも名前のことが好きだから、五条さんより弱い僕だけど、五条さんより幸せにしてあげるつもりなんだ。幼馴染としての情でも良いから一緒に居てほしい、そんな風に彼は私の返事は聞きたくないと言わんばかりに言葉を続けた。
それでも私はもうこれ以上、自分の気持ちに嘘をつくことは出来なくて、彼に素直な気持ちを打ち明けようとすれば、両手で口を抑えられて、言葉は声にならなかった。
「お願い。今、名前の気持ちを聞いたら僕は立ち直れないから、次の任務が終わるまでは何も言わずに僕のとなりに居てほしい」
これは僕の最後の我儘だから、任務が終わったら名前の話、ちゃんと聞いて受け止めるから。と、言われてしまえば何も言えなくて、私はまた彼の言葉にただ頷いた。
本当にこれが彼の"最期"の我儘になるなんて、思っても見なかった。
雄のぼろぼろに傷付いた遺体に縋れば、もう彼の体温は少しも感じることが出来ないほど冷たくて、こんな結末になったのも全て自分のせいだと思った。
私が彼の気持ちを受け止めてあげることが出来なくて、中途半端な答えを出して、優しい彼の気持ちを無視して自分の浮ついた気持ちを優先しようとしたから。
彼は亡くなる間際にこう言った。
「名前は本当に好きな人と、幸せになって」
痛みで苦しい中、彼にそんな言葉を言わせた私だけがこれからの未来、幸せになって良いわけなんてない。
好きな人と想い想われ結ばれるなんて、そんなことして良いわけがない。
だから私はあの日、悟さんが部屋に来て、乱暴に唇を奪われた時、そのまま乱暴に痛め付けてくれれば良いと思った。
そうすれば私たちの関係は変わってしまって、好きだとか甘い関係になることはない。
それで良いと思った。きっと私の考えは歪んでいる。
それでも彼は時折、すぐに割れる硝子細工でも扱うように優しく、丁寧に触れるものだから、雄を亡くしたばかりなのに不謹慎にも胸が熱くなり、自分に呆れて、自分の心に言い聞かせた。
彼に好きとは言ってはいけない。
彼に好かれそうとしてもいけない。
彼と恋人との同士になることになってはいけない。
ただこうして彼に抱かれて、胸が苦しくて、切り裂かれそうな想いをすれば良い。
それが私の罰だから。
ーーーーそれは、まるで、呪いのように
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