呪術廻戦 | ナノ

何度でも、私は貴方に恋をする




「初めまして、」


身体中が軋む中、目の前に居る白髪の男の人にそう挨拶をしてみれば、彼は一瞬、目を見開いたあとハジメマシテ、と答えてくれた。

これが私と五条さんとの初めての会話だ。



あれは少し前のことで鮮明には覚えていないが、あの日私は夜道を歩いていた。何故一人であのような暗くて、人通りのない道を選んで歩いてしまったのかは覚えてないが、一人で道を歩いている途中に呪霊というお化けのようなものに襲われ、頭を打ったようで意識を失っていたところを五条さんに助けてもらったらしい。
目が覚めたのは襲われた日から2週間ほど経っていたようで、目の前にあったのは、見慣れない少し染みのある白い天井と心配そうにこちらを見つめる五条さんの姿だった。

五条さんは凄く心配をしてくれた。
初対面の人間にここまで心配してくれるなんて、五条さんは本当に優しい人だとこの時、思った。

一応、私もその呪霊とやらが視える素質があるらしいので、五条さんとは学年は違うが、なんやかんやで同じ学校に通うことになった。


しかし学校に通い始めてからの五条さんは話しかけてもあまりお話をしてくれない。でもたまに一緒になる訓練や任務では私が怪我をしないようにさり気なくフォローしてくれる。
そんな五条さんを好きになるのには時間はかからなかった。






「五条ーさーんっ」


今日は初めての一人での任務。
4級程度の凄く簡単な呪霊を封印するというものを終わらせ、高専の門を潜ると、大好きな背中を見つけて、彼の名を呼び掛けてみれば大きな背中が小さく揺れ、ゆっくりと振り返れば何か用?と冷たく言われる。

用、というほどのことはないのだが、貴方に助けられてた私が一人で任務を終えたことを彼に教えたかったのだ。



「4級ですが、一人で封印できました!呪術師への一歩を踏み出しました!」

「あ、そう。4級程度、まだスタートでもないから。で、怪我は?」

「大きな怪我はしてません!」


実は呪霊を封印したあとに安心したのか、バランスを崩してその場で転んだところ両膝を擦りむいた。
だが、呪霊にやられたわけではないので五条さんに報告するほどではない、と思いそのまま話を続けようとしたところ、五条さんに腕を強く掴まれ、怪我してるじゃん、と指摘される。

ドジで怪我しただけなので、あまり突っ込まないで欲しいところだったが、五条さんがあまりに真剣な顔をするものだから、誤魔化そうとした言葉を飲み込んだ。



「これは呪霊を倒した後に転んでしまって、その時に怪我したので大したことじゃないです」



いつもの流れで行けば、あ、そう。と、一言で終わると思っていれば、硝子に治してもらいに行くよ、と、掴まれた腕を引かれ家入さんの元に向かって行った。

こんな擦り傷如きで、家入さんの手を煩わせる必要なんてないと思い、腕を引っ張る五条さんの手を反対側の手で掴み、足に力を入れてみれば傷がズキンと痛んだが、五条さんの足を止めることには成功した。



「こんな擦り傷なんて、消毒しておけば治りますよ」

「…君は女の子なんだから傷が残ったら大変だろ?」



いつもよりそう優しい声色で言われてしまえば、もうそれ以上の反論をすることは出来なくて、結局、家入さんの手を煩わせてしまうことになった。

そんな五条さんは家入さんの所に着いた途端に、任せた、と言って何処かに行ってしまって少し気まずい。



「ほんと、これくらいの傷で家入さんのお手を煩わせてすみません…!」

「いや、良いさ。どうせ悟の奴が無理やり連れて来たんだろ?想像がつく。あいつは君のことに関してはかなりの心配性だからな」

「それは私を助けてくれて、私が呪術者として勉強することになったきっかけだからですか?」



そう尋ねてみれば、家入さんは小さく笑い、少し憂いを帯びた声で、それだけじゃないと思うがな、と言った。

それだけではないとはどういう意味だろうか。
まさか五条さんが私に特別な感情を?なんて、自惚れたことは少しも考えられない。天地がひっくり返ったとしてもあり得ない。

それはどういう意味ですか?と、尋ねてみたが、納得のいく回答をもらうことは出来なかった。


「その後、どう?」

「?その後、とは…」

「君が怪我をしてここに来ることになった日から調子はどうかと思ってな。変わらないか?」



そう、あの日出来た傷は意識を失っている間に家入さんが治してくれたらしい。
後から元々着ていた服は血で汚れてしまったので処分してくれたと聞いたが、携帯を無くしてしまったのは痛かった。中学の時から使ってたお気に入りで、まだ使えていたのに。と、まぁ、怪我の方は何の問題もなしだ。



「おかげさまで怪我は跡形なく治って、絶好調です!」

「…そうか、良かった。何か変わったことがあればいつでも言ってくれて構わないよ」



そう伏し目がちに言った家入さんは何か考えているようだったが、私なんかが理由を聞けるわけもなく、一言お礼を告げて、寮の自分の部屋へ戻ったのだった。


今日はなんだか長い一日だった気がした。

少し休憩をしようとベッドに寝転べば、いつの間にか意識を失っていた。



私は一人、深い闇の中に居た。
そこは真っ暗で五条さんの名前を呼んでも来てくれるわけもなく、怖くて、寂しくて、どうしようも無い気持ちになって、足元を見ればそこには真っ赤な水溜りがあった。いや、水溜りではない。これは血だ。

足元に広がる大きな赤が血だと認識した瞬間、目の前には沢山の人の亡骸で溢れていた。

それはあまりにもリアルで、声にならない声で叫んだところで目が覚めた。
夢だと気が付き、安心したが、着たままだった制服は汗でびっしょりと濡れていた。
肌にぴたりと張り付く感じが、先程の夢を思い出させて気持ちが悪い。

慌てて制服を脱ぎ、適当に私服に着替えれば喉がからからに渇いていることに気が付き、共同冷蔵庫のある共有スペースに行くことにした。
思ったよりも深く、長い時間眠ってしまっていたようで、時刻は深夜になっていた。

廊下はしーんと静まり返っており、いつもは誰か居る賑やかな共有スペースからも何も音が聴こえてこなかった。

先程見た夢のせいで、静まり返ったこの空間が凄く怖くて、なんでこんな日に誰も居ないんだ、なんて考えていたところで、ソファから足が見えて声が出そうになる。
誰かが共有スペースのソファで寝ているようだ。だが、ここは暖房の効きが悪いので少し肌寒い。こんなところで朝まで寝れば風邪をひいてしまうだろう。起こしてあげなければ、と、静かにソファに向かってみればそう、そこにいたのはいつものサングラスを外しながら眠っている五条さんだった。


五条さんはすやすやと綺麗な顔をして眠っており、彼のこんな寝ている姿を見れるなんてなんだか少しラッキーだな、なんて考えていれば、…俺から離れるな、と小さく寝言を呟いた。
その声は今まで聞いたことがないほど優しく、愛情がこもった声で、胸がきゅんと締め付けられた。

五条さんがこれほどまでに優しい声で離れるな、なんて言う相手が居る、ということがショックだった。
今まで、彼は確かにモテるがそんな女性の影なんてなくて、彼女のような存在は居ないと勝手に思っていたが、今の寝言は最愛の彼女に言うような声色だった。
そんな風に想ってもらえる女性には私がなりたかったのに、これではどう足掻いても無理だ。

鼻の奥がツンと痛くなって、胸が苦しくなったので自分が着ていたパーカーを五条さんにかけて立ち去ろうとしたところ、今度はうってかわってすごく苦しそうに綺麗な顔を歪めて寝ていた。
もしかすると彼も先程の私のように怖い夢を見ているのかもしれない、と考えたが、最強の彼が怖い夢なんて見るのだろうか。
最強だからこそ人より任務の多い、疲れている彼を起こすことに気が引けたのだが、彼が小さく、苦しそうなうめき声を上げたので、恐る恐る彼の身体を揺さぶった。

一度では目を覚まさず、何度も繰り返し身体を揺さぶってみれば、いきなり開けた瞳と目が合い、五条さんの綺麗なブルーの瞳が揺れた。



「…名前っ」



急に呼ばれた自分の名前に驚いた。
今まで五条さんに下の名前で呼ばれたことなどない。いつも君やお前、など呼ばれて名字すらちゃんと呼ばれたことがないのではないだろうか。
それは私の名前を知らないのではないかと思うほど。

そんな彼に名前を呼ばれ、驚きのあまりに何も反応出来ないで居ると、急に腕を強く引かれ、そのまま五条さんの胸に倒れ込んだところ、背中に彼の腕がまわり、五条さんの香りで包まれた。
一瞬のことで、自分のおかれている状況が把握できなかったが、彼の少し早く脈打つ心臓の音が耳に響き、彼に抱きしめられていることに気がつく。



「ご、五条さん?」



遠慮がちに名前を呼んでみれば、びくんと彼の身体は強ばり、背中に回っていた腕は私の肩を押し、体勢が元に戻った。


「…悪い、寝ぼけてた」


それだけ呟くと、五条さんは足早に自室に戻って行ってしまい、ソファには私が彼の身体にかけたパーカーだけが寂しく残っていた。
パーカーを羽織ってみれば、彼の香りが微かにして、抱き締められた感触を思い出してしまい、顔が熱くなる。名前も呼ばれた。だが、彼には大切な人が居るようだった。何が何だか分からない。

喉を潤して、自室のベッドに戻った頃には自分の見た怖い夢なんてすっかり忘れ去っていた。




それから五条さんとはなかなか会えずにいた。

なんとか会いたくて、一目見たくて彼を探してみてもどこにも居なかった。
もう五条さんのことは諦めようかと思っても、結局彼を探してしまう自分がいた。

どうして彼を想うだけでこれだけ胸が苦しくなるのだろか。

彼が私を救ってくれたから?
普段は冷たいが、怪我をしないようにフォローしてくれるから?
怪我をした時には凄く心配して、優しくしてくれるから?


どれもしっくりする理由ではないが、五条さんのことを考えると泣きそうなくらい恋しい気持ちが溢れる。
きっと彼からしたら迷惑だと思うけれど。

少しでも私のことを見てほしい。
名前で呼んでほしい。
優しく微笑んでほしい。

そんな欲張りな想いばかり募っていくのだった。











ーーーーーーーー



あの日、自室のベッドに寝転んでも、一向に眠れる気配がなく、気分を替えようと共有スペースのソファに横になったところ、急に眠気がやってきたのでサングラスを外し、一眠りすることにした。


そして大切な人が離れて行く夢を見た。

腕を掴もうとしても掴めなくて、抱き締めようとしても大切な彼女の身体はまるで幽霊のように透き通り、抱き締めることも出来なかった。
もがいても、もがいても彼女は遠く行くばかりで息も出来なくて、苦しんでいたところで身体を揺さぶられ、目を覚ました。

目の前には心配そうに俺を見つめる名前がいて、夢にも出てきた彼女の姿が目の前にあって、やっと俺のところに帰ってきてくれた、と思い、細い身体を引き寄せ抱きしめれば、困惑したように五条さん、と呼ばれて、はっとした。


今腕の中に居るのは、俺の大切な彼女であっても、俺の知ってる彼女ではない。
俺のことを悟、と優しく呼ぶ彼女ではないのだ。




あの日は凄く天気が良くて、少し肌寒い日だった。
息を吐けば白くて、彼女はふーっと息を吐いては、今日は少し寒いね、と俺の手を掴んで微笑んだ。


「こうすればもっと暖かいと思うけど」


そう言って彼女の小さな手を繋いだまま、自分の制服のポケットに入れれば、彼女は嬉しそうに、そうだね、と呟いた。

彼女が嬉しそうに微笑めば、俺の方まで嬉しくなって、外は寒くても彼女と一緒に居れば暖かく感じるほどだった。


「ね、名前。暖かくしてあげたご褒美ちょーだい」


背の低い彼女に身長に合わせるように膝を曲げ、彼女の顔の位置に自分の顔を合わせれば、わざとらしく目を瞑る。
そうすれば彼女は恥ずかしがりながらも、キスをくれる。


「悟の意地悪〜」

「でも好きでしょ?」

「、、好き」


いつと通りの日常だった。
少しも疑わず、明日も続くと思っていた。
呪術師をやっている以上、当たり前のことなどないが、自分が居る以上、彼女に何かが起こっても絶対に守ると思っていた。

この日は簡単な呪霊の退治とのことで、彼女は一人で向かった。
何かあればすぐに連絡しろよ、と伝えれば、私だって呪術師だよ、と明るく笑った。


「いってくるね、悟」


怪我しないで帰ってきたら、たくさん抱き締めて甘やかしてね、なんて冗談言いながら笑って出て行った。

あの時、引き止めていれば良かったんだ。




そろそろ任務が終わったっていう連絡でも入ってくるかな、なんて携帯を弄りながらベッドに横になっていれば、いつの間にか寝てしまっていたようで、目を覚まして、慌てて携帯を見た時、連絡一つないことに少し嫌な予感がした。

あまりにも任務が終わるのが遅すぎないか、何かあったのか、そう思い、彼女の携帯に電話をかけてみれば、長いコール音の後に通話になる。


「おい、遅いけど「悟、医務室に来て」


電話から聞こえてきた声は、いつも淡白な硝子の焦った声だった。嫌な予感が背中をぞくぞくさせた。
現実を知りたくなくて、ベッドからすぐに立ち上がることが出来なかったが、硝子の切迫した声を思い出して、足がもつれるほど走って医務室へ向かった。

医務室の扉を開けると、むせ返るほどの血の臭いで溢れていて、ベッドには血が全て抜けきったかのごとく青白い顔のした名前が横たわっていた。


「どういう、ことだよ」


絞り出すように言ったその言葉に硝子は答えた。

名前が倒す予定だった呪霊は、名前が着く前に多くの人間を喰い、想定よりも強力な呪霊に変貌した。
たくさんの亡骸が転がっている中、数十人の生き残りを見つけた名前は、その生き残りを助ける為に救援を呼ぶよりも先に戦いを始めたそうだ。

多くの人間を喰った呪霊相手に、苦戦しながらも彼女はなんとか祓い、救った数十人の生き残りの元へ向かい、手を差し伸べたところでその数十人の生き残りは彼女の目の前で風船が膨らみ、破裂するかのごとく、人間が破裂したそうだ。
あとからわかったことだが、呪霊が自分が祓われば、同じ空間にいた普通の人間は自爆するように呪いをかけていたらしい。


安堵し、無事を確かめ合い、喜び合う人間たちが目の前で破裂していく。
その血飛沫を浴び続けた彼女の精神は崩壊した。

彼女はその場に倒れ、ここに運ばれ、硝子が傷などの治療をした。
目に見える怪我は綺麗に治って、青白かった顔にも血色が戻ってきたが彼女は一向に目を覚さなかった。



「もしかしたら一生目を覚さないかもしれないし、目を覚ましても記憶がないかもしれない。その辺、覚悟しておいた方がいい」


彼女が眠ったままで一週間がすぎた頃、硝子にそう言われた。

勝手に一生目が覚めないなんてことあり得ない、なんて考えながら、ただすやすやと眠っているだけのような彼女の頬を優しく撫でた。



けれど、彼女の目は覚めなかった。

二週間が経ったところで、本当に彼女はこのまま一生目を覚さないままなんじゃないかと、不安に思い、彼女のベッドの横で祈るようにして、彼女を見つめていれば、願いが通じたのか、深く閉じられていた瞳が眩しそうに開かれた。

自分が何処に居るのか判断するためなのか、きょろきょろと辺りを見回したところで目が合った。

彼女が目を覚ました喜びで、抱きしめそうになったところで、彼女の言った言葉で動きを止めた。



「、初めまして」


一瞬、頭が真っ白になった。
けれど硝子に言われていたことが冷静に頭に過った。
もしかしたら記憶を失っているかもしれない、という言葉。

やっと目を覚ました彼女を驚かせたりして、悪い記憶を思い出したりして、また意識を失ったら、今度こそ彼女は一生、目を覚さない気がした。

たとえ全てを忘れていたとしても、彼女には笑いかけて欲しかった。
悟、と名前を呼びかけて欲しかった。


だから、全ての感情にここで蓋をすることを決め、彼女にこう言った。



「ハジメマシテ」



自分でも情けなくなるくらい、弱々しくてカタコトな絞り出した言葉だった。









ーーーーーーーー




「五条さん?」


久しぶりに会えた五条さんは、少し痩せていた。痩せたというより、やつれたが正しいかもしれない。

私が五条さんの名を呼べば、彼の瞳は大きく揺れた。


私は時折見せる、彼のこの反応が理解できない。
理解出来ないが胸が苦しくなる。

どうしたら彼を幸せに出来るだろうか。
どうしたら彼が本当に笑えるだろうか。
どうしたら彼が……と、そんなことばかり考えてしまっている。


私を見る五条さんの瞳はいつも何処か寂しそうで、私を見ているようで見ていない。
きっと他の誰かを見つめている。
それは彼の大切な人なんだと思う。



たとえ、私がその大切な人の代わりでも良いので、彼の瞳に写りたいと思うことは罪だろうか。

それほどまでに私は彼に恋している。


















ーーーー何度でも、私は貴方に恋をする

(心が叫ぶの)
(貴方の事が愛おしい、と)



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