邂逅




 それは十年ほど前のことだ。

 当時、身寄りもなくその日暮らしをしていた幼い私は、偶然にも仕事中のシルバさんと遭遇した。仕事というのはもちろん暗殺。ターゲットの心臓を手刀でひと突き。そんな最悪なタイミングに居合わせてしまった。殺しを見るのは初めてじゃなかったけど、その異様なほど鮮やかな手さばきに底知れない恐怖を抱いたのを覚えている。


 銀髪の男は、恐怖で固まる私を平然とした顔で見ていた。きっとネズミか何かが紛れこんできた程度にしか思っていないんだろう。その足元には、心臓をくり抜かれて事切れた人間が転がっている。すぐにでも同じ姿になる自分が想像できて全身が総毛立った。

(逃げたら殺される)

 直感的にそう悟って、真っ直ぐ男に向かって駆け出した。その行動が意外だったのか猫みたいな目がほんの少しだけ見開かれた。
 その一瞬の隙に、男の横を通り過ぎて、背後にある窓ガラスに体当たりをした。

「ほう」

 嘆息を背中で聞きながら、割れたガラスの隙間から外に飛び出した。ガラスが突き刺さる痛みの後、外気が私の体を覆う。そして、一気に急降下していく。

(ここ、何階だったっけ?)

 落ちていく感覚の中、自分の身が無事では済まないことを悟った。でも、まともな逃げ方だったらすぐに捕まって殺されていただろう。だから立ち向かうふりをして脱出した。その後のことなんて考えてない。もしかしたら落下の衝撃で死ぬかも知れないけど、少しでも生き残れる可能性がある方に賭けたかった。

 そんな決死の逃亡劇は、すぐに終止符を打つことになった。

「驚いたな」

 全身を襲う風圧に歯を食いしばっていると、唐突に人の声が耳に届いた。同時に、力強い何かに体ごと抑え込まれる。これ、人の腕だ。
 おそるおそる顔を上げると、そこには先ほどの猫目の男。いつのまにか抱えられた状態で落下していた。まさか追いかけてくるなんて。

 私を腕に抱えたまま盛大な音を立てて地面に到達した。着地した先のコンクリートが衝撃でへこんでいたが、男はかすり傷ひとつ負っていなかった。

「あの一瞬で生き残るための最良の選択が出来るなんて、大したものだ」

 男は感心したようにそう言った。自殺まがいの行動は、本来の意図が汲み取られていたらしい。それを分かった上で、助けられたのだ。
 頭の処理が追いつかず口をあんぐりと開けている私に、男は言葉を続けた。

「お前、名は?」
「え」
「名前はなんていうんだ」

 名前なんて聞いてどうする気なんだ。
 答えるべきか迷ったが、鋭い眼光で射抜かれ反射的に「ナマエ」と答えてしまった。

「そうか。年はいくつだ」
「たぶん、5歳」
「俺の息子と同じだな」

 何故これから私を殺そうとしている人間に名前と年を聞かれているんだろう。
 困惑する私を無視して、男は更に続けた。

「ナマエ、家族はいるのか?」

 家族。そんなものはいない。
 首を横に振ると、次は帰る家はあるのかと問われた。また同じように首を振る。なんの事情聴取だこれは。

「そうか」

 男は少し考える仕草を見せた後、納得したように頷いた。

「ちょうどいいな。ナマエ、俺の家にこい」
「は」
「これからそこで暮らしてもらう」
「……え、なんで」
「ナマエと年の近い息子が二人いてな。そいつらの相手をお前にして欲しい」

 家に来い? 息子の相手?
 まるで他の星の言語のようだ。理解が全く追いつかない。だけどそんな疑問も、次の言葉で吹っ飛んでしまった。

「もちろんお前の人権は尊重する。住む場所も、食う物も、金だって与えてやる。そうだな、まずは戸籍を作ってやろう。どうだ?」
「行く」

 考える前に口に出ていた。
 生まれてから五年間。生ゴミを漁り、ドロ水を啜り、間近に迫る死に怯える日々。そんな生活を続けていた幼い私には、この上ない条件だった。

 今考えれば、なんて恐れ知らずなのだろうと思う。それでもその時の私は、今より酷い状況なんて想像できなかった。ここから抜け出せるのならばもはや何でもいい。そんなやけっぱちな気持ちも含まれていただろう。

「そうか。よろしくな、ナマエ」

 シルバさんが笑った。おっかなくて腰がひけるその笑顔に、行くと言ったことを少しだけ後悔した。だけどもう後戻りは出来ない。

 こうして私は、ゾルディック家の居候として暮らすことになったのだ。


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