宙ぶらりんの立ち位置
「ナマエ!」
沈んでいた意識が、頭からぶっかけられた水によって一気に引き戻される。
「いい加減に起きろよ!」
耳元でキンキン響く声に目を開くと、そこには憤慨した様子のミルキが立っていた。
「……あれ、ミルキ」
どうしてここに、と続けるつもりが神経質な金切り声に遮られる。
「オレのコレクションを取り返しにきたんだよ! イル兄がまた勝手に持っていくから!」
ミルキは空になったバケツを放り投げ、鼻息荒く詰め寄ってきた。なにやら怒鳴り散らしているが、目覚めたばかりの頭には入ってこない。
(コレクション?)
ぼーっと思い返していると、不意に自分の体の自由が効かないことに気が付いた。指先ひとつ動かせない。
ああ、そうだ。確かミルキが作った薬を無理やり飲まされたんだった。ようやくそのことに思い至って、自分の身の安否が気になった。
「ご立腹なところ申し訳ないんだけど、この薬大丈夫なの? なんか体が全く動かないんですけど」
「そんなこと知るかよ! 人に使ったことないし」
「な、なんだって」
青ざめる私を見て、ミルキは小馬鹿にするように鼻で笑った。
「馬鹿みたいに頑丈なナマエなら問題ないだろ。じきに動けるようになる」
「あ、そうなのか」
「そうだよ! 作るのにめちゃくちゃ金かかったのにナマエなんかに使うなんてもったいない……どうせなら普通の人間で試してデータ取りたかった!」
「そんなこと私に言われても……」
散々な目にあったのはこちらなのに何故そんな非難めいたことを言われにゃならんのだ。
だが、あくまでこちらを糾弾したいらしいミルキは、敵意むき出しの視線で睨み上げてきた。
「どうせまたキルのことでイル兄のこと怒らせたんだろ」
「あー」
ははは、と乾いた笑いをこぼすと、吊り上がった目に剣呑さが増した。
「いい加減にしろよ! お前が拷問される度にコレクションがひとつ減っていくんだからな!」
「いやぁ、でも盗んでるのはイルミな訳だし」
「お・ま・え・が! イル兄に逆らわなきゃ済む話だろ!!」
「ぐっ」
確かにミルキの言う通りだ。イルミは無闇に揉め事を起こすタイプではない。きっと彼の逆鱗に触れないようにすれば、私もミルキのコレクションたちも平穏な日々を過ごせるだろう。
言葉に窮する私を見て、ミルキは尊大な態度でまくしたてた。
「キルのことでイル兄に楯突くなんて命知らずもいいところだろ。こっちだって迷惑してるんだ。これに懲りたら部外者は大人しくしてろよ!」
はい、出ました。本日二度目の部外者。
何なんだ一体。兄弟で揃いも揃って。部外者呼びブームでもきてるのか。
ミルキはそれだけ言うと満足したのか、こちらの返事も聞かずドスドスと足音を立てて去っていった。
「文句を言うためだけに来たのか」
わざわざこんな地下深くまで探しにくるぐらいだから相当頭にきてたんだろう。当然、手枷を外してくれるような慈悲が与えられる筈もなく。
「はぁー……」
再び静寂を取り戻した石造りの地下部屋に虚しいため息が響いた。仕方ない、動けるようになるまで大人しくしていよう。体力回復のために目を閉じると、先ほどのミルキの言葉が蘇ってきた。
『部外者』
そう、部外者なのだ私は。
ゾルディック家の血縁でも使用人でも執事でもない、ただの他人。
シルバさんに拾われてきた私は、この家では異質な存在だった。