12:居なくても居る?
俺の机に駆け寄ってみると横たわり痙攣している猫がいた。
死んではいないが瀕死に見えた。
自分の姿と重なって思わず叩いていた。
副会長の罵りが聞こえたが猫は咳き込む。少ししてから起き上がり食事を再開しようとパンに近づく。
食欲が旺盛なのはいいが、原因は絶対にコレだ。
猫にパンはいけなかったのかもしれない。
口の周りには水を含んでぐちゃぐちゃになったパンと思われる吐しゃ物で汚れている。
一度洗ったのにまた汚らしい。
「え!? 猫、生き返った?」
本気で泣いている会計と慰めるようにその肩を抱く副会長。
仲がいいのはいいことだ。
「心配なので、このまま病院に連れて行っていいですか?」
「あ、あぁ。そうだな。許可する」
さすがに猫が死んだあるいは死にかけだと思った衝撃が強かったからか生徒会顧問も呆然としたまま頷いた。
タクシーを呼んでくれるらしいので、猫の口元を綺麗にしながら、しばし待つことにした。
「なんで、そんなに冷静なんですか」
化け物でも見るかのような顔で副会長に見下ろされる。
猫を膝に乗せて撫でている俺に向かって酷い発言だ。
冷静じゃない。俺も出来るなら泣き叫んで狼狽えたかった。
けれど、そんなことはまるで意味がない。
「食べ物が喉に詰まったなら吸い出すか叩いて自分で吐きだしてもらうしかないだろ」
「おじいちゃんが、喉に物を詰めたら掃除機を使うんだっけ? かいちょーの判断力ってば、神ってるぅ」
会計が「しゅごいよぉ」と言いながら手を叩く。馬鹿にされている気がした。
猫にとってアレルギー物質が机の上の食べ物の中にあった可能性もある。
野良なら自分が食べられるもの食べられないもの、そういった区別は無意識に出来るかと思ったが、野生とはいえミスもある。
生き物は思った以上に繊細だ。
文句を言いたいのか、言いたくないのか、副会長が部屋の隅から隅を移動する。
面倒な姿に「さっさと教室に戻れ」と口にしていた。
副会長がいたところで猫が急に元気になるわけでも時間が戻るわけでもない。それをオブラートに包むことなく伝えると唇をぶるぶる震わせて「最低ですっ。優しさの欠片もないっ」と言い捨てて去って行った。
連れてきた猫が起こした騒動は俺一人の事として処理しないといけない。
そういう気持ちが強かった。
生徒会役員だからといって付き合わせるわけにはいかない。
この後に控えたことを思えば、とくにこんな場面でつまずいてはいられない。
『羽根部は他人にやられて嫌なことを他人にする人間だからな』
思い返そうと思えばいくつでも思い出せるトゲのように刺さる言葉。
最低で優しさがなく自己中心的で自分が嫌なことを他人にする人間が俺。
副会長と風紀委員長である雉間の言葉を合わせると想像するだけでも同じ空間に居たくない俺という存在が出来上がる。
ほんの少し前まではそれが心に酷く痛かった。自分に嫌気がさしただろう。猫が吐いた原因をパソコンで淡々と調べている今の姿は人でなしだと罵られても納得できる。俺は自分にガッカリしたことだろう。狗巻風見と出会わなければ。
いっくんはきっと褒めてくれる。そう信じられた。
目の前の状況に慌てて何もできない姿を求めたりしない。
あのとき、猫は死んだものとされた。生きていたのに、もう無理だと勝手に諦められた。
生徒会顧問は生物を受け持っているが、猫の生死など目視で分かるわけがない。
生徒会役員の空気に飲まれて触れもせずに死んだ扱いをした。
いっくんなら猫を振り回したかもしれない。
どういう形にしろきっと遠巻きに観察して終わらせようとしない。
猫は生きている。
俺の膝でぐったりしながら、すこし戻しつつ、生きている。
きちんと診てもらわないと本当のところは分からないが、パソコンで調べた限りだとパンを食べた後に水を飲んだことで、胃の中でパンが膨張して嘔吐することになったという。人間でもゼロではない症状だ。食べすぎて吐く。猫は思った以上に胃が小さいのかもしれない。
冷静な対応は冷たく心ないと言われても否定の言葉を持てない。
自分に自信がないから他人からの酷評も受け入れてしまう。
卑屈な気持ちで自分を追い込もうと俺は俺の悪い面ばかりを探していた。
でも、いっくんは俺の心のマイナスな声に同調しない。
一番見られたくない、情けない部分に触れられた。
その上で、それを肯定してくれたのが狗巻風見だ。
不安と息苦しさの中にやっと自分を許せる理由を見つけた気がした。
人からというよりも自分自身から俺はずっと責められていた。
猫のことを泣いて心配するのがきっと正しい。飼い主として振る舞うなら会計のような情を見せるべきだ。
頭では分かっていても俺は猫の症状の原因を探すために周囲を見渡す。
パン以外の理由もあるかもしれない。
副会長に俺のこういった行動が気持ち悪いものだと思われても構わない。
以前は傷つく心がどこかにあったかもしれないけれど、今は平気だ。他人の感情に引っ張られたりしない。
人から好きだと思われていることが、こんなにも心を穏やかにしてくれると知らなかった。
2018/02/12
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