この手を掴んだんだ(夏油、五条)





このろくでもない世界で、私は、私を、呪いました。












「…これはどういうことですか」
「我が家系で優秀な呪術師を輩出するためには、優秀な胎盤が必要なのでね」
「彼女は、子孫を残すためだけに存在しているとでも?」
「どうせ女は呪術師にはなれんだろう。高専から派遣していただいた夏油さんの遺伝子なら、期待できる」




 簾の隙間から除く月明りが、突然現れた部外者である彼の顔をうっすらと照らす。切れ長の目がこちらをじっと捉え、次はこの人かと身を縮めればシーツの擦れる音がざらりと耳に落ちた。


 代々続く呪術師の家系に生まれた私は、物心がついた頃にはこの家の一番奥まった部屋に軟禁され、常に監視された状態で生き、子孫を残す道具として扱われていた。御三家とは違い、呪術師としての血も能力もそこまで長けてはいない家系だったが故に、先祖は血を絶やすことなく家系を継続し、そして力を保つのに必死だったのだろう。みょうじの家系の風習として、呪力をもって産まれた女は、その胎盤だけが価値だった。幼いころから誰の目に触れることもなく、ただひたすら薄暗い部屋の中で、呪力の扱いについてのみ教育を受けた。そして、私の術式の完成と身体の成熟をもって、ちょうど1年ほど前から、私の部屋を知らない誰かが訪れるようになった。毎夜毎夜、より優秀な子孫を残すためだけに弄ばれている。相手にするのは、どうやら血の繋がっているらしい呪術師の場合もあれば、全く関係のない呪術師が訪れることもあった。はじめこそ、怖くて泣き叫んでいたが、近ごろは抵抗する気力も失い、早くこの命の灯が消え去ってしまえばいいとすら思っている。




 そうして、私は、自分自身を呪ったのだった。







「…失礼するよ、君の名前は?」
「…みょうじ、なまえ」
「私は夏油傑。大丈夫だ、怖がらなくていい。少し触るけど、いいかな」




 夏油と名乗る彼は仰向けに寝転がる私の頬に手を当てて、「呪われているね。君がやったのかい」と私を見下ろして、ふっと微笑んだ。




「自分の能力、わかる?」
「…術式のことは、あまり、わかりません」
「君は願うものの動きを止める。拒絶する、とでもいうべきか。君は自ら生きることを拒んで自分を呪った。だから、君は…このままだと数年以内に死ぬだろうね」
「…呪い」
「そしてこの呪いは、君自身では解けないようだ」
「なんだと!夏油さん、その話は本当ですか?この女…ッ」
「黙れ」




 低い、低い声だった。殺してしまうのではないかと思うくらいの。




「…彼女は私が連れて帰ろう。こんなところにいては、せっかくの才能が無駄になる」
「待て、好き勝手には…っ」
「今回のことは上に報告させてもらう。相応の裁きが下るだろうよ。どちらにせよ、君たちにはほとんど呪力は感じない。もうこの家系の存続に意味なんてないさ」





 両手の拘束が解かれると、私は夏油と名乗る男にふわりと抱き上げられた。冷たい外気が頬を掠め、吐いた吐息が白く消えていく。これが、冬。彼が安心させるかのように、私の冷え切った手の指先にそっと手を乗せれば、じわり、と溶けていくように温まっていく。




「さあ、行こう」
「…どこ、へ?」
「君の行きたいところならどこへでも。まずは私の居場所へ君を連れて帰ろう」
「…夏油、さん」
「傑、でいいよ。どうやら君と私は同い年のようだから」
「…傑、くん」
「ああ。様子がおかしいから見にいってくれという指令だったけれど、よかった。」
「私は、どうなるの?」
「まずは君自身がかけた呪いを解く。私には残念ながら解呪できないけど、当てがある。そのあとは、君が選ぶんだ」
「えら、ぶ…?」
「呪術師として生きるか、普通の人間として生きるのかをね」









 黙りこくる私に構わず、彼は抱いていた私の身体を胸元に引き寄せて、「随分軽いな」と呟いた。そこから先は、あまり記憶がない。傑くんが高専と呼ぶ敷地に足を踏み入れ、そのまま治療と称して奥まった部屋に連れていかれた。硝子と名乗る女の人に傑くんが事情を説明し、彼女は「なにこれ」と怪訝そうな顔をして「怪我なら治せるけど、これは無理」と言う。私は私にかけてしまった呪いが複雑なものであることを初めて知った。




「私、硝子。名前は?」
「…なまえ、です」
「なまえ、なんで自分に呪いなんてかけたの?バカね」
「硝子、なんとかならないのかい」
「…なまえ本人の精神的なものが大きい。自分を自分で拒絶している以上、呪いは解けない」
「まずはなまえの術式を解読するのが先か」
「まさか、自分で自分の術式を理解せずに呪ったってわけ?」
「ああ。彼女の術式は完成しているが、呪術師としての教育は受けていない。さっき説明したように、ずっと軟禁されていたからね」
「はぁ…そんな悠長なこと言ってる時間、ないわよ」




 コトン、と目の前に置かれたマグカップ。「硝子さん、ありがとう」とお礼を言えば「呼び捨てでいいから」と言われ、彼女は深く息を吐く。質問したいことはいくつもあったけれど、今の私が尋ねたとして理解できないことが多すぎるのではないかと思うと言葉が出なかった。目の前で湯気を立てる、その黒い液体をひとくち口に含めば、ごく稀に、相手をした呪術師に連れられて街に出たことをふいに思い出した。




「コーヒー、だ」
「コーヒーは嫌いかい?」
「ううん。飲んだの、2回目」
「そう。最初に飲んだのは?」
「他の家系の呪術師の相手をしたときに。朝、その人が街まで連れて行ってくれて、コーヒーを飲んだの。確か御三家の人だったから、きっと私を連れ出すことに、誰も逆らえなかったんだと思う」
「まさか、白い髪に青い目をした人ではないよな」
「ううん?」
「ならよかった」




片手に持つコーヒーカップ越しに傑くんを見上げると、「それを飲んだら、まずは敷地を案内しようか。ここが、これから君の住む場所になる」と、その切れ長の目をすうっと細めて、静かにほほ笑むのだった。








「眩し、い」
「こうやって外を歩くのは初めて?」
「出歩くことはあったけど、必ず監視がいたから…こんな風に自由に歩くのは初めて。」
「まだ慣れていないようだから、今日は少しだけ歩いて、ご飯を食べて、休もうか」
「私、もう、あの家に帰らなくてもいいの?」
「ああ」
「そっか」




 私が自分を呪ってまで逃げたかった家から、あっけなく私は逃れたのだ。暴力や罵倒は日常茶飯事で、ただ粛々と与えられる欲望だけをこの身体に飲み込んでいく。ただただそんなことが続いていた日々から、私は、逃げて、解放されて、それで、いったいどう生きていけばいいのだろう。




「寒くないかい」
「ううん、大丈夫」
「もう2月だからね。明日は雪が降るかもしれないよ」
「雪…見たことない」
「そうか。じゃあ、明日雪が降ったら暖かい格好をして街を歩こうか」
「うん…ねえ、あの大きな建物はなに?」
「授業を受ける場所さ」
「…授業?」
「君が望めば、ここでは呪術師になるための教育を受けることができる」
「呪術師…」




「呪術師は、嫌いかい?」





 それは、ほとんど囁くようだった。まっすぐ向けられる傑くんからの視線に目を伏せ、私は肯定も否定もせず、ただ足元の石畳を目に映す。





「傑くんも、呪術師なんだよね」
「ああ。そうだ」
「、傑くんには、感謝してる。私のこと、連れ出してくれたんだもの。ありがとう」
「感謝してくれるなら、ひとつ、私の望みを聞いてくれないか」
「…うん。どんな願い事?」
「なまえ、生きてほしい。そのために呪術を学んで、君の呪いを解くんだ。そうしたら、呪術師は辞めたって構わない」





 私のこの壊れゆく命を、あなたが救ってくれた。まだ生きる意味も目的も理由も、何もないけれど、もしかしたら、見つかるかもしれない。





「…わかった。私、生きてみる」





 そうして春を迎える頃、私は呪術師になった









「お前、ほんとはもう、その気色わりぃ呪い、解けんじゃねぇの」




 だりぃ、とため息を吐きながら、五条くんは錆びかけた廃ホテルの窓淵に手をかける。




「そのままだと、お前、マジで来年には死ぬよ。」
「うん。硝子にも口酸っぱく言われちゃった」
「お前、死にてぇの?」
「傑くんと約束したから、まだ死ねないかな」




 五条くんは目をぱちり、と見開いて、「そもそもなんで呪いなんてかけたんだよ」と、その青い瞳に私を写す。




「生きる理由がなかったから」
「なんだよそれ、意味わかんね。なまえはさ、好きな男とかいねーの?」




 五条くんはちょいちょいと手招きをして、身体を前へ倒して私のほうへ顔を寄せた。




「…いないけど」
「お前さ、考えすぎ。人生、楽しいか、楽しくないかの二択なんだよ」
「そんな簡単に言われても」
「生きる理由とか意味とかさ、そーゆーのうぜぇんだけど」
「…ごめん」
「あー。いや。だからさ」
「…うん」
「もう呪いなんかなくても、誰もお前のこと傷つけたりしねぇよ」
「…」
「ついでに、俺がどろっどろに気持ちいいセックス、教えてやろうか?」




 五条くんが私の耳元に顔を近づけ、耳たぶに唇を落とした。ひゅ、と息を飲んだ私を見ていたずらに微笑んだ五条くんは、そのまま私の顎を持ち上げると、唇を押し重ねる。幾度も経験した行為だったけれど、知り合いに、しかも級友である五条くんに、こんな日の当たる場所でキスをされたことに思わず肩がぴくり、と跳ねた。





「いや?こういうことされんの」
「だって、そもそも、っ任務中だし…」
「呪霊はさっき祓っただろ」





 宝石みたいなキラキラした瞳がまっすぐに私のことを捉えている。五条くんに対しての恐怖はなかった。殴られるとか、痛いことをされるとか、そんな不安はなかったけれど、過去の経験が足を引っ張って私の身体中の筋肉を緊張させてしまう。




「嫌じゃ、ないけど」
「けど?」
「嬉しくも、ない。」
「はあ?おまっ、正直すぎんだろ。俺だって傷つくわ」
「ごめん」
「はー。じゃあ、傑だったら?」
「え?」
「これが、俺じゃなくて、すーぐーる、だったら?」
「…想像、したことない」
「してみろよ。ほら、目、閉じて」




 目元を五条くんの手のひらで隠され、私は傑くんの姿を想像する。




「呼べよ、いつもみたいに”傑くん”ってさ」
「…傑、くん」
「キスしてほしい?」
「、えっと…」
「…やっぱ、やーめた。」




 言葉を紡ごうとした私の口を五条くんの唇が塞いだと思ったら、そのまま手を繋がれ、五条くんは歩き出す。




「わ、ちょっと」
「帰んぞ」
「う、うん…」
「帰ったら、傑にしてもらえよ」
「え?」
「べつにー。ほら、行くぞ」





 そうして私たちは無事に任務を遂行し、その足で高専へ戻った。傑くんも硝子も別の任務のようで、ほとんど誰もいない静かな廊下が少し寂しい。五条くんに指摘された言葉が頭のどこかに引っかかって抜けない、私は死にたいわけじゃない。傑くんとの約束のためにも、呪いを解いて生きていたいと思っている。ならどうして、私は私の呪いを解けないのだろう。私にとってのこの呪いは、この身体や命を蝕むと同時に、私が私として生きるためのお守りみたいなものだった。子どもを孕めば私も子どもも、家系を存続するための駒として壊れていくだけだ。だからこそ、私は、この家に生まれたことへの密やかな抵抗として、自分の命を犠牲にすることを選んだ。もしかしたら、私は怖いのかもしれない。この呪いを解いてしまったら、私は私でなくなってしまうのではないか、と。そんなことを考えながら寝られずにベッドの上でまどろんでいると、コンコンとドアをノックする音がした。鍵を開けるとそこには傑くんがいて、傑くんは「入ってもいいかな」と言いながら部屋へ上がり、私の答えを聞く前に、まるでいつものように椅子に掛けた。




「急にどうし…」
「悟とキスしたって本当?」




 言葉が重なって、口をつぐんだのは私のほうだった。切れ長の目でこちらに視線をやる傑くんが、今まで見たことのない表情をしていたから。




「君は、悟が好きなのか?」
「違うよ、その…急に、五条くんが」
「…ということは、悟は君に許可なくキスをしたのか」
「あの、怒らないであげて。私の呪いの流れで…」




 傑くんは苛立ちを落ち着けるかのように深いため息をひとつ吐いて、「私は悟に対して腹が立つよ」と静かに口を開き、君がどう思ってどう感じたのかは知らないけどね、と付け加えた。切れ長の目の奥が、鈍く光っている。ああ、そうか、傑くんは怒るとこういう顔をするんだ。




「傑くん」
「…なんだい」
「私の呪い、ほんとうはもう、解けるんじゃないかって五条くんが。」
「…そうだね。なまえはもう自分の術式を理解して扱えている。本来であれば、自分でかけたその呪いも、解けていてもおかしくはないね」
「五条くんに聞かれたの、なんで呪いなんてかけたんだって。生きる理由がなかったからって言ったら、そーゆーのウザいって言われちゃった」
「悟の言ったことは気にしないでいいさ」
「私、五条くんにキスされて、嫌でも怖くもなかったけど、嬉しくもなかったの」
「…」
「傑くん…笑ってる?」
「いや、あまりに正直な感想で思わず」
「…五条くんも同じこと言ってたよ」
「君は悟に直接言ったんだね。うん…まあ、自業自得かな」
「?」
「わからなくていいよ。それで?」
「傑くん。私にキスして」
「…は?」
「今日だけでいいの。あの日、私をあの家から救ってくれたみたいに、私を呪いから引きずり出してほしい」
「…」
「…ごめん、嫌、だよね」
「そんなことは…ないよ。でも、なまえは本当にいいのかい」
「傑くんが、いい」






 それは、触れるか、触れないかのキスだった。傑くんはぴたりと静止して少しだけ視線を泳がせると、私の背中に腕を回して、もう片方の手で私の唇をなぞりながら目を細める。どうして気づかなかったんだろう。私は傑くんに、恋していたんだ。きっと、初めて出会ったあの日からずっと。数え切れないほどたくさんのものを失くしたけれど、砕け散った心を、やわらかな傑くんの指がひとつひとつ拾っていくように、その壊れそうなものを扱うかのような優しい手つきに、胸の鼓動が大きく波立つ。




 結論から言えば、たった1度のキスで、私の呪いはあっけなく解呪された。それはまるで、眠りについたお姫様が王子様のキスで目覚めるような、ありきたりなファンタジー小説だ。




「傑くん、好きだよ」
「私も好きだよ」
「傑くんとこれからも一緒にいたい、隣で生きていたい」
「…あぁ。ゆっくり歩いておいで、君の足で、ゆっくり」






 この手を掴んだんだ、間違いなく君の手だ。







(2023.9.12)
3周年リクエスト企画・ゆん様
「軟禁少女を救う傑」「生に執着のない主人公」「キス止まり」




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