完全な君は不完全な僕を(五条、夏油)





「あー、こりゃ、やらかしたわ」




 それはうだるような暑い夏の日だった。なまえはゆっくりと瞬きを二、三度した後、ちろりと舌を出し、ぼうっとした視界のなかで近くに居るはずの傑に「視力を奪われた」と声を掛けた。微かに感じた呪力の方向へ思い切り呪具を振り下ろす。どうやら私の勘は当たったようで、無事に呪霊の気配は消えてなくなった。ほっとひと息つけば、後ろから近づく足音と、くつくつと抑えきれない小さな笑い声が聞こえた。




「豪快な戦い方だ」
「仕方ないでしょ」
「だから視るなと言っただろう?」




 首に滲む汗を拭いながら振り向けば、まだ白い靄がかかったような視界に傑は映らない。祓った呪霊はそこまで強くはなかったが高い知能を携えていて、人間の脳から情報を抜き取り、その人間が好意を持つ相手を投影して魅せることができるらしい。そうして目を合わせたら最後、その場で視力を奪われてゲームオーバーだ。傑から事前に注意されていたのに、私はまんまと引っ掛かってしまったのだ。だって、目の前に、好きな人が現れて、そのサファイアみたいな綺麗な瞳がキラキラと瞬いて「好きだ」なんで言うものだから、呪霊だとわかりきっていたにも関わらず、その罠にかかってしまった。本当に、





「たるんでるな」
「ごもっともです」
「君の妄想した悟はどうだった?」
「好きだって言われた、ありゃ反則だよ。そりゃ目合わせちゃうじゃん」
「それは悟じゃなくて呪いだよ」
「わかってるよ!傑は意地悪だなぁ」
「わかっていないから、君は危ない目にあったんだ」
「ごめんなさい」




 傑のついた深い溜息に、ぺこりと頭を下げる。しかし、どうやら私は頭を下げる方向を間違えたようで、「まだ視力、戻らないのかい?」と少し心配そうな声色が落ちてきた。偽物に動揺するなんて情けない。五条が私のこと「好きだ」なんて言ってくれる現実、そんなのあるわけがない。なのに、私は何をまだ諦められずに踏ん張ろうとしているのだろう。私が五条のことを自覚したのは高専に入って半年ほどが経ったときだった。顔はタイプだったが第一印象はとにかく最悪で、「そんな弱くて大丈夫?」と言われた初対面のあの日は今でも忘れられないし、到底仲良くなれるとは思わなかった。自由奔放で、任務でもいつも振り回されてばかりで、私が努力してもできないようなことをなんでもない顔で軽くやってのける。それが最初はただただ悔しくて。とにかく追いつきたいとがむしゃらに任務に出て、呪霊を祓って祓って祓って。自分が誰のために何をすればいいのかすらわからなくなったとき、五条は「俺を追い越せよ」と言ったのだった。


「…は?なに馬鹿なこと言ってんの」
「だから、俺を追い越すのを目標に生きればいいじゃん」
「どんなに頑張って努力してもね、五条みたいな天才にはなれないんだよ、私は!」
「諦めんのかよ」
「、っ」
「俺は見ていたいけどー。お前が俺の後ろ、そうやってすげぇ勢いで追っかけてくんの」


 こつん、と額を指先で小突いて、五条は意地悪な顔で笑った。そして、その瞬間、私はどうしようもなく恋に落ちてしまったのだった。それからというもの、私は強くなった。追いかけて追いかけて、まだ追い越せてはいないけれど、君の隣に立つことはできる。幾度となく五条には「好き」だとか「付き合って」だとか、冗談交じりで好意を伝えてきたが、特に関係性は変わることはなかった。それでもよかった。ずっと五条の隣に立てるなら。




 光の濃淡がうっすら見えるくらいの視界。足元で鳴るコンクリートの破片、砂利の音。頬を掠める生暖かい風。あれから、私はもう「弱い」なんて言われることはなくなったけれど、今日はしくじった。傑の言う通り、たるんでいたのかもしれない。はぁ、と深い溜息を吐けば、ふわりと骨ばった大きな手に包まれて、傑は「まるで幼子のようだね」とくつくつ笑う。






「なまえ、ちょっと見せて」
「ん…祓ったら元に戻ると思ったんだけどなぁ」
「呪いの残穢だね。少しずつだが薄まっている。今日中には元に戻るんじゃないかな」
「距離感も全く分からないや。ところで、傑は誰に視えたの?」
「私はなまえみたいにヘマしてないから何も視てないよ」
「うわ、ムカつく」
「私が視るとしたら、そうだね…きっと君かな」
「変な冗談言わないでよ、私が好きなのは五条だし」
「酷いな」




 彼は私の耳に顔を近づけて「私が案内してあげるよ」と囁くので傑の手をぎゅっと握れば、「左に寄らないと危ないよ」だとか、「あと少しで信号だから止まるよ」だとか、傑は手に取るように的確な指示を出しながら歩く速度を落とすのだった。きっと高専に着いたのだろう、傑は足を止めて「なにか飲む?」と口を開いた。少し日が暮れて涼しくなってはきたが、こんな日は甘い炭酸のシュワシュワしたやつが飲みたい。できればアイスも食べたかったけれど、「見えてないのにそんなの食べたら汚すだろう」という理由で却下された。繋がれた手が一瞬離れて、ガシャン、と冷たい音が響く。いった自分がどこにどう立っているかもわからない不安を誤魔化すように手のひらをさすれば、「行くよ」と再び傑の手が触れた。冷たい缶のひんやりとした感触が気持ちいい。ベンチに座ってプルタブを開けようと指先で形をなぞるように触れると、「向きが違うよ」と傑の指先が私の指先に触れる。傑の低い声が耳元で聞こえてハッと顔を上げた。見えていないだけで、きっと今私と傑はとてつもなく距離が近い。そして傑はそんな私を愉しんでいるに違いない。顔を反対側に背けて一口炭酸を含めば、ごくり、と喉が鳴った。







「お前らさ、こんなところでイチャイチャしないでくれる?」







 思わぬ方向から声がしてぴくりと肩が震えた。五条だ。少し苛立つようなその声色に、きっとその真っ青な目で私たちのことを冷たく見降ろしていることだろうと簡単に想像がつく。イチャイチャしていたつもりはないが、どうやらそのように見えたらしい。傑も、五条が見ていることに気づいて、わざと至近距離で私に接していたに違いない。本当に意地悪だ。





「なんだよ、悟。嫉妬かい?」
「は?てか、付き合ってんなら言えよ」
「ちょ、五条、ちがくて」
「はいはい。別にいいよもう。じゃあな」
「ちょっ、」




 見上げたその視界には、五条悟は映らない。五条が勝手に苛ついて冷たい態度を取られたことは何度かある。しかし、確信をもって「嫌われた」と思ったことは一度もなかった。けれど、霞がかった視界に、さっきよりも少しだけくっきりと、そのシルエットだけが遠ざかっていくのが見えたとき、初めて思った。


― あ、嫌われた。


 途端に意識が遠のいていくように感じて、くらくらと脳が揺れるようだった。言いたいことはごまんとあったが、不思議と言葉が出てこなくて呑み込んだ。あれだけ簡単に好意を伝えてきた私の唇はどうにも動いてくれない。言葉をひとつでも発すれば、もう五条は私に口をきいてすらくれなくなる気がして、遠ざかる足音だけに耳を澄ませていた。一瞬沈黙が流れて、傑が少し気まずそうに口を開く。




「なまえ、すまない。少し、意地悪したくなってしまってね。悟には私から説明しておくから」




 傑が弁明してくれるというのに、少しも気が晴れないのはなんでだろう。まるで真綿で首を締められているかのように、苦しい。




「…いいよ、傑」
「え?」
「五条に、わざわざ説明しなくていい」
「…君がそう言うなら」




 そのあと、傑に部屋まで送ってもらって、朧げな視界でなんとかお風呂に入り、ようやくベッドに横になった。大分視力は回復して、何がどこにあるかくらいは見えるようになったので、明日の朝には元に戻っていることだろう。安心してひと息つけば、ドアを軽く蹴る音とともに「開けろ」と少し怒ったような五条の声がする。うそ、幻聴じゃないよね?目の次は耳がおかしくなった?そろりとドアを開けると、輪郭はぼんやりとしているものの、真っ白な髪をおろしてサファイア色の目を覗かせる五条が立っていた。






「あのさぁ。俺、お前が傑と付き合ってるなんて聞いてねえけど」





 五条はそう言いながら、ドアをこじ開けるように部屋に入ってくる。突然のことで回らない頭に開口一番話したくもない話題を振られてしまうし、そもそも、好きな人が訪ねてくれたにもかかわらず、迎える私がお風呂上がりの寝間着姿だということに、私はただ明らかに動揺した素振りを見せることしかできなくなっていた。





「お前、俺のことが好きだったんじゃねぇの?」
「…そりゃ、好きだよ」
「好き好きってさぁ、誰にでも言ってるわけ?」
「そんなわけないじゃん、そもそも傑とは付き合ってないから」
「じゃあ、さっきのあれ、なに?手繋いで帰ってくるし、キスしそうな距離で座ってるし」
「それは…いろいろと理由がありまして」





 五条は苛立ちを隠そうともせず、私の顎をくいと持ち上げて「理由って?」と身をかがめて顔を覗き込み、しばらく押し黙ったあと、「お前、もしかして見えてねえの?」と言った。何かを思い出したかのように五条は「そういうことね」と呟けば、面白そうに笑いながら私の頭をくしゃりと撫でる。さっきまであんなに機嫌悪かったのに、今日の五条はどうやら情緒不安定らしい。





「それ、呪いにやられた?」
「…うん」
「いつ治んの?」
「明日になれば元に戻る、みたい」
「ふぅん。そんなに強かったー?傑もいたんだろ」
「いや、…ちょっと特殊な呪いでさ」
「どんな?」
「なんで五条に言わないといけないのよ」
「知りてぇじゃん。逆になんで教えてくんねーの」
「…目が合うと視力、奪われるんだけど」
「目合わせなきゃいーじゃん」
「その、呪霊がさ、知っている人に化けるっていうか…」
「で?誰に視えたわけ?」
「…じょう、」
「ん?」
「五条に、みえた」
「へぇ。で、なまえは俺のかっこいい姿に思わず目を合わせちゃったってわけ」
「し、仕方ないでしょ!」
「傑から聞いたんだけどさ」
「…」
「その呪霊、見た相手の好きな人に化けるらしいな」
「へっ?知ってたの?」
「お前、俺のこと、そんなに好きなの?」





 やられた。大好き、という言葉が何度も頭の中で響いたけれど、なぜかいつものように、それを口にすることはできなかった。少し間を置いたのち、五条は「なんで黙んの」と私の頬を指で撫でる。そう言った五条の声が柔らかくて、思わず私は目を伏せた。




「いつもみてーに言えよ」
「…好き」
「ん?なんて?」
「っ、聞こえたくせに」
「俺も」
「え?」
「俺も好き」
「…、へっ?」




 見上げたその瞬間、霧が晴れるように視力が戻り、白銀の髪が月明りを浴びてキラキラと輝いた。あのサファイア色の瞳がくっきりと私を捉える。パチパチと瞬きを繰り返せば、五条は笑みを浮かべて私の唇を塞いだ。もうだめ、心臓が弾け飛びそうだし、感情が剥き出しになって、思わず口から気持ちが溢れだしそうだ。頭が蕩けてしまうようなキスの合間で、五条は私に「付き合う?」と言葉を落としてまた唇を重ねる。好き、大好き。浮かれている、たるんでいると笑われたっていい。どうしようもないくらいに、いとも簡単に私の人生は、五条悟を中心に回っていくのだった。









完全な君は不完全な僕を愛しいと言って破壊する

(2023.6.22)
3周年リクエスト企画・朝霧様
「五条さんと付き合いたい同期の奮闘」「ご都合呪霊」「ハッピーエンド」
勝手に夏油君を多めに登場させてしまいました...




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