まがごと(禍事)(夏油)






「傑」




 私の唇は何度、この愛しい名前を呟いたことだろう。




「...裏切り者の私の名前を呼んでいいのかな」




 路地裏で目を細めて微笑むそのほんの一瞬を目に焼き付けるかのように見つめれば、彼は「なにか言えよ」と声もなく笑った。まるで私たちだけが世界で生き残ってしまったかのように、誰もいない静かな時間が永遠のようにも思える。
 傑は私に近づき、少し腰をかがめて額にキスと落とした。その優しい仕草に「好きだよ」と呟けば、顔色ひとつ変えずに「私のことは忘れた方がいい」と零す。




「なら、どうして傑は私に会いにきたの」
「たまたまね」
「嘘。会いにきてくれたんでしょう」
「...君には勝てないなぁ」
「どうして私のこと、連れていってくれないの」




 重ねられた唇。頭が蕩けそうなほど甘い熱を感じた刹那、傑ではないどろりとしたものが何かが喉を押し広げるかのように、纏わりつきながら口内を犯していった。傑が取り込んでいた呪霊だろうか、喉を這うぬるぬるとした感触に思わず目を瞑れば、傑はそんな私にお構いなしに片手でブラのホックを外す。呑み込め、とでもいうように傑の指先が私の喉元に押し当てられ、円を描いた。苦しい。きっと今の私はまるで苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。ごくり、となんとか呑み込めば、傑は私の喉元へ顔を寄せて「えらいね」と鎖骨へ唇を落とした。




「苦しかったかい」
「っ、はぁ、」
「ほら。君は私にはなれないよ」




 傑はわずかに目を細め、今まで聞いたことがないような低い声でそう言った。傑の指が、お腹や腰、背中を撫で、胸の先端をゆるりと摘まむ。さっきまでの不快感が嘘のように、私の身体がじわじわと熱を帯びていく。違うよ、傑。私は貴方に代わりたいんじゃない。一緒に背負いたかっただけなのに。




「さよならだ、なまえ」
「、もっと」
「何を」
「もっと頂戴よ。傑のなかの汚いもの、全部私に頂戴」




 傑は深く溜息をついて「君は被虐嗜好でもあるのか」と呟くものだから、傑の骨張った指先を噛みつくよう口に含む。傑の指先が、歯茎、頬、上顎、ゆっくりと私の口内をなぞりあげていく。焦らすように内壁を擦られて脳が甘く痺れてしまいそうになりながら、押し当てられた傑の下半身が次第に硬くなっていくのを感じていた。
 冷たいコンクリートの壁に服が擦れる音がする。傑の熱に私も絆されて、下半身がじくじくと熱くなっていく。まるで抑えがきかなくなかったかのように傑は私の首筋へ貪るようにキスして、堪らず声を漏らした私の唇を塞いだ。まるですべてを塗りつぶすかのように、傑は熱く硬くなったものを私の中へ挿入する。いっそ抱いて溶かして、私のことなんて消えてなくしてしまえばいいのに。




「っ、ん、」
「なまえ」
「すぐ、る」
「私と地獄に堕ちてくれるかい」




 いっそう深いところへ押し込まれれば、重く強く腰が打ち付けられる。その溶けるような甘い痺れに果ててしまいそうになるのを堪えながら、傑の長い指先がいつの間にか溢れていた涙を拭った。
 頭の片隅ではごく冷静な自分がいて、このまま裏切り者の傑をいっそ私の手で殺してしまおうかとか、どうすれば君を飲み込めるだろうかとか、私が呪霊になってしまえば傑に飲み込んでもらえるのに、なんてことを考えている。明日もし地球が滅びるとして、明日もし月が遠のくとして、明日もし太陽が狂うとして、明日もし大地が凍えるとして、明日もし海が消えるとして、明日もし君が死んで私が壊れてしまったとしても、きっと私たちは笑いあった青春の日々を、綺麗な思い出としてではなく、どこか腫れ物のように扱うんだろう。





 早く朝になって、君と塵になってしまえればいい。







(2023.03.02)
まがごと(禍事)
凶事。災難。わざわい。

ひめごと(秘め事)へ続黒(お相手:五条)

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