そらごと(空言)(五条)






 あの日、膨大な犠牲もとに成り立つ正義を捨てて、傑は一線を越えた。世界を救い続けた彼は誰よりも孤独だったのだ。そんな夏油傑は、もう帰ってはこない。



「ねぇ、五条」
「なんだよ」
「私の力は誰かを殺す為じゃない。生かすためにあったのに」
「お前は数えらんねぇくらいのいのちを救ってるよ」


 目の前には無残な姿の愛しい彼が居て、私は反転術式で傑を治せたのに治さなかった。最期に手を掛けたのは五条だったけれど、きっとそれは五条の優しさだ。


「助けられたのに見殺しにした。傑のこと」


 こうやって傑は私の初めてをこんなにもかんたんに奪っていく。初めての恋心。初めてのキス。初めてのセックス。そして、初めて目の前でいのちを見捨てて私は愛しい人を殺したのだ。込み上げてきたものを抑えようと唇を噛む。いくつもの死を目の当たりにして、傷つき傷つける日々の中で、たったひとつのいのちがこんなにも重いだなんて。


「帰ろう、五条」
「お前さ」 

 五条は私の身体を抱き込むと、首元に顔を埋めながら「俺がやった。なんでお前がそんな顔すんだよ」と呟いた。だって私の生きる意味は目の前に転がるいのちを掬い上げることであって、いちばん愛おしい人を失って「仕方ない」と言えるほど大人ではない。誰も傷つかない世界を望んだはずだったのに。








「...五条、起きてる?」
「起きてるけどー」


 月明かりに照らされながら五条の部屋の扉を叩けばすっかり夜も更けているというのに五条は起きていて、私を部屋に招いた。


「夜遅くにごめん。寝れなくて」
「別に」
「寒いね」
「こっちくれば」


 五条に手を引かれてふたりベッドに座れば、私の腫れた目元に指先を当てて「不細工な顔してんな」と、ふっと自嘲するように笑った。


「ごめんね、五条」
「なにが」
「私、五条に甘えてる」
「可愛いこと言うじゃん」
「すぐそうやって茶化すんだから」
「いーんじゃないの。たまにはさ」


 五条は少し困ったように眉を下げて、唇を押し重ねてきた。制するように「こんな慰め方やめてよ」とその胸板を押し返せば「俺がしたいだけなんだけど」と肩を押されベッドに背中から倒れ込んだ。五条は瞬きを繰り返す私を見下ろして、再び唇を落とす。私の背中に回された五条の腕が微かに震えている。そっか、五条も忘れたいんだ。今日という日のことを。
 角度を変えながら、次第に互いの舌が混じり合う。舌先から感じる五条の熱。越えられなかった絶対的距離を簡単に越えて、私と五条はこんなにも近くにいる。


「俺さー、ずっとお前とヤりたいなと思ってたんだよね」


 五条は何かを吐き出すように「傑。悪く思うなよ」と溢した。悲哀と優しさが入り混じったその手つきに、喉奥がぎゅっと締まって声が出なくなる。濡れた唇、骨張った指先、少し汗ばんだ額。声にならない嗚咽をようやく搾り出せば、カーテンの隙間から見えた月が滲む。


「っ、あ、」
「なまえ」
「まって、だめ、」
「そんな顔で言われて、待つわけねぇじゃん」


 快楽の狭間でいっそう深いところへ押し込まれれば、堪えきれず「傑」と漏れたその名前に、五条はぴたりと動きを止めた。咄嗟に口を覆えば、内臓を突き上げられる感覚に呼吸ができなくなる。腰を深く沈める五条の背中にしがみついて、私たちはまるで心に空いた空白を塗り潰すかのようにひたすらに求め合った。傑がいなくても、朝日は昇った。いつも通りの朝だ。


「五条、ごめんね」
「...謝ってんじゃねぇよ」
「いつの間にか朝だね」
「もう一発ヤる?」
「体力おばけ」
「俺たちさー、付き合う?」


 五条の宝石みたいな瞳が鈍く光っている。目を丸くする私の様子を見てどこか自嘲したようにふっと笑えば、「俺じゃだめか」と呟いた。


 誰も傷つかない世界を望んだのは、他でもない私たちだったのに。








そらごと(空言)
うそ。いつわりごと。
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