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理想はダブルB

「月島、お前、良い人はいないのか」

思い出した様に呑みに誘ってくる上司は、実に気軽にそう問いかけて来た。
長い付き合いだからこそ一々報告せずとも動向を悟られていると知っている月島は、御存知でしょうとだけ返す。
最後の恋人は入社直後に自然消滅したきりで、それ以降はそんな暇も無くひたすら仕事に打ち込んできた。学生の時分とは違い、べたべたしなくても良い大人の付き合いにすらかける時間を惜しむ程に忙しい毎日。気が付けば立派な中年になっており、この歳の男が周囲で恋人を得ようとするとセクハラなんて言われる御時勢になっていた。
それでなくとも真っ当な両親の下で育ったとは言い難い環境で子供時代を過ごした月島に、結婚願望は無い。同じ志の女性を探してわざわざ付き合うなど面倒でしかなく、付き合っている内に相手の気が変わるというのもよく聞く話だ。性欲ならリスク無く解消出来る術なら他にもある。故に働き盛りの身でありながら、月島は自然と色恋とは疎遠になっていた。

「ふうん、そうか。 まあそれはそれとして、今度の人事異動で日鳥くんが営業になるから面倒をしっかりと見てあげなさい」

言ってビールジョッキを豪快に煽る上司の言葉に耳を疑う。
日鳥とは、営業補佐のあの日鳥かなみのことか。

「あの、彼女は営業補佐ですが?」

営業補佐から営業に転身を遂げる者は確かに居る。が、それは元々営業を希望している人間が商品のことを学ぶ為の研修期間として営業補佐を務め、その後本命の営業になるだけのことだ。それに月島の知る限り、大人しい気性の日鳥が飛び込み営業もありの外回りを希望しているはずがないという確信がある。
まさかと凝視する先で、上司がにんまりと笑った。

「彼女の生真面目さと誠実さは、今時の不正だらけの業界の中にあって信用を得るだろう。 口先三寸の話術など寧ろ不信を買うだけだ。 月島、お前のその地位の後継を育てると思ってしっかりと指導しなさい」

思うところは色々あった。が、上司の言葉の通り、当時主任であった月島は突如として営業に転属を命じられて右往左往する日鳥の面倒をよく見た。
さぞ指導には苦労するかと思われたが、予想に反して彼女が良い動きを見せたのは嬉しい裏切りだった。流石に入社してからこちら、営業補佐として務めてきただけのことはある。
商品の知識は言わずもがな、取引先の好みや傾向まで把握していたことには舌を巻いた。データ精査を嫌がる他の部下にも見習わせたいと思うくらいに奮闘する彼女だが、その弱点はやはり飛び込み営業で、門前払いを喰らいべそを掻きながら戻ってくることは珍しくなかった。
その涙には無論憐憫を覚えたが、新規先を開拓する力が無ければ営業としては何時まで経っても半人前である。心を鬼にして送り出すことを繰り返し、ある日晴れやかな顔で彼女が戻って来た時は我が事の様に喜んでしまった。
…彼女は、日鳥は可愛い部下だったのだ。手塩にかけて育てた後輩で、主任の地位を継いだ時にはすっかり頼もしい仲間になっていたけれど。それでも自分の中のどこかで、いつまでも可愛い部下のまま、在り続けていた。

「やはり私の見立てに間違いは無かったな。 御苦労だった、月島」

彼女を見出した鶴見が満足げに笑う。仰る通りですと頭を下げながら、彼のデスクの上にある大判の封筒が気になっていた。白く、ふっくらとしたその中身が書類では無いことは知っている。幾度か鶴見から渡された見合い写真は、いつもそういう封筒に入っていた。

「ああ、これか? 安心しなさい、今回はお前に宛てたものではないから」

言いながら鶴見はその封筒を月島に差し出してくる。半ば反射的に受け取る月島の訝しげな表情を見る鶴見は、悪戯が成功した子供の様な笑顔を浮かべていた。

「鯉登支社長のことは知っているだろう? あの方の御子息はまだ若いが将来を嘱望されていてな、しかし若さ故か少々無鉄砲のきらいがある。 早い内に家庭を持たせて落ち着かせたいとの御意向だ。 それも出来れば年上の御婦人に手綱を握って貰いたいと」

九州支社の鯉登支社長ならば、月島も鶴見に付き添う形で何度か会ったことがある。その子息の噂は今まで聞いたことが無かったが、見合いを組まれるということは学生では無いのだろう。
さて、ところで何故この上司は男の見合い写真を月島に渡してきたのか。そう考えて、ふと脳裏を日鳥の面影が横切る。嫌な予感がした。

「日鳥くんに渡してくれ」

会ってみるだけで構わないから気軽にねと伝えてくれと付け足す鶴見の手に、月島は気が付けば封筒を突き返していた。滅多に崩されることの無い鶴見のアルカイックスマイルが跡形も無い。

「───そういうことか、月島」

にんまりと弧を描く鶴見の薄い唇から、白刃の如く歯が覗く。その様だと頭を抱えて蹲りたい衝動を必死で堪えながら、月島は目を伏せた。そして納得した。
逞しく成長した彼女を可愛く思えるはずだ。何せ惚れているのだから。
しかし己の恋を自覚しても月島が動くことは無かった。今までと何ら変わりなく上司と部下、先輩と後輩として接し、食事に誘うとしても二人きりでは無い。必ず同部署の人間を幾人か誘い、呑み会の体を取って連れ出した。
何せこの御時勢だ、月島くらいの歳の男が部下に気のある素振りを見せようものならセクハラなどと騒がれてしまいかねない。しかし実のところ、そういう濡れ衣を着せられる恐怖よりも彼女にそう思われてしまうことの方が恐ろしくて動けなかった。
今更ながら無為に歳を重ねてきたことを後悔する。もう少し手管を学んでおけば、こんな情けない恐れを抱いて立ち竦むことも無かったろうに。

「ありがとう日鳥、お前のサポートがあって助かった」

そうして何事も無く数年が経ったある日、月島はとある顧客からの電話を受けて途方に暮れた。
月島が主任に就任する前からの付き合いであるその得意先は、年間通して指折りの売上をくれる太客である。今季の納品も問題無く勧めて来たところへかかってきた電話に何やら嫌な予感を覚えつつ出てみると、案の定厄介な相談事を持ちこまれてしまった。うちでは無理ですと突っ撥ねるには付き合いが長すぎて、月島は恥を忍んで部下達にも助力を乞うた。
真っ先に手を上げてくれたのが先程日鳥だったことは良かったのか悪かったのか、未だよく分からない。

「いえ、お役に立てて良かったです」

はにかんだその笑顔に嘘は無い。今回のトラブルが無事片付いたことよりも、彼女から寄せられる信頼が少しも損なわれていないことの方に安堵しているとは絶対に言えなかった。
そんな何とも小さな見栄が守られたことは勿論喜ばしいが、この後は正真正銘、彼女と初めて二人きりで食事出来るとあって少々浮かれている。出張先とは言え幾度と無く訪れたこの辺りには土地勘も有り、接待を受けた美味い店を幾つか把握している。迷いなく衒いなく肉が食べたいと言ってのける彼女を少しからかって、ホテルへの道を急いだ。その先で見舞われるトラブルなど予想だにせずに。



童貞を捨てる時とてこれ程理性と欲望が葛藤することはなかったと、月島はひたすら思案を繰り返していた。
いつもはすんなりと通されるチェックインが詰まった時点でおかしいとは思っていたのだ。ダブルブッキングか差配ミスかはどうでもいい。自分と彼女の泊まる部屋が確保出来ないと告げられて、一瞬気が遠くなる。
自分は良い。最悪通報さえされないのならどこぞの公園のベンチにでも横になり、始発で帰るということも出来るから。
しかし日鳥だけは雨風を凌げる場所で寝かせてやらなければならない。妙齢の女性であることは勿論、月島にとっては数年来の想い人なのだ。何かあっては後悔してもしきれないとばかりに、必死に空き部屋情報を探す。
が、流石に日本シリーズ中の球場界隈とあって無情な満室表示だけが連なっている。野球は好きだが、このまま最悪の事態となったら嫌いになってしまいそうだととかく指を滑らせる。今から移動出来る時間など限られているが、もう少し捜索範囲を広げてみようとした時だった。

「お客様! 部屋に空きが出ました!」

支配人の、安堵と歓喜の入り混じった明るい声が届き、ほっとしたのも束の間。
まさかまさかのスイートルームに通されて、日鳥と二人、呆然とする。
恐らく支配人としては広い部屋であるから寝床を分けるくらい、こちらでやれると踏んで案内したのだろう。無論そうするつもりであるし、自分も日鳥も独身であるから誤解させて厄介なことになる誰かも居ない。強いて言うなら社の人間だが、この顛末を他言しなければいいだけの話だ。
そう、それだけの話なのに、月島は迷っていた。何故ならこのまま日鳥と同じ部屋で一泊するとなると、何もしない自信が無かった。
しかしこの部屋を出ても宿泊先の宛は無い。取り敢えず日鳥をシャワールームへ追いやり、野宿にすべきか迷いながら再びスマートフォンで空き部屋情報を漁る。が、無情な眺めに変化は見られなかった。こうなれば仕方ない、部屋が見つかったと嘘を吐いて出ようと覚悟を決めた。

「月島さん、お風呂空きましたよ」

…その前に風呂を堪能するくらいは良いだろうと振り返ったことを、直後後悔する。
当然ながら湯上りの日鳥がそこにいた。洗い立ての髪は艶やかで、しっかり温まったことを示す上記した頬は幼く赤い。けれどその身体を緩く包む浴衣のラインが描く凹凸は酷く悩ましく、彼女が大人の女性であることを示していた。

「…ああ、入ってくる」

上がり次第この部屋を出ようと言う決意はまだ崩れてはいない。が、それも湯に溶けてしまうことは目に見えている様で、月島は彼女を振り返ることが出来なかった。
髪も身体も、同じボディーソープで洗い流す。浸かる湯船は丸く大きく、月島が小柄であることを差し引いてもまだ十分な余白があった。それこそもうひとり入っても全く問題ない様な───そこまで考えて、水面に思い切り顔を打ち付けた。
十代のガキでもあるまいに、一体何を考えているのかという自己嫌悪から顔を上げられない。窒息の手前まで我慢して上げた顔は熱く、見なくとも赤いのだろうと察せられた。
また上がるタイミングを失ってしまった。こんな茹る手前の顔で上がっては彼女に要らぬ気を遣わせてしまう。

「俺はどうすればいい…」

湯船の縁に腰掛け、足首から下だけを湯に浸けて頭を抱える。
今は彼女の寝顔を見てみたいと言うささやかな欲望が燻っているだけだが、いざ目の前に横たわったのなら抑えられる自信など無い。
そうしてそのまま悶々と悩んでいると、使い過ぎたのか逆上せたのか、眠気に似た眩暈に襲われた。気が付けば中々の時間が経っていた様だと、少し覚束無い足取りで脱衣場に戻る。途端爽やかな涼しさに見舞われ、幾分か思考がはっきりと戻った。
と。

「…ん?」

脱衣場に放置していたスマートフォンの画面が明るく浮かび上がる。ラインなりメールなり着信なり、何らかの新着があれば一分置きに表示される様設定したそれを思い出して背筋を寒いものが走り抜ける。また何かしらの厄介事ではなかろうかと怯えるが、確認しない訳にもいかない。
しかし表示された名前を見て拍子抜けした。
鶴見だ。きっと先程入れたトラブル解決の一報を受けての労いのメールか何かだろうと、気軽に開封して───目を疑った。

『スイートルームの泊まり心地はどうだ? ここで成果を残せない様であれば日鳥くんには鯉登との見合いを勧めるので頑張る様に』

…不審な点は確かにあったのだ。
混雑する時期に当たってしまったとは言え、今朝方日鳥がチェックインの時間が遅れると連絡を入れた時にはトラブルの気配は無かったというのに、チェックインカードに記入をしている最中に呼び出されて席を離れた女性コンシェルジュのその後の対応や、確認も無しに男女を一室に置き去りにした支配人の行動など、全てがおかしかった。
そうか全て鶴見の差し金故だったのかと納得すると同時に怒りが込み上げてくる。いつまで経っても進展を見せない自分を焚き付ける為の御膳立て。それにまんまと踊らされて自分は悶々と頭を悩ませて、日鳥にも迷惑をかけて。
ぽろんとメールの着信音が鳴る。

『鯉登は乗り気だぞ』

コンプライアンス違反として通報されたくなければこれ以上介入しないで下さいと返信して、スマートフォンを伏せる。本当ならば電源を落としたいところだが営業の人間としてそれは出来ない。
…知っている。女性ながら営業の前線で働く日鳥に、鯉登が好意的な視線を向けていることくらい。伊達に指導係をやっていないし、同じ女を見ていない。

「…許してくれ、日鳥」

もう明日までこの部屋を出る気は無く、悩みは彼女をどう口説くかに移り変わっていた。しかし自分が好意をちらつかせることで彼女が怖がりはしまいか、それが気がかりで仕方ない。
備え付けの浴衣を適当に着付け、止まらない汗を拭う為のタオルを肩にかけてラウンジへ戻る。
律儀な彼女のことだから、きっと先んじてルームサービスを頼むことなく待っているのだろう。一時間近い長湯であったことも含めて心配させていやしないかと足を速めるが、踏み入ったラウンジで日鳥の姿をぱっと見つけられなかった。
しかしテレビは点いている。月島が好んで見ることのないバラエティ番組のわざとらしい笑い声が響くラウンジの中を少し歩いて、ソファに横たわる彼女に気が付いた。成程、背凭れが目隠しとなって見えていなかったらしい。

「やはり待たせ過ぎたか」

ベッドルームからタオルケットを持ち出す。心地良さそうな寝息を立てる彼女に被せてやりながら、先程彼女の寝姿を前にすれば辛抱堪らないのではないかと危ぶんでいたのが何だったのかと思うくらいに穏やかな心地でいる自分に戸惑った。日鳥の寝顔があまりにあどけない所為だろうか。
頬にかかる髪を指先で退けてやる。そのまま首筋へ滑らせると、ふわりと同じボディソープの芳香が鼻腔を擽った。同じ物を使ったのだから当然であるのに、無性にその事実が愛おしくて堪らなくなる。まるで生活を共にした結果の様で、彼女との距離が縮まった様な気がして。

「…風邪引くぞ、かなみ」

恋人気取りの言葉をかける。
鶴見の思惑通りになるのは癪だが、彼女は欲しい。じっくりと見極めながら今夜で決着を着けようと、月島は景気付けにビールを煽った。

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