空蝉の庭先へ


杏寿郎はひとつ決意したように障子戸を開け放ち、長らく閉じられたままであったその部屋を見渡した。中には藁を干したような、乾いたイ草の匂いが立ち込めていた。
降り注ぐ陽光を一身に受け、畳に浮かび上がった己の影から視線を起こすと、幼き日の記憶を辿るように部屋へと足を踏み入れた。
誰も大した掃除などはしていないはずだが、あの日と変わらず、簡素な作りの室内は、今もそのままに綺麗に整えられていた。

この部屋は暫く病に臥せっていた母が最後を迎えた場所である。かつて父と母の部屋であったこの場所に、父はあれ以来近づくことはなかった。
振り返り部屋から庭を見渡すと、向かいに父の居る離れがある。
この部屋で父が母と寝起きしていた時は、離れは書斎として使用されていた。

あの日、母の亡骸にすがり付く父の背を杏寿郎は唯ひたすらに見つめていた。
父は声を上げて泣いていた。父のそんな姿を見るのは初めてであった。父はその日から誰とも視線を合わせなくなった。

ふと母はこの場所から父をよく見ていたのだろうと思った。
それ程に母の寝ていたであろうその位置から、今は固く閉ざされている離れの障子戸がよく見渡せた。
杏寿郎は二人の仲睦まじげな姿を具体に見たことはなかった。しかし父が母を見る眼差しはいつも穏やかであった。


廊下を抜け庭先へ出ると、離れたところで刀を振るう千寿郎の姿が見えた。
彼に声を掛け、「少し背が伸びたな」と感慨深げに呟くと、近頃任務の忙しさを理由に生家に立ち寄らなくなっている己に気が付く。
「あ、兄上!」と千寿郎は慌てたように振り返り、「また兄上の気配に気が付くことが出来ませんでした」と眉を下げた。そんな彼を優しく見つめ、頭を撫でてやる。

そして千寿郎のその繊細な手に血が滲んでいるのを見つけると、杏寿郎はいつも何ともやるせない心持ちになるのであった。
彼は元来物を書くのが好きであったし、庭先の植物の絵を描いたりしてよく人に誉められたりもした。何より空いた時間が出来ると何かを書き留めている姿をよく目にしていた。
これは千寿郎が望む道なのであろうか、喉元まで込み上げた感情を飲み込む。彼のひた向きな姿を見て、剣をやめるようになどと云うことは出来なかった。
煉獄家は代々皆剣士である。炎の呼吸を受け継ぎ、次へと繋いできた。己は他の道など考えもしなかった。皆それが当たり前であるかのように進んできたのであろうと思っていた。
それでもこの弟には己の好きな道に進んでほしいと、その背を押してやりたいと、微笑んだ彼の眼差しを捉えながら思うのであった。




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