岐路につく


浅い波間に立ち尽くした白鷺たちの群れが、一様に羽を広げ飛び立とうとしていた。
季節の巡りに移り変わった枯れた景色は、うっすらと青白く滲み、静寂に包まれていた。
杏寿郎は夜明けの空を見上げていた。こんなにも移り行く景色に目を留めるようになったのは、彼女と出会ってからのことであった。

まだ出会って間もない頃に、この空のことが解ったらどんなによいでしょうね、と呟いた名前の表情を、今でも鮮明に思い起こすことが出来る。
彼女は時おり何でもないようなことを然も不思議そうに呟くことがあった。それが微笑ましく、堪らなく愛おしかった。


鬼殺隊に入ってからというもの、あっという間に時は過ぎていった。唯ひたすらに前へと突き進んできた。
降り頻る雨のなか、横たわる仲間たちの身体に打ち付ける滴の音を耳に残し、無我夢中で刀を抜いた。凡ての始まりであった。
あの日から幾度となく目の前で潰えた命が、目を閉じると走馬灯のように駆け巡り、母を亡くしたその日でさえも、己はけして涙を流すことなどなかったのだと、ふと胸をよぎる。
そうして通り過ぎた数えきれない人々の面影を、いつしか消化しきれずに、この身に降り積もっていくのを受け止めていた。

初めて彼女の名前を呼んだ日を、二人で手を取り合った日を、此方を振り返りその身を抱き締めた日を覚えている。それはどれもが華やいでいて、優しさに満ちていた。
いつかの二人で歩いた帰り道、月のない夜に明滅したその光を、無知な己は蛍だと思っていた。澄んだ空気に踏みしめた苔のやわらかさを、彼女の笑った横顔を、いつまでも覚えていようと思った。

この道に迷いなどはない。この先も続いていくだろう務めを果たしていくまでである。
出来ることであれば、彼女と添い遂げ、その責務を全うしたい。


杏寿郎は駅舎に辿り着き、始発を待つ人々の列に目を向ける。発車まではまだ少し時間があるようであった。早朝にもかかわらず、駅はずいぶんと混み合っていた。
眠たそうにまなこを擦った幼子が、とぼとぼと此方に向かい歩いてくると、彼の足下に蹲った。「こらこら」と云いながら後を追って頭を下げる母親に微笑み返し、彼は子供を抱き上げながら「まだ眠りにつく時間であるから、それは眠いであろう」と優しく眉を下げた。
汽車への乗車を促すアナウンスが鳴り響き、母親へ子供を手渡すと、ゆっくりと羽織を揺らしながら汽車へと歩きだした。


 *

幾つもの平屋が立ち並び、商いの準備を始める者たちが軒先に躍り出た。人々の生活する音が響き始める。
名前が置屋に続く戸口の辺りを掃き清めていると、向かいの屋根に一羽の鴉が降り立った。鴉は暫くその場に留まり、こちらをじっと見つめていた。彼女は杏寿郎の連れていた鴉によく似ていると思ったが、それが本当に彼の鴉なのかどうかは分からなかった。
彼女も暫く鴉を見つめ、其処は寒くはないのだろうか、と小さく微笑み返すと、また竹箒を握りしめ戸口を掃き始めた。




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