good boy | ナノ
高等部の廊下を進みながら
「先生〜おはよ〜何してんの〜?」
「はよ〜見回り〜。君たちが悪いコトしてないか確認してるの〜」
「今日は煉獄先生とチャンバラやんないんすか〜?」
「もうやんないよ〜!煉獄先生本気で向かってくんだも〜ん!超怖い!」
「え〜?先生が逃げ回るのめっちゃ面白かったのに〜」
「ちょっと〜!マジもう勘弁だよ〜!」
生徒と彼女のくだけた会話を背中で聞く。

教育実習というのは、生徒達にとってもなかなか特殊なイベントで、例え限られた期間だったとしても"先生"を迎える事に全体が浮足立つ。
純粋に興味が湧くのだろう。
その姿を見付けると、何かしら声を掛けてくる表情は楽しそうで、彼女も嬉しそうにその全てに応対してる。
その場面を見ただけでも、生徒達に溶け込んで上手くやっているのが窺えた。

しかし生徒達が居た事で朗らかだった空気も、2人きりになると途端に一変する。

「何処まで行くんですかぁ?」
不満そうな口調に一度足を止めると振り返った。
「あと下階の二年生の教室を見たら戻ろうと思っています」
「これって何か意味あるのかな〜?ただの散歩みたい」
「そうですね」
苦笑いを返してから足を進める。

確かにただ徘徊しているようにしか見えないだろう。
けれど全く意味がない訳ではない。
生徒達の様子を窺い知るというのは勿論、校舎の状態の把握、災害時の避難経路の確認等、色々な目的があるにはあるのだが、今此処で一から説明しても、素直に聞いて貰えるとは思えないので口を閉ざす事にする。

それでも

「誘うためにこうやって人気のない所探してるのかな〜」

背後から飛んできた言葉の意味がわかった瞬間、勢い良く振り返ってしまった。


good boy


「…何ですか〜?」
敵意を向けてくる瞳と見つめ合ってから、無意識に険しい顔になっていたのに気付いてそれを弛める。
「…いえ、何でもないです」

挑発には乗らない。
その場限りの感情をぶつけても、それこそ何の意味もないのを知っている。
これ以上、事態が悪化するのは避けなくては。

「言いたい事があるんならハッキリ言った方が良いと思いますよ〜?」
「特に言う事は何もないです」

駄目だ。
彼女本人が望んだからと言って、一緒に来るんじゃなかった。
もしかしたら、きちんと話が出来るかも知れないという思惑も見事に崩れ去った。
この子はわざと私を怒らせようとしてる。
早々に終わらせて戻ろう。

足を速めた事で彼女の足音がパタパタと大きくなった。
「ね〜、何でこんなに私が喧嘩売ってるのに何にも返してこないんですか〜?何とも思わないんですか〜?」
「何とも思いません」

敵意に敵意で返しても空虚なだけだ。
本当に虚しい。
馬鹿馬鹿しい。

つい握り締めた拳に気付いたと同時、足音が聞こえなくなった事で立ち止まる。

「…どうしました?」
振り返った先、髪を整える掌の動きを見つめた。
そういえば、たまにそうしている時がある。
恐らく癖なのだろう。

「だから義勇先生の気持ちもシカトしてるんですか?そうやって何にもなかった〜みたいにヘーキな顔して?」
「どうして此処で冨岡先生が出てくるのか理解に苦しみます」
「ヘビ先生が言ってましたけど、義勇先生、ずーっとアナタを好きなんですよね〜?」
ついには苗字を呼ぶ事もしなくなった事で、また彼女の逆鱗に触れてしまったのだろうと悟った。
「何で応えてあげないんですか〜?気持ちがないなら拒否れば良い話ですよね〜?」

そうして拒否し続けてきたつもりだったんだけど、と言えば彼女はまた反発するんだろうな。

「ほらぁ、まただんまり〜。何考えてんだか全然わかんないんですけど。自分の意見とかないんですか〜?」
「例えば私が此処で持論を展開したとして、その状態では冷静に思索し理解を示していただけるとは思えないので黙っています」
「あー、そーですか。私とは話す価値もないって事ですね〜」
歪んだ顔がこれ程にない敵意に満ちている。
だから何も言いたくなかったんだ。
彼女の望む言葉なんて、他人の私にはわからないんだから。
「人の気持ちとかちゃんと考えた事あります?教務主任として優秀とかお父さんが言ってましたけど〜教師としてはすごくても人としては最低ですね〜。こんな人を好きとか義勇先生やっぱかわいそー」
感情に任せてまぁ好き勝手言ってくれる。
「冨岡先生の事が好きだから私を敵視するんですか?」
弾かれたように身体を揺らした彼女に、あぁ、あの時の台詞は本気だったんだなと知った。
「でしたら最低な人間なんかに構っていないで、ご自分を存分にアピールなさっては?こちらを敵視し続けていても、想い人がそちらに向く事はありませんよ」
私が強めの口調で返した事で、若干眉を下げながらまた髪の毛を整えてる。
それを下ろす頃にはまた険しい顔に戻っていた。
「わかりました〜。アナタがそう言うならマジで本気出しますね〜。後悔しても遅いんで。ふくみず皿に返らずってやつです」
そう言って向かおうとした先とは逆方向へ歩き出した背中を見つめながら、言葉の意味を暫く考える。
覆水盆に返らずの間違いではないかと気付いたのは、その姿が見えなくなってからだった。

* * *

「義勇せんせ〜。今日もパン食べてるんですね〜。パン好きなんですか〜?」
「………」
「私も明日からパンにしようかな〜。それ美味しそうですもんね〜」
「………」
もぐもぐと一口一口咀嚼しながら、その合間を縫って器用に言葉を紡ぐ彼女と対照的に、唯々一点を見つめながら、もそもそと口を動かす冨岡先生。
全く言葉のラリーが出来ていないのも意に介さず話し掛け続けている彼女のメンタルはなかなかのものだと言える。
それに対し一言も返さない所か、反応を示さない冨岡先生も凄いけども。
故意で避けているのか、それとも食事をする、それだけに集中しているのかはその横顔だけじゃわからない。

トントン。

遠慮がちに叩かれた扉が開かれ
「…すみません、苗字先生いらっしゃいますか…?」
これまた遠慮がちに掛けられる声の主を見止めて、早々に弁当箱の蓋を閉めると立ち上がった。
「お疲れ様です」
「すみません…お食事中のところ」
小さく頭を下げたのは今現在、PTA副会長を担っている保護者の方。
「いえ、大丈夫です。どうなさいました?」

今日この時間にPTA本部の保護者が集まっているというのは悲鳴嶼先生から報告を受けて把握はしている。
何でも前回の役員引継ぎの時、新しい会長が参加出来なかったため、今日この日を改めて顔見せという形で決めたと伝え聞いていた。
私達教師がそこに顔を出す必要はないと言われていたので、コミュニティルーム予約、使用の確認だけで済ませていたが、何か問題でもあったのか。

「コピー機の調子が良くなくて、会議室の使わせてもらいたいんですけど、今って大丈夫ですか?」
お窺いを立てる口調で、あぁ、そういう事かと心の中で頷いた。
「会議室でしたら鍵も開いてるのでそのまま使用していただいて大丈夫です」
「ありがとうございます〜」
ホッと胸を撫で下ろす表情に、この前もそうだったなと思い出す。

印刷機の不具合を告げられたのは本格的な寒さを増してきた頃だった。
それでもコミュニティルームの使用頻度はそこまで高い訳でもないので、この数回、何とか誤魔化して動かしてきてはいたが、見るからに年季が入っていたそれは、そろそろ本当に寿命なのかも知れない。

「また止まっちゃいましたか?」
「そうなんですよ〜!もう何処開けてもマスター入れ直してもエラーしか出てこなくて…!」
重い溜め息を吐いた後、先程より慎みを増した口調で
「…それで、新会長の方がコピー機の修理をお願いしたいって言ってて…。出来ますか?そういうの」
提示される要望に、一瞬間を設けて考える。
「PTA予算内からの捻出となりますが、それでも良ければ業者に依頼する事は可能です」
「良かった〜!お願いしても良いですか!?」
「わかりました。いつが良いとかご希望はありますか?」
ぐっと息を呑んだその表情に目を細めた。

「…もしかして、今?」

窺うように首を動かせば、きつく結んだ口がイエスという意味を告げている。
「…今業者に連絡したとしても、流石にすぐ修理に来ていただける訳では…」
「そうですよね…その事を苗字先生から新会長に説明していただけませんか…?」
頭を下げる姿に、困っているのはきっと不調な機械のせいだけではなく、何かしらの問題が起きているのだろうと考えを巡らせた。
すぐに新会長が何かしら癖がある人物なのだろうな、という答えに行き着いたけれど、悲鳴嶼先生を始めとした教師陣の心証の限りではそうではなかった事も記憶している。
胡蝶先生も
「数回面談で話したけれど、礼儀正しくてとても感じの良いお母さんよ〜」
そう曇りのない笑顔で言っていた。
だからこそ既存の副会長達に次期会長の打診について意見を求められた際、あるがままを伝えたのだけど、今この怯えた表情を見る限り、もしかしたら私は誤情報を与えてしまったのかも知れない。

「わかりました」
とにかくこの目で見なければならない、と短く答えると、その足でコミュニティルームへ向かった。

* * *

エラーを表示する白黒画面の指示通り、前カバーだのフロントカバーだのを開けては閉め、挙句の果てに主電源を落としてマスターと呼ばれるロール紙を一からセットし直しても手が真っ黒になるだけで、ピピピ、というエラー音が止む事はない。

「ね?ダメでしょ?」
「そうですね。では業者に電話して「どうしてこんなになるまで放っておいたのかしらね?」」
刺々しい口調に能面になりそうなのを何とか耐える。
「PTA会費を戴いてるんだから、ちゃんと運営しなきゃいけないと思うのよ。役員分コピーするのに30分の無駄。その時間があれば有意義な話し合いが出来た筈でしょ?PTAっていうのはそういう」
続く言葉を完全にシャットアウトして、印刷機に張られた名刺に書かれている番号をスマホへ打っていく。
私が早々にそれを耳に当てた事で、今度は本部の面々に訴えかける姿を横目で見ながら
「お世話になっております。キメツ学園の苗字と申します」
繋がった電話に私なりに余所行きの声色を作った。
担当に繋ぎます、と流れる保留音を右耳で聞きながら、左耳に入るのは新会長によるPTAの思想理念。
先程職員室から此処に向かうまでの間、副会長から掻い摘んで聞いた概要をふと思い出す。

今までPTA会長というのは、昔からの風習から、男性が担う事が規約とされていたらしく、これは時代錯誤だと、女性でもその任に就けるよう、キメツ学園のPTA規約を改正したのが数年前。
しかし会長の任は飲み会への出席など、時間や精神面での負担が多く、これまで女性は手を挙げる事がなかった。
実質的に、女性が会長になるのは来年度が初めての試みだと、それを耳にした途端、新会長の態度が180度変わり、使命感に燃えてしまったという。
その理想を聞く限り、間違った事はひとつも言っていないのだが、どうやってその改革をしていくのかという明確な指針がないのと、単純に威圧的な口調が問題なのだと、相対してわかった。

一方的な提案が続く中、どうにか無理を言って今日中に取り付けた修理依頼に平謝りを繰り返してから通話を切る。

「お話中の所申し訳ありません。本日の19時であれば来られるという事でしたので、その時間で依頼させていただきました」
私の言葉にすぐ、新会長の顔が曇っていく。
「え?そんな時間に私達母親は立ち会えませんよ?」
「その点については十分留意しております。担当者によると、訪問は出来るが此処まで古い型は修理が出来る保証はほぼないとの事ですので、皆さんの大切なお時間を割いてはいけないと考え、私が立ち会う事にしました。結果が出ましたら、明日のご都合の良い時間帯にどなたかにお電話させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
納得をしたのか若干柔らかくなったその雰囲気は、何かを閃いたように瞳が輝いていく。
「ひとりひとりに電話するのなんて苗字先生の負担になるんじゃ意味ないじゃない?LINEでやりとりしたら?それが一番めんどくさくないわ」
いや、全員に電話をするとは言っていないし、それが一番面倒くさくて負担なんですけど、というのは恐らく本人以外誰もが感じたと空気で察する。
「すみません。職員と保護者の方がLINE交換というのは「規約と校則にはなかったけど?ねぇ皆?そんなのなかったわよね?」」
賛同を求める目線を受けて、渋々頷いていく役員達に、これはもう避けられない案件なのだと早々に諦めながら、来年は絶対にその文面を校則に載せようと強く決心した。


足下から火が付く感覚


(これで楽になったでしょ?)
(…そうですね)
(結果がわかったらすぐに連絡してね)


[ 76/220 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[back]
×