good boy | ナノ
傍らに置いたスマホが音はなくとも通知を告げて、次々と溜まっていく件数を一瞥してから画面をデスクへ伏せた。
作成された"キメツ学園とPTA"グループ。
先程までは重要な話なのかと時折既読をつけていたそれも、自己紹介から始まり、今はPTAの何処が駄目なのかと話し合いという名ばかり、新会長の独壇場と化している。

コミュニティルームの印刷機を修理するにしても、キメツ学園からPTA本部へ向けて依頼書という形を作り、保存しておかなければならないため、今出来る範囲で作っておこうと先程スマホで撮影した名刺を見ながら打っていた文字も、正直続ける気力がなくなってしまった。

完全に通知を切ってしまえれば良いのだけど、私の性格上、そんなグループの存在まで忘れてしまうのが確実で、それでまた連絡が取れないだの遅いだの言い出されたら面倒だと、切る事も出来ない。

保存をしてから全く別の作成途中だった文書を出したと同時
「そういやァお前、今日どうすんだァ?」
後ろから聞こえてきた声に、マウスを動かしていた手を止める。
返す言葉を考えてから椅子ごと振り返った先
「すみません。印刷機の修理に立ち会わなくてはならないので行けなくなりました」
事実だけを伝えれば、三白眼が僅かに驚いている。

昨日、同僚として呑みに行きたいという誘いに私が第三者の介入という条件付きで承諾した事で、冨岡先生は不死川先生へ白羽の矢を立てた。
事の経緯を説明した所、納得はしていないようだったが
「あ?まァ良いけど…オメェまた酔い潰れんなよォ?」
いつだかの記憶が蘇ってきたのか苦い顔をしながらも承諾をした。
ただ、私が行けるという確約は朝の時点で出来なかったため、とりあえず保留という形にしておいたのだけど、案の定、急遽の仕事が舞い込んできてしまったという。
正直、少しホッとしていなくもない。

「じゃあ今日は中止だなァ」
「折角ですからお2人で行ってきてはどうですか?」
「あァ?行ってどうすんだよ。ぜってェ苗字と一緒に呑みたかっただのさんざっぱら聞かされた挙句愚図愚図されんだぜ?めんどくせェ」
溜め息混じりに右手を払う動きに苦笑いが零れる。
不死川先生は人が好いから、そうなったら律儀に聞いてあげるんだろうな、と想像してしまった。


good boy


「え?何処行くんですか〜?」
突然飛んできた声に、勝手に肩が動いてしまう。
横へ視線を動かせば、自分の椅子に座ろうとしている瞳が興味津々にこちらを見ていた。
「2人でデートですか〜?」
声を張り上げるのは故意か過失か。
伊黒先生が一瞥したものの、仕事を再開をさせてる。
「ちげェよ!」
「え〜?じゃあ何ですか?何の話?」
「テメェには関係ねェっつのォ」
食い下がる彼女へ完全に背を向ける辺り、不死川先生の中で苦手意識が強くなってしまっている事が窺えた。
「秘密にする辺り余計怪しくないですか〜?」
無視を決め込み始めた姿に諦めたのか今度は私に向けてくる視線。
「秘密にしている訳ではなく終業後に呑みに行く予定が中止になったという単純な話です」
「え?2人で?2人きりで〜?」
「冨岡もだよ!しつけェなオメェ!」
不死川先生の言葉にその顔が一瞬歪んだ、そんな気がする。
「…ふ〜ん」
何を考えているのか、矢継ぎ早だった言葉を止めた姿に警戒を強めた所で

「退いてくれないか」

ボソリと聞こえた声に振り返る彼女。
「あ、義勇せんせ〜。すいまっせ〜ん」
サッとこちら側へ身を引くと共に、無言で自分の椅子に座ったかと思えば、すぐに日誌を開く。
「…そういえば」
静かに口を開くも、視線は一点に落とされたまま。
「今日は呑みに行けるのか?」
また絶妙なタイミングで訊いてくるなこの人。
私が答えるより先
「なんか今日ダメらしいですよ〜」
彼女の言葉に僅かにその群青色が動いた。
「何故だ?」
真っ直ぐこちらを見てくる両目に答えたのは背を向けたままの不死川先生。
「苗字が残業だってよォ」
「……。そうか」
「だから中止な中止ィ」
「…わかった。残業なら仕方ない」
短い会話の後、日誌を書き始める冨岡先生の横顔が幾分か寂しそうで、若干の申し訳なさを感じる。
「じゃあ私と行きません〜?」
「行かない」
「何でですか〜?義勇先生も実弥先生も私の歓迎会来てくれなかったのにこの人とは呑みに行くの不公平だと思うんですけど〜」
彼女の不満げな訴えに、口を開きかけてやめた。

不死川先生はその日、弟さんの迎えがあったから出席出来なかっただけで、冨岡先生は元々そういう類に顔を出さない。
更に歓迎会が開かれた頃は、まだ彼女と私の不仲が周知されていなかったため、悲鳴嶼先生から誘いを受けたが、上手く誤魔化して断った。
だから冨岡先生も行かないという選択肢をしたのだろう。
別にこの2人は、彼女だから、という理由で行かなかった訳じゃない。
というのを私が言った所で火に油を注ぐだけなので、黙るしか出来なかった。
代わりに冨岡先生は何と答えるのだろうか、それとも無視を貫くのかと文字を打ち込む手を休めないまま静かに耳を傾ける。

「名前とは同僚として呑みに行こうとしていただけだ。何も不公平じゃない」
私が引いた線を武器にするとはなかなか上手い。
「え〜?じゃあ私とも「お前は同僚じゃない。ただの実習生だ。対等じゃない」」
う、と小さく声を詰まらせると、反論する事なく席へ戻っていく。
きっと傷付いているのだろうか、と考察してしまう事すら彼女にとって、嫌悪の対象になるのだろうと頭を働かせるのを止めると目の前の画面だけに集中した。

* * *

19時を10分程過ぎてから職員玄関のチャイムを押した業者の方はとても腰が低く、迎えた私を見るなり
「遅くなってすみません…!」
深々と頭を下げた。
「こちらこそ無理を言って申し訳ございません」
つられるように頭を下げてから、コミュニティルームへ案内する。

「あ〜、これ…ですかぁ…」
印刷機を見るなり驚きから落胆へと声のトーンが落ちていく。
「かなり古いですね。現役なの、僕初めて見ました」
そう言いながらエラー画面を確かめ前カバーを開けると、しゃがみ込んだ。
ポケットから出した小型のライトを当てながら奥を覗き込んだ瞬間、また小さく唸っている。
この反応だけで、恐らく修理は難しいのだろうというのがわかった。
「…ちょっと厳しいかなぁ…」
「そうですか」
予想通りの答えに短く答えてから、それならどうするべきかと考える前に
「これなんですけど」
そう言ってライトを当てている反対の手で奥を差す指に誘導され、隣へ移動すると腰を屈めた。
「印刷ドラムといって、マスターを巻き付けていく役割をしているんですけど、この型の故障原因ってほぼこの中の核になるローラーが作動しなくなる事なんですよ」
「その内部を直すのが難しいという事ですか?」
「うーん、というか…もうこの型自体を工場の方で作ってないらしいんですねぇ」
「成程。それはもう逆立ちしても無理な案件ですね」
「そうなんですよ…。中が壊れてなかったらいけるかも知れないんだけどなぁ」
そう言いながらライトをしまうと巻かれていたマスターを一度外し、元通りに戻してからカバーを閉める。
音を立てて動いたかと思えばまたピピピッと鳴り響く電子音に、諦めるしかないのであろう空気をひしひしと感じた。
「すいません力になれなくって…」
「いえ。こちらこそ御足労いただいたにも…」
同じタイミングで足を伸ばした所でその肘が私の肩辺りに触れた事で言葉を止める。
「おわっすいません!」
「…いえ、こちらこそすみません」
そんなに身を引く程でもないだろうに、とも思うも真っ赤になっていく頬を認識してしまった。
予想外の反応に申し訳なく感じながら距離を取った事で気付く。
「…使ってください」
ポケットから出したウェットティッシュを差し出せば、赤味は引いたものの不思議な表情で固まっている姿に苦笑いが零れた。
「両手がインク塗れになっているので」
「…おわ!ほんとだ何だこれっ!」
自分の両手を見るなり一歩下がる動作が面白いなと素直に思う。
「マスターリードを触ると付着してしまうみたいですね。私も先程体験したばかりです」
現役として使用されているのを初めて見たと言っていたから知らないのも当然だろう。
「そうなんですね、すいません貰います…」
軽く頭を下げると差し出した一枚を引き出すと真っ黒なインクを拭いていく。
さて、問題は此処からだと思考を巡らせた。
「お訊ねしたいのですが、例えば中古品を分割購入するのと毎月のリースでしたらどちらのメリットが大きいですか?」
「うーん…難しい所かと…。中古は故障が自腹っていう心配があるけど、リースだと故障しなければその補償分無駄と言えば無駄だし…」
またうーんと考え出す表情は真剣なもの。
「それではどちらも検討してみたいので、見積もりを出していただけますか?」
「…わかりました了解です!」
ピッと背筋を張るその姿は、職員玄関を出る時にも綺麗に頭を下げるものだから、私もついいつもより深く頭を下げてしまった。

職員室へ戻りながら、渡された名刺を軽く目に入れてから、すぐにスマホを手に取る。
もうすぐ20時を回りそうなのを確認してグループLINEを開くと、簡潔に印刷機の報告を送信した。

間髪入れずに鳴る個人の音声通話の名前に、思い切り眉を寄せるも応答ボタンを押す。

『遅くないかしら?ずっと待ってたんですけどね?』

これまた威圧的な口調を聞いて勝手に出そうになる溜め息を押さえた。
『しかも報告がLINEなの、見落としてたらどうするのかしら?』
「申し訳ありません。お忙しい時間だろうとお手を煩わせないようメッセージのみの送信とさせていただきました」
『苗字先生のお気遣いもわかるけど、皆が皆貴方の考えと一緒とは限らないからね。私は直接連絡をいただきたかったです』
「…申し訳ございません。今後そのようにいたします」
『見積もりが出来次第、連絡お願いしますね』
それだけで切られた通話に我慢していた分の盛大な溜め息を吐く。
すっかり静まり返った職員室。
帰り支度をしようと椅子に腰かけた所で、また通知を告げる個人LINEに思い切り眉を寄せてしまう。

"義勇先生が家まで送ってくれたついでにってこれ貰っちゃいました〜"

絵文字も何もない文の後、送られてきた見覚えのあるラバーストラップ。
鍵についていた筈のムスッとしているその表情は、彼女の指先と映っていて、思わず乾いた笑いが零れる。

"そうですか。良かったですね"

考える事なくそれを返してから、パソコンの電源を入れた。
すぐには立ち上がってくれないその画面に湧き上がってきてしまう何かに蓋をするように、両手で顔を覆う。

多分、冨岡先生は冨岡先生なりに彼女に何か用があって、そうなったんだろうとか、そんな事を考えだしてしまう自分に心底嫌気が差す。

漸くログイン画面が出てきた所であろうと両手を放した事で

「…あの」

突然掛けられた声に肩が震えた。

「…何、ですか?」
視線を上げれば先程職員玄関を出たばかりの姿がそこに居て、思い切り狼狽えてしまった私と同じ位その表情が焦っている。
「すいません!車に複合機とかのパンフレット積んでたの忘れてて…届けに来たんですけど…」
「わざわざありがとうございます。すみません、ちょっと目が疲れていたもので…声を掛け辛かったですよね」
「や、あの…。そうですよね。一日中パソコンとか辛いです!…良かった、泣いてなくて…」
多分、独り言のつもりで呟いたであろう最後の言葉は聞こえないふりをした。
心底安心したように息を吐く姿に苦笑いをするしかない。
敷居から先、職員室へ足を踏み入れない姿まで移動すると右手を差し出す。
「パンフレット、戴いてもよろしいですか?」
「勿論、もちろんっ!」
差し出された何冊か束になったそれを両手で受け取った。
「良ければ僕のお奨めの奴とかお話しましょうか?」
「いえ、こんな時間にご迷惑をお掛けしてしまいますし、私も帰りますので後日検討した際お電話いたします」
「…そうですよね」
眉を下げた表情に申し訳なく思うも
「ありがとうございました」
頭を下げると自分のデスクへ戻ろうとした所で腕を掴まれる。
思い切り寄せてしまった眉にその目と腕が怯んだ事でいとも簡単に解放された。
「…すいませんっ!あ、い、家まで送っていきたいと思って」
「いえ、そのお気持ちだけで十分です。ありがとうございます」
「取引先の方を送るのは当たり前だって、上司に教えられたんですけど、間違ってますか?」
向けられる真っ直ぐな瞳にまた苦笑いをするしかない。
「間違っているかどうかは正直私にはわかりかねますが、取引先の方でも異性と車内で2人きりになるのは個人的に抵抗があるのでお断りさせていただきます」
喩え自意識過剰だと捉えられようと、その誘いに乗る訳にはいかない。
「…あ、あぁそっか!僕今完全怪しい奴になってますよね…すいません!」
「他意がないのはわかっているのでお気になさらないでください」
多分、さっきの姿を気に掛けてくれているのだろう。
完全に独りだと思っていたから上手く誤魔化せないくらい油断していた。
見ず知らずの人間にまで心配されるなんて、どうかしてる。
「それでは失礼します」
「あ、でも!あの!後ろの席だったら安心しますか!?」
意味がわからず眉を顰める私に焦ったように言葉が続く。
「運転席の後ろなら、僕の顔見なくても済むし!ちょっと汚いタクシーだと思って貰えたらそれで…!」
「それでしたら代金をお支払いしなくてはならなくなりますよ?」
「おわ!そっか…!えーとじゃあ家に着くまでの間、複合機のプレゼンしても良いですか!?」
真っ直ぐな瞳に誠実さが垣間見えて、暫く考えてから
「…そうですね…。じゃあ、お願いします」
小さく頷いた。


別にこれくらいなら


(印刷機はほんと機能がほぼ印刷だけなんですけど、低コストで抑えたいなら…あ、予算はどれくらいとかあります?)
(消耗品込みで月8千円弱です)
(…はっせん…うーん…頑張って勉強させていただきます…)


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