good boy | ナノ

寄せては引いていく波の音を聴きながら、ただただ海を眺め続ける。
「寒いですね」
「そうだな」
そうは言いつつも文句ひとつ言わない右横に、あぁそうだ、と思い出して鞄を漁る。
「コーヒー飲みます?」
不思議そうにしている瞳に両手に持つは紙コップと保温水筒。
「出る直前に淹れてきたんでまだそんなに味は落ちてないかと」
「…用意が良いな」
「それ3回目ですよ」
小さく笑いながらそれを注げば、目に見える湯気に改めて寒さを実感した。


good boy


「どうぞ」
紙コップを受け取る右手が若干冷えていて、これを飲んだら駅に戻ろうかと考える。
そのまま口を付けようとする姿に
「それブラックですけど」
急ぎ目に水筒の蓋を閉めるとジッパー付きの袋に入ったスティックシュガーとミルク、プラスチックのマドラーを取り出した。
「用意が良いな」
「4回目です」
スティックシュガーを入れるのを眺めながら
「ゴミは此処にお願いします」
透明なビニール袋を差し出す。
「お前の鞄は面白いな。何でも入ってる」
「何でもじゃないですよ。必要な物を入れてきただけです」
纏めたゴミを鞄へ入れてからすっかり忘れていた存在に気付く。
「そうだ、これ。良かったらどうぞ」
今渡すつもりではなかったんだけども、まぁいいや。
眉を上げたその表情が解せない、と訴えていてそれに答える。
「チョコレートです。一応誕生日プレゼントという事で、気持ち程度ですけど」
「良いのか?」
「逆にこんなので申し訳ないです。私ばかり
買って貰っちゃってるんで」
「それに関しては気にする必要はないと何度も言っている。俺が好きでやっている事だ」
「まぁ…そうなんですけど、それが当たり前だとは思いたくないので」
紙コップと箱で塞がっている両手に、苦笑いが零れる。
「開けましょうか?チョコは身体を温める効果もあるので今のこの状況では最適のおやつだと思いますよ」
「頼む」
短い返事に外装を剥いてから蓋を開けた。
「…サイコロみたいだな」
「キューブショコラっていう商品らしいです。上2つがミルク、ホワイト、真ん中がブラック、下がイチゴ、ピスタチオ味って書いてありますね」
付属されていたリーフレットに目を通している間にミルクチョコを頬張る姿に視線を上げる。
「美味しいですか?」
「…美味い」
「それは良かったです」
「名前は食べないのか?」
「冨岡せ…」
あぁ、また不満気な顔になってる。
知らん顔しとこう。
海より遥か遠くを見つめる私に向けられる視線が痛い。
「言い直さないのか」
「先生もつけちゃいけないとなると飛躍的にハードルが高くなるんですよ」
「俺は名前に名前で呼ばれたい」
「気持ちはわかるんですよ。わかるんですけどね」
呼んであげたい気持ちはなきにしも非ずなんだけども。
こう、何と言えば良いのか、大半は不慣れからくる気恥ずかしさが占めてる。
「急に冷えてきましたね。それ飲んで食べたら帰りましょうか」
反論こそしてこないものの、浴びせられる視線の圧が先程より強い。
「また風邪引いたら困りますし」
…圧が強い。
「折角の誕生日に体調不良は辛いですよ」
とてつもなく強い…。
「…義勇…」
耐え切れず呟いた名前は小さ過ぎて、寄せた波に掻き消されたかと思うも、突然締め付けれる感覚に息を止めた。
「…名前、俺も好きだ」
「何かおかしくないですか?好きとは一言も言ってないんですけど。あと痛いです」
嬉しさ余ってからか力の配分を考えていない両腕に眉を寄せる。
抱き締める前に手放したのか置いたのかはわからないけど砂浜に染みを作っていくコーヒーに気付いた。
「コーヒー零れてますよ」
「お前の気持ちに応える方が重要だ」
「私何か言いましたっけ?」
「義勇が好きだ、と」
「あぁ、それは完全に幻聴ですね」
「幻聴じゃない。確かに聞いた」
「もうヤバイ人になってますよ。強靭な狂人の世界を追及するとこうなるんですか?」
「気になるのなら名前もこちら側に来れば良い」
「いえ、良いです。激しく遠慮しておきます」
「激しくしてほ「いい加減にしないと海に沈めますよ」」
漸く大人しくなったと共に離れた腕に、溜め息を吐いてから手に持っていた箱を思い出す。
「これどうします?食べます?持って帰ります?」
「折角名前がくれたものだ。あとでじっくりゆっくり焦らしながら味わおうと思う」
…もうほんとに沈んで欲しい。
「じゃあしまっておきますね」
蓋をしようとした左手を遮るように置かれた右手に顔を上げる。
「1つ食べるか?」
「…良いんですか?」
「あぁ、どれが良い」
その言葉に並べられたキューブショコラを眺めた。
実は気になってた、なんて心の中だけで思う。
どれが良いだろう?
ホワイトは甘そうだし、ピスタチオってどんな味だったっけ?
無難にイチゴかブラックか。
「…じゃあ」
言葉を終える前にそのピンク色のキューブを持ち上げたかと思うと自分の口に放り込む冨岡先生に眉を寄せる間もなく口を塞がれる。
「……っ…!?」
無理矢理割って入ってくる異物がチョコであるのに気付いた時には逃げられないようガッチリと肩を押さえられていた。
「…ッ…ん…!」

執拗に絡まる舌から漸く解放されたのは、それが跡形もなく溶け切った頃。
「……は…っぁ…!」
「美味かったか?」
「美味いも、何も…味わう余裕があるように見えました…っ?」
窒息死するかと思った、ほんとに。
「俺は美味かった」
「それは…良かったですね…」
もう反論する気力すら殺がれて、それだけを答えてから深呼吸を繰り返す。
そういえば…
「……どうして私が選ぶのがイチゴだってわかったんですか?」
「名前の性格から白と緑は選ばないのはわかっているため、必然的に2択となる。更に残るであろう3つのバランスを考えるとお前は絶対にピンクを選ぶと踏んでいた」
「こういう所で無駄に察知能力使わなくて良いんですよ…」
「お前に対して無駄な物などない。それにこの能力はまだ完璧に発動し切れていないので研磨が必要だ」
「…十分過ぎると思うんですけど」
「最終的には名前の顔を見ただけで感知出来るようになるつもりでいる」
「それは凄い、恐怖しかないですね…」
流石にそんな人間離れした能力まではいかないと思うけども、この人ならそこまで極めかねないというのを心の何処かで感じてる。
早々に蓋を閉めた箱を鞄にしまい、振り返ろうとしたと同時、空を仰いだ。
「……何してるんですか?」
見下ろしてくる群青の瞳に眉間の皺が増えていく。
「見ての通りだ。押し倒している」
「何でいつも状況の説明から始まるんですか?私が訊きたいのは「肝心な時に察知能力が発動出来なかった」」
また良くわからない事を言い出した、と呆れに近い息を吐く。
「何故名前が海を観たいと言ったのか。そして何故俺に父親の話をしたのか。考えていた。考察しないと答えが出なかったのが口惜しい」
「あんまり深い意味はないんで考察しなくても良いです。深読みし過ぎると疲れちゃいますよ」
「意味のない事などない。お前は俺に伝えようとしていた筈だ」
「……何をですか?」
髪を撫でてくる右手に息を飲んでしまう。

「幼かった自分を許したい、と」

…この人はどうして、こんなに…

「…そうかも、知れないですね」

自分の事なのに、考えるのを止めていた。
多分、無意識の逃避。
言われなければ、気が付かなかったかも知れない。

「良くある話なんですよ。離婚理由なんて。いわゆる性格の不一致ってやつです」
思わず苦笑いをするも、見下ろす瞳が真剣そのもので出そうになった言葉を飲み込もうとするも
「やめようとしなく良い」
先回りする言葉に、これが察知能力の本髄か、と考えた。
「…気付いたら2人の関係は修復不可能になってました、でも大人ってしがらみだらけじゃないですか?大半が言うんですよね。子供のために離婚は避けようって。私の家も例に漏れずその選択をしました」
子供の前では仲良い振りをして、寝静まった頃に聞こえてくるのは怒鳴り声と啜り泣き。
「結局持つ筈もなく半年足らずで離婚したんですけど」

あの時思った。
だったら子供のためなんて綺麗事言わないで早く別れれば良かったのに、と。
口に出さなかったのは、ただ純粋に私の事を考えてくれていたのは確かだと、理解をしていたから。

だけど、あの時の私の想いは、何処に行けば良かったのだろう?

「今はもう再婚して2人共、昔の事が嘘みたいに幸せそうなんで忘れてました。こんな気持ち」

恨んでる訳じゃない。
決してそうではなくて、ただ悲しい、寂しい。
声にならない声を、心の奥底の孤独を拾って欲しかった。

「思い返すと意外にあの時の私は傷付いてたんですね」
「お前は自分の傷に対して致命的に鈍重だ。だから常に何かを抱え続け、結果、窮屈な生き辛さを感じる」
「…仰る通りかも知れません」
「だが俺が居れば安心だ。どんなお前でも抱え護る。そして全ての事象や変化に気付く。絶対に何ひとつ取りこぼしはしない」
「…凄い自信ですね」
居た堪れなくなって逸らした視線。
本当に、その言葉通りだと、思う。
「……まさか冨岡先生が小学生の私まで救い上げるとは思いませんでした」
「…救い上げたのか?」
「そうですね。認めた事で多少、吹っ切れたと思います」
驚いた表情がまた不機嫌なものへと変わって、あぁ、そうか呼び方…と苦笑いが零れる。
「ほんと、察知能力は最強ですね。…義勇の」
照れくささから顔を背けると、首筋を這う口唇に身体が震えた。
「…ちょっと、痕つけないでくださいね」
「見えない所につけるから大丈夫だ」
「大丈夫じゃないんですけど。全然全く大丈夫じゃないです。退いてくれませんか?」
時折吹き付けてくる風によって飛んでくる砂の感触に眉を寄せる。
「大丈夫だ。恥じずとも俺達以外誰も居ない」
「誰も居ない、じゃなくて。何ひとつとして大丈夫じゃないんですってば。何考えてるんですかほんと」
「名前を抱く事だけを考えている」
「はい?まさか此処で?」
「そうだ」
「嫌ですよ絶対やめてください。砂まみれになるじゃないですか」
「砂にまみれなければ良いのか」
「違いますそうじゃないです。まみれなくても嫌です」
「…そうか、わかった。やはりお前の望み通り屋内の方が良いな。名前の裸を誰かに見られでもしたら事だ」
「いや屋内なら良いとか一言も言ってないんですが」
「やはりお前とは意見が合う」
「何も合ってませんよ?お互い一方通行ですこれ。交わる事が永遠になさそうな会話になってます」
「俺もお前と交わ「今のは私が悪かったですすみません。言葉の選定を完全に間違えました」」
会話の間にも脱がそうとする手を押さえ続けてはいるも、そろそろ込める力が限界に達してきた。
一度顔を上げた冨岡先生に咎めるように強い視線を送ったと同時

「これから先も俺とお前が不一致になる事はない」

温かい眼差しに息をするのを一瞬忘れてしまう。

「…いや、もう今の時点で不一致過ぎてもはや一致する項目を探すのが難しいです」
「そうか、明日入籍すれば良いのか」
「また突然…凄い急に思い立ちましたね」
「今から指輪を選びに行きたいのだが、その類の店はあるか?」
「知りませんしあっても行きません」
ザァッ!と音を立てた突風で巻き上がった砂に目を硬く瞑った。
次に開けた先、まるで護るように覆い被さる姿に深い溜め息が出る。
「大丈夫ですか?砂まみれになってますよ」
深く考えず右手でその肩と髪を掃った事で落ちてきた砂に眉を寄せた。
「……うぇ…口に入った…」
嫌な食感を払拭しようと小さく出した舌を舐められたのを感触で気付くも、逃げる暇もなく深く口付けられる。
「…んん…っ!…」
ジャリッと口内で響く砂の食感に眉を寄せるしかなかった。

* * *

ロッカーから荷物を取り出してから人生で3回目のタッチをした電子カードを当たり前に渡してくる冨岡先生に渋々それを受け取った所で、あぁ、そうだ。誕生日プレゼントはパスケースも良いかも知れないと考える。
「…空いてますね」
行きとは違いガラガラな車内に、逆に何処へ座るか一瞬迷ってしまう。
それでも手を引かれ右端に座らせられたかと思えばその横に座る姿に口を開き掛けたが、大人しく従う事にした。
私達以外、4人しか居ない車両に気が緩まったらしく絡めてくる指先に小声で諭す。
「いつ何処で誰に見られるかわからないんでやめてください」
逃げようとした左手にグッと力を込められ逃げられなくなった。
「誰かが乗ってきたら離せば良いだろう」
有無を言わせないその横顔に黙る事にした。
暫く揺られた所でその揺れに合わせ、青みがかった黒髪がコクリコクリと動いているのに気が付く。
「…寝てます?」
「寝ては、いない」
声からして確実に意識飛んでたなこの人。
「寝てて良いですよ。着いたら起こしますから」
手を離そうとするもまた力強く握られる。
「この薬指に…指輪を嵌める夢を観ていた」
「…やっぱり寝てたんじゃないですか」
「現実になるのが楽しみだ」
穏やかな口調でそう言うと肩に乗せる頭に身動きがとれなくなって、小さく息を吐くと、ただ流れていく景色を眺めた。


そんな日がいつか来るだろうか


(起きてください。着きました)
(…もう朝か。昨日の名前はこれ程になく悶え)
(寝惚けてないで降りますよ)


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