good boy | ナノ
開店30分を過ぎた辺り、福袋目当ての人混みが一斉に去ったタイミングを見計ってその店の敷地へ足を踏み入れる。
華やかに並ぶ数々の女性用下着に視線のやり場に困りながらもとりあえず目の前にあるそれに目を止めた。
そういえばここ最近、新調していなかった事を思い出す。
そもそもそんなに拘りがある訳ではないので、こういう専門店にもたまたまセールで目についた時くらいしか入った事がない。

「いらっしゃいませ〜」

可愛らしい声が背後から聞こえて、振り向いた先にはこれまた可愛らしい女性が私に綺麗な笑顔を向けていた。

「……」
返す言葉が見当たらず小さく会釈すればパッチリと開いた大きな瞳に、あぁ、胡蝶先生に似てると瞬時に思う。
冨岡先生が言っていた店員さんはこの人に違いない。
想像していたより整った顔立ちと髪の毛先まで隙がないそのお洒落さに若干緊張が高まってきた。
「これ可愛いですよね。入荷したばっかりなんですよ〜。お姉さんならこっちの色も似合うと思います〜」
即座に出される色違いの下着と間延びした口調とは違うキビキビとした接客に圧倒されつつそれを受け取る。
「サイズはおいくつですか〜?」
「…え?あ…えーと…」
「もしかしてきちんと測った事なかったり〜?」
「えぇ。こういう所は今まで縁がなかったもので…」
「じゃあ今日、年初めにその縁を一緒に作りましょう〜!」
ニッコリと微笑った表情がとてつもなく可愛らしくて、つい頷いてしまった。


good boy


「…ん〜、やっぱりお姉さん、自分の胸のサイズ間違えてますよ〜?」
メジャーをしまうと小さく首を傾げる彼女に
「…そうなんですか」
としか返せない。
服の上からとは言え測られた事にも試着室で二人きりというのも正直緊張してしまう。
「普段つけてるやつよりワンサイズ大きくした方が綺麗なラインが出ますし〜何より将来形が崩れにくくなります」
「…そうなんですね。今まで余り気にせずに選んでました」
「そういう人結構多いんですよね〜。下着ってだけで話題にするのもタブー視されてるせいか自分の身体の事知らないままの人。特にうちのブランドは敷居も値段も高いっていうイメージがついてるんで余計なんですけど〜、長い目で見たらちゃんと自分の身体に合ったものを選んだ方が将来の貯金になりますよ〜」
綺麗な体型は下着1枚分のお金じゃとても買えないですからね〜、と小さく笑うその胸のラインは確かに綺麗なもので、心なしか姿勢も良く見える。
「ま〜でも値段が値段なんで、買ってくださ〜いとは私も言えないんですけどね〜。下着にそこまでかけたくないって言われたらそれまでですもん〜」
冨岡先生が『面白い』と言った意味が少しわかった気がする。
「お姉さん、うちの下着つけた事あります〜?」
「…いえ、ないです。持ってはいるんですけど」
結局冨岡先生に貰ったあの下着はまだタグすら切らないでタンスに眠ってる。
明らかに不可解な顔をする大きな瞳に続けた。
「この間知人に戴いたんですけど、まだつける勇気がないというか…」
「あ!!!!」
急に出された驚きの声にこちらの肩もビクッと震える。
「もしかして名前、さんですか!?」
何故私の名前を知っているのか。
何処かで会った事あったっけ?と瞬時に考えるも絶対にそれだけはないと言い切れる。
こんな可愛い人に会っていたなら忘れる筈がない。
「あれですよね!?クリスマスにジャージのお兄さんから下着贈られた名前さんですよね!?」
ジャージのお兄さんとは十中八九冨岡先生の事だろう。
「……そうです。けど…良く、わかりましたね」
「男性のお客さんが珍しいってのもあるけど、ジャージのお兄さんはすっごい真剣に選んでたんで良く覚えてますよ〜!」
「…すみません…」
何故か良くわからないけど何となく謝ってしまった。
試着室を出る彼女に促され、靴を履く。
「丁度さっきお姉さんが止まってた所に居たんですよ〜。なのでご自宅用ですか〜?って訊いてみたんです」
「ご自宅…?」
「最近は自分用に買いに来る男性もたまにいらっしゃるんで〜」
「そうなんですか」
言われてみれば納得する。
そういう世界もあるんだ、と頭に入れておこう。
この先、生徒達を通してかは定かではないけれど、その世界に触れる機会があるかも知れない。
「で、贈り物を探してるっていうんでどんな人なんですか〜?って訊いたらすっごい細かくお姉さんの事教えてくれましたよ〜。私にはあんまり言ってる意味わかんなかったんですけど」
「すみません…」
「え〜良いじゃないですか〜そういうの。お姉さんの話する時楽しそうですっごい愛されてるなぁって思いましたよ〜」
「付き合ってはないんですけどね…」
「あ、それはね、すぐわかりましたよ〜!付き合ってたらもうちょっとお姉さんの身体に詳しいのになぁって」
その台詞に顔が熱くなってしまいそうになる。
「想像でアドバイスしたけど…多分お姉さんにジャストだと思いますよ〜?」
「…そうですか」
「なのでつけてあげてくださいね」
眉を下げた表情にこちらは眉を上げる。
「折角買って貰えたのに、そのまま誰にもつけて貰えないんじゃあの子可哀想だな〜って思っちゃって」
あの子、という言い方に彼女がこの仕事がどれだけ好きなのかというのを少し触れられた気がした。
「そう、します」
「良かった〜!もしそれで気に入ったらで良いんでうちに買いに来てくださ〜い」
「勧誘がお上手ですね」
小さく笑った私に「あ!」ともう一度声を上げると
「正しいブラの付け方って知ってます?多分知らないですよね?教えてあげます〜!」
言うや否や腕を掴まれ試着室へ戻るとカーテンを閉める。
「はい、上脱いでくださ〜い」
「え!?は?え!?良いです!」
「買ってくれた人にしか普段教えないんですけどお姉さんの場合はジャージのお兄さんが買ってくれたんで特別ですよ〜」
ニコニコしながらも逃がさないようにという圧を感じる。
鏡に追い詰められ、観念して上着に手を掛けた。


「肩甲骨から、こうやって…余分な肉を持ってくるんですよ〜」
後ろからぬっと伸びてきた右手が下着と素肌の隙間を縫って何処へ視線を向けて良いやらわからず俯くしかない。
ものすごくしっかり触られてるんだけどもこういう所はそれが当たり前なのか。
恥ずかしいと思う私がおかしいのかと大人しくはしてるけども、やっぱり羞恥心は拭えない。
「大事なのは脇の下の出てるお肉もきちんと収める事ですよ〜。ハイ出来ました〜!」
その言葉に顔を上げる。
鏡に映る見慣れた筈の下着姿は全く違うもので息を止めた。
「綺麗、ですね…」
「全然違いますよね〜!これでも半カップはアップしてるんで身体に合う下着つけたら1、2カップは大きくなりますよ〜。横から見てもホラ」
そう言って軽く動かされた肩。
明らかにさっきまでとは違うラインに
「こんなに著しく違いが出るとは想像してませんでした」
思ったままを呟く私に鏡越しにその整った顔が穏やかに微笑む。
「皆そう言うんですよ〜!でもこんな綺麗になるなら覚えておいて損はないと思いませんか〜?」
「そうですね。確かに」
小さく頷いた私に満足したのか、彼女は更に笑顔を深めて、それがとても満足げなのが印象的だった。



「ありがとうございました」
会釈をして、店を後にしようとした瞬間、また
「あ!」
という声を聞いて返そうとした足を止める。
「そうだ!ポイントカード作っておきますね〜」
レジに向かうとスタンプらしきものを何回か押してから戻ってきたかと思えば、それを差し出す。
「どうぞ〜!またお待ちしておりま〜す」
「…でも私今日何も…」
「この間のジャージのお兄さんの分と、今日遊びに来てくれた分です。要らなかったら捨てちゃってくださ〜い」
「……。ありがとうございます。また、来ます」
そんな笑顔を見せられたら心の底から言いたくなる。
いや、笑顔だけじゃなくて…。
「今度はこの間貰った下着つけてきてくださいね〜。上だけで良いんで見せてください」
「見せ…!?」
「私、女性の下着姿見るの好きなんですよ〜」
流石に若干引いてしまった私に構う事なく続けた。
「だって綺麗じゃないですか〜?下着なんて見せるものじゃないとか言いますけど、私は下着よりお洒落な装飾ってないと思うんですよね〜。誰に見せなくても可愛いの身につけるだけでその日の気分が全然違うじゃないですか〜」
キラキラとしたその瞳は心底この仕事に誇りを持っているというのがひしひしと伝わってくる。
下着というだけで恥じらいを持っていた私は彼女にとても失礼だった。
今とてもそう思う。
「そうですね。…今度はこの中でどなたかお迎えしに来ます」
「…あ!すっごい嬉しいですその言い方〜!」
言葉の通り満面の笑みを見せる彼女に私も笑顔を返し、店を後にした。

* * *

さて、どうしようか、と先程からずっと考えている。
何をどうしようか、というのは、クリスマスプレゼントのお返しだ。
相手は勿論、冨岡先生な訳だけど何軒か店を回ってみても、全くしっくり来る物に出会えていない。
女性に贈る物ならそれなりに選択肢は思いつくのだが、男性、特に冨岡先生となると全く思い浮かばない。
もうこうなったら同じように下着返しを発動しようとも一瞬考えたけれど、それこそ自爆にしかならないのでやめた。
それなりに値段が張るものを戴いた訳だから、こちらもそれ相応の物を返さなきゃいけない。
そうなると、ネクタイ、財布、そういう類のものが無難なのかも知れないけれど、どうもこう、冨岡先生らしいかと言えば全くらしくない。
鞄も持たないし、自炊もしない。
部屋は殺風景だし正直取っ掛かりが何もない状態だ。
好きなのはマスゲームくらいしか思い浮かばないしそんな情報は今何の役にも立たない。
今日はもう諦めてまた明日、実家近くの店を見て回ろうかと目端で捉えた緑に自然と足を止めた。
並べられた観葉植物。
あぁ、殺風景な部屋にはこういうのも良いかも知れないと小さめの物を重点的に見ていく。
その中でも手作りのPOPに書かれた
『ドラセナは幸福の木。贈り物として人気NO.1です!』
その文言に妙に惹かれ、ドラセナ4号と書かれたそれを手に取りレジへ直行した。


マンションへの帰り道、冨岡先生に連絡をしようと開いた画面、LINEが告げる287という数字に眉を寄せるしかない。
そういえば朝から全く見ていなかった。
何が起きたのかと開けばそれは全てキメツ学園のグループLINE。
何て事はない。
私が一切既読をつけていない事に関する冗談半分の呼び掛けが大半だった。
その中でも
"名前は今日は朝から出掛けているため、スマホ自体を見ていないように思う"
冨岡先生の言葉が的確だったが
"良く知ってるな。そういやお前苗字に会える日決まったのか?"
不死川先生が余計な燃料を与えるものだから
"昨日会った。夜中も共に過ごした。今日も会う"
語弊しかない文に冗談抜きで目玉が飛び出そうになった。
それが送られてきたのが10分前。
とにかく否定を送らなければと画面をタップする。
"勘違いされるような言い方しないでください。夜は雑煮を食べただけで夜中は共になんて過ごしてません。そうやって誤情報で誘導するのホントにやめてください"
"名前の手料理は最高だった。用は済んだのか?"
すぐに返ってきた一文。
"済んだので今から帰りますってLINEしようと思ってたんですけど、ふざけた事言ってくれたんで"と打った途中で
"苗字先生の作ったお雑煮、良いわね〜私も食べたいわ"
絵文字と共に送られてきた胡蝶先生の言葉に口角が上がってしまう。
すぐに打っていた文を消して
"胡蝶先生がそうおっしゃるなら"
と打った途中で音声通話を告げる画面に応対した。
「お疲れ様です。何ですか?」
『用事は済んだのか?』
「済んだので今から帰りますってLINEしようと思ったんですって打とうと思ったんです」
…あれ?自分で言ってて何か良くわからなくなった。
『済んだのならLINEの返信より早く帰って来て欲しい』
「…あぁ、それはすみません」
ってつい謝ってしまったけれど何か違う。
「じゃあとりあえず切りますね。失礼します」
返事を聞く前にそれを切って、帰路へ着いた。


とりあえずこの間のお返しとしてこれを渡してさっさと帰ろうと506号室のチャイムを押す。
すぐに開いた扉と共に引かれた腕に玄関へ上がらざるを得なかった。
「敢えてまた訊きますけどモニター確認しました?」
「しなくてもわかる。俺の元へは名前しか来ない」
「それで全然違う人だったらどうするんですか…」
「もし名前でなければ触れる前にわかる」
「凄い自信ですね」
「その抱えている荷物は何だ?」
「あぁ、この間のお返しです。どうぞ」
先程購入したドラセナ、そして帰り道で偶然見つけた50cm大の犬のぬいぐるみ。
ほぼ押し付けたに近い2つを両手で受け取ると止まる動きに苦笑いが零れる。
「可愛くないですか?それ」
透明なフィルムに包まれただけの中、紺色に近い犬を模る表情はムスッとしていて、見た瞬間冨岡先生そのものにしか見えないそれを購入していた。
「これを買うために出掛けていたのか?」
「それだけではないんですけど、まぁ半分はそうですね」
私の答えに、大事そうにゆっくりそれを床に置いたかと思えば強引に引かれる腕。
「毎回不意をついてくるのやめて貰えませんか」
抱き締めてくる両腕と共に
「…名前…」
右耳で這う口唇に心臓が跳ねる。
「…冷たい。寒かったか?」
「まぁ、そりゃ冬ですから寒いのは当たり前かと」
「………!」
突然弾かれたように上げた顔が私を見つめるものだからいつもより多く瞬きをしてしまった。
何ですか?と口に出す前に上着のボタンに手を掛ける両手に逃げようとする背は玄関に阻まれる。
抵抗する間もなく服の上から胸を触れる右手と共に
「何をしてきた!?いつもと感触が違う…!」
若干焦っている声色に何を何処から説明すれば良いのか考えた事で反応が遅れてしまった。


光の速さで感知する


(何でそんなすぐわかるんですか…)
(いつもは感じないふくよかさがあった)
(ホントそういう所失礼ですよね)


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