ダイニングテーブルに並べた雑煮と急遽作った玉子焼き、そして唐揚げを黙々と食す目の前の存在をチラリと視界に入れる。 「美味い」と言ったきり全く喋らなくなったその手が止まらないのを見る限り、嘘ではないのだろうとは思う。 結局食べ終えるまで一言も発さなかったが、箸を置くと同時 「美味かった」 小さく呟いた声に 「それは良かったです」 そう返して雑煮を啜った。 「名前の作る飯は最高だ。毎日食べたい。今日だけと言わず明日も作ってくれないか」 「食べ終わると急に饒舌になるの何なんですか 」 「食べながら喋るのが得意じゃない上に食べる時はそれそのものに集中したい」 「…そうなんですか?前は食べてる時も喋ってませんでしたっけ?」 「一言、二言くらいなら返せる。しかし今この時間は全細胞、神経を使って堪能したかったので黙っていた。名前はそんな俺を理解して話し掛けなかったのではないか?」 「いえ、理解はしてませんけど…何となく声を掛けちゃいけないという雰囲気は感じました」 「やはりお前は俺の事を「はっきりと理解はしてませんって言いませんでした?」」 どうしてこう全て自分の都合の良い方向へ解釈していくのか。 放っておくと致命傷になりかねないのでいちいち釘を刺さなきゃいけない。 いや、もう既に手遅れかも知れないけども、それは考えないし認めない。 じっとその両目に見つめられているのに気付いて自分の手元から視線を上げる。 「なんですか?」 「どうして突然俺を誘った?」 真っ直ぐ投げかける質問に、何て答えようか悩んでしまった。 good boy 「さっき言いましたよね。雑煮を作り過ぎちゃったんです」 「それが建前なのはもうわかっている。お前は他人に気負わせないよう、そうやって器用に嘘を吐く」 正直に、やりにくい、とそう思う。 この人はほぼ私の性格とその行動パターンを読んでる。 冨岡先生ほど私を私として知悉している人物は他に居ないかも知れない。 この人を前にどう答えたら良いのかいつも迷うのはそのせいだ。 「別に深い意味はないんです。4日間の内いつかと検討した結果、今日が一番適していただけで」 「本当か?」 「その必要以上の疑り深さ、余り褒められたものじゃないです。他人に嫌われますよ」 「お前は俺の比ではない程に物事を熟読したがる。その他大勢の人間に嫌悪されようが名前が傍に居るならそれで良い」 「…冨岡先生らしいですね」 会話を終わらせるために両掌を合わせると空になった食器をシンクへ運ぶ。 ふと感じた背後の気配に勢い良く振り向くも両手で差し出された食器の山に寄せていた眉が弛まった。 「…ありがとう、ございます」 何かしてくるのではないかと警戒した自分が恥ずかしくなる。 それを受け取って水に浸ける間にも冨岡先生は大人しく椅子に戻っていて、正直拍子抜けした。 決して何かを期待していた訳ではないけども。 そうやって考えると、突拍子もない事をしないこの人とは、別にこうして過ごしていても苦ではない気もする。 「コーヒー、飲みます?」 「今日はやけに優しいな」 そう言いながらもキラキラとさせる目に苦笑いをするとケトルを手に取った。 「年の瀬で気が緩んでるせいですかね」 それだけを返しお湯が沸くまでの間、コンロの周りをキッチン用のウェットで拭いていく。 肉眼だけでは汚れていないように見えて意外と広範囲に油が跳ねてるのがそれを滑らせていく事でわかる。 もう少しでお湯が沸くだろうと手を止めた所で、背後から掛けられる圧につい前のめりになってしまった。 腰へ回される両腕を制止しようとする前に 「結婚しないか?」 頭上で聞く台詞で一気に眉間へ皺が集まる。 「しません。突然何を言い出すんですか」 「突然じゃない。こうして名前と日々を過ごせたらそれだけで尊いものだと考えた」 「尊いと感じてるのは冨岡先生の気持ちが盛り上がってる今だけ…」 続く言葉を止めたのは胸を揉む右手のせいだ。 「エプロン姿の名前を攻めるのはこれ程なく興奮する」 「さっきまで大人しかったと思ったら急に暴走しだしましたね。今すぐ離れないと年末年始と言わず、一生会えないようにしますよ」 「名前がそんな事を出来る筈がない」 「出来ます。依願退職、部屋を解約、LINEを消せば良いだけですから」 「駄目だ。許さない」 「そう思うなら離していただけませんか?コーヒー淹れようとした気持ちも見事に消え失せたんでそのまま帰ってください」 「悪かった」 離されるかと思えばまた腰に回される両腕。 「全然悪いと思ってないじゃないですか。離れてください」 「本当は、俺の気持ちを汲んでくれたのだろう?」 「何の話ですか?」 「こうして共に過ごすのを許した事だ」 「私は冨岡先生本人ではないのでその気持ちは微塵もわかりません」 「自分は…此処に居て良いのだろうか」 その一言に大袈裟なくらい心臓が跳ねた。 「家族という組織に属しながら、ふとそう考える時がある」 …あぁ、やっぱり冨岡先生もそうなのか、と目を伏せる。 特にこの人の場合はその想いは強いだろう。 今まで自分が住んでいた家に、身内の配偶者とは言え知らぬ他人が住み始めた。 その事実は遠ざかる決定的な理由になる。 それが特別な事由ではないのは今までの人生でわかってもいて、変化を受け入れ、心の何処かで折り合いを付けなければいけない。 大事だからこそ、その存在のために考える。 邪魔にならない生き方を。 「冨岡先生、お姉さんの事大好きなんですね」 「俺にとって名前以上に好きな存在など居ない」 「そういう意味ではなくて…」 頭に顔を埋めるのは、癒しを求めているんだっけ、そう考えながらとっくのとうに沸いたケトルへ視線を向けた。 「コーヒー淹れますね」 遠回しに離れるように言ったつもりだったのに、コンロからケトルまで僅かな距離も離れようとしない両腕と共に身体を引き摺るしかない。 「何ですか。凄く邪魔なんですけど」 「やはり結婚するべきだと思う」 「やはりの意味もすべきという理由もわかりません」 「お前は俺の全てを理解している」 「してませんよ。それは気の所為です。大体自分以外の誰かなんて完璧に理解出来る筈がないんですよ。理解されてるなんてただの思い上がりです」 「だがお前は俺の意識を掬い汲み取った」 「それは似たような経験をしてるからですよ。全く同じ感情は持てませんが、想像力で補完すれば人の気持ちに寄り添う事は不可能ではないです」 居場所がない。 そう言うと大袈裟な話になるけど、実際言葉として表現するならそれが一番しっくり来るのかも知れない。 冨岡先生の身の上を聞いた時、ふと、弟が産まれた当時、心の底から沸いた言いようのない感情を思い出した。 「同じような考えで名前も帰省しないのか?」 「私は年明けたら顔見せくらいはしますよ。弟がお年玉くれってうるさいので」 「そうか。それなら俺も結婚の挨拶をしたい」 「しなくて良いですし来なくて良いです。大体結婚の挨拶とか冨岡先生に出来るんですか?絶対失礼な事言いそうなんですけど」 「名前は俺が貰い幸せにする。そう言うつもりだ」 「意外と堅実っぽく見せといて断定的なの凄いですね。そこは許可を貰うとかじゃないんですか」 「親の許可など取る必要はない。結婚するのは俺とお前だ。そこにお互いの気持ちがあれば十分だろう」 「世間一般的には冨岡先生の考えは少数ですし、その気持ちとやらがこちらには一切ないんですけどね」 いつまで経っても離れる気配がない冨岡先生に溜め息をひとつ。 もうこのままコーヒーを淹れよう。そして飲んだらお帰りいただこうとケトルを持ち上げた。 「一緒に新年を迎えたい」 「それは無理です。0時を超える時には既に夢の中に居る予定なので」 「年越ししないのか?」 「しませんよ。わざわざそのためだけに1人で起きてる必要性を感じません」 「1人じゃない俺が居る」 「冨岡先生が居ても眠気には勝てないです」 「ならば名前は寝てて構わない。一緒に居られれば俺はそれで良い」 「いえ、良いです。冨岡先生の前で寝るとか自殺行為なんで。ほら、コーヒー淹れましたよ。これ飲んで自分の部屋にお帰りください」 「…明日も会いたい」 腰に回された両腕が強くなった事で肩を揺らしてしまった。 「新年最初に名前に会いたい。最初に声を聴きたい。最初にこの感触を感じたい。最初に匂いを嗅ぎたい。全部名前を最初にしたい。名前にとっての最初も全部俺にして欲しい」 「ちょっとそれは難しいんじゃないですか?私朝から出掛けますし」 黙り込んだまま動かなくなった姿にまた溜め息が出てしまう。 「何時とは断言出来ませんが、帰ってきたら少し顔出しますからそんな落ち込まないでください」 「…本当か?」 「本当です。流石にそこまで酷い嘘は吐かないですよ。だから今日はコーヒー飲んで帰りましょうね」 宥めるようにそう言えば 「…わかった…」 小さく呟いてその身体が離れた。 * * * 惰性でつけていたテレビを消してベッドに潜り込む。 時刻は23時を少し過ぎたところで、予定より遅くなったな、と眠気が去らない内に目を閉じた。 「………」 淡い微睡からふと目が覚めて、手探りでスマホを探すと画面をつける。 0:16の数字にまだこんな時間かともう一度眠りに就こうとスマホを手放そうとしてLINEの通知が気になって開く。 キメツ学園のグループLINEが新年だからかやけに盛り上がっているのを流し見程度だけで留め、開いた個人のトーク画面。 "年が明けた" "もし起こしたのならすまない" "おやすみ" "朝に見ている可能性を考えた" "おはよう" 0時きっかりに送られてきたメッセージについ苦笑いが零れる。 最初が良い…か。 人差し指を動かして音声通話を押す。 『どうした?』 一瞬で繋がったそれに油断していたためすぐに言葉が出なかった。 「…あけまして、おめでとうございます…」 そして思ったより声も出なくて小さく咳払いをする。 『寝ていたのか』 「わかります?」 『寝惚け声になっている』 「すみません、起きたばかりなので…」 『その声も可愛い。襲いたくなる』 やっぱり電話なんかしなきゃ良かったかも知れない。 一瞬で寄った眉も 『どうした?寝起きな上こんな時間に電話を掛けてくるなど名前にしては珍しい』 その発問に何て答えるかまた迷う。 「冨岡先生がさっき、新年最初に声が聴きたいっておっしゃってたんで」 それ以外の最初は、正直提供する事は出来ないけれども。 声くらいなら、と考えた。 『………』 黙り込んだ電話の向こう、顔が見えないためその様子が全く判別出来ない。 しかしそれも 『好きだ』 脈絡もない告白で、恐らく自分の世界に行っていたのであろうとわかった。 『愛してる。名前。やはり襲いたい』 「もう切りますね。おやすみなさい」 『もう少し…もう少し声が聴きたい』 珍しく焦ってる口調に離そうとしたスマホを耳に当て直す。 「喋る事はこれといって思いつかないんですけど…」 『何でも良い。声が聴きたい。出来るならばずっとこうしていたい』 「それは無理ですってば。このまま通話してても多分私すぐ寝ますよ」 『ならばその寝息を聴いているだけで良い』 「冨岡先生は寝ないんですか?」 『こうして名前と繋がっているのに寝るなどそんな勿体無い事はしない』 「いや、これを切ったらっていう意味です」 『叶うならば今年は電話だけではなく物理的にお前とつな「切りますねさようなら」冗談だ。切らないでくれ』 変な事を言い出すものだから目が冴えてしまったじゃないか。 「冗談にも許される冗談とシャレにならない冗談があるんです。冨岡先生はそういうのもうちょっと学んだ方が良いと思いますよ」 『今年初怒りか?』 「はい?まぁ、そう言われれば、そうですね。怒りというか呆れもありますけど」 『また名前の最初になれた…』 完全自分の世界に入ってるなこの人。 『俺のメッセージは起きて最初に見たか?』 「…え?あぁ、いえ。キメツ学園の方を先に見たんで…」 読んだというよりホントに視界に入れた、というのが正しいけれど。 『俺の名前から最初を奪ったのは誰だ…?』 「何か語弊がある言い方なんですけど…。誰とか覚えてないですよ。ざっと流し見しただけなんで、良く読んでないですし」 『なら認識はしていない。名前が最初にメッセージを見たのは俺という事になる』 「…そうですね。それで良いと思います…ふわぁ…」 何か良くわからないけど興奮している冨岡先生とは違い、こちらはまたやってきた眠気でついつい欠伸が出てしまう。 『可愛いな。今年最初の欠伸か?』 「…失礼しました。まぁ、最初…ですね。多分」 流れる長い沈黙に、今回は自分の世界からの帰還が遅いな、と思いながら目を閉じそうになった。 『名前』 「…なんですか…?」 『やはりそっちに行く』 「駄目です。何で突然…」 『全部お前の今年最初が欲しい。俺の全部も貰って欲しい』 「気持ちはわかりましたし、お気持ちも有難く思っておきます。でも寝るので迷惑です。今此処でしつこくするなら今日会うという確約も白紙に戻しますよ」 『………』 この沈黙は恐らくしょげてるせいだろうと考えたと同時 『わかった。諦める…』 明らかに気落ちした声が聞こえた。 手に取るようにわかる (切りますけど最後に何かあります?) (好きだ愛してる俺のものになって欲しい。元旦に入籍すればわかりやすいと思うんだがどうだろうか?) (おやすみなさい。失礼します) [ 52/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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