good boy | ナノ
「…んっ…」

声が出た事にしまった、と思いわざと咳払いをし首を這う口唇と胸を揉みしだかれる両手を押さえる。
「…やめてくれませんか?折角正しい下着の付け方教えて貰ったばかりなんでずらさないでください」
「誰にそんな事を教わった?」
「この間冨岡先生がおっしゃっていた下着売り場の店員さんです」
「行ったのか?」
「行きました。冨岡先生が言ってた意味…」
言い終わる前に噛み付かれた首筋に息を止めた。


good boy


「何故俺よりそちらを優先させた?」
「…福袋を買いたいなって思って行ったんですけど予想より酷い人混みだったんで諦めたんですよ」
そのお陰であの店員さんとゆっくり話せた訳ではあるけども。
「付け方を享受されたという事はあの女は名前の胸を触ったのか?」
「…女ではなく女性、です。まぁ、そうですね」
「直接触れたという事か?」
「…そうで…ちょっと!冨岡先生!?」
答え終わる前に下着を縫って入れられる右手に身体が跳ねる。
「俺でさえ今まで直接触れた事はなかったというのに先を越されるとは…。しかも新年最初をも奪われるなんて…」
ブツブツと呟くその手がわざと膨らみの先端を刺激しているのに気付いて声を上げた。
「何言って…!冨岡先生記憶にないだけで既に触ってますからね!?」
「……それはいつだ?」
止めたものの離そうとはしない手に溜め息が落ちる。
「酔い潰れて帰ってきた時です。あの時無理矢理触られました」
「覚えていない」
「でしょうね…」
「それでも今年最初を取られたという事実は変わらない」
また動く指先に眉を顰めた。
「そんな触り方されてませんから!」
「ならば俺が最初という事か?」
「そうですそうです!なので離してくだ」
塞がれた口唇と共に離れた右手が頬へ移動したかと思うと深く侵入してきた舌のせいで反射的に目を硬く瞑る。
逃げるために押さえ込む右手を退けようとしてもビクともしない。
「…はっ…」
息が乱れたと共に離された口が
「キスも今年が最初か…?」
そう言って覗き込んでくる群青の瞳を睨む。
「それ…わざわざ訊ねる必要あります?訊かなくてもわかると思うんですけど」
「名前の今年最初だという確証が欲しい」
「そうです」
嬉しそうに上がる口角は素直なもので、溜め息が勝手に出てしまう。
「何でそんな最初に拘るんですか」
「名前の全てが欲しいからだ。最初から最後まで、全部俺のものにしたい」
「独占欲が強すぎるのも余り褒められたものじゃないですよ。それに私束縛されるの好きじゃないんで逆効果です」
「それはわかっている。だからこうして我慢している」
「これの何処が我慢してる図なんですか」
今度は服の上からではあるけども胸をやんわり揉む両手。
抑えようとその指を掴んでもビクともしない。
「まず今年初めに胸を触るという称号を逃しはしたが、今年最初のキスという事実で折り合いをつけた。次に今すぐにでも脱がしたい衝動を我慢して胸を触るだけにしている」
「称号って…それで喜ぶの冨岡先生だけですよ…。後者に関してはありがとうございます」
もはや何に対しての感謝なのか自分でも良くわからないがお礼を言うしかない。
「あの店員はお前好みだっただろう?」
「…え?あぁ、はい。凄く可愛くて面白い方でした。新年早々癒され…」
ヤバイ、と思ったのはその瞳の色が変わったせいだ。
「最初じゃないですよ。早々と言っただけで最初とは言ってません」
「…下着は買ってきたのか?」
何とか誤魔化しは効いたらしい。
とにかく最初とか初とか、そういうワードを避けていかないと思わぬ所で起爆しそうだ。
「買ってません。でも今度買いに行く予定です」
「それなら俺も行く」
「それで私がよしって言うと思います?」
「思わない。勝手についていく」
いい加減離して欲しい。
でもこのまま会話を続けていても泥沼化は免れない。
「お返し、見ないんですか?これでも一生懸命考えたんですけど」
視線を床に置かれた袋に向ければ、少しの沈黙の後漸く両手が離れた。
「此処は寒い。中へ入れ」
「寒い中攻めて来たのは何処の誰ですか。遠慮します。外よりは寒くな…」
腕を引かれた勢いでつい一歩踏み込んだ足がダイニングの床を踏んでしまう。
「わかりましたわかりました!靴脱ぐんで待ってください!」
すぐに足を引っ込めると靴を脱ぐ私を横目に先程渡した荷物を抱え、リビングへと入っていく背中を見つめながら
「…お邪魔します」
小さく挨拶をした。

リビングのほぼ中央に存在しているテーブルの前に腰を下ろす冨岡先生。
無言でポンポンと座る事を催促する手に、距離を取りつつ座った。
「随分デカイぬいぐるみだな」
「サイズ展開がS、M、Lだったんですけど、Lが一番可愛かったのでそれにしました」
「柔らかい。会えない時はこれを名前だと思え、という事か」
「いや、全然違うんですけど…。そんなつもりは微塵もないです。どちらかと言えば冨岡先生に似てるなって思って買ってきたんですよ」
「名前の分身として共に暮らそうと思う」
「…そこら辺はもう、どうぞお好きになさってくださいとしか…」
ぬいぐるみの頭を撫でる横顔は、少し嬉しそうでまぁ、喜んでくれているのだと思う。
「こっちは何だ?」
紙袋を覗いてから、その中を取り出す右手に
「観葉植物です」
短く答えた。
テーブルに置かれた青々としている葉は意外と部屋にマッチしている。
「正直何が良いか全然わからなくて…どうせなら冨岡先生が自分では買わないようなものにしてみました」
「確かにぬいぐるみも植物も自分から手を出した事はない。この木も名前だと思って大事に育てろという事だな?」
「全然違います。この部屋殺風景なんで、緑がひとつでもあると心が休まるし癒しになるかなって考えたんですよ。犬のぬいぐるみもそうですけど」
「名前の化身として癒されろという事か」
「何でそう、全部私にしたがるんですかね…」
「これはなんという木だ?」
「ドラセナです。幸福の木と呼ばれてるらしくて、初心者でも育てやすいって店員さんに聞きました」
葉に触れていた手が吊るされている札へと触れて気が付いた。
「此処にも書いてありますね。正式名称はドラセナ・マッサンゲアナ…。へぇ」
ドラセナという四文字は何度も聞いた事はあるけれど、その続きがあったのを今初めて知った。
「育て方は書いてないのか?」
裏をめくった手。
僅かに見開いた目が止まったのを不思議に思いながらもその視線の先を追って、今度は私が目を丸くするしかない。

『ドラセナの花言葉は幸福です。そしてドラセナ・マッサンゲアナの花言葉は永遠の愛、隠しきれない幸せ。あなたに幸福が訪れますように』

「…成程、そういう事か」
「納得してる所悪いんですけど違いますよ。こんな花言葉だったのたった今まで知らなかったんで。そういう意味だとか一切期待しないでください」
手書きPOPなんかに簡単に乗せられるんじゃなかった。
自分から餌を撒いてるようなものじゃないか。
動いた右手につい身構えるも葉を撫でると
「大事にする」
口角を上げる横顔に強張っていた身体の力が抜けた。
「…喜んでいただけたなら良かったです」
犬のぬいぐるみを両腕で抱えドラセナの葉を撫でるその姿はいつもの冨岡先生より可愛らしく見えて自然と笑みが零れる。
しかしそれも
「礼は何が良い?」
その言葉に眉が寄った。
「いえ、要らないです。というか私がクリスマス、何も用意してなかったんで今日お礼として渡したんですよ。それに対してまたお礼を重ねようとすると物の贈り合いで収拾つかなくなるんで、これでお終いにしてください。お気持ちだけ戴いておきます」
「物でなければ良いのか」
ぬいぐるみを傍らに置いて膝を立てたかと思えば
「此処へ来い」
差し出される右手に完全に不信な表情をしていまう。
絶対に嫌な予感しかしない。
「良いです。そんな自分から死にに行くような事したくないです」
「俺は何もしない。名前がして良い」
「…はい?」
「思えば俺はいつもお前に触れ満たされているがお前は俺に余程の事がないと触れない。礼として俺を好きにして良い。どうだ、触りたい放題だ」
「どうだと言われても全然嬉しくないんですけど。ビックリするほどこれっぽっちも心が動かないんですけど。…そこでしゅんとするやめてください」
無言で眉を下げるものだからすぐに思考を巡らす。
「…あぁ、じゃあ、髪の毛触っても良いですか?」
咄嗟に思いついた妥協案を提示すればその瞳がキラキラと輝いて
「好きなだけ触ると良い」
左手を引かれ距離が縮まる。
座高の差を埋めるため両膝を付くとその青み掛かった髪を撫でた。
そういえば、この人の髪を触れるのは初めてで想像していたよりか柔らかい感触に口元を弛める。
「毛質も犬みたいなんですね」
つい口を突いて出た言葉に反応するように上げられる瞳と目が合って、今更ながらこの体勢は危ういんじゃないかと気付いた。
「ありがとうございました。離れ…」
「遠慮するな。もっと触って良い。何なら髪以外も触れて良い」
「いえもう大丈夫です」
グッと掴まれた腰に反応するも胸元に埋められる顔で身を引こうとする力を強める。
引き剥がそうとその両肩を押すも当たり前にビクともしない。
「話が違うじゃないですか。やっぱり罠だったんですね」
「罠を仕掛けたつもりはないし何もしていない」
「胸に擦り寄るのは何もしてない部類に入るんですか?」
「犬が飼い主に擦り寄るのと同義だ。そこまで気に留める程でもない」
直接背筋を上へと滑る指に気付いた時には後ろのホックへ届いていた。
「ちょっと…!何してるんですか!」
外されてなるものかとその腕を左手で掴むと右手でその頭を押し返す。
お互い一歩も引かず力を弛めない事で完全に硬直状態になった。
このまま続けていても力の強い冨岡先生が勝利を収めるのは火を見るよりも明らかで逆転出来る何かがないかと辺りを見回す。
「警戒しなくても外すだけだ。それ以上は何もしない」
「今この状況で良く抜け抜けと言えますね。全く信用ならないんですけど」
未だ胸に埋める表情は窺い知れない。
「今年初名前のホックを外す称号が欲しい」
「まだ引き摺ってたんですかその称号とやら。心の折り合いをつけていただくためにお知らせしますが、今年初私が誰かの髪を撫でた称号、物を贈った称号、人の家にお邪魔した称号は全て冨岡先生が獲っていきました。おめでとうございます三冠ですよ三冠。なのでそのくだらない称号は諦めてください」
「その三つでは弱い。もっと重要な称号でないと折り合いがつかない」
「随分注文が多い犬ですね」
この状況でそれより強いカードなんて…
「わかりました」
捨て身の反撃というのはこういう事なのだろうかと考える。
下手したら誤爆にしかならないけれど今はこれしかない。
両手を離すと間髪入れずその頭を力の限り抱き締めた。
「………」
思惑通り動きを止めた冨岡先生に
「今年初、私が自分から抱き締めた人の称号です。これでも弱いですか?」
そう問いかければホックへ触れていた手が引っ込められる。
その代わりというように服の上から両腕が回された。
「…弱い所か最強の称号だ。もはやホックなどどうでも良い」
「それは良かったです。是非そのまま離れていただけるととても助かるんですが」
「もう少しこの幸福を味わっていたい」
そう言うと一切動かなくなったのを感じて、必要以上に入れてしまっていた両腕を弛める。
それでも全く身動ぎしない頭を一瞬迷ったものの静かに撫でた。
この人も不器用な人だな、と割と常に思ってはいるけども、今改めて感じている。
どうしてドラセナを見た瞬間、それに決めたのか、わかった気がする。

『幸せで在って欲しい』

素直にただ、そう願った。
それが恋愛感情か否かとか今回ばかりは重要なのはそこじゃない。

「俺にとって名前はドラセナだ」
急に発される言葉に驚いたものの平静を装う。
「癒しとかそういう意味ですか?」
「それもあるがお前が居るだけで俺は幸福を味わう事が出来る」
「そんな大袈裟な…。私が幸福を与えてる自覚はこれっぽっちもないんですけど」
「お前は口では否定しながら俺の事を放っておけない」
上げたその瞳が私を真っ直ぐ捉えて口が動いたかと思えば
「そうか。今のこの流れを利用すれば名前の今年初を全て獲れる気がする」
その言葉に一気に眉が寄る。
「獲れませんし獲らせませんよ。今すぐ離れてください」
「冗談だ」
「だから冗談でも「今年も…名前の傍に居て良いだろうか?」」
急に発せられた質問は真剣なもので、その真意を無意識に探してしまう。
数秒の間で言葉が浮かんでは消すの繰り返し。
漸く出たのは
「それは冨岡先生次第じゃないですか?」
それだけ。
更に眉を下げる表情を見て溜め息混じりに続けた。
「冨岡先生の気持ちが変化しない限り、今の状況という意味です」
「俺が名前を好きだという感情は肥大するだけだ」
「では今年も何も変化しないという意味合いで受け取って良いのではないでしょうか?」
「つまり飼い犬兼彼氏で居られるという事か」
「ちょっと待ってください。それは違うんですけど」
「元旦を逃しはしたが今年は旦那という肩書きも手に入れたい」
「何で急に元気になったと思ったら全力で駆け抜けていくんですか…。全くついていけないんですけど」
「大丈夫だ。俺が名前を抱え連れて行く」
「良いです。余りの速さに乗り物酔いしそうなんで。置いてってください」
「俺がお前を置いて行く筈がない。結婚しないか?」
「しません。そして脈絡がなさ過ぎます。そろそろ帰りますね」
離れようとした所で侘しげな表情に変わるものだから
「そういえば夜中の事を思い出しましたけど、電話したのも告白されたのもプロポーズされたのも今年初ですよ。今日一日でかなりの称号を獲得してます。凄いじゃないですか冨岡先生」
そう言って小さく笑えばその瞳が嬉々としたものへ変わった事で安堵した。


それで幸福ならいくらでも


(帰りますね)
(今年二回目のキスという称号が欲しい)
(駄目です。もはや称号とか関係なくなってますよ)


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