good boy | ナノ
冨岡先生との攻防の最中に音を立てたスマホを、人気のない階段の踊り場で確認する。
何か悪事を働いている訳ではないが、さすがに生徒の目がある中で私物を触る訳にもいかないので、多少忍ばざるを得ないのは仕方ない。
LINE画面を開けば自然と心臓がドキッとした。
胡蝶先生だ、と。

"昨日苗字先生に直接言おうと思っていて忘れてしまったのだけど、今日は両親のお墓参りに行くからお休みをいただいてるの
もし心配させてしまっていたらごめんなさい"

可愛らしい絵文字と共に送られてきたそれに頬が緩む。
あぁ良かった。少なくとも文面では元気そうだ。
それと同時に私に話そうとしてくれていた事が、とてつもなく嬉しい。

返信を考えようと無意識に左手で髪を触れたと共に鼻腔を通るそれに息を止めた。
微かに漂った冨岡先生の匂い。
先程私が出来うる全ての力を込めた頭突きで叩きのめした筈なのに、こんな所にまで残党がいたなんて。
これからは消臭スプレーを常備しといた方が良さそうだ。


good boy



職員室へと戻り、真っ直ぐ自分の席へ向かった所で
「苗字先生!」
煉獄先生が右手を挙げて呼び止めた。
「何でしょうか?」
「さっき校長が探していた!今度の勉強会の人選は決まったのか聞きたかったらしい!」
その言葉に、あぁ…と僅かながら眉を寄せる。
忘れていた訳ではないがまだ猶予があるとそこに重点を置いていなかったのは確かだ。
「わかりました。ありがとうございます」
「都合が合えば俺も参加しよう!」
煉獄先生の言葉は有難くも背中で聞き流す事にする。
自分の席に着いて、しまいっぱなしだった冊子を引き出しから出した。
『教師が出来る生徒を守るイジメ対策』
わかりやすい題名に小さく息を吐く。
月に一度、テーマを変えて行われる『勉強会』は近隣の中等高等の教師の代表およそ2名が決まった会場に集められ、ただ用意された資料と共に長机に向かい、壇上で話す誰かの話を聞くというもの。
それが全く至極退屈でつまらない。
教師をしていれば誰もが経験しているであろう事を、まるでさも自分が先陣かのように語っているだけで何の『勉強』にもなりやしない。
だからこそ、前々回、自ら志願した煉獄先生と宇髄先生を参加させたのは完全に采配ミスだった。
途中から退屈を持て余した2人が壇上を仕切ったのは言うまでもない。
お陰で私が居るという理由以上にキメツ学園は悪の組織・教育委員会に目をつけられた。
前回は胡蝶先生と私で事なきを得たが、また今回も胡蝶先生に頼むのはさすがに気が引けるため、無難に不死川先生か悲鳴嶼先生のどちらかに頼むしかないかと消去法で考える。
今は両人とも授業のため今この場には居ないので、どちらになるかはこの後の交渉次第となるけども。
意外と常識人な2人に任せる事も出来るかも知れないとも考えるが、もし万が一を考えると私もその場に居なくては収拾がつかなくなる。
また闇の組織に目をつけられたくないという意地もあった。
それでも今回は…

「行きたくないな…」

意識せずポツリと呟いた言葉。
「何処に行きたくないんだ」
ご丁寧に拾ってくださった右隣へ視線を上げる。
いつの間に戻ってきたのだろうか、1分前までは確実にそこには居なかったのに。
「大丈夫ですか鼻」
「まだ痛みが引かない。流石に保健室で氷嚢を貰ってきた」
掌ほどのビニールに入った氷を充てる姿に、自分でやった事ながら若干の申し訳なさは感じた。
「何かすみません。これに懲りたら近付かない方が良いですよ」
「今回は不意打ちに反応しきれなかっただけだ。懲りてはいない」
「そこは懲りるべきだと思います」
「何処に行きたくないんだ」
何でそう最初に戻るかな。上手く話を切り替えた筈なのに。
「いえ、冨岡先生には全く以て何一つ関係ない話なんで大丈夫です」
ひとまず悲鳴嶼先生に打診してみようと引き出しにしまおうとした冊子を左手がかっさらっていく。
「…勉強会か。参加教師は決まったのか?」
読んでいるんだかいないんだがペラペラと捲っていく横顔。
「まぁ、はい。多分ほぼほぼ」
「誰だ」
「今の所悲鳴嶼先生か不死川先生かって所です」
「名前も出席するのか?」
「だから名前で呼ばな「するんだろう?」」
頭突きしたからなのかいつもより余計に圧が強い。
「それはまぁ、行きますけど。私が行かないと心配なので」
「それなら俺が行く」
「いえ、良いです。例え不死川先生と悲鳴嶼先生が常識人でも冨岡先生と行かせるのはちょっと有り得ない化学反応とか起こしそうなんで」
「そうじゃない。俺が名前と一緒に行くという意味だ」
「冨岡先生、勉強会とか行った事あります?めちゃくちゃつまらないですよ?何なら人生の悟りが開けますよくだらなすぎて」
「行った事はないがそこまで言われると逆に気になってきた。是非参加したい」
「仕事に関してもポジティブなんですね。教師としてとても良い傾向だと思います。では心を入れ替えた冨岡先生には伊黒先生と一緒に参加してもらいましょう」
「…嘘を吐いた。本当は名前が他の人間と2人きりになるのが許せないだけだ。勉強会など心底どうでもいいし、お前に会える口実を作りたい」
「何となくはわかってましたけどメッキ剥がれるの早すぎません?しかもその思考全部口に出さなくても良くないですか?」
ブレないというのはこういう事か。
でも、確かに下手に血気盛んな教師陣を連れていくよりかは…
「2時間半ほど大人しく座ってられます?」
「当たり前だ」
「誰に何を言われても我慢できます?」
「それは時と場合によるだろう」
「じゃあ無理ですね」
「…善処する」
「あと私の半径1m以内に近付かないと約束してください」
途端に黙り込む横顔に何でそこは頑なに首を縦に振らないのか不思議でならない。
「会場に教育委員会の人間が居るんですよ。万が一冨岡先生の今までのような行動を目撃されたら恐らく2人共教員ではいられなくなります」
恐らくとはつけたが、それは確実だろう。
上の人間は私が失敗して足元を掬われるのを今か今かと待っている。
そこに冨岡先生を巻き込むのはそれこそ違う話だ。
「約束が出来ないならこの話はナシですね。当初の予定通り悲鳴嶼先生か不死川先生にお願いする事にします」
いくら生徒達への体罰が減ったと言ってもこの人には無理か。
印刷したまま校閲していない書類を手に取ったと同時に
「それは会場内だけの話か?」
突然の質問に一瞬考えてしまった。
「会場内から人目につく全てです」
「とにかくその勉強会に関しての話なんだな?」
執拗に念の押してくる姿に意味がわからないまま
「まぁ、そうですけど…多分」
と曖昧に答えれば
「わかった。約束しよう」
その言葉に顔を上げた。

* * *

「おはようございます」

本当に来るかどうか半信半疑だったその人は約束の10分前にはそこに立っていて、多少面を食らった。
しかもいつも見慣れたジャージ姿ではなく、きちんとスーツに身を包んだ姿で。
まぁそれは私がきちんと正装をして来てくださいと前日まで繰り返していたからなんだけども。
「意外に早いですね」
「絶対に遅刻するなと何度もプレッシャーを掛けられれば早くもなる」
「偉いですね。じゃあ行きましょうか」
会話を終了させるように会場の入口へ迎えば、冨岡先生が大人しくついてくる足音が聞こえる。

キメツ学園の前から何度か訪れた事のあるこの建物の無機質な臭いが、いつの間にか私の中で余り良い思い出ではなくなっている事に気付く。
前回、胡蝶先生と訪れた時はそんな事は微塵も思わなかったのに。
やはり感情は時間を共にする相手によるのか、と思い掛けて、いや、今回ばかりはそんな単純な事だけでは片付けられないのだろうと自覚した。
「お疲れ様です。早めに到着してしまったのですが、入室できますか?」
受付の女性に声を掛ければ感じのいい笑顔を向けてくれる。
「大丈夫ですよ。こちらにご記入をお願いいたします」
5本指で示す名簿に『キメツ学園』と学校名を記入した後冨岡先生と自分の名前を記入した。
「こちらが本日の勉強会の資料、そして入室バッジとなります。入退室の際に必要となりますので胸元や腕など確認しやすい所にご掲示をお願いいたします」
「はい。ありがとうございます」
多目的室の中、まだ誰も居ない事に安堵しつつ、壇上から最後尾の長机へ向かう。
「冨岡先生、これ付けておいてください」
先程渡された入室証の1つを渡せば、おもむろに安全ピンを外そうとする指にそれをまた手元へ戻した。
「律儀に穴を開けなくてもクリップがついてるんでここに挟むだけで大丈夫です」
その左胸ポケットへそれを付ける。
「…随分慣れてるな」
「それはまぁ、当たり前かと。前から来てるので」
そう言いながら胸ポケットがない自分の背広の襟をそのクリップで挟んだ。
「席も取りましたし、まだ時間があるので散歩してきても大丈夫ですよ」
「だから俺は犬じゃない」
「今のはそういう意味で言ったんじゃないです」
パイプ椅子に腰を降ろし、ご立派に製本された資料を机の上に置く。
「何故一番後ろを選ぶ?」
私の右隣の席に腰掛ける冨岡先生の疑問に苦笑いが溢れた。
「冨岡先生も学生の頃はこういう場で教師の目から逃れたいとか考えたりしませんでした?」
「…確かに」
短くとも納得した冨岡先生を横目に恐らく必要のない筆記用具を出す。
まばらに入室してくる人々で賑やかになる室内の中『教師が出来る生徒を守るイジメ対策』のタイトルを眺めた。


「…それでは時間になりましたので、始めさせていただきたいと思います」
進行役の声で緩く始まった『勉強会』はこれまたつまらない内容で過ぎていく。
一応耳を傾けているテイで、進行と同じように資料を捲っていくが、頭では終わったら何を食べようかなんて考えていた。
ふと右横を見れば、資料を開く所か腕を組んで目を閉じている。
「…冨岡先生。堂々と寝ないでください」
小声で話し掛ければその目がゆっくり開いた。
「寝てはいない。ただ無駄な時間にならないよう瞑想をしていた」
「瞑想するならせめて目を開けてしてください。ほら、背筋も伸ばして資料も開いて。早々に無駄な時間だと割り切らないと余計辛くなりますよ」
大人しく言う通り動く姿に
「はい、よく出来ました」
それだけ言うといつの間にか進んでいた資料を静かに捲った。


本当にみたい




(終わったらコーヒー奢りますから)
(…コーヒーより名前がいい)
(駄目です無理です嫌です)


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