good boy | ナノ
「…それでは、職員会議を始めます」

職員室全体を見回してから、周囲に一礼をし席に座る。
かっこつけて会議とは言うが、実は全然凄いものじゃない。
主な内容は、先立っての学校行事の確認、更に生徒の様子、時には不審者が出たなどの教員同士の情報の共有が目的だ。

「まず、今年度の体育祭ですが、基本的な配置は例年通り…」
前もって作った資料を元に説明していく。
「…以上、去年の問題点はこんな感じだと聞いたのですが…私は細かい所までは良く知らないので、ご意見をいただけると助かります」
資料から教員達へ視線を移したのと同じくして
「はーい」
胡蝶先生が可愛らしく手を上げてから、口を開く。
「さっき話題に上がっていた、保護者の大型テントは廃止する方向で良いんじゃないかしら?去年、そのせいで競技を見られなかったって苦情がたくさん来たもの。破壊事件もあったし」
周りを見れば、煉獄先生、宇髄先生、悲鳴嶼先生、不死川先先生が納得したように頷いているのが窺えた。
「…では今回から、体育祭の冊子にそのような文面を付け加えますね」
破壊事件が何かは聞かない事にして、赤ペンを持つ手を動かしながら、ふと右横へ視線を移す。
珍しく資料を読み込み、そのまま止まる姿に、思わず聞いた。
「どうしました?冨岡先生」
「…マスゲームは、今年もないのか」


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「…マスゲームってあの、同じ動きをする集団演技の事ですか?」
コクリと頷いた横顔がとてつもなく寂しそうで初めて見るその表情に若干焦る。
思わず椅子を引いて、後ろの席の不死川先生に小声で訊ねた。
「…すみません不死川先生」
「ん?」
「キメツ学園の体育祭ってマスゲームやるんですか?それとも前はやってたんですか?」
「やってねぇよ。冨岡がいつもやりたいって言ってるだけだ」
「めっちゃ落ち込んでるんですけど…。この世の終わりみたいな顔してるんですけど…」
「そうかぁ?俺にはいつもと変わらねぇように見えるが?」
「よく見てくださいよ。全然違いますって。まず眉毛が下がってます。そして口元に僅かに力が入ってます。わかりますよね?あれめちゃくちゃ落ち込んでる表情ですよ」
「……。ぜんっぜんわかんねぇ。お前良くわかるな。流石教務主任」
「余り褒められてる気がしないんですが、一応ありがとうございますと言っておきます」
そうか。冨岡先生の表情は私が思うより周りにはわかりづらいのか。
納得して自分の席に戻ると、資料へ目を向けた。
「特に他の意見がなければ、次に…」
「…最近、冨岡に良くない噂が立っているが」
遮るように言葉を出したのは、伊黒先生。
首元でウネウネする蛇に、また胃が痛くなりそうな気配がする。
伊黒先生と冨岡先生の相性はあまり良くない。
いや、寧ろ最低の最悪だ。
「…何でしょうか」
泣きたくなってきた気持ちを抑えて聞けば、蛇がまたウネウネと動く。
「女子生徒から渡された恋文を竹刀で叩き落した挙句、止めに入った生徒をボコボコにしたと」
何か良くわかんない尾ヒレついてる。
「…伊黒先生、それは何処で?」
「だから噂だ。そこら中で流れている」
「それなら俺も聞いたぜ?」
次に口を開いたのは、宇髄先生。
「何でも女子生徒から貰ったラブレターをビリビリに破った挙句、竹刀でボッコボコにしたって。あと何人かその場にいた生徒もボッコボコにしたんだよな?」
ハヒレに至っては鬼畜過ぎる。

「どうなんだ、冨岡」

伊黒先生の言葉に、教師たちの視線が一気に突き刺さる。
「………」
一点を見つめたまま動かない横顔に、小さく息を吐いて捲っていた資料を戻した。
今現在、マスゲームを行う夢が叶わなかったいう事実に叩きのめされてるのはわかるので出来る事なら私もせめてその傷が癒えるまで放っておいてあげたいとは思う。
でもこういう時、この人が反論しないのは今日が初めてじゃない。
今まで何度か職員会議で注目されている場面に遭遇しているけれど、今みたいに明らかに事実ではない話でも、そうやってすぐだんまりを決め込むものだから、余計に勘違いを生み出していく。
やっぱり昼食を犠牲にしてでも事実確認をしておいて良かったと思った。
お陰で今、この逼迫した場面で胃が鳴ってしまわないか気が気じゃないが。

「この件は、私も報告を受けて、冨岡先生からも既に事情は聞いています。噂については面白おかしく伝わるものですから、今この場で真偽の確認をするのは無意味でしょう」
「…それもそうだな。噂ほど当てにならないものはない」
「そうね。実際にその子の話を聞いたわけではないし」
悲鳴嶼先生と胡蝶先生が同調してくれた事で、空気が一変したのを感じて、心の中でとてつもなく強力な感謝の念を送った。
「それと伊黒先生。今朝生徒を磔にしたの忘れてませんからね?ホントに、お願いですから、今後一切、やめてください」
強めの口調で釘を刺せば
「チッ」
小さく舌打ちが聞こえる。
「噂ではなく、生徒から相談があった場合は私に知らせてください。以上です」
淡々とそう言うと、時計を確認してから続けた。
随分無駄な事に時間を割いてしまった気がする。
「少し長引いてしまいましたね。今日はこれで終わりにしましょう。お疲れ様でした」
軽く頭を下げれば、教師陣はお疲れーと返すと、席を立ったりパソコンに向き直したり、それぞれに動き出す中、資料を見つめたまま動かない冨岡先生。
「…そんなにマスゲームがやりたかったんですか?」
「……」
「…来年は出来るといいですね」
「そうじゃない」
「え?違うんですか。てっきりそれでずっと落ち込んでるのかと思ってました」
「敵対されるのはいつもの事だ。もう慣れている。俺を庇わなくていい」
あぁ、そっちか、と目を反らして資料を片付ける。
「庇ってませんよ。事実を述べただけです」
向けられた視線に気付いたものの、視線は合わせないまま、それを引き出しへしまった。
「冨岡先生が慣れるのは結構ですが、私は慣れていませんしそれに順応するつもりもありません」
沈黙は金、雄弁は銀と言うのなら、私は金じゃなくていい。
ただ黙ったままで不利益を被るくらいなら、最悪刺し違えても戦った方がマシだ。
「職員会議は1人の人間を槍玉に上げて尋問するような場ではないんですよ。それは本来、あってはならない事です」
横目に映る冨岡先生は未だに資料を片手に止まっていて、恐らくこちらの話を半分も聞いていないんだろうと軽く息を吐く。
「大きなお世話だとはわかっていますが、冨岡先生もせめて自分の意思をきちんと伝えた方が良いかと私は思います」
それだけ言って、仕事へ戻る事にした。
作り掛けだったプリントの続きを作成するためマウスを操作しようとした手に重なってきた右手が誰のものか一瞬無駄に考えてしまった。
わざわざ考えなくたってすぐにわかる。右隣に居るのは冨岡先生しか居ない。
迷ってしまったのは、物理的な面じゃなくて、精神的な方。
何故、冨岡先生が私の右手を握っているのかが、全く理解出来なかった。
机が隣同士だから、自分のマウスと間違えたのかと瞬間的に頭へ過ぎったが、その苦し紛れの選択肢も有り得ないのは頭では既にわかっていた。
思考を巡らせていたのは数秒の筈なのに、その隙をついて右耳に近付いた口唇が触れるか触れないかの所

「ずっと、好きだった」

確実に聞こえたその台詞に間髪入れず勢い良く椅子を引いていた。
ぎゃあだのうおおだの奇声を上げなかっただけ自分で偉いと褒めてあげたい。
それでも集まる周りの目に「何でもないです」と付け足してから自分の机へと戻った。
意味がわからない。何を突然宣っているのか。
出来るだけ小声で隣の冨岡先生に訊ねる。
「マスゲームがですか?その気持ちは先程の表情でよくわかりました」
「違う。マスゲームはもうどうでもいい」
「冨岡先生のマスゲームへの愛はそんなものなんですね。じゃあ何ですか何の話してるんですか?誰が何を好きだって?」
「俺が」
「はい」
「苗字を」
「お疲れ様でした」
「途中で会話を終了しようとしないでくれ」
「何なんですか。どういうつもりなんですか。からかってるんですか?」
「どういうつもりも何も、そのままの意味だ。自分の意思を伝えろと言われたからそうしたまでだが」
「私の意図とは余りにも何もかも違い過ぎて理解の範疇を遥かに超えてるんですが。何であの会話からそこに飛ぶんですか。しかもずっとって私と冨岡先生が会ったのってたかが数ヶ月前ですよね?」
「4ヶ月と19日前だ」
「即答出来るの凄いですね。…すみません。だいぶ今…ドン引きしてます」
思ったままを言えば、途端に黙り込むその姿に口に出した事を僅かながら後悔した。



何でそんなに悲しそうなの


(捨て身の冗談じゃないんですか?)
(俺が冗談を言える人間だと思うか?)
(存在自体が冗談だと思います)


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