good boy | ナノ
「苗字先生、おはようございます!」
「竈門くん、おはよう」
寝てる妹をおぶったまま正門をくぐる生徒の姿も、最初は驚いたものの、すぐに慣れた。
堂々とした校則違反は、もはや暗黙の了解となっている。

「そこ!!制服が乱れてる!!」
生徒の頬に竹刀を突き刺す音に、また溜息が出た。
「…冨岡先生。生徒を竹刀で突くのやめてください 」
一瞬、止まったかと思えば、素振りをし始める後ろ姿。
「それもナシです」


good boy



何でこんなのが教師を続けていられるのか、毎日不思議に思う。
昨日も、放課後に鳴った電話で保護者からお叱りをいただいた。
赴任してから毎日最低でも一件は、そんな電話やメールを確認している。
逆に何故今までクビを免れていたのか、もしかして冨岡先生も教育委員会という名の闇の組織の一味なのかと思ったが、それは多分違うと思う。
誰かに媚びを売るとか、長いものに巻かれるとか、そういう言葉から一番遠い所に居るタイプだ。
生徒への暴力行為はその都度、注意はしているのだが、聞いてるんだか聞いてないのかはわからない。
ただ少し、赴任してきた頃よりかは、問題を起こす回数は少なくなってきている気はする。
しかしそれも
「苗字先生ー。伊黒先生が生徒を磔にしてまーす」
今度は別の教師が色々と問題を起こしてくれる訳で、プラマイゼロどころかマイナスなんだけども。

当番制で行っている朝のあいさつ運動を終え、職員室へ戻ると
「…あら、おはようございます」
穏やかで綺麗な笑顔と鉢合わせた。
「…胡蝶先生!おはようございます」
この殺伐とした教師陣の中で、数少ないまともな存在である生物教師・胡蝶カナエ先生。
ほんわかとした雰囲気で、誰もが癒される。
私にとってもこの砂漠のような学校の中で、唯一のオアシスだ。

今日も可愛いなぁ。
余りジロジロ見ていると失礼になるだろうとチラ見程度に留めておくと
「始業前にちょっとお話したいんですけど」
こそっと耳打ちされた瞬間、ふわっと良い匂いがして少し心臓が音を立てる。
シャンプーの匂いかな、と無意識に考えた。

すれ違う生徒達に挨拶を交わしがてら、使われていない学習室へ移動すれば、
「実はちょっと、冨岡先生の事で…」
胡蝶先生は静かに話を始めた。

それは一昨日の事
ある女子生徒が、冨岡先生に手紙…世間一般で言うラブレターを渡したそうだ。
ほぉ、物好きな子もいたものだ。
聞いた瞬間、そう思ったが、その後まぁでも顔は良いからな、と少しは納得もした。
特に年端もいかない学生から見れば寡黙で大人っぽい雰囲気は、それだけで魅力が五割増だろう。
それはまぁどうでも良いとして、問題はそこじゃなくて、その次だった。
その渡されたラブレターを冨岡先生は受け取るでも断るでもなく、あろう事か竹刀で叩き付けたという。

「そういう噂が最近流れていて、私も聞いた話なのだけど、教務主任の苗字先生には報告しといた方がいいと思ったの」

話の内容にそぐわないほわほわした笑顔に、癒しとストレスに同時に殴り掛かられてる気持ちにすらなってくる。

「わかりました。ご報告ありがとうございます。冨岡先生に事情を聞いてみます」
「良かったぁ。苗字先生ならきっと冨岡先生も安心して話してくれると思うわ」
「…胡蝶先生。何か勘違いしてます。そこまで信頼関係はないですよ」
「あら〜?そうかしら?でも冨岡先生、苗字先生の話はとても良く聞いていらっしゃるから」
聞いてる?アレで?嘘でしょ?
ついつい口に出そうになった言葉を飲み込めば
「ちょっと前までは誰にも止められなかったのよ〜」
おっとりとした口調のままの胡蝶先生に、どれだけ前の冨岡先生が酷かったのか想像してしまいそうになる思考を止めた。


* * *

キーンコーンカーンコーン

昼食の時間を知らせるチャイムが鳴ると、冨岡先生は必ず何処かへ姿を消す。
たまに目撃する生徒の話では、いつも一人で昼食を食べているという。
いわゆるぼっちめしというやつなのだろうか。
しかしこれは先程の話を聞くまたとないチャンスだった。
これを逃すと放課後になってしまう挙句、下手すると職員会議で問題に上がる可能性が出てくる。
出てくるのは困る。とてつもなく困る。
せめて事実確認だけはしておかないと確実に面倒くさい事になるのは火を見るより明らかなので、自参した弁当は鞄の中に残したまま、フラッと出ていくその背を追いかけた。

ある程度、距離を保ちながら、何処に行くのだろうと考える。
そして自分は何をやってるのだろうとも。
ストーカー紛いな事までやらなきゃいけない教務主任は楽じゃないなって思い掛けたが、多分普通の主任はこんな事しないんだろうと思うと同時に悲しくなった。

暫くして行き着いたのは、人気がない静かな階段の踊り場。
おもむろに腰を下ろし、パンをかじる後ろ姿を確認する。
何でわざわざこんな所に来てまで昼食を取るのか気にはなったが、とにかく先決問題はそれじゃない。

「…隣、いいですか?」

自分で訊ねておいたくせに返事を聞く前にその横へ座った。
まさか私が来るとは露にも思っていなかった両目が若干見開いていて、驚いている事がわかる。
「…食事中にすみません」
「……」
「ちょっと確認したい事がありまして…」
「……」
こちらに見向きもせずに黙々とパンを食べ続ける横顔に、もう既に心が折れそうになる。
無意識に胡蝶先生のほんわかした笑顔を思い出した。
絶対、胡蝶先生の方が上手く聞けるし解決出来ると思う。

「喋りたくないなら、頷くだけでもいいです」
折れかけた心を前置きする事で強化してから、続ける。
「一昨日、冨岡先生に手紙を渡そうとした女子生徒がいるそうなんですが、ご存知ですか?」
暫しの沈黙の後、僅かに首が縦に動いたのを確認した。
全く話をする気がない訳じゃないのがわかって、ゆっくり続ける。
「…その際に、手紙を竹刀で叩き落したという話が出て来てるのですが、事実ですか?」
「……」
また、その首が縦に動いた。
事実ではある、と確認して何度か頷く。
「わかりました」
あぁ、そうだ。もうひとつだけ訊くのを忘れていた。
「これは念の為の確認なので、気を悪くされたらすみません。先に謝っておきます」
前置きしてから続ける。
「手を出したのは、手紙にだけですか?」
「……」
また頷いたのをこの目で見て
「ありがとうございます。お食事中失礼しました」
会話を終わらせた。

さて、これからどうしようか。
溜め息を吐きそうになるのを堪えながら、考えを巡らせた時
「好きでもない相手に、優しくは出来ない」
静かに呟く横顔に、やっぱり重めな溜め息をひとつ。
「…そうなんですけどね。何も竹刀で叩き落とさなくても他にやり方が…」
「中途半端に期待を持たせる方が残酷だ」
「…わかりますよ。わかりますけど…」
無意識に、自分の膝を抱えていた。
「でも相手にも、気持ちはある訳でして、余り酷い振られ方をするとその子の人生に一生の傷がついてしまう場合があるので出来るのであれば、それはやめてあげて欲しいです」
流れる沈黙の後、何度か瞬きをする冨岡先生。
「……。そうか」
そうして、また遠くを見る。
「…わかった。善処する」
小さく答えた横顔に、苦笑いをしながら
「ぜひよろしくお願いします」
頭を下げた。


意外に素直だったりもする




(いつも此処で食べてるんですか?)
(………)
(…また喋らなくなった)


[ 2/220 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[back]
×