good boy | ナノ
ヤバイ所に赴任してきてしまった。
最近、そう考えない日はない。
堂々と校則違反を犯す兄と、フランスパンを銜えながら日常生活を過ごす妹は、まだいい。
猪に育てられたという、裸足で登校してくる少年もまだいい。
まだ、全然、本当に可愛いくらいだと本気で思う。
教室を爆破する美術教師とか、熱くなりすぎて生徒と闘い始めるという歴史教師も、此処まで来ると、もはやさほど問題ではないような気がしてくる。
いや、問題は問題なんだけど、それより何より…

「…後ろが遅い!!全体責任!!あと100周!!」

ピ──ッ!!という笛と共に竹刀を地面に打ち付ける音が開けっ放しの窓から職員室まで響いて、思わず窓際に立つ。

校庭には、体育教師兼、生活指導の冨岡義勇先生。
そしてそれに服従し、軍隊のように走らされる生徒達。
終業を告げるチャイムが鳴っても繰り返されてるそれに、業を煮やして拡声器を手に取った。
何というか、この光景に慣れてしまった自分も恐ろしい。

「次の授業が始まりますよ〜。今校庭に残っている生徒は全員、教室に戻ってください〜」

そう呼びかければ、生徒達は蜘蛛の子を散らしたかのように一目散で校舎へ入っていく。

「冨岡先生も早く職員室に戻って下さいね〜」

それだけ言うと、拡声器を机に置いた。


good boy


仏頂面で戻ってきた冨岡先生はそのまま静かに私の右隣にある自分の椅子へ座る。
その表情はコロコロとは変わらないが、今現在、恐らく機嫌がいい訳ではなさそうだ。
何か不満があるなら言ってくれれば、私も何かしらのアクションを返せるのだが、無言という事は特に反論はないんだろうという事にしておく。
まぁ反論されたとしても確実にこちらが悪い訳ではないので完膚無きまでに言い負かすが。
先程出来上がった資料を揃えてからそちらへ差し出した。

「冨岡先生、明日職員会議で使う資料です。目を通しておいてください」
「………」
黙って受け取ったのを確認して、また資料作りと向き合う。
と、同時に一応釘を差しておかねば、と言葉を続けた。
「あんまり生徒に無茶ぶりしないでくださいね」
「無茶ぶりはしていない」
「あれが無茶ぶりじゃなければ何だって言うんですか。こんな暑さの中ずっと外に居たら倒れますからね?生徒達も冨岡先生も」
「死にはしない」
「いや、死にます確実に。昨今夏になると必ず耳に入るであろう熱中症という三文字はご存じで?」
「そんなものは気合いが足りてない証拠だ」
「冨岡先生って本当に私と同い年ですか?考え方が昭和の頑固親父レベルなんですけど。どうやって生きてきたらそうなるんですか?」
「……」

黙った横顔にとてつもなく重めな溜め息が出た。
この男、冨岡義勇は、何という時代錯誤の人間なのだろうと、そう思わない時がない。
前提として体罰は日常茶飯事。
常に構えるその竹刀の用途は、生徒を殴るもの。
そんな今時昭和みたいな話あるはずないと思っていたのに、それはこの学園で確実に存在していた。
このキメツ学園において言えば、やべー教師の上位には確実にランクインしている。私の中で。

「そういえば冨岡先生。水分は取りました?」
「……」
「取ってないんですか?」
「そんなに柔じゃない。問題ない」
「そうじゃなくて、取ったのか取ってないのかを訊ねてます」
何故こうも話が通じないのか。
私一応会話のキャッチボールしようとしてるんだけどな。暴投ばっかりされてる気がする。
「……ない」
漸く聞いた答えに、すぐに席を立ち職員室に備えられている小型の冷蔵庫を開ける。
誰の私物か一目でわかるよう、それぞれ苗字がふられた飲み物の中から今日の朝『苗字』と記入した500mlのスポーツ飲料水を手に取った。
「どうぞ」
「……」
「大丈夫です。まだ開けてないので」
冷え切ったそれを大人しく受け取る冨岡先生に、また自分の椅子へ座り直した。
それを飲み始めたのを確認してから、資料をホチキスで止めていく。

あぁ、明日は会議か…。
キリキリと痛みが襲ってくる予感がして、ついつい右手でお腹を押さえる。
このキメツ学園に赴任してから4ヶ月になるが、本気で転職しようかと思い初めていたりする。

異動前は普通に、本当に普通に、たまに担任を受け持つ国語教師だった。
教師という立場上、それなりの責任は勿論あったけど、でもそれは今ほどじゃない。
今現在、私が此処で任されてる役職は、教務主任。
ものすごく平たく言えば、教師全体を纏める役。
本来ならそれなりに教師として経験と実績を積み上げないと選ばれない役職だ。
それが何だってこんな若造の私に回ってきたかって、同僚の男性教師、もとい元恋人が生徒同士の虐めを黙認していた事を知った私が教務主任も教頭も校長すら飛び越えて、教育委員会に報告した事が全ての元凶。
今でこそ思うとそこが運の尽きだった。
元恋人の父親は教育委員会の重鎮で、更には校長すらその息が掛かったそちら側の人間だった。
そこからはもう絵に描いたような転落人生。
目に見えてわかる談合によって、私は体良く年度末の異動という形でこの問題だらけのキメツ学園へ島流しにされた。
恋人も教師としての将来も失った私に、ご丁寧に教務主任と名をつけてくれたのは、追い込まれ依願退職させるため。
思い出したくない顔を思い出して、とうとう胃が痛み出した。
あちらのご期待通りに僅か数ヶ月で体調を崩し始めている自分のバカ正直な身体にも腹が立つ。
あとで珠世先生に胃薬があるかどうか訪ねてみよう。

「…腹でも壊したのか?」

突然の質問に、一瞬意味がわからなかったが、さすっていた右手を戻した。
「いえ、ちょっと現代のストレス社会に負けそうになってるだけです」
どうにか資料部数を確認し始めた所で、スっと横から渡されたペットボトル。
半分ほど残ってるそれに視線を向けた。
「…何ですか?」
「飲めば治るんじゃないかと」
「絶対治らないんで結構です大丈夫です」
「 そうか。じゃあ返す」
「じゃあの意味も理解不能ですし、返されても正直困るので差しあげますよ」
「全部貰っていいのか…」
「何でそこで驚くんですか」

何というか、この人は変な所が真面目で律儀な気がする。

「先生ー!高等部の教室で喧嘩が起きてまーす!」

間髪入れずに立ち上がる冨岡先生の手には相変わらずの竹刀。
「冨岡先生」
「喧嘩の仲裁に行くだけだ」
「竹刀必要ないですよね?」
「……」
「この間も喧嘩両成敗とか言って、止めに入ってた生徒まで間違えて殴ってませんでしたっけ?」
あの後殴られた生徒の親御さんが乗り込んできて色々大変だったんだからな、と視線だけで圧を掛ける。
それが功を奏したのか、冨岡先生は持っていた竹刀を離すと、机に立て掛けてから職員室を出て行く。
その後ろ姿に「あ」と声を上げると
「素手でも殴っちゃダメですからね〜?」
聞こえるように呼び掛けた。

数分後に職員室へ顔を出したのは、先程とはまた違う生徒。

「苗字先生ー!冨岡先生が!」
「…どうしたの?」
やっぱりやらかしたか、と席を立つ私は
「生徒にめっちゃ寝技決めてますー!!」
やや斜め上な報告を受けた。


超絶暴力スパルタ教師


(何してるんですか!冨岡先生!)
(殴らなければいいと…)
(そういう意味じゃないです!)


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