道を探すのではなく作れば良い さっき冨岡先生に言われた言葉が脳で反復され続けてる。 作れば良い、と簡単に言ったって何の指針もないまま作るなんて出来る筈がない。 あぁ、そうやって自分の限界を決めるのも駄目だって言ってたっけ。 思い込みと開き直りが武器になると言う真意は、心を強く持てという事なんだというのは何となく心に落とし込んだ。 本気で狂う訳ではなく、相手と対等、もしくは優位に立っているという虚勢を張る、という意味合いなのも理解は出来る。 じゃあ、その肝心の道は、何なのだろう? エンターキーを押した所で傍らに置いてあったスマホの画面が通知を告げたのを一瞬手を止めて一瞥する。 左手でそれを開いたと同時、勝手に眉間へと皺が刻まれた。 "今日、会えないかな?" 一体何の用があるというのか。 その疑問に答えるように "久し振りに一緒に飯食べたいなって。それだけだよ" 続くメッセージに息を止めた。 既読が付いた後の僅かな時間で私が考察していたのを見ているかのように送ってくるのがまた腹立たしい。 嫌だと突っぱねるべきなのか、それともやんわりと嘘を吐いて断るべきなのか。 誘いに乗るという選択肢は選びたくない。 でもそしたら… 悪循環だ。とてつもなく救いようのない負の連鎖。 こうやってずっと選択肢を探し続けなければならないのか。 そう考えると気が遠くなりそうになる。 また通知を告げるLINEに今度は別のトーク画面を開いた。 "苗字先生、今日学校終わったらそっちに遊びに行っていいですか?" その言葉に寄っていた眉が自然と弛んでいくのを感じる。 すぐにそれを両手に取ると返信を打った。 勿論イエスという趣旨の内容で。 そうして先程の画面に戻るとすぐに文字を打つ。 "すみません。今日はあいにく先客が入っています" それだけを返した。 good boy 「お先に失礼します」 早々に荷物を纏めた私に不死川先生は驚いたように目を見開くも 「おぅ、お疲れ」 一言だけ答えるとすぐに自分のデスクへ向かい直す。 きっと、お前が残業していかないなんて珍しいな、と言いたかったのだろうけど、訊いても私が素直に答えないだろうとも考えたのだろう。 上着を取った私の右横が同じ行動をしていて、これは不味いと瞬時に過ぎる。 これで一緒に帰ろうなどとごねられた日には非常に面倒くさい。 いや、でも冨岡先生には彼の事は話してあるしそこまで問題でもないか、と思うも、ついて来ようとする可能性も、と考えた所で 「名前も帰るのか?」 その両目とかち合った。 「…はい。お疲れ様です」 「もう陽が暮れてる。帰り道には十分気を付けろ」 それだけ言うと職員室を後にする背中を黙って見送るしかない。 やけにあっさりとした去り際に拍子抜けしたが、此処でボーッとしている訳にもいかないと我に返り職員玄関へ向かった。 この間も聞いた鈴の音を耳に入れながら、引く、と書かれた扉を文字通り開く。 「いらっしゃいませ〜何名様ですか?」 その質問に店内を見回してからその姿を目に止めた。 「連れの者が先に来店しています」 「かしこまりました。どうぞ〜」 促された五本指に軽く会釈をしてから真っ直ぐそちらへ向かう。 「…ごめんね。遅くなりました」 私を視界に入れた瞬間、その表情が柔らかくなるのを感じた。 「俺もさっき来たばかりなんで!気にしないでください」 「何か頼んだ?」 「いえ、先生が来てからの方が良いかなって思って…」 「先に頼んでて良かったのに」 苦笑いをしながら席に座るとメニューを差し出す。 「お腹空いてる?」 「はい、減らせてきました!」 その言葉に思わず小さく笑ってしまった。 2人分のハンバーグの洋食セットと飲み物を頼んでから、メニューをアクリル製のスタンドへとしまう。 「いきなりLINEしちゃって…あの、忙しくなかったですか?」 「大丈夫。何の予定もなかったので嬉しかったです」 あぁ、また敬語になってしまうな、と心の中だけで思う。 しかし彼はそれに関しては気にしない事にしたのか触れないままで微笑った。 「よかった…」 「あ、でも親御さんに許可は取った?」 いくら教師と会うと言えど夕方のこんな時間に中学生が出歩いているのは余り褒められたものじゃない。 「それはちゃんと伝えてあります。苗字先生とご飯食べて来るって。帰りも母に駅まで迎えに来てもらうんで大丈夫です!」 その言葉に息を止めてしまった。 「……私と会う事、お母さんが許してくれたの?」 「はい!」 「何でうちの子がこんな目に遭わなきゃいけないんですか!?」 鮮明に蘇る記憶に心臓が痛くなる。 「…ゲーム友達、のお家もこの辺なんでしたっけ?」 「……。え?あぁ!はい、そうです!」 「同年代の子?もしかしたらキメツ学園の生徒かも知れません」 「…あ、俺よりか結構?歳上だったかな?あんまりそういうの詳しく訊いてなくて…」 「そう。大人も多いんですね。同僚にもやってる人が居ますよ」 あの2人の顔を思い出してから、そういえば、道とはなんなのだろうか、と無意識に考えてから彼の顔を見て閃きに近いものを得る。 あちらが過去を武器にするのなら、こちらも過去の事実を突き付ければ良いのではないか、と。 冨岡先生は私と彼が再会した事も知っている。 もしかして、道を作るとはこの事を指していたのかも知れない。 だけど目の前のこの子を今の問題に巻き込むのは出来ない。 協力して欲しいなんて口が裂けても言えないし、そんな事をするくらいならあの人の要求を呑む道を選ぶ。 彼に何一つ負担を掛けず、あの人を追い詰める道。 心を強く持ち、虚勢を張る事で開かれる道…。 「苗字先生…?」 「…あ、すみません。考え事をしていました」 「何かあったんですか…?」 「ううん、何もない、の。気にしないで」 今その事を考えるのはやめよう。 私のせいで彼を不安にさせちゃ駄目だ。 「お待たせしました〜。ハンバーグセットです」 タイミング良く来てくれた給仕に 「食べましょうか」 そう言って手を合わせた。 「お済みのお皿、お下げしてよろしいですか?」 私達の席を横切った際に空いた皿に気付いたのだろう。 立ち止まるその姿に 「お願いします」 答えてから会釈をすれば、彼もそれに誘われるように頭を小さく下げた。 「食後のデザート食べる?」 メニューを取るも 「あ!大丈夫、です!」 慌てて両手を振る姿に静かに戻す。 周りの喧騒の中、落ちた沈黙の間を保つようにコーラを飲む彼につられコーヒーを一口運んだ。 これを飲み終わったら彼を駅まで送っていこう。 そう決めてカップをソーサーに置く。 許可を得ているとは言え、余り長い時間未成年の子供が出歩くのは親御さんの気を揉ませてしまう。 「あの、苗字先生…」 何ですか?と出そうとした声は、いつか見た思い詰めた表情と重なって完全に口から出てこなくなってしまった。 「…俺、ずっと言おうと思ってた事があるんです」 決意をしたような瞳が真っ直ぐ私を捉えて、テーブルの下、隠した掌が汗ばんでいるのに気付いて硬く握る。 あの時の核心へ触れようとしているのは彼の表情で窺えた。 何を、例え何を言われても受け入れる。 気付かれないよう深く息を吸って吐いた。 「あの時は…」 あぁ、でも出来る事なら、聞きたくない。 そうも思ってしまう。 逃げ出したくなってしまう気持ちをグッと口唇を噛んで耐えた。 「あの時…、助けようとしてくれてありがとうございました!」 立ち上がると勢い良く頭を下げながら一息で言う姿を見つめたまま一瞬何が起きたのか把握するのが難しい程、完全に思考を止めてしまう。 周りの視線を感じたのかすぐに座り直すと縮こまりながらも 「俺、苗字先生が居てくれたからこうやって今、生きていけてます」 その言葉に口唇を噛み締めていた力が抜けていくのを感じた。 「お礼を言われる立場にはないと自覚しています。私には何も出来ませんでした」 「それでも俺…!苗字先生が味方になってくれて嬉しかったんです!それだけで!嬉しかったんです!俺苗字先生の事恨んでなんかいません!これだけはほんとに!本当です!」 必死に訴える瞳から逃げるように半分程残ったコーヒーを見つめるしか出来ない。 私が黙り込んでしまった事で彼も言葉を止めたのが気配から窺えた。 何か返さなきゃいけないのはわかってる。 でも、何て答えたら良い? 何も思い付かない上に、情けない事に今彼の顔を直視したら涙が溢れてきてしまいそうで顔を上げられない。 「…それと、俺、先生に嘘吐いてました」 反射的に寄せた眉も、下げている頭で彼は気付いていない。 しかし差し出されたボイスレコーダーを視界に入れた事で、上げざるを得なかった。 「…これ」 「覚えてますか?俺に持たせてくれたの」 「…まだ、持ってたの?」 それは教育委員会の父親に直訴した次の日、あの人に呼ばれた彼へせめてもの武器として持たせたもの。 でもそれは何の意味を為さなかった。 「ごめんなさい、録音、出来てなかったです…」 彼が泣きそうな顔でそう言ったからだ。 「俺、嘘吐きました…。本当はこれ、俺と担任…あいつの声が入ってるんです。俺の訴えをなかった事にしたのも、教育委員会が揉み消そうとしたのも、全部録音されてます」 今度こそ寄った眉を隠す事が出来なかった。 「どうしてあの時それを出さなかったの?」 噤んでしまう口に若干強くなってしまった口調を後悔する。 「責めてる訳じゃないのよ。でもこれがあれば…」 徐々に曇っていく表情に続く言葉を止めた。 「…その音声を聴かせて貰っても良い?」 代わりに提案をすれば黙ったまま差し出されるイヤホンを受け取る。 「…ありがとう。お借りします」 右耳にそれを差し込むと再生ボタンを押した。 ザザッ… ノイズの後に聴こえるのは 「苗字先生に相談したんだって?」 穏やかなあの人の声から始まっている。 「俺と付き合ってるの知ってて言ったの?」 「…それは、噂で知ってました。でも苗字先生は…!」 「俺とは違って自分の事を助けてくれる、そう思ったんでしょ?それは正解だと思うよ。間違ってない」 小さく聴こえる笑い声に思わず目を硬く瞑った。 「でも苗字先生は選択肢を大きく間違えた。この件は何も、最初から問題など起きてなかった。そうなるよ。残念だけど」 「…どういう事…、ですか?」 「いち生徒より恋人が大事だったって事だよ。俺の親父にだけ報告してくれたお陰でイジメがあった事実も俺が黙認した結果も綺麗に揉み消せる」 「……それでも!苗字先生は!」 「自分の味方で居てくれる。それで苗字先生がどうなるのかわかってて言ってる?」 「どうなるんですか…?」 「君のせいで教師でいられなくなる」 いつかの吐き気に近いものが込み上げてきて、つい口元を手で覆いそうになったけれど目の前の存在が気負ってしまわないよう腹部を押さえるだけで留めた。 「…苗字先生の事、好きなんじゃないんですか?」 「好きだよ?頭の回転の良さは今まで出会った誰よりも一番なのに、感情に流されやすいのが何より面白い」 「じゃあ何で…!」 「何でってそれ訊いて君、納得出来る程論理的に考えられる?…まぁいいや。それは俺に楯突いたから。俺に逆らうなら名前も要らない」 その言葉に、あぁ、だから彼はこれを聴かせるのを躊躇ったのだと知った。 私が傷付かないように。 「彼女は俺の隠蔽に手を貸してるようなものなんだよ?この事を公にすれば、君の大好きな苗字先生が教師で居られなくなる。覚えておいてね」 そこからはノイズと共に物音がした後ブツリと切れていた。 イヤホンを外す右手と同時、彼が静かに口を開く。 「本当は迷って…ずっと、言わないでおこうとしました」 「だからあの時、録音出来てないと、嘘を吐いたのね…」 「ごめんなさい!」 「私の方こそすみません。貴方を脅す可能性を考慮していませんでした」 青ざめた表情は、証拠を取れなかったの悔いではなく、自分のせいで私が教職を追われるという恐怖だった。 「苗字先生は悪くないです!」 「…どうして今、これを私に聴かせようと思ったんですか?」 「先生、あの時と同じ顔してるから…。本当はまた、あいつと何かあったんじゃないですか!?」 ボイスレコーダーを見つめ何て答えようと迷う。 正直これは、とても強力な武器になる。 寧ろもうこれにしか縋れない。 だけど、それは… 「もし俺のためとか思ってるならやめてください。苗字先生の力になりたいんです!」 上げた視線の先、嘘偽りのない両目に捉えられて、またテーブルの下で両手を握る。 「…実は今、同僚の進退についてあの人と争っています」 「だ、大丈夫なんですか!?」 「正直言うとかなりの劣勢です。貴方も知っての通り、頭の回転だけは早い人なので」 「だったら!だったらこれ!」 慌てて人差し指で示したのはレコーダー。 「使ってください!何かの役に立つなら!」 正直に言えば、その言葉を何処かで期待していた。 「…お言葉に甘えてお借りしても良いですか?絶対にご迷惑はかけないようにします」 「迷惑とか考えないでください!もう一度あいつに会わなきゃいけないってなっても俺先生のためなら「そんな事はしないでください」」 私は、この子のために何もしてあげられなかった。 それでも私のお陰だと笑顔を見せてくれるなら、許してくれるなら、すべきなのはもう贖罪じゃない。 「わざわざ苦しんだ過去を蒸し返すような事はさせません。私は、貴方には誰よりも幸せで在って欲しいと願っています」 「……先生…俺のために」 「いいえ」 取り返しのつかない過ちを犯した。 もう過去は戻らないけど、戻らないから、これからの幸せを願い、そして守る。 「私のためです」 小さく微笑んだ私に、彼は安心したように無邪気な笑顔を見せた。 もう一度立ち上がれ (やっぱりデザート食べない?) (あ、食べたいです!) (メニューどうぞ) [ 40/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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