good boy | ナノ
文化祭が無事終了し、通常授業に戻ったその日の放課後、パソコンの画面を見ながらマウスを動かした。
「…すごくたくさん撮ってきてくれたんですね」
若干の驚きから見開いた目を左隣へ向ける。
そこにはパイプ椅子へ腰掛ける我妻くんの姿。
「苗字先生の力になれると思ったらそりゃ張り切りますよ!」
無邪気な笑顔からまた画面を移す。
「ありがとう。助かります」
「あ、それで先生に相談しようと思ってたんですけど…」
「何でしょう?」
「広報誌の写真、どれにしようか迷ってるんです」
「それは委員の子達に任せるべきでしょう。本来この写真も我妻くんの仕事ではないし、昨日あの子達にはそれとなく注意はしておいたので、もう押し付けたりはしないかと」
「あ、いや、それはそうなんですけど…。訊いたら折角俺が撮ったんだから俺の好きなようにして良いって言われて…何かちょっと嬉しくて…引き受けちゃったんですよね…」
バツが悪そうながらもへへっと笑うその表情で、何故この子が色んな事を任されるのかがわかった気がする。
「でも俺だけじゃ全然決まらなくて…苗字先生なら的確なアドバイスくれるかなって思ったんです」
「…そういう事ですか。広報についてのアドバイスならいくつか出来るとは思います。それが的確かどうか断言は出来ませんが」
「いや!絶対苗字先生、すっごい良いアドバイスくれますって!よろしくお願いします!」
「期待に添えるよう努力はします。では、その広報誌の写真から選んでいきましょうか」
「はい!」
嬉々として画面を見つめる横顔を視界に入れつつ、マウスを動かした。


good boy


我妻くんの写真の腕はなかなかのもので、これは確かにどれを選択するか迷うなと納得しながらも何点か候補へ上げていく。
「これなんかも良いんじゃないですか?キメツ学園らしいと思いますよ」
「先輩達のライブですか?」
「えぇ。聞いてはいたけれど、こんなに盛り上がってたんですね」
写真からでも伝わってくる熱狂はバンドそのものの存在と、やはり我妻くんのセンスからくるものなのだろう。
「大胆に大きめのレイアウトにすれば目を引くかも知れません」
「確かに!そうします!」
画面をスクロールしながら、ちょこちょこ挟まれていく竈門くんの妹、禰豆子さんの写真が若干気にはなったがそこは触れないでおく。
それより何より今気になるのは…

「…すみません。さっきから横で圧かけてくるのやめてもらえませんか?」

耐え切れなくなってそう口にした私の右、椅子の背もたれを肘掛けにし、更にその腕に顎を乗せじっとこちらを睨む存在。
「…圧などかけていない」
そう言いながらも不機嫌そうな仏頂面はそのままだ。
「じゃあ何でこっち向いてるんですか。椅子も反対ですよ。ご自分のデスクへ向かって与えられた仕事をしてください」
別に何かした訳ではないのに私を通してかけられ続ける圧力に我妻くんの表情が徐々に引き攣ってきている。
今でこそ竹刀はほぼ飾りになっているが赴任したての頃は我妻くんが犠牲になっていたのを良く目撃したものだ。
「広報誌というものがどうやって作られているか気になったのでお前と我妻の会話を聞いている。邪魔はしていない」
それ絶対嘘ですよね、というのは我妻くんの手前口に出来ない。
そういう事にしておかないと困るのが私自身というのは良くわかっているからだ。
随分上手い言い訳を使うようになったもので…。
「気になるのでしたら冨岡先生もご意見を述べてみてはどうですか?こういうものは黙って見ているより参加した方が理解がより深まりますよ」
絶対に興味がないだろうと遠回しに追い払うため出した台詞。
一瞬考えるように止まったかと思えばすぐに椅子を戻し私の隣へ寄ってきた。
先程とは違う圧が強い上に物理的な距離が近い。
眉を寄せながらわかりやすく反対側に引いてもこの人がそんな事に気が付く訳もないし、気付いたとしても距離を取るという気遣いもないのはもう骨身に染みている。
人前、特に生徒の前で私がはっきりと拒絶する言葉を言えない事を学習したのか、こうして何も知らない周りからは自然に見えるギリギリの線を攻めてくるようになった。
早々に何か対策を考えないと大事な局面に立った時、主導権があちらに握られたままになってしまう。

「我妻くん。冨岡先生も協力してくれるらしいから一緒に良いですか?」
「…え?あ、はい。俺は大丈夫です」
我妻くんにかけられていた圧が消えた所で、怯えた表情が穏やかになったのは良い事だが。
画面をじっと見つめる群青の目を視界の端に入れながらスクロールしていく。
「動きのある写真は十分候補に上がったので、次は"静"の方を選んでみましょうか?」
「せい…って、え?何ですか?」
「静かという意味の"静"です。静と動の緩急があると人は自然と心を動かされやすいんですよ。例えばさっき選んだライブの写真と…」
わかりやすくそのメンバーである生徒達がステージ裏で寛いでる所を選んだ。
「例えばこの二枚を敢えて一緒に載せる事で静と動が完成します。この例は極論過ぎですが、そういった手法を使う事で読み手に親近感と好意を持たせる事が出来ます」
「ギャップ萌えというやつか」
冨岡先生の言葉に寄せそうになった眉は上げるだけで我慢する。
それとはまた少し違うんだけども。
「そうですね。まぁ平たく言えばそうです。わかりますか?」
「わかりますわかります!禰豆子ちゃんがフランスパンを咥えてる時と咥えてない時みたいな感じですよね!?」
「……。多分…そういう事です」
あの子がフランスパンを咥えてない所を見た事がないけれども、そこに関してはやはり触れないでおく。
「それを見た人が和むような、良い意味で緊張感が抜けた感じの写真をいくつか探してみましょう」
「はい」
またそれをスクロールしていくと突然冨岡先生の右手が勢い良く私の手を掴んだ。
「…どうしたんですか?」
雰囲気から察するにそれは意図的ではなく反射的なもの。
「…我妻。これは何だ」
珍しく動揺したように瞳孔が開いている横顔から画面へ戻した。
「…何がですか…?」
強い口調から怒られるのではないかと思っているのか眉を下げる我妻くんにも、私の右手を掴んでいるのにも構わずそれを動かすと左クリックを押した。
一体何だと言うのか。
「…とみ」
名前を呼び終わる前に止めたのは、画面に出てきた一枚の写真のせいだ。
「あ、これですか?たまたま通りかかったんですよ」
そこに写るのは向き合いながら三色団子を食べようとしている冨岡先生と私。
いつの間に撮られていたのだろう。全く気が付かなかった。
「苗字先生めちゃくちゃ楽しそうですよね!良くないですか?俺結構気に入ってるんです!」
「…、……」
肯定をしなければならないのに言葉に詰まってしまった声を掻き消すように
「我妻ァ!!」
「ひいぃぃ!!な、何ですか!?」
2人の声が飛んだのを、意識の外で聞いた。
「良くやった!これを壁一面に飾れる程に引き延ばしてこい!」
「は!?引き延ばしてもいいとこA4サイズが限界ですよ!?」
「ならそれで勘弁してやる。とにかく現像して俺の所へ持ってこい」
「…わかりました」
「グズグズしてないでさっさと行け!」
「え!?今からですか!?」
「今以外の選択肢があるとでも思ったか?」
また無茶ぶりを始める姿に我に返り眉を寄せるしかない。
「…冨岡先生」
「何だ」
「今は広報誌の写真を選んでる所ですよ。邪魔をするなら隣のデスクへお帰りください。あとその手を退けてください」
「………」
大人しく引いた手と同時、一面に出ていた写真を閉じる。
「…ここら辺なんかお勧めですが、我妻くんはどれが良いと思います?」
そうして写真選びを再開させた。

* * *

「ありがとうございました」と職員室を後にする我妻くんを見送ってから、キメツ学園のホームページを更新しようと立ち上げる。
広報の写真を選んだ後、使う事のなかった写真から何枚か抜粋しUSBに移して貰ったものを、撮影:我妻善逸と注釈をつけてからそれを貼り付けていく。
「いい加減ご自分の席に戻られたらどうですか」
写真を選び終えた我妻くんに間髪入れず写真を持ってくるよう圧をかけていた姿は大人しくなったものの、未だ詰め続ける距離に呆れた声でそう言えば
「ホームページはそうやって更新するのか」
尤もらしい台詞を吐くので更に眉が寄ってしまう。
「それほど仕事熱心なら教えますから私の代わりにやっていただけます?そうしたら負担が減ってとても助かるんですけど」
「俺には無理だ」
「それなら離れてください。やる気もないのに仕事を自己弁護に使って近付こうとしないでくれませんか」
冨岡先生に悪気はないのはわかってる。
わかっているからこそ敢えて苦言を呈したのは、流石にこうもずっと纏わりつかれると作業に支障が出るためだ。
しかしそれも
「不快に思わせたのなら悪かった。名前の仕事を邪魔したい訳じゃない。どんな事をしているのか知りたかっただけだ。ついでに言えば無理だと答えたのはやる気云々の話じゃなく仕事面の多能さでお前には敵わないという意味だ」
眉を下げる横顔に溜め息を吐いて項垂れたい衝動に駆られた。
代わりに心の中でそうしてからマウスを動かす。
「知っても面白くないと思いますけど」
「名前の事で面白くない事など1つもない」
「…そうですか」
不備がないかもう一度確認してから更新するためのボタンをクリックすると同時
「此処でも立ちはだかるか…」
小さく呟いた声を聞いた。
「…立ちはだかるって、何がですか?」
沸いた疑問に右隣へ視線を向ければ一瞬ではあるがハッとした表情をしたもののすぐにいつもの真顔へ戻っていく。
「…日誌を書くのを忘れていた」
あっさり自分のデスクへ帰っていく姿に眉を寄せたが漸く仕事をする気になったのに水を差すのは良くないだろうと判断し、画面へ視線を戻した。


「失礼しまーす…」
先程見送ったばかりの声が聞こえたのはその約15分後。
「…我妻くん。忘れ物ですか?」
「写真部の部室借りれたんで現像してきました。…冨岡先生は?」
そう言うと空っぽになったデスクに視線を落とす。
「見回りに行きました。本当に現像してきたんですか?そのまま知らん顔で帰宅して良かったのに」
「いや、そんな事したら絶対明日すっごい怒られるんで…。これ渡しといて貰えますか?」
律儀にA4サイズになっている写真を差し出す右手に少し迷ったものの
「わかりました」
短く答え受け取った。
視線を落とす私に我妻くんの声が続く。
「あと、これも」
もう一度顔を上げればそこには通常サイズの同じ写真があった。
「良かったら苗字先生も貰ってください」
「…ありがとう。良く、撮れてますね」
ぎこちなくなってしまった言葉も、我妻くんは嬉しそうに笑顔を見せた後、職員室を後にした。

引き延ばされた写真は隣のデスクへ裏返しに置き、先程自分に渡された写真をただ眺める。
本当に、良く撮れていると思う。
これが冨岡先生の手に渡るのは癪ではあるが、我妻くんが撮ってくれた写真を捨てるなんて選択肢は選べないし、なかった事にしてこっそり持ち帰った所で明日の我妻くんが犠牲になる。
彼の気持ちを考えると、データ自体を消してくれ、なんて流石に口が裂けても言えなかった。
日誌を書いたかと思えばすぐに見回りへ向かった冨岡先生が戻った時、きっとこれを見たらわかりやすく喜ぶのだろう。
「ほんと、楽しそうね…。私…」
小さく呟いて、すぐにそれを一番上の引き出しにしまう。
口唇を硬く結ぶと家庭に配布する書類を作るためマウスへ手を乗せた。


なんて表情してるの


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