good boy | ナノ
ピロン。

短くも耳につく通知音に浅くなっていた眠りから目を覚ます。
間髪入れず立て続けに鳴るそれにまだ覚醒していない頭のままスマホを手に取り画面を確認した。
時刻は朝6時と17分。
寝起き特有のだるさも手伝って出来る眉間の皺は、LINEを開いた所でまたもや深くなる。

"好きだ"
"愛してる"
"何してる?"
"まだ寝てるのか?"
"朝だ"
"名前"
"好きだ"
"今日は休みか?"
"愛してる"

あぁ、そうだ、すっかり忘れてた。
そのまま人差し指でブロックボタンを押してから枕元に投げ捨て、もう一度眠りに就いた。


good boy


次に覚醒したのは9時を迎えた頃。
久々に不快なアラーム音から解放された朝の多幸感からベッドから離れがたくそのままスマホを操作するも、127という数字に目を細める。
『キメツ学園』のグループLINE。
文化祭後でも頻繁に鳴り響くため完全に通知を切っていたが、もう退会しても良い頃合いだと思う。
念のためそれを開けば
"名前からの既読がつかない"
冨岡先生の言葉から始まっていた。
それが送られたのが6時23分。時間的に私がブロックした後だった。
それに遅れる事約1時間、続くは不死川先生の
"お前それ、ブロックされてんじゃねぇの?"
とてつもなく的確な指摘。
そこからはほぼ冨岡先生の一人語りというか、とにかく先程個人LINEに来たのと同じ内容が恨み辛みの如く続いている。
時々挟むのは
"そうか!冨岡先生は苗字先生にホの字なのか!"
煉獄先生の言葉と
"冨岡、うるさい"
伊黒先生の一言。
ふと
"お前ら付き合ってんだろ?この間抱き合ってたもんな"
宇髄先生の言葉に寝ぼけたままだった頭が瞬時に冴えわたった。
"あら、そうなの?"
"そうだ"
胡蝶先生の可愛らしい絵文字と冨岡先生の堂々とした妄言に溜め息が出る。
そうなの?、でもないし、そうだ、でもない。
宇髄先生がいつ何処でそれを目撃したのか、おおよその検討すらつかないのもとてつもなく恨めしい。
恐らく今まで見守っていたであろう悲鳴嶼先生の
"それはめでたい事だ"
その一言で頭を抱えた。
言葉の応酬はまだ続いているけれどとてもじゃないが確認する気にもならない。
たった数時間眠っていただけでどうしてそうなったのか。
確実に周り全部が敵になりつつある。
このままでは四面楚歌で冨岡先生との攻防を続けなければならなくなってしまう。
あれだけの変人達を敵に回すのはどう転んでも形勢的に不利だ。
とにもかくにも否定をしなければと画面をタップしたと同時、また現れるメッセージ。
"2人の結婚式で行う余興も決めなくてはいけないな!"
煉獄先生のそれに能面になるしかなかった。

"冨岡先生とは付き合ってもないですし結婚する予定も一切ないです。これからも有り得ません。文化祭ではお世話になりました。それでは失礼します。さようなら"

送るだけ送ってから退会ボタンを押す。

こんな事になるならその日のうちにさっさと抜けておけば良かった。
いや、寝ぼけた勢いで冨岡先生をブロックしなければ良かったのか。
既読だけつけて放置だけしておけば此処まで大々的に周りに知らされる事はなかったかも知れない。
それももう結果論に過ぎないけれど。
もう一度眠りに就く気持ちにもなれず、顔を洗おうとベッドから抜け出した。


「………」
スマホを見つめたまま、前世の業とやらは何処に行ったら払えるのか割と本気で考えていた。
前世と決めつけたのは今世でそこまで犬に対して酷い業を詰んだ記憶がないからだ。
今のこの状態は完璧に悪業だし、お犬様の呪いとしか思えない。

グループへ招待してくる煉獄先生の通知に、もはや何度目かわからない拒否ボタンを押す。
個人LINEで"冨岡先生がずっと呼んでいる!答えてあげて欲しい!"とわざわざ送ってくる辺り、善意しかないんだろう。
それだけならまだしもグループを抜けたというのに今度は個人の通知が鳴り止まない。
"お前が抜けたせいで冨岡が余計にうるさい。今すぐ戻れ"
短い文章にすら圧を感じる伊黒先生に続くのは
"お前の気持ちもわからなくもないけど、せめてグループか個人、どっちかで連絡取れるようにしといた方が良いと思うぞ?"
不死川先生の冷静な文章。
"お前、冨岡と付き合ってなかったのか?"
宇髄先生のそれは無視することにして
唯一
"苗字先生、大丈夫?"
胡蝶先生からのメッセージだけが救いだ。

もうこうなったらアカウント自体作り直せばいいんじゃないかと考えた所にまた新しく通知を告げる。
悲鳴嶼先生だ。

"個人的に冨岡先生から詳しく聞いた。話したい事があったらしい。苗字先生に少しでも聞いても良いという気持ちがあるならば、連絡してあげて欲しい"
そして続くのは
"今回の事は悪ふざけが過ぎていると注意をした。止められなかった私の責任だ。すまなかった"
文章からでも伝わる誠意に満ちた言葉。
顔は見えずとも、きっと気にしているのだろう。

"冨岡先生の件につきましては承知しました。ありがとうございます。こちらこそ悲鳴嶼先生にはご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ないと思っています。すみません"

すぐにそう返信したところで、また煉獄先生から来た招待に迷いながらも参加を押した。
そうして戻ると冨岡先生のブロックを解除する。
"悲鳴嶼先生から聞きました。用件とは?"
短く訊ねる文を送ればすぐに既読がついた。
しかしそのまま数分待っても来る事がない返信に、もう後で良いかと判断し朝食を食べようと台所へ向かう。
色んな意味で気力が殺がれたせいで軽く済ませようとすぐに食べられるものはないかと冷蔵庫を覗くも何かしら行程を加えないといけないものばかりで息を吐いた。
起きた早々精神的に疲れたせいで、正直何もしたくない。
別に一食くらい抜いたって良いかと冷蔵庫を閉めた瞬間、ピロンと通知が鳴る。

既に12件通知が溜まっていたが、それは今しがた参加したグループLINEの方。
音を立てたのは
"借りていたファイルを返したい"
その一言だった。

あぁ、と納得したと同時、何故それを一番最初に言わないのかという呆れも混じる。


それは我妻くんが写真を渡し去っていった10分後の事。

出来上がったばかりの書面を悲鳴嶼先生に校閲してもらっていた私が自分の席に戻った時には既に置かれていた写真を眺めていた。
校閲箇所を直してから家庭数分プリントしようと印刷機へ向かおうとする私に「これもコピーしてくれ。全部の部屋と玄関に貼って眺めたい」と持っていた写真を渡そうとしてきたため、あまりふざけた事言ってると取り上げますよ、とそんな類の言葉を返した気がする。
大人しく身を引いた冨岡先生の横顔で気付いたのは、それをどうやって持ち帰るのかという事。
冨岡先生がこれまで学校に鞄という代物を持ってきた記憶は一切ない。
浮かんだ疑問をそのままぶつければ、案の定「手で持って帰るが?」と何故か私の方が訝しがられ、そんなものを無防備に世間の目に晒されてたまるかと使っていたファイルを渡したのが発端だった。
胡蝶だ、という冨岡先生にカナ子ちゃんですと、そんな会話をしたのを思い出す。

次に音を立てた通知。
"今渡しに行ってもいいか?"
一瞬にして眉を寄せる。
"月曜学校で会った時で大丈夫です"
どうせ学校で嫌でも顔を合わせる事になるのにわざわざそのためだけに家に向かい入れる必要性は感じない。
しかしそれも
"それが出来ないから今こうして訊ねている"
意味ありげな文に
"どういう事ですか?"
すぐにそう返信するも、続きが返ってくる事はなかった。

* * *

その意味を漸く理解したのは週明け、校長に呼ばれた時だ。
朝礼を終えても右隣は空席のままで、私が抱いていた疑問を解決するかのように出された言葉。
「冨岡先生には今日から謹慎をしてもらっています」
通りで居なかったのか、と解決はしたが、理解はしがたいものだった。
「謹慎理由は何ですか?」
「苗字先生もご存じの筈では?」
「全く心当たりがありません。私が把握している限り最近の冨岡先生の言動に際立った問題はなかった筈です」
「文化祭についても心当たりはないと?」
瞬時に蘇る記憶に息を止める。
「貴方もそこに居たと生徒は証言していると聞いています。しかしその制止も振り切り冨岡先生が一方的に暴力行為に及んだ、そうですね?」
「違います。冨岡先生は生徒に暴力を振るうどころか指一本触れてもいません。それに例え冨岡先生が暴力を振るうにもそこには必ず何かしらの起因があります。その点について生徒達が何と証言をしているのか聞かせてください」
赴任してから今まで、あの人が理由もなく体罰を加えた事はただの一度もないと記憶している。
それが正しいか正しくないかは別としてだが。
「………」
途端に黙り込む校長に何となく。
そう何となくだ。明晰な事実を見つける。
あぁ、こんな事、前にもあったなと思わず小さく笑った。
「冨岡先生の処分はどうなります?」
「…ひとまず1週間の自宅待機とだけ…」
歯切れの悪い返答だったが
「わかりました。失礼いたします」
早々に頭を下げ校長室を出た。

足早に廊下を進みながら考える。
"生徒は証言していると聞いています"
その台詞からして、もう既に歪みが生じてる。
一体誰が生徒から話を聞き校長に伝えたのか。
今までそれは教務主任である私の仕事だった。
例え私ではない教師陣が相談を受けたとしても私を飛び越えて校長に伝えるような、わざわざそんな事をする人間はキメツ学園には居ない。
冨岡先生が謹慎になる程の事なら尚更だ。
あの終始ふざけた内容しかなかったグループLINEから考えても、謹慎の事実を知っていたのは冨岡先生本人だけなのは確定だろう。
そこで思考は最初に戻る。
では、誰がその間に入っているのか?
此処まで突き詰めれば嫌でもわかった。
決まってる。一学園の校長より上の人間だ。

恐らくだが、嵌められた。
今の所そこに関してはこれといった確証を得ていないため恐らくとつけるが間違いないだろう。

職員室へ戻ると持っていた鍵で"職員室から持ち出し厳禁"と注意書きが貼られている棚を開けすぐにファイルへ手を掛ける。
何故こうなったのか、どんな些細なものでも良い。
全ての情報を知る必要があった。
注目すべきは私に対して反抗的だった男子生徒じゃない。
その態度に従い脅えていた彼の方だ。
手早くページを捲ってその顔に手を止める。
今より若干幼い写真から視線を動かしてすぐに眉を寄せた。
「…あぁ、そう…」
無意識に呟いた声。
こんなにもわかりやすく繋がる事もあるのか。
住所をメモするために自分のデスクへ移動すると椅子に座った。
手早くそれを書き写した後、ふと視線を向けた右隣。
冨岡先生が此処に居ないだけでこんなに静かなのかと考えた瞬間、眉を寄せる。
「…苗字」
後ろから聞こえた声にそれを緩めてから振り返った。
「何ですか?不死川先生」
「冨岡が謹慎処分になったって本当か?」
「えぇ、本当です」
「…お前やっぱ、あの時何かあったんだろ?冨岡が謹慎処分喰らうなんて相当だぞ」
あの時、というのが文化祭を指しているのはわかっている。
一瞬、引き出しにしまったままの煙草を思い出したが、不問にすると言った以上それを出す訳にはいかない。
そして、私がそれを馬鹿正直に出したとしても冨岡先生が体罰を加えていないという証明には何ひとつならないため無意味だ。
寧ろ煙草を吸っていたから体罰を与えたという事実へ運ばれかねない。
「……大丈夫かァ?」
不死川先生の一言に我に還る。
「何がですか?」
「…お前、今すげぇ泣きそうな顔してんぞォ。冨岡が謹慎受けたのがショックだったのはわかるけどよ…」
「不死川先生にはそう見えるんですね。側面を変えれば見方も変わると言いますが、私が泣きそうに見えるのであれば、それは一度事実として作られたものを崩すのが容易じゃない現実に打ちひしがれているからですよ。冨岡先生がどうこうという話ではありません」
「は?どういう事?事実じゃないって何がだァ?」
「それはそうと不死川先生、先日の文化祭で来た脅迫状、今どなたの手元にあるかご存じですか?」
「……それなら…悲鳴嶼さんだった、な。確か」
「そうですか。わかりました、ありがとうございます」
出された名前のデスクへ目を向けるもその姿はない。
ひとまずこのファイルを棚へ戻そうと腰を上げようとしたと同時
「…前から思ってたけど、苗字ってそうやって話はぐらかすの得意だよなァ」
その声に振り返る。
「…え?そうですか?自覚はないんですけど」
「すっとぼけてるけどぜってーわざとだろォ。まぁ良いけど」
一端言葉を切ったかと思えば考えるように視線を動かした後、あぁ、と小さく頷くと腕を組んだ。
「だから冨岡と気が合うんだなァ」
「…は?」
一瞬で寄った眉間の皺だったが、当の不死川先生は眉ひとつ動かさない。
「アイツまず空気読むとかしねぇじゃん?」
あぁ、それはまぁ確かに間違いないと心の中で頷く。
「上手く調和取れてんだよなァ。お似合いだと思うぜェ?お前ら。ネクタイ締めなくても良いなら結婚式には出席すっからよォ」
まさか此処で、しかも不死川先生が結婚式ネタをぶっこんで来るとは思わず能面になるしかなかった。



何故そんなに飛躍するのか


(何でネクタイ締めないんですか?)
(ああいうの息が詰まるんだよ。無理)
(通りで常に襟元開いてるんですね…)

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