good boy | ナノ


提示した時間より早く職員室に現れたその姿へ、まるで重役を迎えるかのように頭を深く下げる。
「この度はお越しいただきまして、ありがとうございます」
「こちらこそ。お招きいただいて感謝します」
頭を下げ返す訳でもなく、気品ある佇まいを見せる会長からは貫禄さえ感じられて、つい苦笑いを零しそうになったのを何とか堪えた。
「お、待ってたぜ〜?こっち来いよ会長」
手招きをする宇髄先生に、1トーン上がった声で返事をすると横を通っていくその強い眼差しが若干和らいだのを目端で捉える。
「始まるまでちぃと此処座っといてくれ。コーヒー入れてくっからよ」
椅子を引いて誘導する動きは実に手慣れたもので、会長も心なしか頬を染めているのが窺えた。
そうして目配せをしてくる動きを汲み取って、出来るだけ自然な振る舞いで隣接する給湯室へ向かう。
棚から来客用の使い捨てカップを取り出した所で
「お前の読み通りだな。丁度30分前のご到着だ」
笑いを含んだ宇髄先生の声を聞いた。

会長の性格を考察するに、時間ギリギリでの来訪というのは考えにくいと話したのは1時間前。
若干の前倒しはしてくるだろうと予測はしていたが、まさか此処まで早いとは正直計算外だった、というのは感嘆している宇髄先生の手前、黙っておく。
それでも極度の緊張から周りへ虚勢を張る彼女を会議室で待機させておく判断は賢明だった。
会長との現時点での接触は、この先の弊害にしかならない。

しかし問題は…

ドリップコーヒーの袋を出そうとした所で、その手が攫っていく。
「あー良い良い。俺がやんから。お前はこの後の事だけ考えろ。どうせまた地味ーに壁にブチ当たってんだろ?」
反論する暇も与えずカップすら自分の手中に収める宇髄先生に、多少強引な気遣いを受けた記憶が蘇った。
「…行き詰まってる、と良くわかりましたね」
「冨岡が謹慎食らった時と同じ顔してるからな。嫌でも気付くわ。今度は何だよ?何が問題だ?」
「…いえ、こればかりは話しても「どうしようもないかは俺が判断する事だ。お前はそのままド派手にゲロッちまえ」」
その言い方はいかがなものかと思いながらも、大人しく口を開く事にした。
「実はもう1人、彼女にとって重要な人物を招致していたのですが、急遽来られなくなったと連絡をいただきまして…」

それは全校朝礼を終え、職員室に戻った時、事務方から電話があったと報告を受けた。
誰に対しての用件なのか訊ねても、身体的特徴を述べるだけではっきりしない相手に業を煮やしたものの、最終的にジャージ着てる先生が好きな先生、という一言に私だと判断出来たと言う。
僅かながら皮肉を含んだ言い方に苦笑いを返しつつ、控えて貰っていた電話番号へ掛け直した際、こう告げられた。

「ごめんなさ〜い!子供預けらんなくて〜…。うちの子ホンット大人しくしてらんないし迷惑かけちゃうから、今日やっぱ行けないです〜!」

口調こそ明るいものの、若干の疲弊を含んだ声に、それでも良いから来てください、そう口に出せなかったのは、蔦子さんの疲れ切った表情を自然と脳裏に浮かべたからだ。
そして、別室にて映像を繋ぐという算段も、電話番号を持たないパソコンからLINEへの新規登録は叶わず、結局煮詰め切れていないままだったという要因も大きい。

「来られないっつー理由はよ?」
「小さいお子さんがいらっしゃるためです」
「あぁん?…あーまぁ、理由としてはわからなくもないか」

コーヒーを入れる手は止めないまま小さく息を吐く宇髄先生に、やはりどうしようもないという雰囲気を察知する。

姉という基盤が欠けた状態で、当初の思惑通りに事を運ぶのは不可能に近いと言える。
そのため早急な方向修正が求められているが、30分前までに迫った今も、具体的な変更点は未だ思い浮かんではない。
想定外の事態だと割り切って、都度模索していくしか道はなさそうだ。

「要は子守がいりゃ良いんだろ?」
「…それはまぁ、極論はそうですが…」

正直私もそこまでの手も気も回らないし、冨岡先生に任せるのは無理がある。
宇髄先生には抑止するため会長の傍に居て貰わなくてはならない上に、一番の戦力になる不死川先生も通常授業がある。
来訪自体が私の独断によるものなので、大々的に動く訳にもいかないため、他の教師に頼むという選択肢は

「適任がいるぜ?お前の後ろに2人程な」

ニヤリと笑いながら顎で示す動きに何の事かと眉を寄せると振り返った。


good boy


「…どう、したんですか?」
視界に入る姿に、眉間の皺を弛めた代わりに目を丸くする。
「ごめんなさい〜。盗み聞きするつもりはなかったのよ。でも…」
困ったように眉を下げながら顔の前で掌を合わす胡蝶先生から視線を横へ動かす。
ウネウネと頭を動かす蛇とは視線があったけど、その主にはわかりやすく顔ごと視線を逸らされた。
「朝礼の後から様子がおかしかった」
驚きを隠せず返答が遅れた私に、宇髄先生は棚を漁りながら笑い声を上げる。
「ははっ。伊黒にすら悟られちゃあお得意のポーカーフェイスも形無しだな。そりゃ会長とも衝突する訳だ」
「…別に得意と銘打っていた訳ではないんですが」
そんなにわかりやすく顔に出ていただろうか?
確かに冨岡先生には秒で気付かれたけれど、不死川先生には何も言われなかった。
いや、気付いていてもわざわざ口に出したりしないのが不死川先生らしいと言えばらしい。

「苗字先生?私達も何か力になれないかしら?」

胡蝶先生の言葉と共に珍しく伊黒先生にも見つめられて、一瞬息を呑んだ。

良いの、だろうか…?

「良いんじゃねぇ?」

タイミングの良さに、心の中を読まれた気がして心臓が跳ねる。
否定の言葉を出す前に
「人間には適材適所があるって言ったろ?抱えて余るモンは手が空いてる奴等に投げちまえば良いんだよ」
そう言うとガサゴソ音を立てながら適当にお茶菓子を見繕いトレーの上に乗せていく。

「そうやって上手く回ってんだ。世の中は。お前らみたいに抱えるだけ抱えて自滅するタイプには難しいかも知れねぇが、こういう時くらい投げたって罰は当たんねーよ」

宇髄先生に呼応するように温かくなっていくその雰囲気。

「それだけお前にとってもあの場所は大事なものになっている」

居場所がなくなってしまうのは怖い。
怖いから、自分から近付かないように、他人を近付けないようにしていたのに。

「お前はこれまで壁を作っていたつもりだろうが、奴等はそんなの意に介していない」

まさか今此処で、その言葉を深く噛み締めるとは思わなかった。

「…お願い、しても良いですか?」

そう、口にしたと同時に
「勿論よ〜!ね、伊黒先生?」
「………」
返ってきた返事と頷く蛇に、無意識に胸を撫で下ろしていた。

* * *

しん、と静まり返った教室を覗いて、誰も居ない事を確認する。
外では冨岡先生が鳴らす笛の音が響いていて、生徒達がまだグラウンドに居る事が窺えた。
猶予は終業を告げるまでの5分間。
「宇髄先生、今の内です」
後ろで脚立を抱える姿へ声を掛ければ
「おっし」
小さく気合を入れると教室の後方、背面黒板とロッカーへ向かった。
「何処に仕込むよ?」
「そうですね。生徒が誤って触れないよう、それと彼女に気付かれないよう、出来ればこの黒板より上で、目立たない所にしたいのですが…」
宇髄先生と共に見上げた先には生徒が作った掲示物。
「じゃ、これでいっちょカモフラージュってか。ちょっと待ってな」
持ってきた脚立を使わずとも軽々とそこに届いてしまう宇髄先生の長身に感心しつつ、次に要求されるであろうスマホをポケットから取り出す。
念のためLINEを確認して、何もメッセージが届いていない事に小さく息を吐いた。
「まだ来てないみたいだな」
「えぇ」
酷く慌てながらも嬉々とした声で
「いまっ!今すぐ行きますっ!!」
そう言うと返事をする前に切られた電話。
時間的に厳しいため、胡蝶先生達に迎えて貰う事にし、お姉さんはコミュニティルームに、ご子息は多目的室に誘導、その際LINEを繋げるようお願いもしたが、未だ通知はこない。
「苗字」
顔を上げた先、差し出された手にはスマホが握られていて、若干目を見開いた。
「これ以上は時間がねぇ。俺の貸してやっからちゃっちゃと繋いじまえ」
…そうだ。此処で遠慮などしてる場合じゃない。
「…ありがとうございます」
簡易的なグループを作ってから宇髄先生のスマホの参加ボタンを押した。
窓際へ向かうとグラウンドに立つ冨岡先生へ手を上げる。
吹いていた笛の音を止めるとスマホを取り出す姿から画面へ戻した。
「冨岡先生、参加しました。繋ぎます」
ビデオ通話を開始させてから宇髄先生へスマホを差し出す。
「お願いします」
「ミュートしたか?」
「しました」
巧妙にスマホを隠していくその背中から手元の画面へ視線を移した。
「これは職員室に「お前それ持ってけ。こっちは冨岡の方使うからよ」」
私が答える前に宇髄先生の苦笑いを含んだ言葉が続く。
「会長にスマホ壊れてる事にしてんだわ」
その一言に何となく背景が見えて、私も苦笑いをするしかない。
「わかりました。お借りします」
『名前が見える』
宇髄先生のスマホから聞こえてきたその一言に眉を寄せる。
そうだ忘れてた。これ映ってるんだったと気付いた所で宇髄先生が見えるようにそれを動かす。
『宇髄の背中だ。名前が見えない』
「冨岡先生、こちらの映像ではなくて、教室を映している映像はどうですか?」
『そちらも宇髄の顔しか映っていない。名前が見えない。宇髄、名前を映してくれ』
「うるせーな!今セットしてんだよ!黙ってろ!」
『…怒られた』
「それは怒られると思います」
「ホンットにお前は暇さえあれば苗字苗字苗字苗字って。良く飽きねぇよ」
怒りより呆れが占めている物言いに、そういえば、宇髄先生はいつ冨岡先生の気持ちを知ったのだろう、と疑問が沸いた。
『俺が名前に飽きる事はない』
「あー、そうかい!そりゃごちそうさん!」
『宇髄は名前と初めて会った日を正確に憶えてるか?』
「あ?入学式ん時だろ?来賓で来てたよな?お前」
「えぇ」
『…宇髄ですら憶えているというのに…何故俺は…』
スマホ越しだというのに、あちらの空気がどんよりしたものになっていくのが嫌でも気付いてしまう。
「もしかして覚えてねぇのかよ?珍しく自分から話し掛けに行ってるから珍しいっつって…」
一度言葉を切るとセットしたスマホを数歩下がって確認する背中を見つめた。
「お前あの女の事気になんのか?っつったらブチ切れてたじゃねぇか」
冨岡先生側から全く声が聞こえなくなったのは、落ち込んだまま自分の世界に入っているのだろう。
恐らく宇髄先生の声も届いていない。
「…そうなんですか?」
代わりに答えた事で振り向いたその瞳と目が合う。
「そうだよ。の割に苗字の事ずっと目で追ってるからあー、コイツ自覚ねぇんだって思ってな?こうなりゃ俺が人肌脱いでやるかっつってお前にけしかけた訳だ」
冨岡先生側から全く声が聞こえなくなったのは、恐らく落ち込んだまま自分の世界に入っているのだろう。
宇髄先生の声も届いていないと思う。
「それが職員玄関で訊いてきた2択ですか。あれ何の意味があったんです?」
「返ってくる内容と反応で色恋の考え方から対応力まで一気に露見出来んだよ。覚えとくと便利だぞ?」
「…成程。そういう意図でしたか」
「言葉の端々まで悉く拾った挙句、存在まで全否定で返してきたのはお前が初めてだったけどな」
「…それは、すみません」
存在の全否定については正直何を言ったか覚えてない。
「ま、そん位意志が強けりゃ冨岡と上手くいくだろうと安心したけどよ。いくら俺が色男っつっても簡単に靡くような女じゃ奥手な冨岡には手に余るからな」
ちょっと待って。
突っ込み所は他にもあるんだけども。
「…奥手なんですか?冨岡先生って」
「あ?だってコイツ童貞だろ?」
画面を指す人差し指に視線を向けたまま止まってしまった。
言われてみれば、確かに、その節はあったというか…。
記憶はおぼろげだけど、私が心配するような過去はない、みたいな事は言われた記憶もある。
しかしこう、はっきり言われると…
「今のは聞かなかった事にしておきます」
「あん?さてはお前、童貞馬鹿にしてんだろ!?真っ新な分これから開拓出来る楽しみってのがまるでわかってねぇな!お前好みの冨岡を育てられるって事だぞ?最高じゃねーか!」
嬉々としている宇髄先生の心情が理解出来ない私が悪いのかと一瞬思うも
『名前好みの俺とは何だ?』
中途半端に帰還した冨岡先生に目を細めた。
「何でもな「苗字がお前の事調教するの楽しみだってよ!」」
また何て事言い出すんだこの男は。
「言ってませんよ!?嘘ですからね!?」
思わず耳に当てようとした所を寸での所で止めて画面を見た。
声は聞き取れないけれど画面越しに見る限りぶつぶつ言ってるし、宇髄先生爆笑してるし…。
駄目だこれ…。
頭を抱えたくなった所で突如鳴り響いたチャイムに、そうだこんな事を話してる場合じゃないと我に返った。
「宇髄先生、これお借りしますね」
「おー」
間延びした返事を背中で聞きながら教室を出ようとした時
「あ、苗字」
呼び止められた声に警戒しながらも立ち止まる。
「何ですか?」
「授業終わったら冨岡とのLINE開いてみろよ。面白いモンが見られるぜ」
そうして私の手に収まる自分のスマホを指差す宇髄先生に、意図は理解出来ないまま
「…わかりました」
短く答えた。


悪い予感しかしないけど


(でも、勝手に見ちゃって大丈夫なんですか?)
(構わねぇよ。前のお前なら確実引く内容だけどな)
(…怖いんでやっぱりやめときます)


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