good boy | ナノ
昨日から、物理的にと言うべきか。とにかく温められていたというその目録。
何故いつも何かと背中に隠し持つのかという疑問は

「積もる話があるならこれを使えば良い」

そう言って、彼女へと差し出した行動で更に驚きが増してしまったため投げ掛けそびれてしまった。

「…何ですかこれ」
突然の提案に当たり前に警戒の色を見せるのは彼女。
「温泉旅館の宿泊券、及び遊園地のチケットだ」
「…は?要らないし。もしかして姉妹水入らず温泉入ってわだかまりを払拭しろとか言うんですか?すごいベタ。私この人の事もう姉とか思ってもないから無駄ですよ」
若干捲し立てながらもきちんと出来ている息継ぎを気にするより早く、悲し気な表情になっていくお姉さんに眉を顰めた。
ここまで拗れてしまっていては流石に傍観に徹するのではなく間を取り持った方が良いのではないか。
そう思い口を開き掛けた所でその右手が目録を攫っていく。
「あっそ〜。じゃあ私が貰おっかな〜」
言うや否や封筒を開け、中に入っていたチケットを目に止めた瞬間、瞳が輝いた。
「…え!?めっちゃ高いって有名な旅館じゃないですか〜!すごっ!ありがとうございま〜す!」
「ちょっと何勝手に自分のものにしてんの私が渡されたんだけど」
「え?だってアンタ要らないんでしょ〜?だったら良いじゃん〜。あ〜!しかもココ!行きたかった所〜!」
取り出されたパンフレットの名前を目に入れて、そういえばそこの遊園地は鉄道会社と提携していて、男の子向けの乗り物が多い、という情報を思い出す。
行きたがっているのは多分、息子さんなのだろう。
「今度休み取っていこ〜っと」
チラリと視線を送る姉の思惑に、当然妹が気が付かない筈がない訳で、面白くないと言わんばかりに顔を顰めた。
「私は行かないから」
その突っ慳貪な言い方も
「別に良いよ〜?誘ってないし〜。あ、そーだ、息子見てもらっちゃってありがとうございました〜」
あっけらかんとした口調で流すと席を立つ姿に、口唇を噛み締めると同じく立ち上がる彼女。
「1人で行くとかズルくない?そもそも私達にってくれたんだか「じゃあ一緒に行こうよ〜」」
にっこりと微笑んだ表情に苦い顔を作る事で、上がりそうになっている口の端を抑えているのが窺えた。
この姉妹関係も冨岡姉弟と同じで、お姉さんの方が主導権を握っているのだろう。
「…どうしてもって言うなら…」
言葉こそ素直ではないが、心なしか柔らかくなった声色と
「やった〜、私の勝ちぃ〜。旅行なんて小学生ぶりじゃない!?」
期待に胸を弾ませる姿に、第三者ながらに微笑ましく思いながらその様子を眺めた。


good boy


「何かすっごい迷惑掛けちゃってすいませんでした〜…」

職員玄関の前、小さく寝息を立てている我が子を両腕で抱き直すと軽くお辞儀をする動作に頭を下げ返す。
全てが丸く上手く、とまではいかずとも、姉妹間で出来た溝が埋まり始まりそうな気配を感じた後、迎えに出向いた多目的室。
スヤスヤと眠る男の子は、とても楽しそうだったと、珍しく、というのは失礼だけど本当に驚く位、今まで見た事もない穏やかな表情で、伊黒先生が報告してくれた。
いくら声を掛けても全く微動だにせず深い眠りに入っている事から、抱えたまま此処まで移動してきたが、その細腕で帰路は大丈夫なのだろうかという憂慮が沸く。
しかし口を開く前に
「でも来れて良かったです。楽しかった〜」
そう言い切った表情は晴れ晴れとしたもので今此処で水を差すような発言は差し控える事にした。
「妹がキレたりしてるの久々に見たな〜って昔を思い出しました」
「…昔とは?」
「この子と同じくらい?の時かな〜?そん位まではあの子も私みたいに結構思った事ガツガツ言っちゃうタイプで〜…でも親が口うるさくなって喋るのも自信なくなっちゃったのかな〜…?そっから卑屈にもなったかも〜ってちょっと思いました」
目線を左上に向け、記憶を巡らせる姿から寝息を立てているその背中へ視線を向ける。

彼女の側面は、何処を取っても全てがデタラメという訳ではなかった。
だから私は、掴み切れない、その感覚が今の今まで消えないでいたのか。

「…あ、でぇ〜、私もういっこ思い出した事があるんですよ〜」
「…何でしょう?…と言いたい所ですが、その状態で話し続けるのは辛くないですか?」
思わずそう訊ねれば反動をつけて抱え直した後、苦笑いを見せる。
「大丈夫で〜す。それより多分、っていうか絶対妹がキメ学に来たのって煉獄くんが居るからだと思いますよ〜」
そのまま言葉が続くであろう事を予見して、返事の代わりに目を眇めた。
「校門で会った事あるって言ったじゃないですか〜?あの後も何回か2人が喋ってるの見たんですよね。そん時私が煉獄くん良いじゃ〜んカッコイイよね〜ってそんな感じの事冗談で言ったらそれが嫌だったんだろうな〜そこから来なくなっちゃったんですけど〜」
恐らくは、伊勢物語の和歌についてもその時に出たのだと推測される。
「あん時の事も絶対怒ってんだろうな〜…」
ボソッと呟いた後、誤魔化すように「あはは」と笑ってから続けた。
「でも煉獄くん、私達の事ぜんっぜん覚えてなかったですね〜」
「…そうなんですか?」
敢えて大きめに目を開いて驚きを表現したけれど、何となくそんな気はしていた。

女性を直視したがらない伊黒先生でさえ、胡蝶先生との酷似さに驚いた位だ。
過去の同級生にそっくりな他人と相対した煉獄先生が驚かない筈がないし、口に出さない筈もない。
けれど胡蝶先生の態度では、そのような経緯はなかったものだと判断出来る。
という事は、煉獄先生の頭の中には、その存在が記憶として残っていない。必然的にその答えに行き着いていた。

「せめてLINEくらい訊けば良いのにな〜。ってお姉さん並みにウブだから無理か〜」
言葉の意味を認識した途端、思わず能面になってしまったが、その表情は全く変わる事なく明るいもの。
「あ、そうだ。LINEで思い出した〜。コレ、返すの忘れてました〜」
力の抜け切った小さな身体を器用に片手で支えると、ポケットから何かを取り出した。
「ありがとうございました〜」
差し出された宇髄先生のスマホで、その存在を失念していた事に気付く。
「いえ、こちらこそありがとうございました」
軽くお辞儀をして受け取りながら、冨岡先生のスマホはどうなっただろうか、と考えた所で、自分のスマホも行方知れずな事も思い出した。
可能性としては、教室の壁に隠したままだろうから、そこまで焦る事もないか。

「あの〜…」
別の事に気が回っていてしまったせいか、恐る恐る掛けられる声に伏せていた視線を戻した。
「名前さんから見て、あの子先生としてやっていけると思います〜…?」
ドキッと心臓が動いたのはその内容じゃなくて、名前で呼ばれた事に対する驚き。その中に多分、少しのときめきもある。
それでも、そういえば人の名前を覚えるのが得意じゃないと彼女は煉獄先生をライオン先生、なんてふざけていたけど、それも演技だったんだろうな、と冷静に思い返していた。
「…あー…答え、詰まっちゃう感じですか?」
その言葉と一緒に下がっていく眉で我に返るとすぐに首を横に振った。
「いえ、私は人を評価出来る程優れた人間ではありませんが…」
相応の台詞を探すため勝手に進んでいく思考を止める。

「…これからが楽しみ、ですね」

思うままに出した言葉と一緒に作ろうとした笑顔は追いつかなかったけれど、嬉しそうに綻ばせる頬に返す事は出来た。

* * *

職員室へ戻れば先程までの騒ぎは嘘のように通常状態に戻っていて、自分のデスクへ戻る前に書き物をしているその横顔へ右手を差し出した。
「宇髄先生、返すのが遅くなってしまいすみません。ありがとうございました」
「おー」
視線を向けないまま受け取ろうとした手が止まったのは数秒。かと思えば、おもむろにこちらに顔を動かした。
「見たか?」
「はい?」
「LINEだよLINE」
「あぁ、すっかり忘れてました…」
覚えていたとして、他人の物を勝手に、いや許可は得ていたとしても、見る事はしないけども。
「んだよ。貸してみ?」
粗雑に攫っていったその手が画面を操作していくのを眺めていれば
「ほらよ」
軽い口調と共に渡されたスマホを迷いながらも受け取った。
視界に入った日付に意識せず眉を上げる。
これは確か、宇髄先生が私を試したとされる次の日だ。

"で?どうだ?自分の気持ちってモンに向き合えたか?"

そう問い掛けるメッセージに返信はなく、3日後の日付の後には
"お前まさかブロックしてないよな?"
それと共に不機嫌を表現するスタンプが送られている。
その後も
"見てんなら一言くらい返せよ"
"お前今日わざとシカトしたろ?"
など、宇髄先生の一方的な声掛けがほぼ毎日、何日にも渡り連ねられている。
「…此処まで無視されてるのに良く心が折れませんでしたね」
思った事をそのまま伝えてみた。
私なら早々に諦めてるだろう。
そう思って苦笑いを溢してしまったが、宇髄先生はさして気にした様子もなくペンを走らせる動きを再開した。
「前はグループLINEも未読スルーしまくってたからなアイツ。既読つくようになっただけマシだったんだよ」
「…そうなんですね」
短く答えてからスクロールしていく手を止める。
"今日苗字に話し掛けられてたな"
突然出てきた自分の名前にドキッとしてしまった。
こちらの気配を感じ取ったようにフッと短く笑うとペンで頭を掻いてから書類へと向き直す。

"生徒への体罰について聞かれた"

初めての返答はそれだけ。
「そっから怒涛の冨岡ラッシュなんだよな〜」
言葉の通り、その日を皮切りに毎日送られてきているメッセージをスクロールしていく。

始めこそ
"苗字から体育館の備品発注の仕方を訊かれた"
"生活指導方針と記録について苗字と話をした"
あくまで客観的かつ業務的な内容しかない報告も、
"苗字が生徒とドラマについて盛り上がっていたが俺には良くわからなかった"
"苗字は胡蝶と不死川とは良く話している気がする"
"届いていた教材を運んだら礼を言われた"
段々と冨岡先生の主観へ変化していって、2ヶ月が経とうとする頃には
"今日の苗字は研修会らしい。スーツを着ていた"
"靴が変わっている"
"指に絆創膏が貼られていた。怪我したのだろうか"
見た目の変化に気付く内容が多くなっている。
そして3ヶ月、冨岡先生が気持ちを自覚したとされる時期には
"今日の苗字は元気そうに見える"
"今日の苗字は元気がない"
"昨日から苗字が鼻声になっている"
もはや出席簿に近いものになっていて、それに対する宇髄先生の返しも段々と雑なものになっていた。

「感情の推移が良く現れてますね」
「本領はそっからだぜ?」

くつくつと喉を鳴らす姿は楽しそうで、眉を寄せながらも画面へ視線を戻す。
さほどスクロールせずに目に止めた

"名前に彼氏はいるのだろうか"

突然の呼称の変化に、また心臓が動く。
日付を思い出せば不死川先生が戦犯になった数日後だ。
思えば私は、この時期から冨岡先生を犬だと思い始めるようになったんだっけ。
ドン引きしたのを懐かしく感じながらスクロールした先には、私に送られてくるのと同じような感情の吐露が綴られていて、その都度宇髄先生はからかいながら要所要所を真剣に返している。
だから冨岡先生は昨日、宇髄先生が安心する、と言ったのか。
確かにこれを見ていると、面倒見の良さが窺える。
時折本気で面倒そうにしている文面も、また、らしいと言えばらしい。
不死川先生と傾向こそ違えど、宇髄先生もなかなかのお人好しだ。

"名前の元同僚兼元恋人に会った"

ドキッというより、ギクッ、そんな効果音が似合う反応を取ってしまってから、蘇る光景に胸が痛むのを感じた。

"俺の知らない名前がいた"
"俺の知らない世界があった"
"何も出来ない苛立ちから酷い事をした"
"名前を守るにはどうすればいい"

意識した訳ではないのに、いつの間にか首元を摩っていた。
「なかなかの詩人だろ?見てるこっちが寒くなる程重苦しいんだよ気持ちが」
笑ってはいるが、それが揶揄ではないのがその柔らかい表情が物語っている。
「そんでそれの何が面白いってな?ざっと見てもわかると思うが、全部独り言なんだよ」
「…確かに、言われてみればそうですね」
時々、宇髄先生の質問に答えてはいるけれど、それ以外はほぼ一方的に吐き出しているだけだ。
「そこまではまだスゲー迷ってんのが伝わってくるっつーか、そうやって自分の中で整理してたんだろうな」
ペンを持った手が上がったかと思えばこちらを差してくる。
「それがある日を境に、怒涛のラッシュがぱたりと止んだ。冨岡の答え見てみな?」
「…答え、ですか?」
眉を寄せながらもスクロールしていく画面が一番下まで突き当たった事で手を止めざるを得なかった。
"最近LINEしてこねぇけど苗字と上手くいきそうなのか?"
宇髄先生の問い掛けの後、続いていたのは

"安心していい。名前は何があっても俺が幸せにする"

何の迷いも感じないその言葉。
しかもそれが1分にも満たない速さで返信されている事に気付いて、思わず笑ってしまった。

「…これ、時期的に文化祭前ですよね」
「だからおもしれーんだよ。付き合ってもないのに此処まで言い切れるのがすげぇ」

本当にこの人は、どんな時でも、相手が誰であろうとブレない。
こんなんじゃ陥落して敗北も喫する訳だ。

"何があっても"

その一句一語に、これ程までの重みを感じる日が来るとは思ってもみなかった。

「ありがとうございました。冨岡先生の覚悟がとても良く伝わってきました」

いや、それはもう常日頃から感じてはいるんだけども。
少しは落ち着いて欲しいって位に。

「お、何だ、やけに素直だな。冨岡に惚れ直したってか?」
嬉々としだす口調につい癖で能面を返しそうになったのを意識して抑えた。
「…惚れ直したかどうかと訊かれると返答に困りますが、こちらもそれ以上の決意を持たなくてはならないというのは肝に銘じました」
「相変わらずクソ真面目だなお前。アイツを真っ向から受け止めようとすんと確実に潰れんぞ?」
また呆れた顔をされて、頭を働かせるより先、後ろから掛けられる圧に前のめりに倒れそうになる。
「やっと戻ってきたと思えば宇髄と2人で何を話してる?俺より優先させなくてはならない事か?」
囁かれる湿り声と溢れ出ている怒気に、宇髄先生の言葉を嫌でも理解してしまった。


確かにこれは過重過ぎる


(な?めちゃくちゃ重いだろ?)
(…今、心身共に痛感しています)
(何故無視をする?)


[ 122/220 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[back]
×