good boy | ナノ
「一体何を考えてるんですか…?」

心底呆れた表情で言う校長にもう一度「すみません」と頭を下げる。
横一列に並ばされた教師陣の表情は各々見事に異なっているものの、反省していないという一点においては同じと言える。
それでも一番端で不服そうな表情をしている不死川先生の
「何で俺まで…」
辛うじて聞こえる呟きには謝意を感じた。
「でも良かったわね〜。大きな怪我はなかったし」
それは朗らかな笑顔を見せる胡蝶先生と、消沈し続けている冨岡先生にも抱いている。
後者についてはまた、別の意味での罪悪感だけれど。
行動を差し挟む余地もなく校長室に呼び出されたため、スマホが故障してしまったかどうかの確定にも未だ至っておらず、その眉は下がったままだ。

「苗字先生が居ながらこんな事態を引き起こすなんて…。しかもどうして今日が研究授業だって我々に報告しなかったんです?」
校長と教頭の深い溜め息に、その隣に居る悲鳴嶼先生が若干の寂寥を滲ませていて、そこに関しても胸は痛んだ。
「しかも許可なく部外者まで招くなんて…。流石に教務主任だからと言って許される事ではありません。それに乗った皆さんも皆さんです」
「申し訳ございません。この件に関しては私の「そんな目くじら立てんなよ。俺らなりにキメツ学園の将来を案じての事だぜ?」」
声がした方へ顔ごと視線を向ければ、相変わらず飄々とした表情をしている宇髄先生。
「会長の空回りしかないやる気についてはお前さん方も困ってただろ?荒療治ってやつだ。そこにあの実習生が一役買ったっつー場面を作ってやれば、教育委員会から向けられる厳しい目も少しはマシになるってのが賢策に長けた苗字の算段よ」
「…成程!苗字先生はこの先の展開まで計算に入れていたのか!」
煉獄先生の屈託ない笑顔を向けられて、苦笑いをしようにも頬が引き攣ってしまった。
宇髄先生が私を庇うため最もらしい事を口にしてくれているのがわかるため、そこまで考慮していなかった、とは言えない。
校長と教頭に対して"お前さん"と言える宇髄先生の立場的な強さが窺えるも、はぁ、と溜め息を吐く校長の顔色は優れず、今の言葉に納得していないのは明白だ。

まぁ、この状況では無理もない。
壁の向こう側、応接室から聞こえてくる
「何なのアンタ達!暴力姉妹ね!」
「そっちが先に手ぇ出してきたんじゃん!しかもこんな人姉じゃないから!!何で来たの?お母さんに見張って来いって言われた!?」
「は!?言われてないし!その卑屈さいい加減直したら〜!?マジで妹と思いたくないわ〜。こっちから払い下げだわ〜」
三つ巴の喧噪に、私が校長の立場なら溜め息のひとつやふたつ吐きたくもなるだろう。
気持ちはわかるが、払い下げと願い下げの言い間違いに耐え切れず笑った所で、校長のじと目に見つめられ咳払いをした。


good boy


ドタ、ドカッ、ガチャンッ、キャーッ。

簡単に擬音にするとそんなような音が立て続けに響いて、最後の方は事務方が出したお茶を溢した事による悲鳴だろう、と目を細めながら考える。
「苗字先生、どうにか鎮めてきていただけませんか…?」
泣きそうになっている校長に
「放っておいてももう少しで収まると思います」
それだけを返した。
「…それまでに応接室がめちゃくちゃにされます…」
「そうなった場合、PTA予算からリフォーム代を出していただければ良いのではないでしょうか?会長様ですし」
「苗字先生…。ここ最近、様子が変わったと報告を受けていましたが、どうやら本当みたいですね」
途端に肩へ力が入る悲鳴嶼先生の動きで、学習指導案を消去した一連の流れを聞き及んでいる事を推測する。
「そうですね。自分でもだいぶ、変わってしまったという認識はあります」
横から感じる複数の視線に、無意識に上がってしまう口角によって更に知覚せざるを得ない。

「今まで、教務主任という大役を頑張って演じていたんでしょうね」

最初から身の丈に合っていない。
そんなのは自分自身が一番わかっていて、知識も経験もない私がその役割をこなしていくには、虚勢を張り続ける事。それしかなかった。
お陰で同じ気持ちに、気付く事が出来たけれど。

「会長も同じです。今も頑張っていらっしゃる」
「…それは、どういう意味ですか…?」
「私が以前、会長の人柄について皆さんにお訊ねした事を覚えてますか?」
動かした視線の先で胡蝶先生が小さく頷いてくれている。
「その際、全くネガティブな意見を聞かなかった事で、会長の任に就いていただきました。思えばそこが失敗だったんです」
「…プレッシャーに負けた。そういう事だろうか?」
悲鳴嶼先生の落ち着いた声に頷いた。
「そうです。元々責任感が強く生真面目な方なのでしょう。本来の自分と理想の自分の間で生まれたズレに耐えられなくなってしまった挙句、そこを他人に指摘される恐怖から、先制する事で自分を守る。その行動を今も取っていらっしゃいます」
未だドタバタと響き続ける物音と言い争う声へ視線を向ける。
「一度持ってしまった武器…そう認識したものを手放すのは容易ではありませんし、こればかりは他人がどうこう出来るものでもありません。特に私のような理屈じみた人間は、更に会長の攻撃性を刺激するだけです」
「しかし苗字先生はこれまでどんな保護者でも上手く付き合っていらっしゃった筈です」
「ですから、"頑張って演じていた"という事です。相手が何を考え、どのような言葉を望むのか常に予測を立てれば、当たり障りのない人間関係は構築出来ます」

これから会長と上手く付き合っていこうと思えば出来なくもない。
心を殺せば、削り続ければ、それは可能だ。

だけど

「私1人で背負う必要は何処にもない。そう気付かされました」

平等と公平を期すために、自分の感情を犠牲にするのは馬鹿らしい事なのだと、人が真面目に喋っているというのに
「…LINEの履歴は残るだろうか…」
データ喪失を懸念し続けている存在が教えてくれた。

私が自分を擦り減らす事で、この人が犠牲になろうとする姿はこれ以上見たくはない。
なんて思う辺り、まんまとその策に嵌まったと言える。

だけどお陰で、誰かに何かを分ける事が出来るようにもなった。
それは抱えてきた過去とか辛さだけじゃない。
喜びだったり、優しさだったり、楽しさだったり、たくさんのものを共有して知った。

私が誰かに出来る事などそれほどありはしない。
だから必要以上に背負おうとする必要もない。

人間は、推し量れないから。

「もうやめてよ!お母さん!!」

ただ少しだけ背中を押してあげる事が出来れば

「何でそんなになっちゃったの!?そうやって怒ってばっかいるならPTAなんてやんなきゃ良かったじゃん!!」

人はちゃんと、自分の行きたい道を選ぶ事も出来る。

そしてその背中を押す役目は、必ずしも私で在る必要もない。

悲痛な叫びの後、そのまま静まった壁の先を見やると同時
「どーする?」
冷静な問いに視線をそちらへ向けた。
「お見送りをお願いします」
眉を動かすと応接室に向かった宇髄先生に、敢えて指示を仰いでくれた事に感謝したが、
「…どうするつもりですか?」
一方で訝しむ校長に視線を戻すと、その扉が閉まった後で口を開いた。
「会長親子につきましては、本日の所はこのままお帰りいただく形を取りたいのですが、よろしいでしょうか?」
教頭と顔を見合わせるその空気は、僅かながら不信感が漂っている。
「第三者による事態の鎮静化を図るのは逆効果と言えます。体裁上、聞き分けの良い振りをするでしょうが、それは根本的な解決にはなりません」
宇髄先生もそれがわかっているから、私の意図を確認したのだろう。
「しかし子供としての本音を曝け出せた事で、何かが変わっていくのは確かだと言えます。それが良い方向へ向かうか、悪い方向に転ぶか、それは誰にもわかりませんが…、どちらにしても今後は煉獄先生、お願いします」
「……!」
自分の名が出るとは思っていなかった。その赤い目がわかりやすくそう告げていて、頬が弛んだ。
「丁度年度の切り替え時期ですし、来月から皆さんには"教務主任"の仕事を分配していただきたい。そう考えていました」
「具体的にはどの様な内容だろうか?」
悲鳴嶼先生の冷静な声に小さく頷く。
「保護者へは柔軟な対応を得意とする宇髄先生、生徒へは存在感だけで安心を与えられる煉獄先生にそれぞれ対応を担っていただきます。胡蝶先生、伊黒先生には2人の補佐役」
そこまで言ってから息継ぎをする間に、そういえば多目的室から呼び戻してないけど大丈夫だろうかと頭に過ぎる。
「私の不在時、及び有事の際、不死川先生には教務主任の全権限を、悲鳴嶼先生には今までと変わらず客観的な目線での学園内の把握と、不死川先生の後見役をお願いします」
今まで頭の片隅にぼんやりとしかなかったその形態も、こうして口にするとこれ以上最強な布陣はないと言える。
「…冨岡はよ?」
疑問を投げ掛けてきたのは、見立て通り目端の利く不死川先生。
決してその存在を忘れていた訳じゃないけれど、一瞬言葉に詰まった。
いつもの癖で犬というマスコット的存在、そんな言葉が浮かんでしまったからだ。
「冨岡先生にはこれから、必要な業務を全て覚えていっていただきます。ゆくゆくは不死川先生と同じ立場に立っていただきたいので」
「名前の傍に居られるなら何でも構わない」
真剣な瞳を向けられて、つい苦笑いを返してしまう。
心の奥底から湧いてくる純粋な感情には、根拠や論理の武器は、到底敵わない。
この人を見ていると、本気でそう思う。

「…わかりました。苗字先生の判断にお任せしましょう」
全ては納得し切れてはいないのだろうけれど、頷く校長の瞳に少しの安堵が見える。
隣から会話が聞こえた後、扉が開く音がして、会長達が応接室を出て行ったのを気配で感じた。
「判断を委ねていただき、ありがとうございます」
頭を下げた先には、やはり晴れないその表情。
「…しかし実習中に此処までの騒ぎになったとなると…」
言い淀みながら怖々と目線を向けた先、異様に静まり返っている空間に溜め息を吐いた。
校長が考える憂慮と、私が感じているものは違う。
その立場では、いち教務主任より更に俯瞰した考えが重要になってくるため、あらゆる想定を今も脳内で巡らせているのだろう。
もしこの件が教育委員会に取り沙汰された場合、学園を守るためには誰かしらに責任を取らせるという形を取らなければならない。
それでも明言を避けようとする優しさに感謝をしつつ答えを口にした。
「責任の所在を含めた解決策についてもこちらに一任してください」
弾かれたように視線をあげた右横がまた不安になってしまわない内に言葉を続ける。

「あらゆる可能性から最善の道を探すのが教務主任で在る私の仕事ですから」

群青色の瞳とかち合って、口角は上げないものの目だけを細めた。

早くこれを解決させて、スマホ問題に取り掛からなければ、なんて考えてしまった辺り、本当に私は変わって…いや、変わったというより、これが本来の私か。
この人はそれを察知した上、強引に噛み付いて引き摺り出した。
そして常に生き辛さしか感じない私の全てを赦してくれる。

平等にも公平にもなれない。
感情が先行してうまくいかない。
矛盾ばかりで中途半端でも、ただ傍で、それこそ犬のように寄り添ってくれる。

本当に拾われたのは、私の方かも知れない。

「…苗字先生」
声がした方向へ視線を向けたところで
「よろしくお願いします」
頭を下げた校長に返事の代わりに深く腰を曲げた。

* * *

「失礼しました」

そう声を掛けてから、校長室の扉を閉める。
振り返った先、一足早く職員室へと帰っていく教師陣の背中を見送ってから、未だ右横の位置から動かないジャージ姿を見上げた。
「冨岡先生も先に戻っていてください。もしかしたら時間を置いた事でスマホもつくようになってるかも知れません」
僅かな期待がその瞳の奥に宿るのを見たのは数秒。
「名前の緊急事態だ。スマホはもうどうでもいい」
「どうでも良くはないですよ」
言い切るその力強さに自然と否定を返してしまったけれど、笑みも零れてしまう。

この人の不変さに。

私が居なくなるかも知れない。その先案じで動こうとしない姿に息を吐くと
「…一緒に来ます?」
そう提案すれば、輝いていく瞳で笑顔が深まる前に応接室へと移動した。

「失礼します」

2回のノックをした後、その扉を開ける。
黒革のソファに隣同士腰を掛けているにも関わらず身体ごと背けている2つの背中に、今度は苦笑いが零れた。
私を見るなり恨めしい瞳を向けてくるのは妹である彼女。
「どういう事なんですか何か企んでるって思いましたけどまさかこの人連れてくるとか最悪過ぎるやっぱ私に対す「8拍子、忘れてますよ?」」
黙りはしても反抗的な表情に笑顔を向けようとした所で
「この人とかそういう言い方、お母さんそっくり〜。やめてよね〜うざっキモッ」
姉の言葉につい能面になってしまった。
「は?似てないし。そっちこそその馬鹿みたいな喋り方やめたら?」
「はぁ?」
ピリ、と張り詰める空気に、この姉妹もまた、今この場だけでの説得などでは根本的な解決に至らないであろう、と判断する。
今日の所は再会させる事が出来た。その戦果を良しとすべきだ。
ひとまず場を治めようとしたと同時、無言でジャージのチャックを下げる冨岡先生に眉を顰める。
おもむろに背中から取り出された見覚えのある目録に、今度は目を見開いてしまった。


何故今此処でそれを出す?

(…一体いつから持ってたんですか?)
(昨日からだ。出す時機を見計らっていた)
(その時機が今なんですね…)


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