good boy | ナノ
職員室へ戻った所で視界に入るのは、立ち上がっている会長を宥めようとしている宇髄先生と、スマホの画面から一切目を離さない煉獄先生。

「どうしました?」

短く問い掛けた瞬間にキッと向けられた目には怒りが煮え滾っていた。
「アンタが書かせたのね!?」
「ちょっと落ち着けって!な?」
「宇髄先生は黙ってて頂戴!何かおかしいと思ったのよ!いきなり授業見に来ないかなんて…うちの子脅したんでしょ!?何言ったの!?」
要領を得ない内容に答えるより先にスマホの画面を見る。
窓際に面した列、前から3番目の生徒が立っているのが粗い画像ながらも窺えた。
『…終わり、です』
席に着くなりワッと声を上げて泣き出した事で、重苦しくなっていく雰囲気がこちらにも伝わってきた。
「こんなになるまで追い詰めて…!私に怒鳴られた事がそんなに悔しかったの!?子供使ってまで…!こんなの仕掛けて…!卑怯者!正々堂々私に言いなさいよ!」
勢い良く伸びてきた右手が胸ぐらを掴もうとしていると気が付いたのは、肩へ回された腕に身体を引き寄せられた後。
「………」
瞬きを繰り返してから、それが冨岡先生のものであるのを知った。
それと同時に、会長の右手首を掴んでいる煉獄先生の表情はいつになく険しい。
「誰かが仕掛けたものなどではない。あれは…あの言葉は…紛うことなきあの子の本音だ」
力が籠もっていく指先に比例して、会長の表情も苦痛なものになっていく。
ギリ、と軋む音に名前を呼ぼうとした所で
「煉獄、放せ」
宇髄先生の真剣な声によって出来た僅かな間の後、解放された腕に若干の安堵はした。
「…ワリーな。痛かったろ〜?コイツ加減ってモンを知らねーからよ」
敢えて晴れやかな声を作る宇髄先生の口角も、この時ばかりは意識して上げられているというのがわかる。
恐らく、いや、確実に宇髄先生も、煉獄先生と同じ感情を抱いているだろう。
それでも即座に状況を判断し、会長のフォローに入った。
切り替えの早さは実に見事としか言いようがない。

『…わかるよ、うちの母親もそう』

聞こえてきた8拍子に、画面へ視線を向ける。
表情までは窺えなくても、それが演技ではない本来の彼女から発せられたものなのが判断出来た。

『昨日は言わなかったけど私も似たような経験してる。それってアナタのためじゃないよ全部親のエゴ』
「……、よ…」
手首を押さえたまま俯いていた会長の口から低い声が零れた。
「私の事馬鹿にしてんのね!?良いわよ!?喧嘩買ってあげようじゃない!」
勢い良く上げられた顔からは屈辱からくる怒り以外の感情はない。
「宇髄先生、教室までご案内をお願いします」
この状況で向かわせるのは火に油を注ぐ行為だというのは誰が見ても明らかで、宇髄先生が疑念を抱かない訳がない。
それでも私の指示に僅かに目蓋を動かしただけで
「…ついてきな」
すぐに一言添えると誘導していく背中に心の中で感謝した。


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残ったのは不自然に静まり返った雰囲気。
周りから向けられる視線に何か言わなければと口を開こうとして、冨岡先生の腕がまだ回されているのに気付いた。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
目が合うと何か言いたげではあるものの、眉ひとつ動かさず離れたその横顔を目端に捉えながら、「お騒がせしました」と頭を下げる。
そうして画面越しの彼女を再度見つめた。
『卑怯だよね親だからって子供が逆らえない事とかわかってて言うんだもん』
真剣に聞き入っている煉獄先生の表情は、先程より厳しさを増していて、声を掛けて良いものか迷ったものの、このまま此処で黙り続けていても仕方ないと口を開く。
「煉獄先生。会長の娘さんは何とおっしゃっていたかお訊ねしてもよろしいですか?」
「…母に褒められる自分になりたい」
抑えられた声量から、抑え切れない悔恨が滲み出ている。
「思えば体調不良を訴えた時もそうだった。良い成績を取れば母親が喜んでくれる、そのためつい夜更かしをしたのだと、そう言って笑っていた姿に、何も考えず激励の言葉を掛けてしまった」
ギリッと噛み締める口唇につい眉が寄ってしまった。
「…俺は、あの子の何を見ていたのだろうか…?不甲斐ない所の話ではない」
母親という元凶ではなく、自分を責めてしまうのが煉獄先生らしい。
だけど、この点においては仕方がない。そうとしか言いようがない。
毎日顔を合わせ、会話をしていたとしても家庭内の問題を他人が正確に把捉するには、余程その人物に深く関わるか、隠しきれぬ程に表面化しない限り不可能に近い。
それは、教え導く教師といえど例外ではなく、寧ろ教師という立場だからこそ、見抜くのが難しいという現実も存在する。
特に煉獄先生の場合は…

『何バカみたいな事言ってんのよ!』

スマホ越しに聞こえた怒鳴り声。
それが会長のものなのは画面を見ずともわかる。
『アンタ!よくもこんな大勢の前で言ってくれたね!そんなにお母さんが憎いの!?』
此処から教室に向かうまでの間で、怒りの矛先が娘へと変化したのが見受けられた。
『ちょっと〜!オバサン!やめなよ!!怖がってんじゃん!!ってかどっから来たし!もしかして毎日いんの!?めっちゃ暇人じゃん!』
怒りに対抗するため無意識に演じているであろう彼女の間の抜けた言葉に抑えようとした口角が勝手に上がってしまった。
「笑っている場合では「座れ」」
先程まで会長が座っていた椅子を引く冨岡先生に燃えているような瞳が見開かれる。
「何を悠長に構えている!?止めに行かねば!」
「問題ない。全て名前が作った筋書きだ」
「………」
暫しの沈黙の後、小さく息を吐く煉獄先生の表情が若干ではあるが和らいだ。
「…俺は、このままで構わない。それは冨岡先生と苗字先生で座ってくれ」
「こちらに対する気遣いも無用だ。共に座るためどうせひとつ余る」
「2人で1つの椅子は流石に無理があるのではないか?」
「名前を膝に乗せれば済む事だ」
「…成程、そうか!冨岡先生はなかなかに面白い案を考えるな!」
はっはっは、と朗らかに笑うと椅子に座る煉獄先生から、真顔のまま動かない表情を細い目で見る。
いくら張り詰めた空気を和ませるためとは言え、私としては全く笑えないんだけども。
「名前」
椅子に腰を下ろしたかと思えば背筋を伸ばすと大腿部を叩く動作に益々目が細まっていく。
冗談じゃなくて本気だったのかこの人…。
「苗字先生!折角の申し出だ!俺に構わず座ってくれ!直立していては疲れるだろう!?」
「…いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
このたまに出てくる煉獄先生の真面目な天然部分に対して、的確な対処法が未だ見つけられずにいると、ふとそんな事を思った。

ガタンッ!!

向こう側から聞こえた音に顔を向けるも、画面を陣取るのはフーセンガムを膨らませた宇髄先生の姿。
『取っ組み合い始まったぞ〜。これ止めんのか〜?止めなくて良いのか〜?』
「それはちょっとマズイですね。すみません、様子を映していただきたいんですが…」
『オーイ、聞いてんか〜?…ってそうか。ミュートしてんのか』
パン、と割れるガムと同時
『大体さぁ!会長会長って何処が偉いワケ!?たかがPTAのボランティアじゃん!そんなん誰でも出来るし!』
『ほんっとに生意気な小娘!誰でも出来る訳じゃないのよ!!挨拶考えたり会合とか出なきゃいけないんだから!』
喚く声が聞こえた事で、揉めているのが親子ではなく、彼女と会長というのを知る。

正直、想定していた修羅場とはだいぶ違うんだけども。

『先生!お母さんも…!やめ『そんなの好きでやってる事じゃん!?そのためにこの子犠牲にしてさぁ!自分だけが苦労してますみたいな顔してんなよ!子供だって我慢してんだからな!?』』
『好きでやってるわけないでしょ!?この子のためにやってんのよ!あんたのお母さんも大変ね!こんな理解力のない子を持って!可哀想!』
『うるっさい!!可哀想じゃないわ!ふざけんなこのババアッ!!』
生徒達の騒めきが一際大きくなって、争いがヒートアップしたのを嫌でも理解した。
『やべーぞ。野次馬が集まってきやがった』
そう言いながらも全く焦った様子もなくまたガムを膨らませる姿についこめかみを押さえた。
一切止めに入らない辺り、心中じゃ"派手で良い"だの"もっとやれ"だのそんな類の事を絶対考えている。
「苗字先生、これは本当に筋書き通りなのだろうか?2人をここまで争わせる必要性を感じないのだが」
向けられる訝し気な瞳に乾いた笑いを返す。
「何言ってるんですか。想定内ですよ想定内。これくらいわかりやすく揉めた方が後々のためになります」
何のためになるのか、私にも全くわからないけれど。
「……そうだな!歴史を振り返ってみれば戦国の世も争いの連続だった!今の2人は互いに譲れぬものを掛けて戦っていると言いたいのであろう!?流石苗字先生だ!!ならば俺はそれをこの目でしかと見届けるとしよう!」
持ち前のポジティブさに助けられた。
そう思ったのも束の間、颯爽と走っていく背中を止める気力もないままただ見つめる。
此処で煉獄先生までもがあちらに加勢されてしまうと、更なる混乱は免れない。
これ以上の状況悪化は避けたいと思う反面、もはや既に収拾がつかなくなっているのでは?と冷静な自分が告げている。

現実逃避に近い形で視線を逸らした先、冨岡先生と目が合った。
顔色ひとつ変えずポンポンと促してくる右手に、この人の頭の中もまたカオスだと目を細める。
我慢しようとした溜め息を盛大に吐いてしまっていた。

私の周りの人間は須らく、一筋縄でいかない。

まともな神経でどうにかしようとしたのが間違いだったと、セオリー通りに組んだ傾向と対策ほど、悉く踏み潰されてきた過去が蘇る。
お陰で柔軟さという名の諦めも身についたのだけれど。

ふいに脳裏に浮かぶのは"類は友を呼ぶ"、その諺。
いや、私は類でも友でもないけれど。
そういう思い込みは大事だ。
まだ強靭な狂人の境地には踏み込めていないという事実を再確認出来た、という事にしよう。

画面越しから聞こえる煉獄先生の声に片耳を押さえながら空いた椅子に腰を掛ける。

「…まだ姉が乱入してこないな」
「この状態では来ないと思います。恐らく胡蝶先生が止めてくださっているので」

想定外の方向に話が進んだ事態に備え、お姉さんの身に危険が及びそうな場合は、教室には向かわせずそこに留まっていただくようにお願いします、というのは伝えておいた。
一緒に居ただけの胡蝶先生が責任を負わされる可能性を潰すためだ。

その点においてだけは、手回しをしておいて良かったと考えた瞬間

『ちょっと!妹に何してんだよこのクソババア!!』

ドスの効いた声に頭を抱えたくなった。

『あ?何だ?胡蝶が乗り込んできたぞ?スゲー切れてんな』
「それは胡蝶先生じゃないですね…」
目を丸くしている宇髄先生に答えてから、その声が伝わらない事に気付く。

『…苗字先生〜!?ごめんなさい〜!私じゃ止められなかったわ〜…』

申し訳なさそうに両手を合わせる姿が画面に映った瞬間、可愛いという言葉が浮かんだ。

もうこうなったらなるようにしかならない。
私も画面に映る方へ向かおうと立ち上がろうとした所で

『テメェら何騒いでやがんだァッ!?うるさくて授業になんねーんだよクソがァアア!!』

遠くからでもはっきり聞こえた叫び声の後、ブツッと切れた画面。
先程まで騒がしかったせいか、職員室中が静まり返ったように感じた。

「…もしかして、切れました?」
「切れた」
「一応訊きますけど、切られた訳ではないですよね?」
「恐らく違う。宇髄も胡蝶もスマホに触れてはいなかった」
「そうですよね。もしそうだとしても、こちらの画面が真っ暗になる事はないですし、バッテリー切れでしょうか?」
「充電は十分あった筈だ」
「じゃあ何かしらの不具合…」
スマホを手に取ると若干眉を寄せる冨岡先生に、こちらもつられてしまう。
「…電源が入らない」
「それは…とにかく充電してみましょう。充電器はありますか?」
「一番上の引き出しに入っている」
「わかりました。取ってきます」
冨岡先生のデスクへ向かいながら、あちらは大丈夫だろうかとふと考える。
最後に不死川先生の声が聞こえたので、あれ以上の混乱は避けられるとは思うけれど。
充電コードを片手に戻ると冨岡先生へ左掌を向けた。
黙ったまま差し出されたスマホを受け取って、電源を取りそれを差し込む。
「…ひとまずこれで様子を見てみるしかないですね」
デスクに置いた所で更にその顔が険しくなった。
「充電ランプがついていない」
「…バッテリーを酷使すると一定時間つかなく事はありますが…」
「故障した場合データはどうなる?」
「クラウドにバックアップしてないんですか?」
返事が返ってくる前に言葉を続ける。
「パソコンに移したりとかも…?」
一応訊いてはみたけどしてないだろうなと思うと同時、横に降られる首に
「…じゃあ、恐らく、復元は難しいかと…」
事実を伝える心苦しさから口調がたどたどしくなってしまった。
まだ故障した訳ではない、そう言おうと考えたけれど、余りにも意気消沈している姿に気休めの言葉を掛ける気にもなれない。
「そんなに大事なデータが入ってたんですか?」
「…極妻名前の写真だ…」
辛うじて聞き取れた呟きに、あぁ、と心の中で感嘆してしまった。
「…すみません…。私がお借りしたばかりに…」
「名前のせいじゃない」
こういう時でも責めようとしない冨岡先生に眉を寄せてから真っ暗の画面に意を決する。
「ちょっと待っていてください。スマホ取ってくるので」
「何をする気だ?」
「それを復活させる方法を探します」
混乱に乗じてそっとスマホだけを回収しようと足を動かした所で

「苗字先生!?中等部の騒ぎは何なんですか!?」

血相を変えた校長と教頭に思い切り怪訝な顔をしてしまった。


今はそれどころじゃない


(それについては報告に伺おうと思っていました)
(…舌打ちが聞こえましたが…)
(してません。気のせいです)


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