short | ナノ





これまで命を、惜しいと思った事はない。

二度死んだ身だからだ。

一度目は、姉が身代わりとなった時
二度目は、親友を亡くした時

この身体が息をして動いていても、心は何も感じない。

鍛錬を続けたのも強さを求めたからじゃなく、ただ、ひたすらに自らの死に場所を求めていた。

だけど無様に死ぬ訳にもいかない。
二人に、せめて何か、餞別を手に入れるまでは。

そんな事を考えていた。

だから炭治郎と出会い、禰豆子を生かす事で運命が変わるなら、
それが隻腕となろうとも、結果二十五年という生涯になろうとも構わない。
寧ろ俺にとっては願ってもない役儀で、そこに迷いはひとつもなかった。

「私が行かないでって言ったらどうする?」

その言葉を聴くまでは。

今にも泣きそうな顔をしながら俺を見上げるものだから、
"どうするのだろうか"
そう、自分に問い掛けてしまった事で全てに気付いた。

考えるまでもない。
答えなど決まっている。
俺は鬼殺隊、水柱・冨岡義勇として生きて、死ぬ。

それ以外の選択肢は何処にもなかった。



わん はんどれっど えいと
ぷらす つー




「…義勇?」

突然目の前に現れた顔に、少し驚いて身を引いた。
「大丈夫?顔色良くないけど…」
その右手からペットボトルを受け取ると、返事をする前に隣へ腰掛ける名前の視線を追う。
「…流石にアレはキツかったかぁ」
苦笑いをしながら見上げた先、螺旋を描く鉄骨を滑っていく列車が勢い良く回転した。
同時に先程感じた内臓が持ち上がる感覚に口元を押さえる。
「…良くあんなのに乗る気になるな…」
何も考えず出してしまった本音に
「…ごめん」
小さく謝ると眉を下げる姿に蓋を開けながら、あぁ、やってしまったと考える。
「名前が悪いとは言ってない。俺も…あれくらいなら余裕だと思った」
矛盾しているのはわかっているが、それも紛れもない本音ではあった。
立場が変われば見方も変わる。その結果がこうしてベンチに座ったまま動けなくなった訳だが。
「初デートだからってちょっとカッコつけようとか思った?」
図星を突かれても、そのまま肯定してしまうのは悔しくて冷たい液体を口へ流し込む事で誤魔化す事にした。
「…からい…」
「え?炭酸まだ飲めないの?」
「余り好みじゃない」
「ごめん。気持ち悪い時スッキリするっていうから何も考えないで買ってきちゃった。こっち飲む?」
首を傾げながら差し出されたペットボトルの飲み口に付いた紅に目を止める。
「…化粧、してるのか?珍しいな」
「…気付くの遅っ!ってかリップだけだし!別に「右頬にラメが付いてる」嘘!?やだ何処!?」
「冗談だ」
「…バカ!」
顔を赤くするとそっぽを向く名前は可愛い。素直にそう思う。
俺のために慣れない事をしてくれたのだろう。
デートというものに浮かれていたのは自分だけじゃないと知って、また頬が弛んだ。

会話が途切れて、そのまま空を見上げる。
平和だと、そう暢気に考えた。

だけど、目蓋を閉じると──…

「義勇?」

開けた先にはまた名前の姿。
これ程までにない近さに心臓が勝手に動いた。
「何寝てんの?行こっ」
答える前に掴まれた腕から少し焦りが伝わってきて、あぁ、そうだったと思い直す。

名前は、俺が余計な事を考えないようにしてくれているのだと。

大正時代の記憶が蘇った代わりに、それまで義一として生きてきた16年は犠牲となった。
不憫だと感じている。俺ではなく、義一を育てた両親が。
それでも隠しておくわけにはいかないと全てを話した時、18歳を迎えるまでは義一で居て欲しいと言われ、俺はそれを承諾した。
実際、この世では名を改めるにしても、数年の猶予が必要だというのも知ったからだ。
2年あれば気持ちも変わる。当時はまだ期待もあったのだと思う。
けれど当たり前に義勇が義一に戻る事はなく、先日、無事に改名申し立てが受理された。
そんな事を名前に電話で話したところ、強制的に此処へ連れて来られ
「遊び倒すよ!」
そう宣言されて今に至っている。

少し高いヒールを鳴らしながら真っ直ぐ前を進む名前は、2年前、いや108年から変わらないな、とそんな事を思うと、また勝手に笑顔が零れた。

鬼にいつ喰われるか、そんな心配がないこの時代は俺にとっては夢のようで、それ故、何処か生温く感じていたように思う。
だけどその中で名前は、テストの点数に本気で絶望したり、テレビの中の作り物に涙したり、ただ懸命に、1日1日を生きているのだと知った。

その未来が俺の手に因って作られるのなら、そこに個人的な迷いなど必要ない。

いつからかそれは、命を懸ける理由として存在するようになっていた。

「…あ、これ!これ乗らない!?」

あの時より少し大人びたけれど、変わらない眩しい笑顔は、俺にとって一時でも救いになっていたのだろう。

「…観覧車か」

指を差した先を見上げて呟いた。
「あ、もしかして高いトコもダメ?」
「いや、高所はそうでもない。鬼との闘いでだいぶ慣れた」
「……」
口唇を曲げる名前に、あぁ、またやってしまったと考える。
「平気なら乗ろう!」
そのままの勢いで手を引かれ誘導員の指示に従いその中へ乗り込む。
自然と離れた腕が、少し寂しく感じた。
外を見つめるその横顔が、若干の怒気を醸し出しているのに気付いて、迷いながら口を開く。
「…悪い」
「良いよ別に。聞かれてなかったっぽいし」

こうして名前が怒るのは初めてだ。
無理もないか、と小さく息を吐く。

それは再会を果たして数日もしない頃だった。
名前は、電話越しの俺にこう言った。

「大正時代の記憶がある事、誰にも言わない方が良いよ」

その言葉の意味は、俺もこの2年で痛感していたから、すぐに理解はした。
言った所で誰も信じはしない。風当たりが強くなるだけだ。
名前はそれを心配してくれたのだろう。
「義勇はただでさえ空気読めないんだから」とも言われ、そこは納得していないが、その点においての忠告は、素直に従う事にした。

「…うわ、結構高…」

聞こえた呟きに、いつの間にか足元に落としていた視線を上げる。
「怖いのか?」
「…ちょっと。何かさっきより揺れてるし…」
不安そうに天井を見つめる名前に、自然と口の端が動いた。
「上空は地上より風が強いからな」
中腰で立ち上がった事で更に揺れを増すゴンドラにわかりやすく驚くその顔に、こちらは表情を出さないようにするのが難しい。
「え!?ちょっ動いちゃダメだよ!落ちる!」
「落ちはしない」
「わかんないじゃん!世の中は絶対なんて事はないんだから!」
隣に腰を下ろして距離が近くなっても、喚いているその口を自分の口唇で塞いだ。
「…っ!?」
反射的に後ろへ逃げる身体を端に追い詰めれば、更に焦った顔を見せる。
「義勇!待って待って!ほんと無理!怖い!」
「怖がりだな」
「だって何か傾いてるし!バランスヤバイって!落ちる!」
「落ちない」
もう一度口唇を押し当てて舌を絡めればすぐに力が弛まって、硬く目を瞑る姿が俺を受け入れているとわかるから、それ以上を望みたくなってしまう。
胸に触れれば小さく震わす身体も欲を掻き立ててくるだけだ。
「…んッぎゆ…ダメだよこんなトコで…っ」
その、突然弱々しくなる声も。
「誰も見てない」
「…そういうんじゃなくてっ!しかも見られるから!何考えてんの!?」
「名前とセックスする事を考えている」
耳元で囁いた俺に、顔を真っ赤にさせながら口を開閉する表情に噴き出しそうになるのは堪えた。
「恐怖は消えたようだな」
こちらの意図を理解したようで瞬きを繰り返すと小さく息を吐く。
「…ビックリした冗談か…。本気で言ってるのかと思った…」
「冗談のつもりはないが」
途端に怪訝な顔をしてくるそちらの意図は、俺には解せない。
「…何かさ。こんな事言ったらアレなんだけどさ」
「何だ?」
「大正時代と違くない?あの、子供には手を出さないってキリッとしてたカッコ良さは何処行ったの?」
「今はカッコ良くないのか?」
「いや、カッコイイはカッコイイけどさ。何か振り切れたっていうか開き直った感すごいっていうか…」
「振り切れた…それは確かにあるかも知れないな。人間、一度死を迎えると怖いものがなくなるらしい」
消沈していくその表情に、あぁ、またやってしまったと息を吐く。
髪を撫でれば泣きそうに目を伏せるものだから、何度その顔をさせただろうと、思い出して心が痛んだ。
あの時の俺には、こうして抱き締める事が出来なかったから。

「…本当は、義勇と名を変えてから迎えに来るつもりだった」

突然に感じたのだろう。息を止めた名前をただただ両腕で包んだ。
下がっていく景色が見えて、このまま地上に着いてしまわなければ良い、などと、そんな事が頭に過ぎる。
「…そうなの?」
「そうだ。その前にタンジロに見付かったが…」
「あ、そっか!そうだよ。何であそこに居たのかまだ訊いてなかった!」
身体を押し返されて眉を寄せるが、こちらの不満は疑問に満ちた瞳には映っていないらしい。
「駐車場の横に、蕎麦屋があるだろう?」
「…あったっけ?」
「ある。俺はそこで働いていた」
「え!?嘘、何で!?」
「あそこから名前とタンジロが見えるからだ。休日にお前が湖に訪れるのは事前の行動様式でわかっていたし犬連れではあの店に入れないためバレる事もない。観光客も多いため匂いも分散させられると考えていた。それに…」
口にしようかどうか、今度こそ本気で迷ってしまう。
「…それに、何?」
今此処で濁しても名前は俺が答えるまでその真っ直ぐな瞳を向けてくるだろう。
あの時後悔したから、きっと。

「金が入用だった」
「…お金?何で?」
更に丸くする瞳に、少しばかり罰が悪いな、とそう考えた。
「花を買うためだ」
「…ハナ?」
眉間に皺を寄せると首を傾げる仕草も、ずっと、前から変わらない。
俺が大正時代の話を屑々と説明していた時も、そんな風に不思議な顔をしながら単語を繰り返しはしたが、一度たりとも否定したり、馬鹿にしたりはしなかった。
「再会する時に名前に渡そうと思っていた」
「…なにそれ。そんなの良いのに」
なのに今はクスクスと笑い出すものだから思わず眉を寄せてしまう。
ズキリと傷んだ胸は

「なんにも要らないよ。義勇が居てくれれば」

そう言って微笑むから、抑えている筈の感情が我慢出来なくなる。
「…っん」
考えるより早く動いてしまう身体は、あの時何も出来なかった分の補填に近いのかも知れない。
それでも舌を絡める前に近くなる地面に、名残り惜しくも口唇を離した。

「続きは後でにしよう」

耳元で囁けば、紅潮させていく頬が可愛らしくて微笑んだつもりが
「何ニヤニヤしてんの?さっきからずっとエッチの事ばっか考えてんじゃん!」
その言葉と共に膝蹴りを食らって蹲るしかなくなる。
「…相変わらず良い脚力だ…」
「違うし!今のは膝だし!」
盛大な溜め息が聞こえて確かに懐かしい筈なのに、全く違うなと考える。
あの時痛かったのは、身体じゃなくて、心だった。
そう漸く、実感をしている。
傷付ける事でしか突き放せず、そうしても溢れ出してしまいそうな感情を、歯を食いしばって耐える事しか出来なかった。
けれど今は、溢れてしまっているその気持ちで顔を上げられない。
自然と震える肩にそっと触れた指先と
「…ごめん、そんなに痛かった…?」
心配そうに眉を下げる名前が心底愛おしい。
その気持ちが際限なく湧いて来る。

チュッ

わざと音を立てて口唇を啄んだ所で
「お帰りなさ〜い」
軽快な声と共に開いた扉から、その手を引いた。
「行こう」
「…え、あ、うんっ」
誘導員から目を逸らし、下を向いて歩き出すその姿に何をそんなに恥ずかしがっているのか疑問が湧いて
「…思いっきり見られちゃったじゃん…」
そう呟いた声で意味は理解する。
という事はこの間車内に居た存在には気が付いていなかったという事か。
そういえば、あれから全く周辺に気配がしないが…

「…あ、ねぇ」
そのまま止まった言葉に足を止めた。
「どうした?」
振り向いた先にはまた疑問に満ちた表情を見せている。
「何で花を買おうとしたの?」
何か約束したっけ?と小さく首を傾げる視線から逃げるように前を向いた。
「…忘れた」
「絶対嘘じゃん。要らないって言ったから怒ってる?」
「怒ってはいない」
「じゃあ何で?何で花なの?」
「言わない」
暫しの沈黙の後、
「何の花くれようとしてたのかだけでも教えてよ?」
その言葉が侘し気で、口を開く。
「……。薔薇の花だ」
「…私、好きって言ったっけ?」
「テレビを見ていた時に言っていた。薔薇を貰ったら感動する、と」
「あー、あれ?恋愛ドラマの?」
またクスクス笑い出すと
「義勇って意外とロマンティスト?」
なんて訊いてくる声は聞こえないふりをした。

多分今、俺が徒手のまま伝えても、そうやって笑うだろうから口には出さない。

名前は、知らないだろう。
気が付いていないだろう。

「なんにも要らないよ。義勇が居てくれれば」

ずっとそうやって想ってくれていた事も。
それが本人に伝わっていた事も。

名前なりにこの世界で異物でしかない俺が生きていく術を模索し、暮らしていく方法を享受しようとしてくれていたのもわかっていた。

もしも帰る方法が見付からなかったその時は、名前と共に生きていくのも悪くない。そう考えてしまいそうになる時もあった。

だけど、あの日選んだ道を、悔やんだ事はない。

「私が行かないでって言ったらどうする?」

考えるまでもなかった。
答えなど決まっていた。
俺は鬼殺隊、水柱・冨岡義勇として生きて、死ぬ。
それ以外の選択肢は何処にもない。

そうしないと、名前と共に生きる事が出来ないと気が付いたからだ。

元々、惜しくなかった命。
だから、丁度良い。そう思った。
こうする事でしか、未来は開けない。
それがどんなに不確かで不鮮明なものでも、そこに万に一つの可能性があるのなら俺はそこに賭けたい。

そのために、一度自分を殺す事を決めた。


あの時
出来なかった分
言えなかった分

今度こそ
抱き締めようと
伝えようと

「…ねぇねぇ何本?何本贈ろうとしてたの?ドラマみたいに歳の数?」
「違う。教えない」
「えー?何でよー?やっぱ怒ってる?」


だから
108本の薔薇を贈るよ



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