short





人間というのは未知な生き物だと、皮肉な事に人間ではない、別の生き物になってから切に感じている。
どんなに束になっても敵わないとされていた鬼舞辻無惨を滅してから100年余り。
今の世界は平和そのものだ。憎らしい程に。
目まぐるしく変化を見せる世の中を、俺と茶々丸だけは何も、何一つ変わらぬまま見続けてきた。
そうして最近、こう考える。

鬼は、人間の存在なしには生きていけないのだと。

今もそうだ。俺は自分が書いた画と引き換えに馴染みの医者から医療用血液を受け取り、帰路につこうとしてる。
消灯時間をとうに過ぎた院内は薄暗く、言うなれば気味が悪い。
まるで鬼が潜んでいそうな程に。
いや、今人間が恐怖に感じるのは、鬼なんかではなく目に見えない霊とかいうやつだ。
もしも霊魂というものが存在するなら、あの優しい笑顔をもう一度見る事も叶うのだろうか。
そう考えて、自嘲が零れたと同時に

「あら、これまた可愛らしい死神さんだこと」

突然聞こえた声と目の前に立つ老婆に、言葉が出ない程驚いた。

呼吸を再開させてから"紙眼"を忘れていたのかと確認しようとした所で
「でもそれはキョンシーみたいね」
自分の額を指す動作によって血鬼術は発動している事を知る。

それならどうしてこの老婆は俺を認識しているのか。
思考を巡らすより早く答えは出た。

奇跡と呼べる無惨討伐からどれだけの時が経っても、人間の計り知れない能力に、未だ驚かされる。

見えてはいない筈の俺の視線にしっかりと目を合わせ
「キョンシーって知らない?昔流行ったのよぉ」
屈託なく微笑んだその老婆は、近い内に命の灯火が消える事を知りはしないのだろう。

死期が近付いた人間は、たまにこうして俺の存在を知覚する事がある。
その大半が霊と称し怯えるか見てみぬふりを決め込むが、この老婆のように笑顔で近付いてくるのは初めてだった。

"死神"という喩えは、あながち間違いではない。
そんな事を思った。


わん はんどれっど えいと
ぷらす すりー



運命というものがあるなら、その歯車が大きく狂い出したのは、老婆に出会ってから。
死期が近いというのに、足繁く病室へ通うのは孫だけという不憫さに、俺は普段しない同情というものをした。
今考えると何故そんな事をしたのか、それも運命の巡り合わせと言われたら、腹立たしいが納得せざるを得ない。
余程人恋しかったのか、俺の顔を見るなり堰を切ったように話を始めた老婆から血鬼術を宿す手鏡の存在を知るのに、時間は掛からなかった。
同時に、効力を残したまま現存させるのは危険なのではないかという危惧も生まれたが、その手鏡を使い、1人の人間が数年先の未来へやってくるという事実でその考えは変わった。

当時まだ甲の階級に属していた冨岡義勇。
任務の際、血鬼術により一時的ではあるが一部の記憶を喪失したため、藤の花の家紋の家での療養を余儀なくされ、箪笥の引き出しに入っていた手鏡を開いた事で未来に飛ばされる。
それを発見するのが、老婆の孫だという。

正直その話を聞いた時は、半信半疑、いや、ほぼ懐疑的だった。
そんなものが無惨に知られる事なく残ったという事実は、それこそ奇跡に等しい。
そう言った俺に、老婆は一時帰宅をした時に持ってきたという4つの手鏡を渡した。

「死神さんにあげる」

悲しそうに微笑んだのは、余命幾許もない痴呆老人の世迷言、親族がそう言っていたのを耳にした事による自暴自棄に近いものだったのだろう。
それでも数年後、冨岡義勇が通ってくるであろう防空壕に祀られている1つと、老婆が孫に託す1つだけは残しておかないといけない。
意識が混濁しても尚、呪文のように呟き続ける老婆は、不憫だと、そう思った。
思っただけだ。何もしようとはしなかった。
せめてもの弔いに、鬼というものを見たかったと呟いた時、自分の正体を明かしただけ。
その際に名前を訊ねられて、それ位なら良いかと差し出された紙に自分の名を書いた。

老婆の話が本当だと知ったのは、実際に冨岡義勇が時を越えてきた2021年6月。
念のため棚の上に置いていた手鏡が共鳴するように光り輝き、血鬼術が発動しているのを知る。
その共鳴光についても、老婆はしっかりと俺に話していた。

その足ですぐ老婆が住んでいた屋敷へと向かったが、特に杞憂する必要もない。
孫は4日間、冨岡義勇を家に留めた後、老婆の遺言通り手鏡を使い、居るべき大正の時代へ返す。
数日してからソイツは自分が抱いていた感情に気付き、毎日のように泣き続けるのを、俺はと言えば傍観する。

これが本来の、運命だったんだ。

無惨を倒すために、冨岡義勇の存在は必要不可欠で、未来へ訪れるその4日間も無きものには出来ない。
そうでないと炭治郎達と出逢った時、禰豆子を生かすという選択をしない可能性があるからだ。

泣き続ける孫に関しては、不憫だと思った。

これならば、俺が持つ4つの手鏡は一切必要ないものとなる。
僅か数年の間で、愛する者との死別と離別を経験し絶望に蹲るその姿に、俺は自分の癒えない哀しみを、重ねたんだろうな。

あろう事か手鏡のひとつを使い、これから死を選ぶ珠世様に、そこらへんで拾った犬を鬼にして欲しいと頼み込んだ。
珠世様があの時、未来の俺というのを気が付いていたのかはわからない。
だけど何も訊く事なく、俺の願いを叶えてくださった珠世様は、100年という月日を隔てても尚お美しく、叶う事ならばそのまま手鏡を使い、未来へ連れていきたいと、本気で考えた。
しかしそれが珠世様の本望でないのは訊かずとも俺にだってわかる。
胸が引き裂かれる思いで、その場を後にした。

予期鬼の血鬼術は、思念する事で発動し、一度使うと手鏡に関しての記憶は真っ白の状態となり鏡は真っ黒になる。
老婆はそうも言っていた。
恐らくは無惨に存在が知られた時に備えた窮余の一策だったのだろう。
それでも事前に知覚していれば、過去と未来の行き来はそれ程難しいものではない。
記憶を失くした自分でも、必ず1日の間に何度か触れるであろう褌に覚え書きを縫い付けておけば良い。

そのまま未来に戻り、犬を玄関の前にでも置いておくつもりが、本当に過去に来られたという事実から、珠世様のお姿を拝見出来た喜び、これから先の耐え難い哀しみに、俺は相当、心が乱れていたのだろう。
コイツは陽の光を浴びる事が出来ないという重要な事に気付いたと同時に手鏡を開いてしまった事で、帰るべき未来より10年のずれが生じ、その結果、というのかはわからないが、その犬は太陽の光を克服していた。
これも今思えば、奇跡だったと、そう言うしかない。

綿密に練った筈の俺の計画は、そこから場当たり的に進み続けた。

とにかく鬼化させた犬を、6歳の孫に拾わせ戻るつもりが、それが全くといって良い程、上手くいかない。
親に反対され反抗した気の強いソイツは山の中に籠城を決め、あろう事か冨岡義勇が通ってくる手鏡を祀ってある防空壕へ入り込んだ。
一晩その中で泣き声と鳴き声を響かせてくれたものだから起こったのは崩落。
辛うじて入口まで移動していたソイツを助け出せたのは良いが、手鏡は土中深く埋まってしまった。

未来を変えようとする事が、どれだけ愚かな行為であるのか。

俺は絶望と後悔の中、泣き続ける孫にどれだけ重大な事をしたかを説き伏せた。というより、喚き散らしたという方が正しい。
半分も理解していないその泣き顔は、俺が手鏡の詳細に話した事で顔色を変え、自分のポケットを不自然に触れた。
それも見て見ぬふりしてやったのに、人目を忍んで山の中に埋めやがるものだから、それを掘り返し、誰も届かないであろう天高く伸びる杉の木の頂上近くに括りつけ、当時の自分にその木へ心配りを怠らないよう手紙で支持をした。
"珠世様のためになる"
そう書けば、過去の俺は絶対に行動を起こすと見込んでの事だ。
その甲斐あって、人の目に触れずそこに存在し続けた手鏡は漸く10年という年月を経てその役目を果たし、土砂崩れと共に地面へと還った。

そうした事で、未来は狂いに狂ってしまった。

まず老婆に会った俺は、既に手鏡の存在を知っている事になり、発生した矛盾は相乗して親族への言伝すらも変化させる。
結果、16歳になった孫が取った行動が"死なせない"という、何ともガキくさい案。

それでも大筋の運命というものには抗える筈もなく、冨岡義勇は大正時代へと帰還した。

そこからの孫の悲愴は、以前とは比べ物にならない程に酷いもの。
それは、そうだ。
自分の感情も相手の生末も知らぬままだった頃より、全て知ってしまった上でのこの結果。
沸き起こる感情は、理解が出来た。

これなら、何もしてやらない方が良かったんじゃないか。

心の底から、不憫だと、思った。

それでももう、過去に戻ってやり直す事は出来ない。
残る手鏡は1つ。
俺が過去の何処へ戻ったとしても、何ひとつ変えられない。

全てが手遅れだった。

だからせめてもの償いに、僅かの可能性に賭け冨岡義勇の生まれ変わりを捜す事にした。

俺が見付けた時には、大正時代の記憶を既に宿していて、背後から"紙眼"で近付いたにも関わらず
「名前の所に居た鬼か」
立ち止まると静かに呟いた事で、あの時から既に俺の存在に気が付いていたという事実を知る。

会いに行けと言う俺に"冨岡義勇"は口止めをした後
「時機が来たら、迎えに行こうと思っている」
そう一言だけ告げた。
何を訊いてもそれ以上を口にしない頑なさに折れた形になる。

コイツはコイツなりに考えがあるんだろうと、俺が、珠世様以外はどうでも良いと思っているこの俺が、珍しく他人の意見を尊重してやったというのに、結局タンジロに気を揉ませた挙句に見付かって、なし崩し的な再会。
それだけならまだしも、俺の気配に気付いていた上のあの行動と来た。

思い出しただけで腹が立つ…!
何なんだアイツは!というかアイツらは!

持っていた筆がバキッと音を立てて、盛大に息を吐いた。

「…にゃあ」

茶々丸の鳴き声で視線を下へ動かした俺に、丸々とした瞳を向けられて、何故か笑いが零れる。

「あの2人は、運命に勝ったんだな」

勝手に綻んだ顔に気付いて、思い切り眉を寄せた。
折れてしまった筆を新しいものに変えて、美しい珠世様の肌を表現するために集中をする。
それ以外の事を考えるのはもうやめた。


目まぐるしく変化を見せる世の中を、これからも俺と茶々丸、そしてタンジロは何一つ変わらぬまま見続けていく。

人間は未知な生き物だ。
抗っていれば、奇跡というものはいくつだって起こる。
それが喩え、望みとは異なるものでも。


今の世界は平和そのものだ。憎らしい程に。


だから
祝福なんてしてやるものか



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