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ホットプレートに広がったギトギト油がようやく取れてきた頃、寝室の扉が静かに開く音が聞こえた。

「おはよう」

振り向けばまだ酔ってるんだか眠いんだか、とにかくぼーっとしてる義勇の顔がある。

「……不死川は?」
「帰ったよ。ちょっと前に」
「……。そうか」

拍子抜けしたみたいに力なく椅子に座るから、首を傾げたくなりながらもホットプレートに向き合い直した。

「お腹空いたなら焼肉チンして食べてね。ご飯もあるし」

いくら待っても返事がないからスポンジを動かす手を止めて義勇へと視線を戻してみる。

「不死川くんと何か話したかったの?」

雰囲気から察するに多分そうかなって浮かんだ可能性を口にすれば、ちょっとだけ表情が動いた気がした。

「結婚式について相談しようと思っていた」
「……あぁ。そういう?」

ついつい苦笑いが零れたけど、そこまで深刻な内容じゃなかったのは安心してる。
というか、不死川くんが聞かされなくて良かった。多分、というか絶対反応に困ったと思うから。全然現実的じゃないし。

「不死川には司会を頼もうとしてるんだが」

また勝手に決めてるし。

「いや、多分断られると思うよ」

これも多分じゃなくて絶対。
伊黒くんの時も柄じゃないって拒否したくらいだから。

「今日新しいパンフレットを持ってきた」
「何の?」
「一軒家が800万で建てられるらしい」

ガサゴソと音を立てるからきっとそれを用意してるんだと思うんだけど、ひとまず洗い物を片付けて話を聞こう。微妙に話が噛み合ってないから。

まぁ、もうそれもいつものことで慣れたけど。

「今度は家?ってかそんなとこ行ってきたの今日」
「まだ行ったわけじゃない。偶然住宅展示場を通りかかっただけだ」
「……。あぁ、そういう?」

ようやく汚れが落ちたホットプレートを水ですすいでから乾燥機に立てかける。うん、蓋が閉まらないけどまぁいいや。

「で?何?」

テーブルを挟んで目の前に座れば、本当に建築住宅のパンフレットが置かれててまた苦笑いが零れた。

「訊ねたいんだけど、どうしてこうなったの?」

この間までは結婚式に固執してたのに、今度は一軒家と来れば何かきっかけがあったんだろうなと考えざるを得ないわけで、その理由も当然気にはなる。

「不死川が家を買うそうだ」
「え!?すごいじゃんっ」

脊髄反射で答えてから考える。もしかして例の彼女のためとか?
不死川くんも実直だから有り得なくは……

「親に楽をさせたいと前々から聞いてはいたが」
「……。あぁ、そっかぁ。そういうこと」

そういえば不死川くん、お父さんいないんだっけ。
早くに亡くなったから兄弟たちの面倒見てるって聞いた気がする。誰かに。本人からじゃないのは確実だけど。
でもちゃんと聞いたっていう記憶もないから、多分義勇と伊黒くんが話してた内容がたまたま聞こえたって感じだろうな。

「ようやく資金が貯まったと言っていた」
「へー、すごいねー」

ペラペラと捲る冊子に載ってる建物は確かにオシャレでカッコイイ、けど。

「だからって義勇まで買おうとする必要ないんじゃない?」

悪気なく発した一言には後悔してる。
私のこういうとこが余計で、ぶつかる原因なんだって最近ようやく自覚をしたから。

「いや、そう思ってくれたのはもちろん嬉しいけどさ」

内容云々より言い方の問題なんだっていうのも自分を見つめ直してわかったから続けたけど、

「不死川に感化されたのは確かだが、理由はきちんとある」

まっすぐ見つめてくる群青色の瞳には不覚にもドキッとした。

こうやって義勇が自分の気持ちを主張するようになったのは、それこそ一度別れてからだ。

「うん」

だからちゃんと聞くためにきちんと返事をした。
それでもすぐに話そうとはしない義勇に、今までの私ならすぐ苛立ちを感じて話し出すタイミングすらも遮ってたことを気が付いたのも別れた後だったな。

「……ここの家賃を払い続けることと、住宅ローンを考えたらどちらが得かだ」
「うん」
「名前はどう考える?」

突然の質問には一度パンフレットを見てから思索した。

「ローンを払う方?」
「よくわかったな」
「多分、その言い方ならこっちだろうなって思っただけ」

義勇ってわかりにくいけど、こういうところはわかりやすい。本人は自覚ないみたいだけど。

「遅かれ早かれ家を買うなら結局引き払う賃貸物件に払い続けるより、ローンを組んだ方がいいと気が付いた」
「……。うん、まぁ…、そうだね」

家を買うとは一言も会話に出てきたことないんだけど、それ口に出すと思いっ切り話の腰を折ることになりそうだからやめとく。

でも何ていうか、感じるのは多分ここが私と大きく違うところなんだろうな。

「家賃を払い続けるなら家を買った方がいいっていう理論はわかるの。義勇の言う通りだと思う」

そこまでは納得できる。ほんとに。

「だけど…さ」

でもその次に進むのは、気が引けた。

また喧嘩になってしまうのは嫌だから。

だって前も、ずっとそんな大したことない意見の食い違いで擦れ違って駄目になった。

やり直すって決めたなら、ううん、"新しく始める"って決めたんだから同じことは繰り返さない。

繰り返したくない。だから悩んでしまう。迷ってしまう。

「俺の提案が見当違いなら言ってくれ。間違ってるのなら受け入れる」

そうやって譲歩してくれる義勇も、きっと同じように思ってくれてるのかな。

「うん」

返事をしておいて沈黙を作ってしまってから気が付いた。

もしかしたら義勇も、今の私みたいに"傷付かない言葉"を探していたのかも知れない。

「家賃だけで比べればそうなんだけどね」

どうにも言葉にしづらくて、また言葉を切った。

でも言わないことには伝わらないのも知ってる。

「家を持てば固定資産税とか、かかってくるし万が一に備えて保険にも入らなきゃいけないからトータルしてみれば……、損ではないけどそこまですごく得でもないかなって」

そこまで言ってから、義勇の顔を窺った。
不機嫌になるどころか驚いてるからこっちまで同じ顔になりそう。

「何?」
「詳しいな、と思った」
「あー、うん。聞きかじっただけだけどね。ほら、うちの職場、既婚率高いじゃん?家買ったとかそういうの都度噂になったりするから」
「そうか」

特にあの子、後輩が入ってからはどこで貰ってきたんだかわからない、無駄に詳しい情報をよく話してくれるものだから仕事しながらだけど何となく覚えてしまった。

ただパンフを見つめ始める義勇に、ひとまずこの件に関しての会話は終わったんだなと気が付いて口を開く。

「そういえば義勇、知ってる?」

何となく目が合ってから話を続けた。

「開発部の…、えーと何だっけなあの人」

言ったはいいけど全く名前が出てきてくれなくてちょっと焦った。もしかしてこれが加齢というやつか。
いやまだ30になったばっかだし。まだ。話しながら思い出せるはず。

「義勇のちょっと後に入って、すぐ結婚した〜……えーと、ね、いつも髪型決まってる…」

頭を抱える前に義勇の口から出た名前に、バッと顔を上げた。

「そう!その人!義勇、仲良い?」
「いや、仕事で話すくらいだ」

あ、じゃあ別にいいかな。

「奥さんに浮気されたあげく半年前に買った家売りに出すとか噂が流れてるけど、大丈夫なの?」

その大丈夫?は色んな意味があったんだけど、

「何故名前があいつを心配する」

見る見るうちに険しくなっていく眉間には戸惑った。

もしかして、実は仲良くないとか?

そういうの今まで全然話さないからわかんなかった。

「その人を心配してるわけじゃなくて、義勇に仕事の皺寄せきたりしてないのかなって思って」

苦い、というまではいかないけれど、部署内でプライベートのごたつきに巻き込まれた経験はあるから、どっちかといえばそっちの方を心配してる。

「いや、……大丈夫だ」

その一言でいつもの表情に戻ったけど、気になるは気になる。

「……もしかしてさ、その人のこと嫌い?」

あ、ちょっとあんまり見ない反応かも。今の目蓋の動き。
ついでにいうと義勇が特定の誰かを嫌うってことも結構珍しい。

「何かあったの?」
「……。何もない」
「ほんと?」

その割には態度がちょっと変だけど。

ここで私がしつこく訊いたところで答えないだろうな。意固地にさせるだけだっていうのがこれまでの経験則でわかる。

「まぁいいや。義勇お風呂入る?」

こういう時は引き際が肝心。

「まだいい」
「じゃあ私入ってくるね」

返事がないのが返事だってわかってるから、浴室に向かった。


未来をしよう


結婚とか新居とか、義勇がどこまで本気なんだろってシャワーを浴びながら何となく考えたけど、当然答えが出るわけもなくて、そこに関して私の想いも定まってないからうやむやなままで戻ったリビングにはさっきのパンフを真剣に読む耽っている姿があった。

眼差しを見る限り、かなり本気なのかも。

そういえば前にも言ってたっけ。

私のこと"家族"だと思ってるって。

「良さそうなのあった?」

わざわざまた話題を振って椅子に座ってしまう辺り、私も少なからず思ってる。

"家族"という関係になれたらいいなって。

もちろん今のままでも不満はないからいいんだけど。これは本当に。前みたいに強がりじゃない。

「面白いな」
「何が?」

口の端を上げた義勇から、差し出された冊子へと視線を落とす。

"趣味に特化した家づくり"

そう題されたページには実際に建てた家の写真が並んでいて、個性が強い。

「あ、もしかしてこれ?"読書好きが高じてまるで図書館"ってやつ」

壁に埋め込むように設置された棚には何十、もしかしたら何百って数の本が並んでて、圧巻の一言に尽きる。

「名前もこういう空間が欲しいか?」

余りにも突拍子もない質問には面を食らってしまった。

「……いや、ここまでは要らない、かな…。こんなに積んでたら子供生まれた時危なくない?」

実際の家主は年配のご夫婦だからそこの問題はないだろうけど。

「……それもそうだな」

納得はしてくれたみたいだけど、

「子供、か」

ボソッと呟いた義勇の視線の鋭さにドキッと心臓が高鳴った。

「名前」
「あ、洗濯物畳むの忘れてたっ」

伸びてきた右手を遮るようにっていうか遮って席を立つ。

「義勇もお風呂入ってきなよ?」

自然なふりでそう言ってから寝室へと逃げるように、というかそれも文字通り逃げた。

ベッドの端に腰をかけて、ただただカゴに溜まった洗濯物を畳む。

ドキドキする心臓は気が付かないふりをしてる。

何かおかしい。

そう、おかしい。

さっき"そういう雰囲気"になりかけただけでこんなにも動揺するなんて。

まるで付き合いたてみたいな。

何で今更?って自分でも思うけど。

だって義勇とはこれまで何度もシてるし、こんなドキドキすることなんてもう何年もなかった。

だから、おかしい。

どうしたっていうんだろう、私。

後ろから聞こえたベッドの軋む音に、落ち着いてきたはずの心臓がけたたましくなった時にはその腕の中に掴まってて、息も止まってた。

「……名前」

耳元に感じる息遣いに思わず畳んでた途中のタオルをきつく握る。

「……どうしたの?着替え?」
「違う」

ごそごそと動く手が胸に触れて、心拍が更に速くなった。

「ちょっと待って待って!どうしたのいきなり」
「いきなりじゃない。わかってて逃げただろう?」

見抜かれてしまっては、ふざけてはぐらかすこともできない。

「嫌なのか?」

足の付け根に伸びてく指に高まっていく羞恥心が何でだかもわからないまま固まった。

「嫌って、いうか……。最近義勇ゴムつけてくれないし」

意を決して言った言葉に顔が赤くなっていくのを感じてる。

そうなった理由はわかってるけれど。

「妊娠を望むなら早い方が望ましいと医者も言っていただろう?」
「それはそうなんだけど…、いくら何でも気が早過ぎない!?」
「早過ぎない」

またそうやって勝手に決めるって思ったのに、首を滑っていく舌に握っていたはずのタオルがいつの間にか床へと落ちてた。


* * *

「だから義勇は何かズレてるんだって……」

前々から思ってはいたことがここ最近顕著になってきてるって感じて、溜め息をひとつ吐いた。

「どこかだ?」

この状況で説明させようとする?って恨み節は広い背中に視線を向けるだけで我慢してる。

正直、今振り向かれたら恥ずかしいし。

使ったばかりのティッシュを丸める間に、義勇の右手がゴミ箱へと動いたのを見たけど、これもお願いなんてことはとてもじゃないけど口にできず手の中に収めたままベッドの中から下着を探した。

「……っ」

少し動いた瞬間に"出てくる感覚"に顔を顰める。

「……ごめん、もう一回ティッシュ取って」
「ん」
「ありがと」

慌てて"ソコ"に押し当てて、ホッと息を吐いた。

良かった。布団に付かなかった。

「動きが忙しないな」
「誰のせいでしょうね」

振り向いたと同時に恨み節を吐き捨てて顔を逸らす。

「そこまで焦るということは嫌だったのか?」
「嫌っていうか……。だって、初めてだから…ね?」
「何が」
「は?」
「何が初めてだった?」

耐え切れず睨んだその先では明らかに笑いを含んだ表情をしてる。

「わざと言わせようとしてる?」
「何のことだ」
「うわ、悪趣味」

つい投げたティッシュは胸元に当たったけど、そこからは布団を被ったから知らない。

「だからズレてるって言ってんのほんとにもう!」

怒ってるふりをして熱くなった顔はそうやって隠した。

だってこういう風にお互い裸でシたのも、もう何年振りってレベルだからそれだけで恥ずかしいのに……、それをナカに、だ、出すとか……。

「ティッシュとってっ」

またじわりと出てくる何か、ってわかっていてもどうにも直接的な表現をできないでいる。

「そんなに出てくるのか?」
「知らないよ!」

ついついキツくなってしまった口調にハッと我に返った。

「ごめんっ、本気で怒ってるわけじゃ「わかってる」」

顔を出せないまま手探りでそれを受け取って"ソコ"に当てる。

「風呂に入るか?」
「……いってらっしゃい」
「入るか?と訊いたんだが。そのままだと下着も履けないだろう」
「……だから誰のせい……。私はいいよ、あとで。義勇先に入ってきな?」

身体を流すだけならすぐに終わるだろうけど、まだお風呂に入ってない義勇を差し置いてまで急ぎでもないからそう提案したのに、

「一緒に入ろうという主旨なんだが」

困ったような声色が聞こえて布団から顔を出さざるを得なかった。

「はあ?」

また悪趣味の延長線でふざけてるのかと思ったのに、その顔は真剣で布団を捲ったことを後悔してる。
聞こえないふりとかすれば良かった。

「そこまで驚くことじゃないだろう」
「驚くよ!」
「伊黒はいつも一緒に入っているそうだ」
「え?そうなの?」

一瞬でも想像してしまったことも後悔してる。

「いや、でもウチはウチ、ヨソはヨソでしょ!?」

これまでそんなことしてこなかったからいきなり言われても困る。困るどころじゃない。正直やだ。
どうせ誰にも見せないしって全く気にしてこなかったからか、最近になって肌の衰えとか弛みとか全体的に感じるようになって尚更見せられない。

こればっかりはいくら何でも無理って再び布団の中に潜ることで拒否を示せば、盛大な溜め息が聞こえた。

「ならいい」

吐き捨てるような言い方には不安から心臓が音を立てた。

私、また義勇を傷付けたかも……。

「あ、え?ちょっと…っ!?」

考えてる内にその腕に収まっていて、焦るどころの話じゃない。

「一緒に入らないならこのまま寝る」

明らかにふてくされてるのにぎゅっと抱き締める腕は優しくて予想もしてなかった事態に面を食らったあとに笑顔が零れた。

「何それ」
「言葉の通りだ」

また吐かれた溜め息がどうにもおかしくて笑いへと変わっていく。

「そんなに一緒に入りたいの?」
「お前は入りたくないんだろう?」

これは完全に臍を曲げたのかも。フォローの言葉を考えてる間にも腕の力は強まっていく一方。

「そういうわけじゃないけど……」
「無理しなくていい。それで機嫌を損ねたわけじゃない」

ふう、と吐いたのが溜め息じゃないって、何というか雰囲気で伝わってくる。

「……おやすみ」

その後にふっと抜けた力には耳を疑った。

「…え?このまま寝るの!?本気!?」
「本気だ。さっきもそう言った」
「冗談だと思ってた……」

どうにも最近、ますます義勇の思考が読めない。

言われ慣れてないし、され慣れてないことが多すぎる。

「冗談は言わない」
「……。まぁ、うん。そうだね」

そういえば、改めて考えてみればそうかも。

義勇はほんとに出逢った時から、言葉は悪いけど馬鹿がつくほど真面目で、放っておけないって目で追うようになって、いつの間にか好きになったんだなって。

冗談も嘘も吐けない人だから私自身それで傷ついたりもしたりして、なのに上手く言い訳もできない不器用さにやっぱり放っておけないってなったりして。

「ふふっ」

堪え切れない笑いは抑えたつもりだったけど、義勇に届いてたみたい。

「さっきからずっと笑ってるな」

どっちとも取れない声色で余計に笑ってしまった。

「んーん。義勇って変わんないなって思って」

ほんとに、何にも。

好きだなって思えるところも、ちょっとついてけないなってところも昔から何ひとつ。

「それを言うなら名前も変わらない」

ぴたりとくっついた身体は暖かくてホッとしてるのに、

「それって褒めてる?」

そう訊いちゃう辺り、私も私で変わってない自覚はなきにしもあらずだ。

「褒めてる」

直球で返ってくるのに照れてしまうのとかも。

「……変わらず、愛しい」

吐息混じりの言葉にドキッとしたけど、振り向くのは何となくやめた。

「もう、どこにも行くな」

まるで心の底から滲み出るような声に、胸が痛くなる。

「行かないよ。…多分。義勇が私のこと嫌にならなかったらね」

だから敢えての冗談だったのに、

「嫌になるはすがない。俺は奴とは違う」

本気度が増した空気にちょっと困惑した。

「奴、って?」
「さっき話した」
「え?」

断片的な情報で絞り込んだ答えが合ってるかはわからない。

「あ〜、開発部の?奥さんに浮気されたって」
「違う」
「え?違った?」

そしたら誰の?って考えてる間に話は勝手に進んでいく。

「浮気されたのはあいつじゃない」

ということは……?

「どういうこと?」
「あいつが浮気をした。それが真実だ」
「え?そうなの?」
「体裁のためそういうことにしているらしいが開発部では有名な話だ」
「へー、そうなんだ」

何か意外かも。奥さん大事にしてますって感じだったらしいから、好感度高いって聞いてたけど。

まぁ私には関係ないか、なんてのんびり考えてたから

「あいつは……、一時期お前のことも狙っていた」

その言葉には思考が全く追いついていかなかった。

「は?それ気のせいとかじゃなくて?」
「気のせいじゃない。ハッキリと言われた」
「何て?」
「言いたくない」

また義勇の頑固なところが出たって苦笑いが零れる。でも何だか、納得もしてた。

「だからさっき怒ってたの?」

私が何の脈絡もなくその人の話題を出したから。
いや、私としては脈絡はあったんだけど。
後輩から聞いたのがほぼその人の情報だったからっていう単純明快な。

だんまりを決め込む義勇をどうしていいか考えてるうちに、静かな寝息が聞こえてきたのはわりとすぐのことだった。

早いなぁ、寝るの。まだ話してる途中だった気がするんだけど。マイペースというか何というか。

息を吐いたのはもう癖みたいなもので、その後に弛む頬は素直なものだった。

思い出すのは"愛しい"、その一言。あんな台詞、初めて言われた。それに誰かに対する嫉妬とか。

前だったら全然わからなかった感情を、拙いけれど伝えようとしてくれてる。

そんなの、嬉しくないわけがない。

「ありがと、義勇」

聞こえてないのはわかっていても呟く。

背中に感じる温もりは変わってないけど、やっぱり不死川くんの言う通り変わったのかも。

一度離れてから、当然のように傍にあった存在の大切さを身に沁みて実感して、そして命の尊さを知った。

結果論で言えば、義勇も私もまだ生きてる。

だけどきっと同じことを思ったんだと思う。

だから背中に伝わる心音をこんなにも愛しくなってる。

忘れてたわけじゃないけど、敢えて深く考えてこなかった。

命は、永遠じゃないこと。

死の恐怖が自分の身に近付いて、初めて実感した。

実感をしたから尚更愛おしくて、大切なんだって気付いて……。

気付いたから、もう後悔したくない。

「……。おやすみ、義勇」

逞しい腕に手を添えて、目を瞑る。

「また明日ね」

微睡みに誘われる中、完全に眠りに落ちてしまう前に未来も変わらず傍にいられるよう、強く願って目を閉じた。


人はいつか必ず
会えなくなるんだろう
今じゃないと信じたい 伝えたい
油断じゃなくて 願いだ

儚いから美しいなんて
命には当てはまらなくていい
慣れないから美しいんだねって
笑いながら しぶとく 僕は
生きていたいよ

願わくば 一緒に

生きていこうよ



SUPER BEAVER
"儚くない"より抄出



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