short | ナノ





"人のシアワセを妬む時"

そんな文字を見つけた。行きつけの古本屋で。

ものすごくわかりやすいタイトルにドキッとして思わず手に取ったのは、数ヶ月前の自分を思い出したからかも知れない。

職場の人間関係とか恋人との付き合い方とか、あと自分の未来とか身体のこと。

一気に噴出した問題はもう逃げ場がないくらい、どこもかしこも四方八方が高い壁な気がして、私は自分のことすらも見失っていたんだと今になればわかる。

そして、そんな時、すごく思った。

"皆、幸せそうでいいな"と。

そして、その後、身に抓まされた。

羨んだり、妬んだりするのは結局自分に満足していなくて、余裕もないからなんだって。

その答え合わせのように、開いたページの最後。今私が辿り着いた答えと同じ文を見て、少し間違っていないって自信は貰えた気もする。

正直、それ以外は当たり障りのないことしか書いてないから買って帰るかと言われれば答えはノーだけど。

「お願いします」

さっき見繕った本を2冊、レジに置く。

「……若い子がくるなんて珍しいね」

相変わらずの台詞に苦笑いをしたところで、

「やだねぇお父さん、先週も来てくれたでしょ?本の虫さん!」

レジを打つ娘さんの笑顔に、私も笑みを返した。

いつもならおじいさん自らレジを打ってくれるから、今日は調子があまり良くないみたい。

本人の前だからそれは口にすることなく、娘さんとお互い目線だけで合図をして店を出る。

本調子じゃなくてもレジ内に座るおじいさんは、きっと今日を頑張っているんだと思うと、悲しくなるどころが私も頑張ろうって元気を貰えた。

"今日の夕飯、何食べたい?"

いつもの面子、伊黒くんと不死川くんと出掛けている恋人へLINEをしてみれば、

"名前の作りたいと思うものでいい"

なんて返信が来て、思わず笑ったけれど、

"ものでいいじゃなくて、ものがいいって言ってくれると嬉しい"

素直に感じたことを返して、また頬が弛んだ。

この数ヶ月で、私達は大きく変わったと思う。

一度別れたからっていうのもあるけれど、その後すぐに起こった出来事の方が私達にとっては影響が多大だったかも知れない。

まさかのまさか。義勇も私と同じように職場で倒れて救急車で運ばれた。

原因は急性虫垂炎、ようは盲腸。

幸いにも軽度の炎症だったから5日間の入院と薬の投与で済んだけど、退院するまで気が気じゃなかったのは今も鮮明に覚えてる。

たった5日のはずがすごく長く感じたのは義勇も私も同じだったみたい。
いつもは何の気なしに取っていた連絡が待ち遠しくて、既読が付かないと不安になったりして、さすがの義勇もちょっと弱気になったのか「名前の写真を病室に置いておきたい」とか言い出して、普段では絶対にしない提案にも心配になった。

無事に退院もできて、今はあの時のことが嘘だったみたいにピンピンしてるけど。

そんなこともあったから、まだ籍は入れてない。

復帰してからも義勇は結婚しますって会社中に言いまくってたけど実際問題そんなすぐにできるわけもなくて、この間ようやく、私の新居になるはずだった賃貸を解約して義勇と住んでいたところに戻ったばかりだ。

1年どころか半年も住んでないのに退去費用がどうのとかここぞとばかりに上乗せされた金額が提示されて、不動産屋と揉めたのが主な原因。

ネットにかじりついて法律とか調べてみたら大半は払わなくていいお金だったんだけど、結局話し合いにすらならないからめんどくさくなって提示された3分の2を払っておしまいにした。

結婚から遠のいたのは、入院、通院、引っ越しと貯蓄が著しく減ったっていうのもあるかも知れない。

少なくとも、惣菜で済ましてしまいたい気持ちを抑えつつ自炊を続けてるのは確実にそのせい。

今週も仕事頑張ったからいいかって自分を甘やかしたくなる気持ちも、値段を見れば嫌でも我に返る。

それらに頼るのは仕事でクタクタになって本当に何もしたくない時って義勇との同棲を再開させた際に密かに決めた。

今も料理は苦手だし、上達もしてないのにそんな風に思ったのは他でもない、義勇のせいだ。

「美味い」

今まで一緒にいて数えるくらいしか言われてこなかった言葉。

それをまるで毎日のように浴びせてくるので、私は多分一種の麻痺をしてる。

あまり乗り気ではなかった食事作りは、それだけで一気に楽しくなった。

人間って不思議なもので、単純だと思う。

"不死川は肉が食いたいそうだ"

返ってきた文で咄嗟に「不死川くん来るの!?」そう声を上げてしまってから、溜め息と一緒に笑声を零す。

こういうところは、相変わらず変わらないんだ。変わってほしいとは思ってないけど、もう少しこう、言葉というものは欲しい。

「……。まぁ、いっか」

なかば諦めで呟いてから画面をタップする。

"じゃあみんなで焼肉でもする?"

そしたら私も楽できるし、なんて前向きに考えられたのは、そう。

多分、とても苦しかったあの時があったからなんだって思った。


未来をしよう


保冷を兼ねたエコバッグを肩に抱えて家路につく。

そういえば伊黒くんはこないのかな?って考えてから、愚問だなってちょっと笑った。

この間、彼女と式を挙げたばかりだから来るわけないことを知ってる。
これは義勇に聞いた話だけど、元々あまり人付き合いを好むタイプではなかった伊黒くんは奥さんがいるからという理由で、めっきり出歩かなくなったらしい。特に夜は。

だからわざわざうちに夕飯を食べになんてこないと思う。

ふと思い出した結婚式の風景に、自然と笑顔が零れた。

幸せそうだったなぁ。すごく。伊黒くんも、彼女も。

最初は別離を選んでいた間に届いた招待状を見せられたから「私も参加するの?」なんて尻込みしていたけど「連名で来てる」って義勇に言われたから断れるはずもない。

結果、こちらまで幸せをお裾分けしてもらった。

最後の退場の時は彼女が伊黒くんのことお姫さま抱っこなんてしてみたりして、新郎はこうとか新婦はこうとか型にハマらないその式は終始当人も周りも、みんな笑顔だった。

何なら不死川くんなんて涙ぐんでたし。義勇の表情は……、変わらなかったけど。

だからまぁ、らしいなって思ったんだけど。こういうのにわかりやすく心動かされるタイプじゃないってわかってたから尚更。

でも、義勇ってば笑っちゃうから──……。

「どうした?」

思い浮かべてた人物と玄関先でばったり出くわして、思わず止まった。

「おう」

不死川くんが軽く手を上げたことで我に返る。

「早い、ね。まだ帰ってこないかと思った」

別にそう言われたわけじゃないけど、いつもならあと2時間くらいは遊んでるかと予測してたからビックリはした。

「伊黒が呼ばれたから帰ってきた」
「へー、そうなんだ」

呼ばれたって仕事かな?それとも奥さん?

まぁどっちでもいいかって部屋に入ろうとしたけど一向に動かない義勇に、もしかしてって疑心が募る。

「……また鍵持ってくの忘れた?」

小さく動く頭に溜め息より笑いが零れてく。

「しょうがないなぁ」

鍵を開けようとしたところで、肩にかけていたエコバッグを攫っていく手には驚いた。

「持つ。重いだろう」
「…ありがとう」

ちょっとした罪悪感はあるんだろうな。でも思い返せば私今日、義勇に出掛けるって言ってないし、鍵持って行ってねとも釘を刺してもないからどっちもどっちだ。

「ごめん、待たせちゃった?」

それは不死川くんに向けての質問だったんだけど、

「待ってない」

即答する義勇にこればかりは苦笑いだ。

「どうせだから今から焼肉パーティーしちゃう?お酒も買ってきたし」

部屋に入るなりそう訊けば、いつもは見ない2人分の瞳の輝きを見た気がする。

* * *

「んでよォ、そしたらその野郎が更に食ってかかってくるからだなァ」

3本目の缶チューハイを片手に、不死川くんの会社での出来事に耳を傾ける。

何でも今週はクレーマーに当たる率が高かったそうで、抱えた憤怒は結構なものらしい。

どうしてこの話題になったのかは覚えてないけど、話が盛り上がれば自然とお酒も進んだ。

「電話で顔が見えないとはいえ、よくそんな喧嘩売れるねその取引先の相手。命知らず〜」

正直面と向かってだったら不死川くんにそこまで文句をつけられないと思う。

「あァ?ストレスでも溜まってたんじゃねぇか?ハナからキレてたしなァ」

ホットプレートに並んだ一切れを掴んだ箸に気が付いて、咄嗟に菜箸を持った。

「適当に食うからいいっつってんだろォ?」
「あー、ごめんついつい」

そうだ、さっきもこんなやりとりしたんだった。

「食えよ」
「ありがとう」

私が離した菜箸を持ったかと思えばテキパキと肉と野菜を捌き出す不死川くんは、なんていうか不死川くんらしい。

ほとんど義勇を介してしか接しないけど、面倒見がいい人だっていうのは言動の端々から伝わってくる。

顔は怖いけど。

「おら、オメェも呑んでばっかいねぇで食えやァ。悪酔いすんぞ」

だからか、たまに思う。不死川くんって義勇のお兄ちゃんみたいだなって。

「……空になった」

飲み干した缶を見つめる義勇に間髪入れず、

「自分で持ってこい」

なんて釘指すところとか。

「……」

無言で椅子から立ち上がったから言う通りにするのかと思えば、

「トイレに行ってくる」

マイペースに歩き出す背中を何とも言えない表情で見送った。

義勇ってば、結構酔ってるかも。

パタン、と閉まった扉のあと、迷ったけど口を開く。

「ごめんね。いつも」
「あァ?今更だろォがァ」
「まぁ、そうなんだけど。不死川くんに迷惑かけっぱなしだなって思って。最近特に」

ほんと今更なんだけど、そう。

この家を出てく時も、戻る時も車出してもらっちゃったし、挙句の果てには、軽いゴミ屋敷になってたこの部屋の片付けを手伝ってくれたのも不死川くんだった。

その時にすごい呆れられながら言われた言葉は、今でも鮮明に覚えてる。

「だからお前がいなくなったら荒れるっつっただろうがァ」

余りの家の汚さに驚いた私とは真逆に、不死川くんはイライラはしてたけどまるで予測してたみたいに落ち着き払ってた。

何でも別れてからの義勇の落ち込みようは、それはもう目も当てられないほどだったみたいで一時は不死川くんと伊黒くんの誘いすら断るほどだったらしい。

それを聞いた時、素直に嬉しかった。

私がいなきゃダメだとかそういう優越感とはまた違うし、せめて独り身でもゴミ捨てくらいちゃんとしてくれないかなって呆れもしたけど、でもやっぱり、嬉しかった。

義勇の中にちゃんと私がいたこと。

私の中にちゃんと義勇がいたこと。

失いかけて……、正確には失ってから気が付いたけど、それでも手遅れじゃなかったことが嬉しかった。

「……。何か変わったよなァ」

ジュ―ッと肉が焼ける音がして、我に返る。

「変わった?何が?」

不死川くんを見てみるけど、その目はホットプレートに向けられたままだ。

「お前ら。いや、冨岡のヤローはそうでもねぇけどお前は何つーか、吹っ切れた感すげェよなァ」
「……。そう?」

敢えて疑問で返してみたけど、確かに思い当たる節はなきにもあらず。

多分前の私なら、ここでこうやってお酒を飲み交わすこともなければ同じ食卓を囲むこともなかった。

それは言うなれば"遠慮"。

義勇の友人だからとか、別に義勇とはまだ家族じゃないからとか、男同士の方がいいだろうとか、私は私のやることがあるからって、一線を引くようにしてた。

「私、感じ悪かったよね?」

一応気遣いのつもりだったんだけど、周りからはそういう風には見えてなかっただろうな。

「いや……、邪魔しねぇようにしてたのは何となく、まぁわかってたからなァ。伊黒もいたから余計だろォ?」

私以上の気遣いの言葉をかけてくれるその手は、焼けた肉を義勇と私の皿へと運んでくれる。

「不死川くんも食べなよ」
「ん?……あァ」

私がそう言ったことでようやく自分の皿に運ぶ不死川くんは、何ていうからしいなって思った。

そういえば、キャバ嬢の子とはどうなったんだろう?

あれから義勇から詳細を聞いてない。

「そういやよ」
「うん?」
「お前らいつ結婚すんだァ?」
「……あー、いや、まだ、かなぁ……。ちょっと当分は」

別にそれだけにこだわってたわけじゃないし結婚できないことを理由に別れたわけじゃないから、もう本当にそこに重きは置いてない。

伊黒くんと彼女を見て"いいなぁ"とは思ったけど、それは単純な憧れで自分の中に何が何でもって執念みたいなのはないんだなって冷静に客観視できるようになった。

「アイツはする気満々だけどな。大丈夫かァ?」

不死川くんの心配そうな声色に、思わずさっき思い出していたことが蘇る。

「ほんとそうなの。伊黒くん達の結婚式にかなり触発されてるんだよね。笑っちゃうでしょ?」
「いや、その前からそうだった気ィしねェ?」
「それ以上にすごいんだよ?ブライダル誌とか買い込んじゃって夜な夜な見てるの。今までの義勇じゃ考えられないくらい」

耐え切れず笑い声を上げたところで、またふと我に返った。

「……。あ、ごめん。うるさかったね」
「あ?いやァ?いいんじゃねェ?」

そう言った不死川くんの眉間の皺は増えたけど、

「何か、昔を思い出したわァ。そういやお前元々そんなんだったな」

少しだけ上がる口の端には安心してる。

「その言い方、全く成長してないって聞こえる」
「実際言ってらァ」
「うわ、ひどっ」

言葉とは裏腹に頬は弛んでいった。

「つか冨岡遅くねェ?俺も便所行きてぇんだけど」

そうやって立ち上がる不死川くんの背中を無言で見送ってから、すぐ後で聞こえてきた

「オメェ廊下で寝てんじゃねェッ!!風邪引くだろォがァ!!」

怒鳴り声で、我慢してたはずの笑い声が思いっ切り零れた。

少し間を置いて戻ってきた不死川くんは義勇に肩を貸してて、だろうなって思ってたからこそちょっと可笑しい。

「笑ってんじゃねェ」
「ごめんごめん」

謝りながらも止められないから、せめてものお詫びに寝室の扉を開ける。

「ぶん投げとくからなァ」
「お願いしま〜す」

言葉は乱暴なのに、ちゃんとベッドに寝かせてくれる不死川くんはやっぱり面白い。

「ったく。布団はかけねぇぞ」

吐き捨てて部屋を出てくから、代わりに布団を義勇へと掛けてから私もリビングへ戻った。

「何であんな呑んだのかな?」

ひとり焼き肉を始めてる不死川にそう問い掛ければ、一瞬眉間の皺が出来て消えてく。

「アァ?知らねェ」
「うっそだぁ。知ってるくせに」
「ってことはお前もわかってるってことだってことだろうがァ」

缶をひょいと持ち上げた右手が拍子抜けしたように止まって、その場へ置かれたのに気付いて冷蔵庫を開けた。

「何呑む?」
「同じの頼むわ」
「はーい」

ついでに自分の分もテーブルに置く。

「何か不思議だね」

アルコールが回ってるから対して考えずに口にしたけど、ちょっと罰が悪そうにしてる不死川くんは面白い。

「何が?」

プルトップを開けつつ誤魔化そうとするその仕草も。

「だって不死川くん、私のこと嫌いだったじゃん?」

核心に触れれば逆にその表情は動かなかった。

「学生時代の話だろォがァ」
「それはそうだけど嫌いだったでしょ?」

その時は理由なんてわかんないまま、確かに感じてた。
私が義勇との距離を縮めれば縮めるほど、何も言わないけど警戒はされてたと思う。

「あ、違う?今も嫌いとか?」

つい考えてもいなかった選択肢を出せば、ものすごく嫌な顔をされた。

「だったら冨岡が潰れた時点で帰ってんだろォ」

その言葉は素直に嬉しいけど、

「焼き肉食べたいからだと思った」

冗談でそう言った私を、不死川くんは今もあんまり好きじゃないだろう。

「オメェ…」
「ごめんって」

グッと傾ける缶チューハイにつられて、私も一口それを飲んだ。

不死川くんの気持ちはなんとなく、わかってる。というか今ならわかる。

ヘラヘラしてる得体の知れない女が、真面目な義勇にいつの間にか近付いてたのが嫌だったんだと思う。

特に、元カノに裏切られた後だったから。

どれだけ義勇が傷付いたか、きっと不死川くんは近くで見てたはず。だからこそ警戒されてたんだろうな。

「不死川くんさ」
「あ?」
「義勇の元カノってどんな人だった?」

いつだかと同じことを訊いてみる。

大学内のキャンパス内、突然訊ねた私に不死川くんは言った。

「冨岡本人に訊けェ」

思い返すと随分、苛立っていたと思う。私はそれに圧倒されて作り笑顔でヘラヘラするしかなかった。

でも今は、

「お前とは比べモンにならねぇわァ」

その言葉の意味を探してしまってる。

「それって……、どういう?」
「自分で考えろォ」

箸を動かしてカルビを頬張る姿はこれ以上話すつもりがないって伝えてた。

だから私も黙ることにしたんだけど、ジュ―ッと肉が焼ける音に混じって聞こえた

「あん時、ひとりじゃなくて良かったな冨岡のヤロー」

その声は優しいもの。

あの時?ってつい首を傾げかけて、あぁ、急性虫垂炎の時かってなんとなく察した。

もしかしたら多分、不死川くんにとって最大級の褒め言葉なのかもしれない。何故かはわからないけど、そんな風に感じてる。

「ありがと」

照れ臭くて短くなったお礼は聞こえないふりをされて、私もただ食事を再開させることにした。


言いたいことなんて
聞いてもらいたいことなんてさ
そんなに無いよ 本当はね
「頑張るよ」って それくらいさ
わかって欲しいのは
わかっていて欲しいと思うのは
あなたがいて 良かったよ
ありがとう 伝わるかな



SUPER BEAVER
"それくらいのこと"より抄出


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