short | ナノ





人生は、何が起こるかわからない。
一生の中でドラマのような劇的な展開が、どこかで訪れないとも限らない。

そんな言葉は、どこかしらで良く耳にする。

確かにそうなのだろうと、漠然とした想像や理解ができていた気がしても、自分の、あるいはごく身近な人間の、身起こるとどうなるのか。実際になってみないとわからないものだと感じている。

ただの"ファン"でしかなかった俺が、"恋人"という位置づけになったこと。

そしてその彼女が──…

「聞いて!オーディション受かったの!」

弾ませた声を電話口で響かせるのも、たった1年前では思いもしない展開だ。

「そうか」
「うん!」
「良かったな」
「うん…っ」

震える声が、泣いていると知るのに時間はかからなかった。

「…ごめっ」
「いや、大丈夫だ。気持ちは、わかるつもりでいる」

鼻を啜る音と時折漏らす嗚咽を聴きながら、良かった。もう一度それだけを思う。

あの時、

「今日を最後のステージにしようって前から決めてたの」

覚悟をしていたように見えたその表情も、今にして思えば、追いかけたい夢と突き付けられた現実との間で出た精一杯の強がりだったのだろう。

名前にとって、ダンスは唯一無二のもの。

真剣に選ばなくてはならない岐路に立ち、気が付いたそうだ。

「義勇くんが続けてほしいって言ってくれたからだよ?勇気出た!」

その時は、笑顔でそうは言っていたが恐らくそれだけではないとも感じている。

例え家族に認められず費やした時間が無駄になったとしても、その場所に立っていたいと大学への進学を辞退し、スタッフとして勤めていたスタジオ会社への就職を選んだ。

退路を断ったことで、風向きは名前に向いたのかも知れない。

1年という月日の間で、大きな舞台に立つ頻度は格段に増えていた。
パン屋の駐車場で踊っていた姿が、遠い昔に感じられるほどに。

「…良かったな」

独り言のようにそれだけが口を突いて出る。

「う゛ん…っ」

答えを期待したわけではなかったのに完全な鼻づまりの声で頷かれて、勝手に口角は上がっていた。


通話を終えたスマホの画面を見て、溜め息が出たのは何故なのかと、わかりきっている疑問を投げ掛ける。

「じゃあ、またね?」

最後に聴いた声は、すっかりいつもの名前に戻っていたから、気がかりはそこじゃない。

問題は、その言葉の先がないこと。

カレンダーなどわざわざ見る必要もなく、これから先の予定は真っ白だ。

いつ会えるかも、見通しが立っていない。

理由は簡単だ。バックダンサーのオーディションに合格したから。

その舞台は何ヶ月も先だと言うが、直近ではスタジオ会社の分校が毎年恒例の発表会を開催するため、スタッフ兼出演者である名前はそれを第一に優先させなければならない。

ついでに言えば、分校で行われている講習に入会したと俺が知ったのはその少し前で、発表会があると聞かされたのはつい数日前だ。

だから、どうしても溜め息は出る。

言うなれば、おざなりにされているのではないかという不満だ。

だけどそれを口にしないのは、元々俺が"ファン"だった。その紛れもない事実。

恋人になったのだから、こちらを優先させてほしいという傲慢さはどうしても口に出したくもなければ、思いたくもなかった。

それは生活様式の変化も関係している上に、予め察せられるものだったからだ。

進学と就職という真逆の道を選んだ俺達に、それは壁となって立ちはだかる。

容易に想像ができる未来だったからこそ、ただ耐えた。


そう、我慢だ。理解じゃない。


フォルダに溢れる名前を流し見しては、また溜め息が零れる。

それはほとんど本人がSNSを上げた写真で、俺が撮ったものでもなければ直接観たものでもない。

本人から報告はされていて1枚ほど画像は送られては来ていたが、舞台に立つ頻度が増えるにつれ、それが遠方で、尚且つ入場に値が張る場所ほど名前は俺に言いたがらなくなった。

それに気が付いたのも、つい最近だ。

何故なのだろうと会った時に訊ねようと決めたはいいが、そこから進展はない。

顔を合わすことが極端に少なくなったからだ。

俺は、名前にとって何なのだろう?

考えないようにしていた疑問を知覚した瞬間、また溜め息が零れた。


FUN for FAN?


そんなことで気落ちしていたのは、ほんの数日前だ。

今は少しばかり、高鳴る胸のまま平静を装ってスマホを触っている。

「おまたせ〜!」

反射的に跳ねた心臓でその先を視線で追うも、脳はすでに違う声だと判断していたのか、別段驚きもせず全く知らない男女が合流するのを横目で見た。
挨拶のように交わした口付けは見なかったことにして画面へと戻した。

「キスは……、したいな」

唐突に蘇ってきた言葉と共に、蘇った口唇の感触。

俺にとって初めてだったそれは、彼女にとってはどうだったのか。

あれから何度か口唇は重ねても、それ以上のことは何もない。

焦りに似たものが沸き上がるのはその事実を認めざるを得ないからだ。

恋人でありながら1年もの間何もないとなると、どことなく不審なものを感じるのが世の常らしいが、俺達に至っては少し事情が違う。

「わっ!」

声を認識した途端、背中に感じる体重に多少なりとも心臓は動いたが、今に始まったことではないので平静な顔で振り返った。

「またビックリしてくれなかった〜…」

不満気な表情も、さして珍しくない。

「この間より少し驚きはした」
「もっと驚いてほしかったのに〜」

ひょいと軽い足取りで着地してから、

「ごめんね、お待たせ」

顔を覗き込んでは、はにかむから、そちらの方が驚いたかもしれない。

少し会ってない間に、また綺麗になった気がする。

「……痩せたか?」
「あ、わかる?ちょっと今頑張って絞ってるの」

それ以上痩せる必要性は俺には感じないが、そう決めた裏には、何か名前なりの理由があるのだろう。
なんとなくそれがわかるので、口に出すのはやめた。

「今度のナンバーは足を上げる振りが多くて…。身体が重いって自覚しちゃったんだ」

そう言いながら歩き出す姿を、他人がチラチラと見ている。

「あの子かわいくね?」
「マジだ。かわいい。っつかスタイルいいな」

振り返った男2人組の会話が耳に入って、その視線を遮るように隣へ並んだ。

「そんなことより義勇くんは?大学どう?」
「普通だ。可も不可もない」
「ふーん……。女の子に告白とかされてない?」
「されてない。されるわけがない」
「そんなことわかんないよ?普通に話してるけど実は義勇くんのこと好きな子いたりして」
「関係ない。いつもほとんど錆兎といるから、そこまで話すこともない」
「そっかぁ」

柔らかく微笑ったかと思えば、腕にしがみついてくる両手でまた心臓が動く。

しかしそれは俺にとって素直に嬉しいもので、向けられる周りの視線に少し優越感というものを抱いた。

「今日はどこに行くんだ?」
「うん?義勇くんが行きたいところ」

即答されて、一応頭は働かせてみる。

「…特にない」
「ないの?」
「名前はないのか?いつものように見たい店とか、買いたいものとか」

そう促せば、小さく唸ったあとでの上目遣いにまた勝手に心臓は跳ねた。

「見たいお店は、あるけど」
「じゃあそこに行こう」
「でも、いいの?」
「構わない。何故遠慮する?」

訊ねた途端、強くなった手の力。更なる疑問を視線で向けるが、俯いたその目には映っていないようだ。

「だって、いつも私に付き合ってもらってるから…。義勇くん楽しくなくない?」

全く逆の解釈に面を食らったのもそこそこにすぐ口を開いていた。

「楽しくないわけがない」
「…そう?」

訝し気な顔も、俺の表情を窺ってからパッと明るいものとなる。

「じゃあ、付き合ってもらっちゃおう〜」

ぐん、と引かれた腕に密着する柔らかさは、意識しないように歩き出した。

* * *

「かわいい〜!」

入り口を通るなり目的のものを見つけたのか、小走りで近付いていく背中に続く。

キラキラと光る装飾品の一角で足を止めては真剣に吟味を始める横顔を邪魔にならない位置で眺めるのは、いつものことだ。

"ALL 0"

そう謳ったPOPを見るのも何度目か。

装飾品だけではなく、日用品の様々なものを取り扱うこの店が名前の"お気に入り"だと知ったのは、こうして出掛けるようになってからだ。

「…どうしようかな」

似たような大振りなピアスを手に取っては耳に充て、鏡で確認していく。
自然と髪を掻き上げる動作がどこか妖艶に見えたのは、そういう踊りの振付を思い出したからか。

こうやって、わざわざ俺と一緒にここに訪れるのは他でもない。

「義勇くん、どっちがこれに合うと思う?」

助けを求めるように向けられた困り顔とスマホの画面。

真っ赤なバスローブに身を包んだ写真は、この間"今度の衣装なんだ"という言葉と共に送られてきたものと同じものだと認識しても尚、反応はしてしまう。

「そうだな…」

それでもすぐに考えを装飾品に向けたのは、この状況が珍しいことではないからだ。

舞台に必要な小道具の調達。

端的に言えばそうなる。

「テーマは…」

言い淀んだ俺に、

「娼婦」

全く動揺することなく答える名前に、どことなく温度差も感じていた。

改めて面と向かって聴くと、それはそれで何とも言えない感情は沸き上がりもしている。

『夜の世界でしか生きられない女性の孤独と、それでも絶対に媚びない強さを表現するのが難しいんだ』

しかし、今までにない未知なる表現に心躍らせていた電話越しの声を思い出して、その想いに応えられるよう俺なりに考えることにした。

夜の世界、娼婦にバスローブ…。ということは必然的にそういう方向性になるのだろう。

そうなると──

「"夜"…がテーマなら、そこまで大きな装飾品は浮かないか?」

思い立ったそのままを口にすれば、見る見るうちに驚いたものになっていくから、少し焦りは感じた。

全くの見当違いだったかもしれない。

何か他に紡ごうとした言葉もまごついて、

「……義勇くんって、ほんとにすごいなぁ」

その間に感嘆しているものだから、どうにも首を捻りたくなった。

「何がだ?」
「想像力。あ、考察力かな。うん、どっちも」

そこまで突拍子のない発言はしたつもりはないんだが、と心の中で答えればフフッと色味のいい口唇が微笑う。

「でも、だから、あえてなの」

いつもよりワントーン上がった声は甘く感じた。

ところどころで妖艶さが垣間見えるのを、いつも俺は瞬きもせず見てしまう。

いや、ただ見るだけではなく、見蕩れている。

それが的確な表現だろう。

しかしその表情は次に出すであろう俺の見解を待っていて、期待に応えたい一心で考え尽くした。

「……それが、媚びない意志か」
「そう!そうなの!」

決して当てずっぽうなわけではなかったが、半信半疑だった回答で正解を得られたことに安堵はしている。

それを導き出せたのは、この1年で名前の人となりを少し知ったおかげだ。

"ダンサーはアクトレスのようなもの"

初めて指導についた講師にそう言われたという。

アクトレス、つまり女優だ。

作り上げた世界を、踊りのみで表現する。

どんなに才能ある講師が一部の隙もない世界を創造したとしても、そこで実際に踊る人間が自分なりに咀嚼し表現しなければ、舞台は成り立たない。

上手く踊ることだけを考えていた名前にとって、それは目から鱗が落ちるほど衝撃だったらしく、

「そこから、誰かの真似じゃない。私だけにしかできない表現っていうのを考えるようになったんだ」

今ここに至るまでの原点だと、教えてくれた。

そんな彼女がまず考えるのが"主人公はどう感じ、何を考えているのか"。

だからこの場合、

「想像したの。私が娼婦だったら何に胸を張りたいと思うか」

始まりはそこになる。

「そしたら例えバスローブの下、ランジェリーすら脱がなきゃいけなくても、完全な裸じゃないんだって思いたいなぁ。だから、なんとなくだけどピアスだけはわかりやすく大きなのつけたいなって」

その言葉で、いつもは踊るのに邪魔だからとそこまで派手な装飾品を選んでこなかったこだわりを翻した理由が裏付けられた。

しかし気になるのは、どうしてもそこじゃない。

「脱ぐのか?」

思わず直球でぶつけた質問に、瞬きが多くなった。

「脱がないよ〜。そういう表現はするけど!この下はね」

スッと動かして見せた違う画像。

「黒のランジェリーっぽい衣装っ。可愛いでしょ?」

っぽいじゃなくて下着だ。

つい口から出そうになった一言は咄嗟に呑み込む。

「キャミソールとカボチャパンツなんだけどね、理想の形がなかなかなくって」

またスクロールしていく手で、今度は背後の写真が映し出された。

「ステージで後ろは見えないんだけど、コルセット風なのが結構気に入ってるの。簡単には脱がせられないぞっていう意志っていうか」

相変わらず妥協をしない姿勢は、俺の好きな踊り子の部分だと思うが、また気になることがひとつ出てくる。

「この写真」
「ん?」
「誰が撮ってるんだ?」

その問い掛けに、一瞬笑顔が固まったかと思えば、目が泳ぎはじめた。

「…あ〜、それは…」

言いづらいことなのか。

良からぬことが頭に浮かびそうになるも、

「私?」

首を傾げて悪戯っぽく舌を出す仕草にドキッとした。

「タイマーかけるでしょ?シャッターの」
「……あぁ」
「それでスマホ立てに置いて、ポーズ決めてる…。それを何回も繰り返してやっと撮れたのがこれ」

そこまで言ってから、少し罰が悪そうにするからその意味を考えてしまった。

「大変だな…」
「しみじみ言わないでよ〜!すっごいひとりで虚しいんだよ!?」

だから後ろ身も完璧なのかと納得はしたが、服を引っ張ってくる手は焦っていてどうにも口角が上がっていく。

「笑ってるし〜」
「悪い。想像したら、つい…」
「も〜っ」

不満げな表情は何かを閃いたようにすぐに笑顔へと戻った。

「そんなこと言うなら今度義勇くんにお願いするからね〜?姿見撮影!ずっと撮らせちゃうから〜」

冗談半分だとわかってはいても、少しばかり心が動く。

「……そっちの方がいいんじゃないか?」
「え?」
「ピアス。そっちの方が題材と名前に合ってる」
「あ…。やっぱりそうだよね?こっちにする!」

いつものように無邪気に笑っては、

「義勇くんと一緒に来てよかった〜」

いつものごとく何の含みもない言葉を聞きながら、さっと離れていく手を自然と目で追っていた。

の生きている世界


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