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扉を開く、その音が随分と響いて聞こえた。
こちらを見ようとはしないままテーブルから回収しようとした手が、顔が、驚いたように止まったのは、何だか哀しい。

「話がしたいから、座ってくれる?」

さっきまでの動揺はどこへやら。妙に落ち着いてる自分がいた。

「見たのか」

観念したように椅子に腰掛けた先には、私が丁寧に向きを揃えて置いた名刺。

「うん」
「黙って行ってすまなかった」
「……。それは、いいよ。私もどこ行くのか訊かなかったし。訊かれてたら答えてたでしょ?」

肯定が欲しいのは、きっと予想通りであって欲しかったからだ。
仕方なく行った。そんな、ちゃんとした理由が欲しかった。

それでも、

「いや、言わなかった」

馬鹿正直に答えちゃう愛しい人の姿は、心にくるものがある。

「…そう」

じゃあ、って次に出そうになる尋問に近いような言葉は飲み込んで、空笑いをした。

「昨日も訊いたけど、私達、これからどうする?」

抽象的な表現で訝しんでいく表情だけは、予想通りだなって小さく笑う。

「義勇は、どうしたい?」

ここで具体的な選択肢を上げれば、どれかを選ばなきゃいけないと強要することになる。それは嫌だから、全部取っ払った。

さすがに私の意図は伝わったみたいで、考えるように視線が動いたあと、一点で止まる。

「俺は、このままでいたい」

返ってくるのも抽象的なもので、置かれたままの名刺を見つめた。

「うん」

不思議なもので、その言葉は私に嬉しさよりも、どこか諦めを覚えさせてる。

「じゃあ、話してくれない?」

できるだけゆっくり、言葉を紡いだ。
こういう時に畳み掛けてしまうと、義勇は萎縮して余計に何も喋らなくなるから。

「どうして、私を"いない存在"にしたのか。どうして、今日に限ってそんなところに行ったのか」

正直、それが解決しなきゃ納得はできない。
だけど時間を掛ければ本心をきっと話してくれる。そう信じた故の台詞だったのに、

「そんなところとは失礼じゃないか?」

何を思ったのか全く違う切り口から反論されて、一気に顔が険しくなってしまう。

「今の問題ってそこじゃなくない?」

強めな口調で言ってしまったことで、口を堅く噤む姿にどうしたって苛立ちが募る。

「私の質問に答えてほしいんだけど。今はキャバ嬢なんか庇ってる場合じゃないでしょ?」
「ただのキャバ嬢じゃない。そういう言い方はやめてくれ」

どこかで、なにかが切れる音がした。

「はあ?」

冷静に。
そう言い聞かせてる自分とは裏腹に、これまでの鬱憤に近いものが込み上げる。

「話逸らそうとしてる?」
「してない。ただお前が不必要に敵視してるのが気になるだけだ」
「するっ…、でしょ?そんなもん!男その気にさせて貢がせるのが狙いなんだから!」
「この人は違う」
「…あーへー、そう。手玉に取られた?見るからに若いもんね〜。顔は作ってるかもしれないけど」
「やめてくれ。聞きたくない」
「やめて欲しいのはこっちだよ!」

思い切り叩いてしまったテーブルに、我に返って後悔してももう遅い。
哀しそうな顔をする義勇に胸が痛んでも、苛立ちは収まってくれなかった。
お陰でそれ以上、声を荒げることはせずに済んだけど。

何でこんなに縺れるの?

"このままでいたい"?

それなら目の前にある問題を片付けなきゃならないでしょう?

"いない存在"にされたまま、笑って一緒になんていられない。

だからこうして話し合いを望んでるのに、返ってくるのは知らない女の擁護ばかり。

何でこんなに、虚しくならなきゃいけない?


「……。もう、疲れた」


呟いたと同時に、頭を抱えていた。

「……すまない」
「だからどうして謝るの?それって存在の全否定を肯定されてる気になるんだけど」

とりあえず謝っておけばいいかみたいに。それって何も解決にならなくない?

ああ、そういえば昨日読んだ小説でアラサー女性もそんなこと思ってたっけ。

再度黙り込む姿に顔を上げて、自然と溜め息が出た。

「ねぇ、義勇」

何をどうすればいいのか、もうわからない。
何を考えてるのかすら、何もわからない。

「もう別れようか、私達」

拗れてるから一旦、距離を置こう。そう言える余裕は正直あった。

でも決定的な言葉を出したのは他でもない。

「わかった」

それ以外の台詞が何も返ってこないことを、どこかで悟っていたからだと思う。


未来をしよう


サヨナラしようと決めたって、現実問題すぐに離れられるわけじゃない。

お互いに生活があるから顔は合わさざるを得ないし、必要最低限の会話も交わさなきゃならない。
でも、それだけだからまだマシなのかも。
そういう意味では結婚していなくて良かった。強がりでも何でも。そういうことにしておく。

「今日、物件見てきたからもう少しで決められると思う」
「そうか」

相変わらず食卓を囲みながら、でも今までとは少し違う。

「引っ越す時は手伝う。不死川も車を出すと言っていた」
「ありがとう。ってか不死川くんにもう言ったんだ?」
「言わざるを得なかった」
「ふーん、まぁそっか。家具なんだけど、私の以外は置いていっていい?」
「構わない」
「ありがとう」

笑顔での会話が増えたなんて、皮肉な話だ。

このまま、また仲良く一緒に生きていけるのではないか。

そんな希望が頭にちらつくけど、そんな軽いものでもない気がしてる。

これ以上拗らせて縺れさせて顔すら見るのを嫌になる前にそうなったのは、むしろ感謝すべきなんだろう。

「行ってくる」

同じ会社に向かうのに、そう言って背中を向けた律義さはきっとこれからも変わらない。

「行ってらっしゃい」

だからいつか、温かく見守ってくれる誰かが傍にいてくれることを願う。

私には、出来なかったから。

私みたいに短気じゃなくて、義勇のペースをニコニコと見守りながら付き合ってくれる。
今度はそんな人と付き合って、結婚して、幸せになってほしい。

嫌いで別れたわけじゃないから、尚更そう願う。



「どうしたんですか…?」

部署につくなり重苦しい雰囲気を醸し出す空間に訊ねたのは、本来傷心であるはずの私だ。

「ひっ、うぅ…ひえぇ、っぐ!」

おっさん達に囲まれて嗚咽を漏らしてるのは無論、後輩。
脇目もふらず泣きじゃくる姿に、ただ事じゃないのは伝わる。

「ちょっと聞いてやってくれよ…」
「ほら、苗字来たぞ〜?泣き止みなって…」

まるで腫れ物を扱うような態度に、何となく状況は読めた気がした。

「もしかして浮気でもされたの?」

まぁでも、さすがにそこまでじゃないだろうと考えなしにした発言は、

「うわぁああんっ!!」

見事に彼女を煽ってしまったらしい。

「…バッカ、お前っ」
「冗談だって!してないもんな!?彼氏してないよ!うん!」
「そうだよ浮気じゃないって!」

懸命に励ましているおっさん軍団を何とも言えない気持ちで見るしかなかった。


ようやく彼女の嗚咽が止んだ頃。

「……なんかぁ、おかしいなって…」

鼻声のまま話し始めたのを、一応仕事しながら耳を貸す。

「何が?」
「優しすぎるんですよ彼!」

言い切ったその表情を思わず見てしまった。
真剣な表情とは違って、こちらは無だ。

「優しい方がいいと思うけど」
「違うんですよ!取って作ってるっていうか、罪滅ぼしみたいな感じです!でも結婚間際だからそういう風に感じるのかなぁってずっと考えないようにしてて…」

まぁ、わからなくもない。というのは心の中で頷く。

女の勘は鋭いなんて良く言うけど、彼女もきっとそう。

好きだからこそ相手の違和感を拾い上げてしまった。ずっと見てるから。

すごく皮肉な話だ。

「でも昨日やっぱり何か変だなって思って…、財布調べてみたんです」

その台詞にはドキッとした。
まるでいつだかの自分を思い出す。

「え?それは駄目じゃないか…?」

これが男女の差なのか。
明らかに引いてるおっさん達に、また涙を潤ませていく彼女に溜め息が出た。

「冷静だったらそんなことしないよね」

コク、と動いた頭が、更に溜め息を誘う。
いつもならきっちりセットされてる髪が乱れていて、そこまで気が回らなかったと伝えている。そんな状況でも出勤している。彼女の場合、正直それだけで褒められることだ。

「絶対大丈夫って安心が欲しかったんです…」

すっかり消沈している姿に、仕事をしろとも言えなくて、ただただ重い雰囲気が流れ続ける。

「それで?」
「え?」
「財布を見て、何かあったの?」

訊かなければ先に進まないと訊ねたけれど、また暫しの静寂が訪れた。

とりあえず待つ間に仕事を進めようと動かしたマウス。
クリックすると同時に、鼻を啜る音が聞こえた。

「…名刺が、ありました。キャバ嬢の」

そしてそのまま固まってしまう。正直ものすごい既視感。

「でもさ、キャバクラなんて行くじゃん?付き合いだよ付き合い」
「そうだよ〜、深い意味はないって」

そこで擁護するおっさん達も、きっと心当たりがあるんだろうな。

「違うんですって〜!私訊きましたもん!ちゃんと!彼に!そしたら何て言われたと思いますか!?」

哀しみより怒りの方が強くなったようで、机をダンッと叩くのもどこか既視感だ。

「この子は親の借金のせいでキャバクラで働いてる。僕はその返済を手助けしてるんだ。ですよ!?有り得なくないですか!?」
「…うーん、まぁね」

返答は濁してはみたけど、私もそう思う。
そういう設定に騙されてるのか、と猜疑するのは当然だし、もしもそれが本当だとしても、婚約者がいる男のする行動じゃない。

だから、どっちにしろ有り得ない。

「それで、どうしたの?」
「結婚詐欺だ〜!別れてやる〜!って勢いで、言っちゃいました…」
「相手は?」
「別れたくないって…」
「そう」

いいな。なんて、こんな時も思ってしまう自分が嫌だ。
引き留められるだけ、まだ可能性があるんだから。

「私どうすればいいですか!?」

こちらがそんなことを考えてるなんて知らないから、純粋に向けられる瞳は突き刺してくるよう。

「さあ…?」

どうすればいいか、なんて多分みんなわかんない。
多分欲しい答えはあって、でも他人は与えてはくれないし、与えられたところで勇気が出るかどうかもまた別の話。

「自分らしくいられる道を選べばいいんじゃない?」

それは、私の言葉じゃない。

この間読んだ小説で、全てを吹っ切ったアラサー女性が言った台詞だ。

「それがわかんないから訊いてるんですよ〜!も〜!」

ぷくっと頬を膨らませる彼女は、他人に話したことで少し落ち着きはしたらしい。
可愛らしい表情に戻ったのは安心してる。
さっきまですごくキツイ顔になってたから。

私も、そうだったのかな。

話し合いをしようって冷静に努めて、責めてるつもりじゃなかったけど、結果的には義勇を追い込んでたのかな。

だから考える間すら空くことなく、別れを了承したのかな。

物語の中のあの人は笑って言っていたのに、納得して別離という同じ道を選んだはずなのに、何故か私は、無性に泣きたくなった。


比べるでもなくて
比べられるでもなくて
あなたはどうなの どうしたいの?
不幸せになりたいなんて
そんな人はいないだろう



SUPER BEAVER
"まごころ"より抄出



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