きっと何か理由がある。 彼女がいるのかと訊かれて、"いない"って言った理由。 義勇は理由もなく、誰かの存在を否定するようなこと言ったりしない。 面接前に「隠そう」って切り出した私の提案を、今もきっとちゃんと守ってるだけ。 思えばそれもそのままだった。 義勇は律儀だから、私の言葉の通りにしてるんだ。 そうじゃないと説明がつかない。 「もう隠さないでいいんだよ」って言えば、少し間の抜けた顔をしてから「そうか」って返してくれる。 大丈夫。信じてる。 そう、何度も言い聞かせて、やっとのことで自分を落ち着かせた。 でないと、全てにおいて疑心暗鬼になりそうだったから。 「明日、不死川と伊黒がくる」 夕飯の合間、一息吐いたタイミングを見計らって話をしようとしていた私に構わず、義勇はそう言った。 「どこに?」 「ここに」 許可じゃなくて決定事項なんだ。 そう思った瞬間からマイナスになりそうな思考はどうにか留める。 「何時から?」 「夜だ。久しぶりに呑もうという話になった」 「夜って…、大体何時かとか決まってないの?」 「伊黒は18時以降なら来られると言っていた」 「不死川くんは?」 「何時でもいいらしい」 「じゃあ18時からにしてくれる?それまでに軽くつまみとか作っておくから」 癒しを探しに行こうと思ったけど、この分じゃ中止だな。 献立考えつつスーパーに行って、それから 「無理して作らなくていい」 「え?」 「顔に出てる。面倒だろう。そこらへんで調達してくる」 「いや……、だっていきなり言うから予定が、さ…?」 「名前に何かしろとは頼んでない」 「そういうわけにはいかないでしょ?」 家に来るってわかってるのに、もてなしのひとつもしない女とか、いくら義勇にとって気心が知れた友人だとしてもそんな風に思われたくない。 しかもこの前、伊黒くんの家にお邪魔した時には手の込んだ彼女の手料理がたくさん並んでで、美味しかったって珍しくご機嫌で言ってた。 そしたら私だって少しはそれなりに… 考えてるうちに食器を片付け始める義勇に、どうにも納得できなくなる。 そうやって自分から片付ける時は、私が怒ってるとか、後ろめたい気持ちがある時だから。 「いない」 唐突に木霊したあの一言が、どうやっても頭から離れない。 「あのさ、義勇」 日課のように浴室に向かおうとする背中を我慢できず引き留めた。 でも、そのままを伝えるなんてできるはずなくて、 「前に…」 どうにか体裁のいい言葉を探してる。 「私達のこと会社には隠そうって言ったじゃない?もういいんじゃないかな?」 焦ったせいで早口になってしまったのを、多分義勇は気が付いてないだろう。 「前も言ってなかったか?それ」 冷静に返される言葉に、考えてしまう。 「…そうだっけ?」 「そうだ。それからは隠してない」 ズキッと大きく痛んだ胸のまんまを言葉に出せなかった。 私が思考停止している間に向けられる背中を、もう一度引き留めることなんて無理だ。 隠してないなら、何で? どうして彼女の有無について訊かれて「いない」って言ったの? 私の存在は、なかったことになってるの? バンッ! 思わずテーブルに叩きつけるように置いた箸。 その音で我に返った。 駄目だ。もっと冷静になって考えないと。 そうは思うのに、抱える頭がどんどん痛んでいくのを感じていた。 未来の話をしよう 休日だからゴロゴロしていたい衝動をどうにか睡魔と共に頭から追いやって、洗濯機を回してる間に朝食を用意する。 義勇はいつ起きて起きてくるかわかんないから、レンジで軽く温めるだけで食べられるようにしておくのは基本だ。 その後、身支度している間に姿を現した寝惚け顔は、やっぱり愛しいと思う。 「おはよう」 コク、と小さく頭を動かすけど、まだ半分以上夢の中にいそう。 「ご飯、そこ置いてあるからあっためて食べてね」 「…どこに、行く?」 寝起き特有の鼻にかかる声に、頬が弛んだ。 「買い物」 「ひとりでか?」 「当たり前でしょ?」 途端に窄める目。この時だけは考えてることが読めるから続ける。 「スーパー行く前にちょっと、いつものところ行こうかなって」 わざと濁して言ったのに、 「例の古本屋か」 すぐに答えを見つける辺り、付き合いの長さを顕著に感じた。 「うん」 訝しい顔が一変して、納得したように横を通り過ぎていくのは、そこには私が必ず1人でしか訪れない所だって既知してるから。 明確な言葉はなくても、そこに安堵してるんだと思う。 いつもは私が何をしていても大して気にする様子がないのに、たまに、ほんとにたまにこうやって顔を出す嫉妬という名の束縛心。 そういう、私にだけしか見せない一面があるから、ここまで一緒にいて、やっぱり好きだなって感じる。 「いってくるね〜」 一応、洗面所の方に声を掛けてから家を出た。 久々に向かうその場所に近付くにつれ心が躍っていくのを感じて、あぁ、それも久しぶりだなって噛み締める。 年季の入った書店名を見上げて嬉しさが募るのはここが私にとって、一番の"パワースポット"だからといっても過言じゃない。 「こんにちは」 平積みされた文庫本の横を通り過ぎたところで、少しカビ臭い古本独特の匂いに胸が躍った。 「いらっしゃい…」 小さく聞こえる声に向けた視線。 レジ台を挟んだ先で座る白髪のおじいさんも、最後来た時とまったく変わってない。 良かった。お元気だったんだ。 安心したけど、話しかけることはせず奥へと進んでいく。 少し痴呆が入っているらしいから、私のことも、もう覚えてない。 何で知ってるかって、ここ数年、ずっと言われてた。 「若い子がくるなんて何年ぶりかね」って。 だから私も、おじいさんに合わせて毎回初めて来た体で接してる。 寂しくは思うけど、ここが癒しなのは他でもない。 それは圧倒的な品揃えと、おじいさんの寛容さにある。 なんと、昔から何時間立ち読みしても怒られないのだ。 最初からそれ目当てで訪れたわけじゃないけど、歴史を感じる佇まいと本の匂いにフラフラッと入った先、気が付いたらひとつの本に夢中になってた。 その時は、まだおじいさんの痴呆も進んでなくて、 「それ、面白いでしょ」 話し掛けられて、慌てて謝ったのが懐かしい。 てっきり買えって言われるのかと思って、レジに進もうとした私に、おじいさんは優しく微笑って、 「本を読んでると時間忘れるよなぁ。いいよ、好きなだけ読んでいきなさい」 そう言ってくれた。 お言葉に甘えて通うようになってから、ずっとここは私の癒しの場。 一回どこまで長居したら注意されるのだろうと気になって開店から居座ってみたことがあるけど、閉店近くなっても全く気にされないどころか、途中で 「昼ごはん食べてくるから、お客さん来たらよろしく」 とか言われて、店番さえ任されてしまった。 私が悪い人間だったらどうするんだろうって心配しながら、でも嬉しかったから義勇にそのことを話したら、 「それだけ信用されてるってことじゃないか?名前の真面目さは周りにも伝わる」 そう微笑んでくれたっけ。 あの頃は義勇のペースがわからなくて食事中に話し掛けてばかりの私に嫌な顔することもなくて、喉を詰まらせて堰き込んだあとでも不器用なりに自分の考えてることとか伝えてくれて、優しさをすごく真っ直ぐに感じてた。 随分と、変わっちゃったな。 不変なものなんてないっていうけど、考えてしまう。 あの頃は良かったって。 そんなの、考えるだけ仕方ないのに。 半分無意識で手にした冊子。 星空の挿絵に惹かれて、パラパラと捲ってみる。 いわゆるSF、サイエンス・フィクションで、壮大な宇宙をテーマにしているそれは、少し読み進めてそのまま閉じた。 頻繁に専門用語が飛び交っているから、これは辞書を片手じゃないと理解するのが難しい。 じっくり本腰を入れて読む分には視野や知識が広がっていいかもしれないけど、今こうやって本屋の片隅で読むような代物じゃない。 背表紙のタイトルだけをヒントに、次に手を取る本を選んでいく。 自分のツボにハマる物語を探すこの時間もまた楽しい。何だか宝探しをしているみたいで。 次に目を通したのは、偶然にも"結婚観"についてスポットを当てた小説だった。 タイトルからは想像できなかったから、ちょっとドキッとしながらページを捲る。 あ、これ、全部続いていく長編じゃなくて、登場人物それぞれに焦点をあてた短編集になってるんだ。それだけでちょっと面白い。 人それぞれの価値観とか、概念とか違っていて、でも共感したり、そうなんだって新しい発見があったり色々考えさせられる。 その中でも、1人のアラサー女性の話に、自然と釘づけになった。 長年付き合った恋人と結婚するかしないか、30手前になって本気で悩むっていう、まるで私そのもの。 葛藤とかがすごくリアルだから、共感しかない。 「…ふー」 息をするのも忘れてたみたいで読み終わった瞬間、小さな溜め息が出た。 結局、その女性は恋人に見切りをつけて結婚しない道を選ぶという結末。 決断をするまでに紆余曲折あったけど、最後は恋人に感謝すらしていて、前向きな別れだって印象を受けた。 まぁまぁ、面白かったと思う。 まだあと半分、今度はその恋人目線の話が残ってるけど、どうにも読む気にはなれなくてそっと閉じて棚に戻した。 共感しすぎてしまったからか、今更別れた恋人が実はこうでしたなんて話見せられても、うまく噛み合わなかった虚しさを感じるだけ。それなら前向きなまま終わらせておこう。 でも、これから先も続いていく女性の"未来"は、どうなるんだろう? ずっと、ひとりで生きていくのかな? 寂しいと思うことはない?後悔する時は? ただの架空人物の今後まで真面目に考えてしまうのは、きっとその人が私そのものだからだ。 悩みながら迷いながら、彼女は自分の人生と真剣に向き合った。 その結果が"別れ"でも、相手のせいにすることのない姿勢は素敵で、だからこそ胸が痛む。 私は、例え今"別れ"を選んだら、後悔しないなんて言い切れないから。 だからといって、このまま何もなく歳を取っていくのも嫌。 でも自分から核心的なものに触れることもできない。 結局私は、何をどうしたいの? 突然鳴り出したスマホに肩が震えた。 「…もし、もし?」 咄嗟に出たせいで、声まで震えてる。 『不死川がこれから来るらしい』 淡々と言いのける義勇に、こちらは一気に焦りが募った。 念のため時計まで確認したけど、12時も過ぎてない。 「え…?もう!?まだ買い物もしてないよ!?」 『ひとまず報告しただけだ。気にせずゆっくりしてきていい』 「いや、無理でしょ」 完全に油断してたからまだ掃除機だって掛けてない。もう時間的にそれは諦めるしかないか。 何でそうやって、人の都合おかまいなしに決めるのかな? 口元まで上がった恨み節は何とか飲み込んで、 「とにかくすぐに帰るから」 返事を聞かないまま切る。 「あの、これお願いします」 さっき読むのを諦めたSFものの小説をレジ台へ差し出した。 折角久しぶりに来たからゆっくり吟味して、何冊か購入するつもりでいたけどひとまずはこれだけで我慢する。 「はい、300円」 硬貨を手渡しすれば、 「若い子がくるなんて、何年ぶりかな?」 その言葉と共に見る、嬉しそうな表情に胸が痛くなった。 未来は 結末は 誰にもわからない それでも 全てを 運命と言いたくはない SUPER BEAVER "運命"より抄出 [mokuji] [しおりを挟む] ← |