short





何を作ろう。どれを買おう。
頭をフル回転させながら食材をカゴに詰め込んで最短でスーパーを出る。
少し買い過ぎたと後悔したのは、家まであと半分といったところだ。
何度も右へ左へと持ち変えてはいるけれど、そろそろどちらの掌も痛くなったので、今度は手首から上に犠牲になってもらうことにする。
両腕にくっきりと赤い線がついたころには、家に帰ることができた。

「ただいまー」

玄関を開けたところで、見慣れぬ靴を見つけたから少し声を張り上げる。
リビングの扉を開けた先、綺麗な白髪(はくはつ)が最初に目に止まった。

「おぅ、邪魔してるわァ」
「…あ、いらっしゃい」

久々すぎる強面に圧倒されて、ちょっと戸惑う。

「悪ぃな。予定狂わしちまってェ」
「ううん、大丈夫。気にしないでゆっくりしてってね」
「おぅ」

不死川くんが向き直った先には義勇の姿がある。だけど囲んだテーブルの上には何もない。

「飲み物くらい出しなよ」
「いや、俺も今来たばっかだから気にすんなァ」

そうやって気遣いができる不死川くんは大学時代から変わらなくて、ちょっと安心した。

「なに飲む?」

ひとまず買ってきたものは作業台に置いて、コップを手に取る。

「あー、いいっていいってェ。適当にやんからァ」
「そう?じゃあ、お言葉に甘えて」

扉を開ける直前まで何か話してみたいだし、邪魔するのも悪いと引き下がって、冷蔵庫に食材をささっとしまわせてもらった。
まだ時間が早いからかお酒を呑む雰囲気はなさそうだし、伊黒くんが来るちょっと前につまみとかは用意すればいいか。

「何かあったら呼んで?」

さっき買った古本を片手に、寝室へ向かう。
義勇からの返事はなかったけど、聞こえてるとは思うのでそのまま扉を閉めた。

ベッドに腰掛けて、早々にページを捲る。

さっきは読まなかった目次から端書きをじっくり読んで世界観を想像してみた。
うん、ちょっとワクワクしてきてる。

そうだ、辞書。

顔を上げたところで、あぁ実家だ、とすぐに思い出してスマホを取り出す。
専門用語を調べるなら単語だけの辞書より、こっちの方が知識は幅広いか。

そう自分を納得させて第一章を読み始めたら、すぐにその世界に没頭した。


未来をしよう


「名前」

目の前に映る深い青に、頭の中で描いていた宇宙を見た気がした。
でもそれもすぐに見慣れた瞳だって気が付いて我に返る。

「…あ、ビックリした…。なに?」
「伊黒が来た」
「え?」

思わず手に取ったスマホには18時と表示されていて、二度見するしかない。

「ええ!?もう!?」

時間がワープするとはこのことだ。
時折、調べ物をするためにスマホを触っていたはずなのに、雑念すら抱く暇なく読み耽っていた。

「もうちょっと早く呼んでよ…!」

つまみどころかまだ家のことに何一つ手をつけてない焦りから、つい口に出た不満は義勇の眉を真ん中へ動かしていく。

「さっきからずっと呼んでいた」
「そうじゃなくて」
「1時間前にも呼びに来た。中断させるのは憚れると一度戻ったが、それが悪かったというなら謝る」
「……。ごめん。悪くない。っていうか、悪いのは私…。ごめん」

何自分勝手に夢中になって、気を遣ってくれた恋人に当たり散らしてるんだろう。

「怒ってはいない。名前も一緒に呑まないかと誘いに来ただけだ」

私の言い方に少なからず苛立ったはずなのに、すぐに戻っていく眉間の皺は義勇らしい。

「ううん、私はいいや…。今から何か軽く作るね」

しおりを挟む間もなく閉じた本をそこに置いて、リビングへ向かう。

マスクで半分隠れているからか、ひと際印象的な切れ長の目と合って軽く会釈した。

「こんばんは」

返事はないけど、同じく頭が動くのは慣れているのでそのままキッチンに立つことにする。

伊黒くんは女性が得意じゃない。
そう聞いたのは知り合って割とすぐのことだ。
それにプラスして、彼女を溺愛してるから必要以上に他の人と関わりを持とうとしない。
それを信条としているそうで、今もずっと貫いてる姿は正直尊敬もするし、羨ましいとも思う。
だからさっき、誘いもすぐに断った。
伊黒くん本人にも、彼女にも申し訳ないから。

義勇なんかほんとそういうの疎いから、外での飲み会で下心見え見えながら外見は遠回しの誘いに何度乗りそうになったことか。
その度私が止めてるけど、いつか何の疑いもなく罠にはまって既成事実を作られなさそうな気がしなくもない。

そしたら私は、どうするのかな?

前菜にとサラダの用意していたところで、

「いない」

その一言にドキッと心臓が跳ねた。

「んだよォ。いねェのかァ」
「冨岡の会社ならそのような奇特な人間も存在しそうだが」

内容自体はわからなくても続いていく言葉の応酬で、会話の延長線で出た台詞だったと知る。
お酒の力も手伝って盛り上がっていく話の腰を折らないタイミングで、一皿一皿テーブルに並べていけば、自然と手が伸びて、

「んん、うめェなこれェ」
「そうだな。塩っ気があって酒が進む」

会話の途中で褒めてくれるから、ちょっと嬉しくなった。
料理はそんなに得意じゃないけど頑張ってみて良かった。

一番褒めて欲しい人は、相変わらず無言で咀嚼してるだけだけど。

「洗濯物畳んでくるね」

あらかた作り終えたところでそう声を掛けて、ベランダに出る。

何となく見た空に宵の明星を見つけて、さっきの物語を思い出した。


"空にある無数の星々は、願いを叶えることができるんだって。"


そう、主人公の語り口から始まった世界では、迷信じゃなくて実際に存在するもの。
でも、それは簡単なことじゃなくて、"叶い星"という無限の宇宙に広がる星を手に入れた者だけが、それらが持つ特別な力を実現できるらしい。
さらに"叶い星"にはそれぞれ特性と名前があって、『何かいいことがある』。そんな漠然としたものから『人を合法的に殺せる』といった恐ろしいものまで種々様々。

当然、強力な願いを叶えることのできる"叶い星"はそう簡単に見つけられなくて、そこで起こり続ける争いで父親を失った主人公の少女は決意した。

俗信だと言われている"全ての願いが叶える"力を持った"叶い星"を見つけることを。

最初は禁忌とされている父親の"蘇生"を強く願っておいたその子は、様々な人間に触れることで成長し、徐々に自分が独り善がりな願いを持っていたと気が付いていく。

そこからが佳境なんだけど、最後はどうなるのかな?

考えているうちに回収していた洗濯物が全てカゴに収まっていて、それを抱える。

朗らかな談笑を耳にしながら、寝室の扉を閉めた。

普段なら畳むのを強制参加させるところだけど、今この時ばかりはそんなことはさせられないので、ひとり黙々とそれを畳んでいく。

無心の作業だから、また少し考えてしまう。

私が、あの古本屋から長いこと遠ざかっていた理由。

今日、はっきりと思い出した。

こうやって家のことが疎かになってしまうから、やめたんだ。

正確には本に充てる時間より、義勇と一緒にいる時間を選んだ。

さっきみたいに呼ばれても気が付かないくらい没頭してしまうから一緒に暮らし始めた時は、義勇が拗ねたみたいにじゃれついてきてた。
そうなると私も集中できるはずない。

でもそれが幸せだと感じたから、趣味を捨てた。

実際、実家にいた時とは違って仕事と家事の両立自体が難しくなったから、きっと遅かれ早かれ手放さざるを得なかったんだろう。

義勇の下着を畳みながら随分慣れたな、なんて少し笑った。

最初は触れるのさえ緊張したのに、今や縒れてるよって自分から買ってくるまでだ。
本人に頓着がないからそうなったんだけど。

ひとまず脇に置いたことで、置きっぱなしにしていた冊子を見つめた。

やっぱり、あそこに通うのはやめよう。

今はもう、昔とは違うから趣味に費やしてる時間はない。

私がやらなきゃ誰もやらないし、自分のペースで続けられないことはきっと積み重なって、不満を義勇にぶつけてしまう。

そこに、何の意味もない。

今まで本を読まなくたってこの生活を続けてこられたんだから、これからだって続けていける。

やめることは、私が決めたんだから。

畳み終えたタオルだけをカゴに重ねて、続きが気になって仕方がないその中身は、二度と開かないようベッドの収納棚に無造作に放り投げるようにしまった。

* * *

お酒も進んで、段々大きくなっていく笑い声を扉の向こうで聞きながら、まだ許容範囲だとベッドに転がりながらスマホを目的もなくいじる。
もう少しヒートアップするようなら、少しばか声量を押さえるようお願いする所存だ。
今までの経験から私が出て行く前に伊黒くんが止めてくれるだろうけど。

寝返りを打って、消えてしまった画面の灯りに目蓋を擦る。

正直何もやることがなくて暇。

一瞬、小説の続きを読みたい衝動に駆られたけど、そうだやめたんだっけって思い直して、そのままスマホを放った。

盛り上がってる3人に私がウロチョロして水を差しても悪いし、ひとまずここで待機しか選択肢がない。
一応、帰る時には挨拶しなきゃいけないから寝るわけにもいかない。

そうは思うのに、目が覚めた時には静かになっていて急いで扉を開けた。

見慣れた後ろ髪が束ねられてないのを知った瞬間、また焦りが込み上げる。

「2人は!?」
「帰った」
「…は?え?」

今度は寝過ごした。
その事実に冷静でいられない私に、シンクに食器を置いていく姿は落ち着いてる。

「…ごめん。気付かなくて…」

今度は八つ当たりする前に、ちゃんと素直に言えた。だけど心は全然晴れない。

「不死川と伊黒に言われた」

向けられた視線の真剣さに身構えてしまうけど、そのまま次の言葉を待つ。

「名前が疲れた顔をしていると」

意味がないとわかっていても、瞬時に自分の頬に触れてしまった。

「そんなこと…」

ない、とハッキリ言い切れるほど、今の私に余裕がないと気付いたのは涙が零れてから。

溜め息が聞こえた瞬間、胸が抉られるようだった。


「泣くほど嫌なら最初から言えばいい」


だけどその言葉には、つい強く睨んでしまう。

「別に、嫌とかは言ってないじゃん!」
「なら何故泣く?」

その言葉だけで、消えたくなる気持ちはわからない?

だってこれまでの積み重ねを話したって、もう知ってる。返ってくるであろう言葉なんて。
ずっと一緒にいたから嫌でもわかる。

理解をしてもらえないこと。

辛いのは、それなんだって唐突に気が付いてしまった。

「黙っていられたらわからないんだが…」

呆れた顔をされてる。それだけで胸は苦しくなる。

無理矢理涙を止めて、呼吸を整えた。

「私達って、これからどうするの?」

ずっと訊きたかったこと。もうずっと、我慢してた問い。

「これからどうなるの?」
「どうなるって…」
「義勇にとって彼女なんていないんでしょ?」

一瞬首を傾げかけて、見開いた目だけでもう、わかってしまうのが悲しい。

「……聞いてたのか」
「ごめんね。盗み聞きみたいなことして」

蘇ってきた光景に、また涙が滲む。
本当はあの時、こうやってすぐに訊きたかった。

「義勇からそんな否定の言葉っ…聞きたくなかった…!」

傷付いたって伝えたかった。

そしたらきっと「違う」ってすぐに否定をしてくれて、私はきっと呆れながらも許して、こんなに泣くことも引き摺ることもせず済んだ。

少し遠回りはしたけど、困っているその表情は言ってくれるって信じてる。だから大丈夫。

「違う意味が合った」んだって。

これ以上は責めたくないから、ただ下りた静寂の中、言葉を待つ。

「……ごめん」

返ってきたのは、それだけ。

「え?」
「傷付けたことは謝る」

視線すら合わせない義勇は、何だか知らない人のようで怖くなった。

どうして謝るだけなの?
なんで黙り込むの?

私は謝ってほしいわけじゃない。理由を聞きたいのに。

それこそ、そうじゃないって、否定をしてほしいのに。

どうして?

「わかった…。もういいよ」

違う。そうやって終わりにさせたいんじゃない。
ちゃんと聞かなきゃ。解決させなきゃ、きっともっと悪化してしまう。

わかってるのに、怖くて逃げ出したい。

洗面所に向かおうとして、それでもまだどこかで期待をした。

引き留めてくれること。

言葉でも行動でもいい。引き留めてくれたら―…。

だけど扉を閉めるまで何も起こることはなくて、またひとり、声を殺して泣いた。


陽がさせば 日陰ができるように
始まればいつか 終わるように
期待すれば 落ち込むこともあるし
信じれば 傷つくこともある



SUPER BEAVER
"ひなた"より抄出


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