政府非公認の組織だから、ごく一部の人間しかその存在を知らない。 そう、冨岡さんは言ってた。 テレビの人も、そう言った。 刀と一緒に出てきたっていう滅の文字が書かれたボロボロの布を見ながら『恐らくこの組織は、表立ったものではなかったのでしょうね』と。 だから100年の間、こうして日の目を見る事がなかったんだと。 見覚えのある刀や服を見ただけで、謎が解ける訳なんてなくて、結局"鬼殺隊"という名前がはっきり出てこないまま終わってしまった番組に、静かに電源ボタンを押されるのを、ただ見つめた。 わかった事って言えば、1週間後に小さな美術館でそれが展示される事ぐらい。 行きたいって、言うかな?言うよね、きっと。 「同じ手鏡を見たと言ったな?」 シン、と静まった居間に、冨岡さんの声が響いた。 そっか。そっちの方が先に気になるか。 「…うん」 「それは今、何処にある?」 目を伏せて考えたけど、小さく首を振るしかない。 「ばっちゃの遺品を整理した時はなかった」 「他人の手に渡らぬよう何処かに隠した…?」 顎に手を当てて考えてる真剣な瞳を見ながら、あぁ、ばっちゃの言ってた事は本当だったんだなって思った。 本当に冨岡さんは、大正時代から来た、過去の人。 「お前の知っている話を知りたい。どんな些細な事でも良い」 「…わかった」 何から、どこまで話せば良いんだろう。 迷って右手を動かした所で、心配そうに擦り寄ってくるタンジロに笑顔を返すと頭を撫でる。 思い出す光景にちょっとしみじみしながら 「10年前、山に捨てられてたこの子を拾ったの」 そう前置きをしてから話を始めようとしたのに 「そこまで遡るのか」 なんて言いやがるからその怪訝そうにしてる顔を指差した。 「タンジロ行け。噛め」 「ワンッ!」 わん はんどれっど えいと すごく単純で明快で、めんどくさいって顔する暇もなく終わる話だ。 飼うのを反対された私は山に籠城しようとして迷子になって、たまたまあった防空壕で朝を迎えたけど鼻が利く犬のお陰で家に帰れたっていう。 付け加えるなら、私はめちゃくちゃ怒られて、タンジロはめちゃくちゃ褒められた。 だから今も一緒に居られてるんだけど、それの何が冨岡さんに繋がるかって、そこからはちょっとめんどくさい。 でも何も最初から嫌な顔する事ないじゃんね。やっぱ冨岡さんっていちまんぱーモテないって思ってから、いちまんぱーは語呂悪いな、やっぱせんぱーかなって思い直す。 「その中には祠があり、同じ手鏡があった。しかし今、それは土に埋まっている。そういう事だな?」 「うん、そう」 迷子になって迎えた朝、突然起こった大きめの地震で崩れた防空壕。 そこに祀ってあった祠には結局何があったのかって、そんな話になったからだと思う。 ばっちゃは寝る前の私を呼ぶと、押し入れの中から小さな木箱を出して、言った。 「あそこにはね、これと同じ物が祀られてあったのよ」 見せられたのは、キラキラと光る手鏡。 それは余りにも綺麗で、手を近付けた私に、ばっちゃは珍しく焦って、触ってはいけないとすぐにそれをしまってた。 その時はまだ、それ以上の事を説明されなかったし、私も訊かなかった。 どういう物かを知ったのは、それまで風邪ひとつ引いた事がなかったばっちゃが、家と病院を何度も往復するようになった頃。 昔、人を食べる、それはそれは怖い鬼がいた。 唐突に、そんな事を言い出して、私はおとぎ話を聞かされてるみたいだと思った。 この家は代々、その鬼を退治する偉い人達の休憩所みたいな所で、ばっちゃのお母さん、私から見たひいばっちゃの代まで続いてたって。 歴史にして1000年以上、確かそう言ってた気がする。 「此処は藤の花の家紋の家だったという事か…。通りで見覚えが…」 小さく頷いてる冨岡さんの腕をガブガブ噛んでる犬の事は気にならないらしい。 「その間に、1人の鬼を助けたって言ってた」 「…鬼を…?どういう事だ?」 「すごく変な鬼が居たんだって。人を食べない鬼」 「それはいつの話かわかるか?」 「確か…江戸時代、だったかなぁ?大正より前だったのは絶対」 「…禰豆子より以前に特殊な鬼が存在していたのか…」 「ねずこ?」 「いや、こちらの話だ。それより鬼についての仔細を聞きたい」 「うん…その鬼自体の事はばっちゃも良く知らなかったみたいなんだけど…」 何処まで話したっけ? あ、そうだ。その鬼は人を食べなくてそれで… 「手鏡を貰ったって。それが防空壕にあったのと、ばっちゃが持ってたやつ。あと…」 「先程テレビに映っていたものか」 「多分。何で1つだけ違う所にあるのかはわかんないけど…」 冨岡さん、テレビって横文字覚えられたんだ。っていうのは心の中で思うだけにした。 「いずれにせよあとの2つが現存しているならば実物をこの目で見たい。お前の祖母は、手鏡の在り処について何か言伝も遺していないのか?」 「…ううん。なんにも」 そう、なんにも遺ってない。 ばっちゃの話を、聞こうとしなかったから。 死期を悟って現実逃避してるんだろうとか、歳が歳だからモーロクしたんだろうとか、誰も、なんにも、聞こうとも信じようともしないで、ただうんざりしてた。 私も。 「本人が死没しているとなると手掛かりのないままの捜索は難しいものがあるな。埋まった祠を掘り返す方が良策か」 「え?やめた方が良いよ!?無駄だもん!」 思いっ切り言い切ってしまった私に、その顔がちょっと険しいものになった。 「何故無駄だとわかる?」 「だってすっごいその穴深いから。最近重機が入れるようになったから掘ってみたら…」 思い出して、一瞬、言葉に詰まってしまう。 「地下水で埋まっちゃってたって…」 半分も進まないうちに溢れてきた水に、慌てて塞いだって言ってた。 元々立ち入り禁止の看板が立てられてた所には、それから頑丈に有刺鉄線が張られてる。 私の言葉で伏せられていく目に、何て言葉をかけようか迷った挙句 「…見に行くだけ、見に行ってみる?」 そう声をかけた。 「危険じゃないのか?」 「看板の前までだったら多分平気。冨岡さん、このままじゃ納得出来ないんじゃないかなって」 「あぁ、出来ない」 真っ直ぐ強い目を向けられて、心臓がドキッと動いた。 「じゃあ、明日案内するね」 「頼む」 小さく下げられた頭から視線を落として立ち上がろうとした所で 「もうひとつ頼みがあるんだが…」 呼び止める冨岡さんを見た。 「何ですか?」 「そろそろタンジロに俺を噛むのは止めろと伝えてくれ」 「…あ、ごめん忘れてた」 * * * 靴箱の扉を全開にして隅から隅まで見回す。一番奥の真っ黒い紐付きの長靴を発見して手を伸ばした。 これ多分お兄ちゃんのやつ。 一応臭いを確かめてみて、うん、臭くない、と納得した。 「どーぞ」 むすっとしてる冨岡さんに 「嫌なら行かないけど」 そう言えば無言のままそれを履き始めて、同じように自分の長靴に足を突っ込む。 耳に入る雨の音に、紐付きも買っとけば良かったなって今更だけどちょっと後悔した。 私達は今から、昨日話した祠の場所に向かう。 なのに何で一番行きたがってた冨岡さんが不機嫌なのかって、今身につけてるジャージとカッパと長靴のせい。 朝から降り出した雨はすぐに台風並みの勢力になって、昼過ぎには落ち着くって言うからそれまで待ってはみたけど、今もバタバタと激しく打ち付けてる。 一応明日にしない?って提案はしたけど、そんなのを聞く筈もなく、しかも隊服と草履で行くって聞かないものだから無理矢理カッパを着させたらそこから超ご機嫌斜め。 動きにくいから嫌なんだって。 だったら明日にすれば良いのにって言ったらそれもダメだって。ほんと頑固。犬でさえこんな雨の日は大人しくするのに。 「タンジロは待っててね」 「ワン!」 任せろって言ってる表情に安心して頭を撫でた。 行きたくないなって思いながら、多分玄関を開けた瞬間に飛ばされるフードを一応深く被る。 「行ってきますっ」 気合い入れなきゃと思う横では、数歩進んで脱げてしまう右足と 「…歩きづらい」 ボソッと呟く横顔に、やっぱ今日止めた方が良いんじゃないの?って本気で考えながら脱げないように紐を思いっ切り縛ってやった。 容赦なく打ち付ける雨と風に、カッパも長靴も意味を成さなくなってパンツまでびっしょり濡れてる感覚に気持ち悪いなって思いながら、ただひたすら山へと向かう。 後ろから話しかけてくる冨岡さんに最初は何とか会話しようとしたけど全く聞き取れない声に 「ごめん!声ちっちゃいから!全っ然聞こえない!無視するね!」 って堂々シカト宣言して歩き続けた。 時々後ろは振り返って、ついてきてるのを確認しながら山道の入口に入る。 ただ無心でぬかるんだ道を歩いてるつもりでも、勝手に色んな事が浮かんでくるし、考えてしまった。 鏡の中が過去に繋がってる。 昨日の冨岡さんに、その事は言えなかった。 だって期待して、ダメだった時のガッカリ感半端ないだろうし、正直私もまだ半信半疑だし。 だけど何にも言ってないのにその手鏡に此処まで拘ってるから、多分薄々感付いてるとも思う。 そこに何か、糸口がある事。 ばっちゃが持ってた手鏡の在り処"は"聞いてない。 だけどそれが持つ意味は全部聞いた。 どうして手鏡が3つなのかも。 その時、家に住んでた…確かいえもりって言ってた。それがばっちゃのお母さんと、お姉さん2人だったから。 という事はばっちゃにとっては伯母になって、私から見て、何だろ…? いいや、そこはやめよ。考えてもわかんない。 ばっちゃのお母さん三姉妹は助けた鬼に言われたらしい。 自分の血鬼術は未来予期だ、と。 これから鬼の始祖に殺される事、そしてそこから鬼の勢力は更に増して、人間は破滅に向かいそうになる事。 だからもしもの時、その手鏡が未来に存在しているのなら鏡を通してそちらに行けるはずだと。 「私達は…護る、ように言われたの…」 声を出すのも辛そうなばっちゃを、私は直視出来なくてそのまま部屋を飛び出したから死に目には立ち会えなかった。 何で死の淵に追い詰められてまで、その手鏡の事を話すのかわかんなかったし、わかりたくもなかった。 だってこういう時って、家族にありがとうとか、そういうの伝えてくれるもんじゃないの?って、人の気も知らないで安らかに眠るばっちゃにすらイラついた。 だって私は、ちゃんとサヨナラ言えなかったから。 手鏡なんかより、鬼なんかより、あの時あんな事があったとか、この時こんな話したよねってばっちゃとの思い出話をもっとしたかった。 雨とは違うものが頬に流れて、意味もないのに頬を拭う。 それでもちゃんと、最初から最後まで話を聞いておけば良かったって今はすごく後悔してる。 だってわかんない事しかないから。 ねぇ、ばっちゃ。私はこれから、どうしたら良いの? 「…此処か」 声の大きさはさっきと変わらないのに、後ろからはっきりと聞こえた声に、いつの間にか雨と風が止んでる事に気が付いた。 "危険!立ち入り禁止!" そう書かれた看板の先、埋まってる土の壁を眺める。 「確かにこれでは…」 見ただけでわかるのか、小さく呟くと言葉を止めた冨岡さんの横顔は失意そのもので、視線を足元に向けようとして眉を寄せた。 「…え?何で…?」 「どうした?」 「…これ」 有刺鉄線が綺麗に切り取られてる。 誰か、此処に来たんだ。しかもすごく最近。 何しに? 切られた断面を確認してる冨岡さんの頭から目線を上げて、防空壕の入口だった場所へ目を凝らした。 土の隙間から何かが見えてる。 …あれは―… 「戻るぞ」 いきなり捕まれた腕に冨岡さんの方を見るしかなくなった。 何だろう、すごい険しい顔してる。 「え?でも、来たばっか」 「良いから」 「ちょっと待って。何焦ってんの?」 「此処は危険だ」 「は?まさか鬼が出るとか?」 「違う。わからないのか?そこら中から木の根が動く音がしてる」 「…え?」 会話が途切れた瞬間、 ブ、ツッ… 足元から響いた不気味な音。 じっちゃが良く言ってた。 それは、土砂崩れが起こる前兆だって。 「行くぞ」 腕を引っ張られて我に返る。 「ちょっと待って!あそこに何かあるの…!あれだけ」 言い終わる前に両腕で包まれて 「駄目だ。掴まってろ」 その囁きのすぐ後、身体が宙を舞ったのを感じた。 * * * 泥まみれになった全身を引き摺りながら、田んぼ道をひた歩く。 土食べちゃったし長靴どっか行ったし何処打ったのかわかんないけど色んな所痛いし何か知らないけど、今になって嫌がらせとしか思えないくらいめっちゃ晴れてるし。 「ああぁ!もう!最悪っ!」 空に向かって叫ぶ私に、先を歩いていた同じく泥だらけの冨岡さんは振り返ってから目を窄めた。 「あの状況下の中、失った物が長靴だけだったのは御の字だと思うが」 「そうですね!オンノジオンノジ!超オンノジ!」 それはまぁ、そうなんだよ。オンノジだけど。 冨岡さんが咄嗟に斜面を飛び降りなければ、完全土砂に生き埋めにされてたし。 それでも普通の人間じゃあの傾斜を飛ぼうなんて絶対思わないから、あぁもう死んだ絶対死んだって思ったけど。 「叫ぶ余力があるなら歩いてくれ」 「無理!頑張ったし頑張りたいけど無理です!足痛い!!」 気のせいって言い聞かせたけど右足が何か変。 こんな所で止まっても意味ないってわかってるけど、立っていられない。 「何処が痛む?見せてみろ」 すぐに傍にしゃがむ冨岡さんの真剣な瞳にドキッとした。 あれ…?私、まさか… 「…此処」 「ふくらはぎか」 裾を捲ると這っていく右手に、もっと心臓が速くなっていったけど 「痛っ」 今度は別の意味でドキッとする。 「肉離れを起こしかけてる。何故無理して歩いた?」 「え?だってさっきまで痛くなかったから」 「違和感はあった筈だ」 「それはまぁ、あったけど…大丈夫かなって」 何か変な感じするから待って、なんて言えなかった。 助けて貰って更に歩けないとかお荷物じゃん。 「その勝手な判断で今足止めを食ってるんだが」 …わかってたけど、ほんと冨岡さんってこういう時きっつい。 「だってさっさと先行っちゃうから!」 「言えば良かっただろう」 そんでやっぱ絶対モテない。全然ダメこの人。 「じゃあ歩けないからおんぶして!」 広げた両手に何度か瞬きをしてから向けられる背中で、私まで瞬きが増えた。 「え?ほんとに良いの?」 「自分から懇願したんじゃないのか?」 「懇願はしてないし!」 呆れてる口調にちょっと恥ずかしくなって思いっ切りその背中に乗ってやったのに、全然よろけないどころかスッと立ち上がる勢いに、こっちがバランスを崩しそうになって慌てて首に腕を回した。 ついでだから泥だらけの頭に頬もくっつけとく。すっごい土の匂い。 「もう少し力を抜いてくれ。歩きづらい」 「無理。怖い。落とされそう」 「それなら降りれば良い」 「無理。やだ。歩きたくない」 立ち止まった瞬間、落とされそうな気配を感じて、もっとしがみついてやった。 「…はあ…」 すっごい重たい溜め息の後、黙って歩き出した冨岡さんに笑いが零れたのは、カッポカッポって間抜けな足音が響いてたからだと思う。 * * * 「…また降ってきた…」 窓に打ち付ける雨粒を眺めた事で独り言が零れて、やだ、これじゃ冨岡さんみたいじゃんって考えた。 さっきまでおぶさってた広い背中のあったかさを、もう一度心の中で噛み締めながら押し入れの戸を開ける。 押し込んでいたぬいぐるみ達を掻き分けて先には茶色いクマ。 手を引っ張ってお尻の辺りにある硬い感触にホッとした。 大丈夫、ちゃんとある。 じゃあ、あれは、何であんなトコにあったんだろう? 「隠し場所が悪趣味だな。通りで捜しても見付からない筈だ」 後ろからした聞きなれない声に振り向こうとしたけど、覚えのあるその威圧感に髪の毛を拭いていたタオルを下ろす。 「…初めて喋ったと思ったらそれ?」 小さく笑った私に返事はなくて、振り返った先では猫みたいな青色の眼がすごくキツくなってた。 「何を考えてる?」 「…何って、何が?」 訊かれてる事が本気でわからないからそう返したのに、ギリッ、そんな音を立てた歯、というか牙がすごくイライラしてるって伝えてる。 「ってかこっちの台詞だしそれ。何で防空壕の入口にあれがあったの?」 「詮索するな。とにかくそれをすぐにあの男に渡せ。このままじゃ手遅れになる」 「手遅れって何が?あ、それよりさっきも私達を助けてくれたよね?ありがと」 途端に寄った眉毛にやっぱそうだったんだって目を窄める。 冨岡さんは私に正面から覆いかぶさって斜面を飛んだけど、それと同時にものすごい力で後ろへ引っ張られたのにも気付いた。 でも、気のせいかなって思ったけど、着地した後冨岡さんの 「何かに引き寄せられなかったか?」 不思議そうなその言葉で確信に変わった。 あの時は「わかんない」って誤魔化したけど。 「お前達がまだ必要だからだ。助けたのは俺の意思じゃない」 「じゃあ誰の意思?」 「無駄だ。手鏡を早く渡せ」 「教えてくれないなら言う事聞かない」 「調子に乗るなよ。人間の分際で」 ビリッて、電気が走ったような気がした。 口唇を噛んだのは、恐怖に負けそうになってるからだと思う。 でも認めない。全然怖くない。 「鬼だって元々人間じゃん。何で?10年前も防空壕で生き埋めになった私とタンジロを必死に助けてくれたのに」 ばっちゃは言ってた。 滅んだって言われてるけど今も本当は1人だけ、この世で生きてる鬼が居る。 「どうして今は邪魔するの?愈史郎さん」 ずっと私を見護って、きっといつか助けてくれるって だから 浮世に鬼はない [mokuji] [しおりを挟む] ← ×
|