short | ナノ





小さい頃から時々、誰も居ないのに誰かがそこに居るような、私を見ているような、そんな感じがする事があった。
親もお兄ちゃんも気が付かなかったし、全部を覚えてる訳じゃない。
でも気配がする時、必ずそこに陽の光は射してなかった。
それが確かに存在してるんだと知ったのは、犬を抱えて、泣き疲れて眠ってしまった防空壕の中。
突然の揺れになす術なく土に埋まるしかなくて、気が付いたら真っ暗で、息が苦しくて、動けなくて、もうダメなんだって目を閉じかけた時、見えた光の中、泥まみれな手を差し伸べてくれた。

訳がわからないまま泣き続ける私に、イラついた顔をしながらただ黙って村へ続く先を指差したその姿に、タンジロは今みたく、鳴くのを止めようとしなかった。

「…あの犬の嗅覚は炭治郎並みだな」

小さく舌打ちしながら、扉越しに居間を睨むその言葉で思い出す。
鬼殺隊の後輩だっけ?愈史郎さんも知ってるんだ。
ううん、今はそんな暢気に考えてるじゃない。
冨岡さんは多分まだお風呂に入ってるけど、出た瞬間、タンジロの鳴き声は聞こえると思う。
きっと何かあったってすぐに気付いちゃうから、戻ってくる前に話をつけなくちゃ。
そう思ったのは、愈史郎さんも同じみたい。

「邪魔をしてると言ったよな?」
鋭い眼で私を見る。
「…言った」
「邪魔してるのはお前の方だ。今すぐ冨岡義勇に手鏡を渡して元の時代に戻せ。でないと取り返しのつかない事になる」
「だからその取り返しのつかない事って「人間が滅びる」」
眉ひとつ動かさなかったけど、その顔が嘘を吐いてるんじゃないのは、わかった。

「大正2年12月、奥多摩の雲取山で、竈門一家が鬼の始祖・鬼舞辻無惨によって惨殺された。発見者は当時13歳だったその家の長男・炭治郎。唯一生存が確認されたのは12歳の妹・禰豆子だったがその姿は鬼と化していた」

ねずこ。
昨日冨岡さんもその名前言ってた。
12歳の女の子だったんだ。

「任を受けた当時18歳の剣士が2人の姿を発見したが、人を喰わない可能性に賭けその兄妹を生かした。その後、竈門兄妹によって歴史は大きく変わり、鬼の始祖は絶命する」
「…それで?それが今のこの状況と何の関係があるの?」
「鈍すぎる。だからバカとは話したくないんだ」
「は?なにその言いか「その兄妹を助ける剣士が冨岡義勇。そう言えばその足りない頭でもわかるか?そしてそれは今から約半年後に起こる出来事だ」」

その言葉の意味をすぐに考えたけど、全然わからなかった。
っていうか冨岡さんって18だったの?私の事子供とか言えないじゃん。
年齢だけみたらの話だけど。
って、今はそこじゃないって考え直す。考え直してもわかんないけど。

「どういう事?…だって…。だってもう知ってた、よね?それとも違う炭治郎とねずこって兄妹が居るとか?」
「そんな都合の良い話がある筈ないだろバカめ。お前がこの時代に引き留めているせいで生じた歪みだ。此処には予期鬼の残留記憶が留まってる。一度血鬼術にかかってる分、その作用が顕著なんだ」
「…ふぅん」
「お前に話していたのを聞く限り、今のアイツの記憶は21歳前後、炭治郎と再会した頃だ。時間的にはまだ間に合う。アイツを今すぐ元の時代に還せ」
「……。やっぱ良くわかんないや。何で冨岡さんをそんな帰したがるの?」
「聞いてたのか!?冨岡義勇が竈門兄妹と遭遇した!それが全ての始まりなんだ!!その前提がなけりゃ全部!全て!何もかもがなかった事になる!!そんな事…絶対に許さない!!」
「わかんないじゃん。全部なくなるとは決まった訳じゃな「鬼舞辻無惨に手鏡の存在が気付かれてみろ!!どうなると思う!?」」
頭を掻き毟る愈史郎さんに、俯くしか出来なかった。
「…ごめん。わかんない」
「……珠世様の努力を…命を…無駄にする訳にはいかないんだ…」
すごく、ほんとにすごく悲しそうで、今にも泣きそうで、ただ、可哀想だなって思った。同情じゃないよ、本気で。

だから多分、10年前も、私とタンジロを助けてくれたんだよね?
今、この時のために。
冨岡さんを大正時代へ帰させるためだけに。

でも、ごめんね。
私も、譲れないんだ。

「手鏡は渡さない。冨岡さんは帰さない」
「お前っ!自分が何しようと「わかってるよ!」」

そう叫んだ瞬間、憎悪で満ちていく表情に、あぁ、鬼の形相ってこういう事を言うんだなって考える。
ほんと、すっごい怖い。
でもやっぱり負けられない。

「わかってて何故拘る!?そんなにアイツに惚れたのか!?そのために人間全て滅んで良いとでも言うつもりか!?」
「違うよ!惚れてないし!あんな女心読めない人好きになる訳ないし!」

全っ然、違う。好きなんかじゃない。
ドキドキしたのは多分いつもと違う、新鮮な事ばかりだったから。
好きなんかじゃないよ。あんな人。

「じゃあどういうつもりだ!?」

答え次第では、って顔してる。
これ言ったら怒られるかな?なんて、怒られるくらい可愛いもんか。
多分、頭が床に転がるかな。
そこまではしない?
わかんないけど、素直に言うしかない。
ほんとは、言いたくないけど。

「死んじゃうんでしょ?冨岡さん」


わん はんどれっど えいと


ばっちゃの話は、最初から最後まで聞かなかった。
でも、お母さんとお父さんがばっちゃが死んだ夜、こっそり話してたのは聞いた。
いつか大正時代からやって来た人を助ける日が来る。その日が来たら、私に全てを話して欲しいって。
でも2人は当たり前に信じてなくて、ただでさえばっちゃが死んですぐに受験を控えてた私に余計な負担をかけるのはやめよう、押し入れにしまってあるって言ってた手鏡も遺品と一緒に黙って捨ててしまおうって。
だからこっそりそれを盗んでクマのぬいぐるみの中に隠した。
あの後、遺品を整理した時、手鏡がなかった事にすごくホッとしてたのは多分、半信半疑だったんだろうね。
やっぱりばっちゃの嘘だったんだって安心してたんだろうね。
その時にお母さんがボソッと言った言葉。
冨岡さんと初めて逢った時にすごく鮮明に蘇った。

「そうよね、帰っても鬼のせいで死んじゃうなんて…。そんな話、あんまりよ」

多分その後は、嘘で良かったって言ってた。
同じ事を聞いてたら、私も同じ事思ってただろうな。
でも、嘘じゃなかった。

だから今は思うんだ。
嘘なら、良かったのにって。

「…お前、まさか…それだけ…のために…!?これだけの…」
「ダメなの?」
「何を勘違いしてる!?アイツの最期は悲惨なものじゃない!炭治郎達に看取られ、穏やかに死ぬ!畳の上で安らかに、だ!その意味がわかるか!?お前の祖母と一緒だ!」
「それね、ずっと思ってたの。ほんとにばっちゃが幸せだったかなんて、誰にもわかんないよねって」

たくさんの人に看取られて、涙を流してもらって、いっぱい葬式にも人が集まって、皆言ってた。
おばあちゃんは、幸せ者ね。
そう言われる度に思った。

ねぇ、本当に、そうだったのかなって。

ばっちゃはそんな事、一言も言ってなかったな。
苦しそうだったよ。悲しそうだったよ。
今でも覚えてる。

「もっと生きたかったって、言ってた」
「だから何だ!?抗えない自然の摂理だ!」
「じゃあ選べたとしたら愈史郎さんはどうする?」

すごく、傷付いたような、そんな顔をしたけど、私の質問に何も答えないまま音もなく姿を消したからその意味はわかんない。
でも姿を消したのはその直前に、すごい勢いで開く扉の音がお風呂場の方で聞こえたからだと思う。
あ、冨岡さんお風呂上がったんだなって思った所で
「だったら今日中にアイツに選ばせろ」
気配が消える前にした最後の声に、返事を出来なかったのは

「何があった!?」

そう言って相変わらずノックもしないで扉を全開にした冨岡さんのせい。

全身びしょ濡れなのにパンツいっちょで刀は持ってて、それがもう、これでもかってくらい間抜けすぎて笑いながら涙が出た。

* * *

「隠しててごめんなさい」

それだけ言ってから、頭を下げて上げる。
クマのぬいぐるみから取り出した手鏡をじっと見つめてるその表情は変わらなくて、怒ってるのか呆れてるのか、それも読めなかった。
ただ私が本当の事を話すって言った後、着替えてくるって一度戻ろうとした冨岡さんに居間で待ってるって伝えたら、此処に来た時と全く同じ恰好で現れて、揺らぎのない意思は、もうそれだけで伝わってきて、多分昼間干した褌もちゃんと締めてるんだろうなとか、考えても今度は全然、クスリとも出来なかった。

愈史郎さんの事は話してない。
何となくだけど、今の冨岡さんがその存在を知ったらいけないような、そんな気がしたから。
じゃなければ、愈史郎さんは無理矢理にでも私から手鏡を奪って、勝手に冨岡さんを過去に帰してるだろうし。

「開けて良いか?」
「…うん」
そっと手鏡を両手に持つと、蓋を開けようとする動作に
「やっぱちょっと待って!」
勝手に出ていた一言で、また私はそうやって逃げようとしてるんだなって思った。
でも、だって…
「…開けた瞬間、戻っちゃったら…」
「そこまで強力な血鬼術なのか?」
「わかんない。見た時は平気だったけど。でも…」

ばっちゃは私に触らせないようにしてたから、多分それが発動条件とかだと思うけど、それが本当か、もう居ないからわからない。

お願い。もう少し。もう少しだけで良いから──…。

言葉に出来ないまま俯いた後、コトッと何かが当たった音と
「…わかった」
短い返事に顔を上げてから、手鏡がテーブルに置かれたのを見た。
それだけで込み上げてくる涙を何とか上を向いて乾かす。

「私が、聞いたのはね…」

本当に全部、今までの全てを話した。

これからどうするべきか。
冨岡さんが此処に来てから、私なりにずっとずっと考えて、でも結局良くわかんなかった。

想像が、出来なかったから。

鬼がどうとか言われても、私が知ってる鬼は愈史郎さんだけだし、その鬼を倒す偉い人達の名前が鬼殺隊とか、鬼は特殊な道具でしか殺せなくて、その名前が日輪刀とか、そうやって、すごく真剣な表情で話されて、真剣な表情で聞いてても、やっぱり私とは違う世界な気がして、現実には思えなかった。

でも今すごく現実だって噛み締めてるのは

「俺は、戻らなければならない」

全部知ってもなんにも、ほんとになんにも変わらない、綺麗な青色の瞳のお陰、なんだろうな。
そのお陰で私も気付けた。
どうして時々遠くを見つめてたのかとか。
何で私を子供扱いしたのかとか。

「記憶、最期まで全部、もうあったんだね」

真っ直ぐ私を見る冨岡さんに見つめ返しただけで泣きそうになる。

「…いつまで、生きられるの?」

こういう時、上手く笑えれば良かった。

「はっきり記憶があるのは皇紀二千五百七十九年。元号にして大正八年、秋までだ」
「そっか。あと6年、だね」

笑う練習とか、しとけば良かった。
あと何かさ、あっちに戻っても私の事忘れないくらい、なんならもうすごい後悔するくらい、感動的なセリフとか、考えとけば良かった。

こうなるのは、わかってたんだから。

私が冨岡さんを過去に帰してなきゃ、此処に私は居ない。生まれてない。

でも浮かぶのは、後悔ばっかり。

私は、そんな大役受け入れたくなかったとか、そんな事言ったら、呆れられるんだろうな。
未来が少し変わるんじゃないかって、そんな淡い希望があったとか言ったら、きっともっと、おんぶしてくれた時より重い溜め息吐いてくるんだろうな。

本当なら有り得なかった事が徐々にだけど、有り得る事に変わっていって、もしかしたら鬼が居なくなって、冨岡さんが死なない道を探せるかも知れなかった。

それなのに何で諦めちゃうの?
そんな事言ったら、嫌われちゃうかな?

だってもう、それも最後だから──…

「この2週間余り世話になった。お前には感謝している」

軽く頭を下げると真っ直ぐ見つめる瞳を引き留める術も言葉も、何もないんだろうな。

「…そういえば、まだ名前教えてなかったね」

言葉にしてから苦笑いを零す。
何度か訊かれたけど、その度に聞こえないふりとかして誤魔化してきた。
知られたくなかったから。呼ばれたくなかったから。


「名前」


聞きたくなかった筈のその響きは、今まで呼ばれたどんな名前よりも嬉しくて、温かくて、勝手に頬が弛んでた。

「知ってたんだ…」
「名前くらい探ろうと思えばすぐに探れる」
「探したの?…興味ないのかと思ってた」
「お前が知られたくなさそうにしていたから、合わせていた」

沈黙の時間が流れて、暢気に寝そべってる犬に目を向ける。

「明日すっごい良い天気なんだって」
「…そうか」
「だから、散歩行かない?」
突然の提案に、当たり前にその顔は困惑してて、そうだよね、早く帰りたいよねって苦笑いを返した。
「そんで、冨岡さんを見付けた所でサヨナラしようよ」
「…だが、こうしてる今も「1日くらい良いじゃん」」

訝しげに見てる冨岡さんに、今度は上手く笑えたと思う。

「だって、今この時代に鬼が居ないのは冨岡さんのお陰なんだよ?」

未来の私に言われた言葉は、きっとその心を少し救えるかな。
それだったら、良いな。

「…そうか。本当に鬼は居ないのか…」
「うん」
「それなら、散歩をする時間くらいはあるな」
「でしょ?あ、でもその恰好じゃまた冨岡さん倒れちゃうかぁ」
ぐったりしてた姿を思い出して小さく笑った。
「暑さにはだいぶ慣れた」
「じゃあ戻ったら寒いかもね」
「…そうだな」
「風邪、引かないでね」
「…善処する」

少し上げた口の端に、もっと笑えば良いのにって思ったけど、言わないであげた私は偉い。
あと、嘘が下手だなって事も。

「今日はタンジロと寝てあげてよ。此処に布団敷いてあげるから」

きっと冨岡さんは、私が寝付いた頃を見計らってこの家を静かに出ていく。
手鏡を持って。
私は寝たふりをしながらその物音を聞いて、それで終わり。
それだけで終わり。
そんなの予期しなくたってわかるよ。

「わかった」

それが多分、一番傷付けない別れ方だって、考えてるんでしょ?

何処か清々しく見える冨岡さんに笑顔を作ると立ち上がった。
「その前に最後の夕飯だね〜!今日は豪勢にカップラーメン&納豆ご飯にしよっか?あ、プラス卵かけご飯に挑戦とか!?」
「それは…すまない。勘弁してくれないか…?」
「冗談だよ。本気で引くのやめて」

* * *

結局いつものようにカップラーメンを食べて、そのまま畳へ横になる。
「あー、食べた!冨岡さん片付けよろしくね!」
それも冗談で言ったつもりだったのに、空になった容器を下げる姿にちょっと笑いそうになったけど
「食べてすぐ横になると太る」
ボソッと言った言葉に眉を動かした。
「女の子はちょっと太ってた方が良いんですぅ」
台所に向かう背中に言ってみるけど、確かにちょっとヤバイかなっていうのは感じてなくもないなってお腹周りを触ってみる。
かな、じゃなくて、ちょっと、じゃなくて、すごいヤバイって確信した。
最近の食生活を後悔しても遅し。付いた肉はなくならない。
いつも手料理をお裾分けしてくれてたオバサンも、お兄ちゃんが帰ってきたってどっかから噂で聞いたみたいでめっきり来なくなっちゃったから、3食ずっと適当。
オバサンのお裾分けだけは継続する努力をすれば良かった、なんて今更考えた。
ちょっとこれからダイエットに励むべきかも知れない。
かと言って自炊はしたくないから、筋トレ?

「…ふんっ」
「何してる」
「何って、腹筋」
いつの間にか戻ってきてた冨岡さんが見下ろしてくるから私もその顔を見上げた。
「太ってた方が良いんじゃないのか?」
「それ強がりだよ。ほんと女心がわかってないなぁ」
大正時代に戻っても絶対モテないと思う。
でも逆にモテるのかな。昔は無口な男の人がモテたとかじっちゃ言ってたしなぁ。
「…確かにこの間より肉付きが良くなった」
言葉と共につままれた脇腹に
「ちょわぁっ!」
良くわかんない悲鳴が口から出てた。
「相変わらず弱いな」
「うるさいなぁ!自分だって…!」
さっきより笑ってるように見えたのは、逆さまに見えてるからかな?

それとも、これが本当に最後だから?

ほっぺたを両手で挟めば、ちょっとその目が窄んだ。
「腹筋するんじゃないのか?」
「ねぇ」
「何だ」
「私が行かないでって言ったらどうする?」
そんなわかりきった事を訊いてみる。
わかってるから答える暇はあげない。
「私が一緒に行きたいって言ったらどうする?」
それもわかってるけど一応黙ってはみた。
「連れていく訳にはいかない」
「だよね。でも私は一緒に行きたい。冨岡さんと一緒に居たい。でも無理なのもわかってる」

ダメだよ。これ以上は喋っちゃダメ。

何を言っても無駄だって、わかってるから

わかってるのに

「此処で一緒に生きていくのはダメなの?」
「駄目だ」
「何で?」
「俺はこの時代の人間じゃない」
「だから?それだけ?」
「それだけじゃない。理由として十分すぎる」
「十分じゃない。全然十分じゃないよ。冨岡さんの気持ちは?」
「俺は鬼殺隊の剣士だ。身を挺して鬼を滅する」

そうじゃないよ。そうじゃなくて…
私の事、どう思ってるの?
その言葉は口を突いて出てくれなかった。

「前にも言った。子供には手は出さない」

まるで心臓を、突き刺されたみたい。

頭に何か、カッとしたものが込み上げたなって冷静には考えたんだよ。
でもその瞬間には手鏡を床に投げつけてて

「さっさと帰れば!?」

そう、力の限り叫んで、冨岡さんに背を向けてた。
涙が止まらなくて、擦り寄ってくるタンジロを抱き締めるしか出来なくて、何かもう、最低って。
そう思って。
「…すまない」
小さく謝ってくる冨岡さんの手が優しく頭を撫でた後
「タンジロ、名前を頼む」
「…クゥン‥」
私にも出した事のない甘えた声に、余計涙が溢れた。
離れていくのを感じるのに、目を瞑る。

見たくない。聞きたくない。知りたくない。

「お前と過ごした日々は、楽しかった」

嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。こんな別れ方。こんな終わり方。

「もし俺がこの時代に生まれ変われたら」

そんな不確かなものいらない。

私は──…

「っ!!冨岡さ」

漸く手を伸ばせた先、そこには落ちていく手鏡しかなくて、畳に叩き付けられるのをただ、息を止めて見ていた。

「…な、んで…」

だってさっきまで此処に、居て、喋ってて
私なんにも伝えてないのに
自分が言いたい事言ったら終わり?
言いたい事も言えてないじゃん。
生まれ変われたら、その続きは?ねぇ?

何で途中でやめたの?
どんな顔してたの?

私なんにも…

「‥行かないでよぉおっ!やだあぁああっ!!」


誰かが言ってた。
それが誰かとか、もう、どうでも良いけど。

手鏡を使った人間にはその記憶は残ってなくて、真っ黒になった鏡面は、血鬼術が役目を終えた証。
鏡として輝いていた最後のひとつは今消えて、これで過去と未来を繋げる術はなくなった。


だから
輝きは二度と戻らない



[ 5/48 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]




×