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たまに、人生これでいいのかなって思う時がある。
10代の頃はそんなこと考えたことなかったけど。
その日が楽しければそれで良くて、先のことなんか見えないから余計な心配もしたことなかった。今思えばあの時がいわゆる"青春"だったんだろうな、なんて。
そうやって振り返ってる時点で、私は大人になってしまったんだろう。


つまんない、大人に。


「それで〜、彼が言うんですよ〜。ドレス姿が綺麗すぎて誰にも見せたくないって〜」

甲高くて甘ったるい声を背後で聞きながら、というか嫌でも耳に入るから聞かされながら、ただただパソコンのキーボードを打つ。

苛立ちが思わず顔に出てしまうのは内容のせいじゃない。

今日がクライアントへの送付日だって散々、こっちは口がすっぱくなるほど言っていたし、あちらは耳にタコができるほど聞いていたはずの書類を「きゃー、忘れてました〜」の軽い言葉で片付けられた挙句、何故かこちらが尻拭いさせられていることだ。

その状態で結婚を控えた彼氏がどうのと惚気を聞かされて、黙っている私はとても良く出来た人間だ。

仕事をしろ。

その一言くらい言っていいと思う。仮にも一応上司なんだから。
でも言わない。っていうか言えない。

その子が若くて可愛いから。

まだ20代前半で、世間もそんなに知らない。
加えて少し頭も緩いので、今までおっさんしかいなかったこの小さな部署ではまさにアイドル的存在だ。

「愛されてんじゃーん」
「え〜?そうですか〜?」
「いいよな〜。結婚できる彼氏が羨ましいよ」

当たり前にこうしてチヤホヤされる。

だから私が強く注意しようものならおっさん共は彼女を庇うし何ならこう言われるだろう。

「先を越されたからって妬みは良くないよ〜」

とか何とか、そういう類のこと。絶対に言われる。何なら100万賭けてもいい。
だから何も言わない。雄弁は銀、沈黙は金だ。

100万とか金とかいえば、この会社って変わり者の社長の独断で"結婚手当て"なんてものがあったっけ。
確か祝い金として3万。子供が出来たら5万とか。額は定かじゃないけど、そんな制度。
だから新入社員の結婚、出産率はかなり高いとか何とか。

「苗字さんはぁ」

甘ったるい声で呼ばれて、険しくなっていた顔を通常に戻した。

「なに?」

振り向きざまの笑顔は自分でも女優だ。そう思わないとやってられない。

「彼氏さんとはどうなんですか〜?」

可愛らしい顔で訊いてくるこの子に悪意はない。そう、わざとじゃないからタチが悪い。

「どうって…」
「結婚ですよ〜。付き合って長いって言ってましたよね?」
「言ったっけ?」
「言ってましたよ〜」

あぁ、この間訊かれたから何か適当に答えた気がする。仕事しながらだから良く覚えてないけど。

「私苗字さんのウェディング姿見たいなぁ。絶対綺麗ですもん」
「うーん、そう」

計算なく言えるこういうところ、多分この子が可愛がられる所以なんだろうな。

「それに20代で着たいとか思いませんか〜?ドレス」

私はこういう無神経なところが、どちらかと言えば嫌いの部類に入るけど。

「しー、それ言っちゃ駄目だよー。苗字が一番気にしてんだから」

そう言いながら耐え切れず笑ってるこのおっさんには、年頃の娘さんに「お父さんくっさい汚い」と言われる呪いを掛けておこう。

無言でパソコンに向かい直した私に聞こえないように小声で話し始める面々も、もう慣れた。

気にしてないと言えば強がっていると思われ、気にしていると言えば可哀想な眼差しで見られる。
だから"沈黙"だ。

何も答えないことで、結局勝手に30歳目前で結婚に焦っている女というイメージをつけられたけど、そこまで気にしてない。

昔と違って、今は生き方なんて自分でどうとでも選べる。結婚だけが全てじゃない。って言うと周りからは悔し紛れの強がりだと認定されるから言わない。

特別、ものすごく幸せってわけじゃないけど、歳を重ねて私なりの生き方も出来てきた。
手放しで楽しいと言えてた昔には敵わなくたって、これが私の人生なんだって少しの自信もある。

強がりは多少あるかもしれないけど、そう思うのは大事。


「あ、お昼だ〜。ご飯食べに行きましょうよ〜」
「お、いいね〜」

私はこの子みたいに要領良くはなれないから、自分の生き方を貫くしかない。

「今日の日替わりメニュー何かな〜?」
「また唐揚げだろー?」
「え〜?係長知らないんですか〜?今月から社員食堂のメニュー一新されたんですよ〜」

遠くなっていく会話を聞きながら、止めることないタイピング。

「苗字行かねーの?」
「パスです」

このペースで作ってたら今日中に間に合わない。空腹を訴える胃には犠牲になってもらうしかなさそうだ。

「じゃあ行ってきま〜す」

とっても可愛らしい声のあと閉められた扉に、盛大な溜め息だけで済ましたのは偉い。私は凄い。大人。

そう思わないとやってられない。

静かになったことでようやく軌道に乗り始めた文章は、突然開けられた扉で止まった。

群青色の目と目が合って、それが少し動いた気がする。

「休憩、取ってないのか?」
「うん、ちょっと忙しくて。どうしたの?」
「借りていた資料集を返しにきた」
「あー、どうも。そこ置いといていいよ」
「しまっておく」

慣れた様子で棚に戻す分厚い冊子を戻してる背中を何の気なしに見つめてから、また画面に向き直る。

「これから食堂?」
「あぁ」
「そっか」

動いた気配に出ていくものだと思えば、デスクに置かれた物に見止めてから顔を上げる。

「飯を食わないなら糖分くらいは取っておいた方がいい」
「……。ありがと」

また視線を落とした先には、ピンクのフィルムに包まれたら白くて小さなラムネ。
見覚えがあるな、と思った瞬間、苦笑いが零れる。

「知ってますか〜?糖分って大事なんですよ〜!昨日SNSで流れてましたっ」

まるですごく重要な情報を得たかのように小さな包みを渡されたのは今朝方だ。

あの子、違う部署にもこれ配り歩いてたんだ。
なんというマメさ。とてもじゃないけど真似できない。
そしてそれをこちらに譲渡するこの人の他意のなさにも。まぁでもラムネには罪がないので貰ってはおこう。

何も言わず扉へ向かう姿を引き留める必要もないので仕事に向かう。
静かに閉まる扉にまた溜め息を吐いた原因は、ひとつじゃないから自分でも説明のしようがない。

ただ、なんていうか、世の中って悪意がないもの勝ちなのかも知れないなんて、ふとそう思った。


未来をしよう


「ただいま〜」

真っ暗な中に佇む玄関を開けて、その先が明るいことに気付いたからそう声を掛けた。
返答は期待してないのでそのままリビングに進む。

ネクタイは弛められているものの、まだ脱いでないスーツは昼間見た姿と全く一緒だ。

「義勇、早いね。もう帰ってたんだ?」

そう声を掛ければ、水を一口飲んだあと、
「あぁ」
小さな返事が聞こえる。

「夕飯すぐ準備するね」

適当に買ってきた惣菜メインの食材をビニール袋から出しているうちに出て行く背中は、シャワーを浴びに行くのだろうと、これまでの生活様式でわかるから何も言わない。
だからその間にささっとご飯を準備する。いつもと何も変わらない日常だ。

「あー、もうまたネクタイ……」

キッチンに置かれたそれを回収して、つい小言が出るのも何も変わらない。
ほんとに何十回、何百回注意しても頭から抜けるみたいで、もう随分前から注意そのものをするのを諦めた。

いちいち目くじらを立てても改善されないことは改善されない。
労力を考えると注意するより、自分で片付けてしまった方が楽だといつからか知った。

そういうことが増えたから、こうして一緒にいられるんだと思う。

ベッドに放りっぱなしの鞄にはさすがに溜め息が出るけど。
これはまぁ毎回じゃないので、たまのやらかしということで許すことにする。

ふと視界に入ったカレンダーに、嫌でも思い出してしまった。

あと数ヶ月で、20代が終わる。

だから何だと言われれば別に何もない。ついでに言うとワクワクもしないし、めでたいとも思わない。

どうせ今日の延長線上でその日を迎えて、特別なことは何もなく過ぎていく。ここ数年、ずっとそうだ。
ぶっちゃけ、誕生日すら覚えてるかどうかも怪しい。去年はギリギリ日付が変わる前に思い出してたっけな。

私は、毎年義勇の誕生日、全力で祝ってるのにな。

出しかけた溜め息は飲み込んで、気持ちを切り替えることにした。

こういうことを考えるとキリがないし深みにはまる。

喜んでもらいたいと好きでやっていることを、こっちはやってあげてる。それが危険思想だって知ってるから考えない。

別に20代のうちにウェディングドレスが着られないからって僻んだりしない。
結婚出来ないんじゃなくてしないだけ。今に不満はない。

出来合いの総菜を皿に移して、溜め息を吐いたのは、きっとイレギュラーな仕事で疲れてるせい。



「へぇー、伊黒くんついに結婚するんだ?彼女と長かったもんねぇ」

驚きで箸を止めたものの、テーブルを挟んだ向こう側と目が合うことはなくて、そのまま食事を再開させる。
あ、でも今のは嫌味に取られたかもしれない。って焦ったのも束の間、

「俺達の方が長い」

冷静に返されて苦笑いが出た。

「まぁ、そうだけど」

じゃあ私達は結婚しないの?

なんて言えなくて、白米を詰め込んで誤魔化した。

別にいつも頭の中に結婚の二文字があるわけじゃないのに、こういう時は考えてしまう。これからの未来とか、そういうの。

私が喋らないから、義勇も当然黙ったまま。大体いつもそう。

「そういえばさ、新人の子いるじゃん?うちに入った。その子がまたやらかしてくれてさ〜」

私が喋っても、義勇は黙々と食事を続ける。それも大体いつも。

言葉の応酬も盛り上がることも滅多にない。だからこっちが一方的に喋っておしまい。
聞いてるんだが聞いてないんだかは本人じゃないからわからない。

「ごちそうさま」

決まって返ってくるのはそれだけで、食器を片付けもせず、すぐ部屋に籠っていく。
ここ数日、持ち帰った仕事があるのは知ってるから、何も言わない。
どうせ私も食べたらお風呂に入るから、一緒の空間にいられるわけじゃないし。

伊黒くん、結婚かぁ。

おめでたいと思いつつ、羨ましくはやっぱり思う。

元々義勇の友人だからそこまで親しい間柄じゃないけど、彼女想いのすごく優しい人っていう印象がある。
たまに話すと言えば彼女のことで、しかも褒めることしか言わないから尚更。

きっと目の前の全てが輝いて見えるくらい、幸せなんだろうな。

「……いいなぁ」

ポツリと呟いてしまったせいで、余計虚しさが込み上げて、これ以上食事をする気にはなれなくなってしまった。

隣の芝生は青いんだ
これはもう仕方がないんだ
見劣りしてるだなんて
比べないで 落ち込まないで



SUPER BEAVER
"ファンファーレ"より抄出


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