得意分野ではないだの基本の動きができないだの、遠ざけていたそれがただの苦手意識からくるものだと知ったのも、そのカラオケ店の一室だった。 「そうそう、上手!もっかい!ワン、ツー、スリー、フォー」 力強く緩徐に打つ手拍子に合わせて、右脚を左前、左脚を右前、続いて右脚を右後ろ、左脚をさらに左後ろへ運ぶ一連の動作は、自分でもこれまでで一番サマになっていると思う。 あくまで、これまでと比べたら、の話にはなるが。 それでも慣れない動きはすぐに限界がくるもので、同じ繰り返しだとわかっていながらも縺れる足に小さく息を吐いた。 「もういい」 「あ、ごめん。ちょっと熱くなりすぎちゃった」 「……いや、教えるの上手いな」 「プロの指導いっつも受けてるからね」 そう言って、クルッと回るその身軽さは、正直羨ましい。 「冨岡くん、絶対ダンス上手になるよ?」 ソファへ座るのに倣い、俺もさっきと同じ位置に腰を下ろした。 「足踏みができるようになっても、それ以上は無理だ」 「足踏みって…ふふっ」 心底おかしそうに笑ったあと、言葉が続く。 「多分ね、一瞬動きが遅れるのは考えてるからだと思う」 「考えてる?」 「次にすること。どこを動かすとか、頭でいったん考えちゃうとそのぶん身体も止まるから動き出すまで時間がかかるんだ」 「……。考えないで踊れるのか?」 「うん」 「すごいな」 尚更俺にはできそうにない。そう痛感しながら、ジュースを一口運んだ。 「やろうと思えばできるよ?みんなそうだし」 「どうすればできるようになる?」 「練習あるのみ!身体に叩き込んで覚えさせる!」 突き上げた拳に、確かにそうだなと納得する。 言葉では簡単だが、その継続が難しいものだというのも同時に思い知った。 だから俺には無理だという答えに至るわけだ。 「苗字は踊りながら、本当に何も考えないのか?」 ここ最近気になっていたことを、流れに任せて訊ねてみる。 「…うんっ?なんで?」 ジュースを飲んだタイミングだったせいか、急いで喉を動いたあとの声が少し色っぽく感じた。 「この間、野外の時だ」 「うん」 反芻して、間違いないことを確かめてから口にする。 「踊りながら何か、拾ってただろう?」 それは、終盤に差し掛かった時だ。 それまで上下で横2列を作っていた隊形が、真ん中に集まる時、振り返ったと共にとっさに屈んで何かを手にしていた。 それを持ったまま暫く踊ったあと、隅に移動した際、最低限の動作で舞台裏へ投げ捨てていたのを思い出す。 本番中にも関わらず、随分と冷静な判断だと感心したのもそうだが、何故そうしたのかは、ずっと引っかかっていた。 「冨岡くんって、ほんとに良く観ててくれるね」 照れ笑いにも近い笑顔に俯きそうになったのを耐えて続ける。 「今まで何度か観てきて感じたことだが、基本的に本番中の落下物には触れてなかった」 これは苗字に限ったことじゃない。 個性を出そうとした結果の装飾品が、激しい踊りに耐えられず落下するのはよく起こっていた。 それでも、それを気に掛ける素振りは一切誰もしない。 前に、どこのクラスかは覚えていないが、鞄を小道具として使っていた曲目もそうだ。 放り投げたそれを上手く掴めなくとも、わざわざ拾いにいくことはせず、何食わぬ顔で踊っていた。 それが決まり事なのではないかと今まで考えていたため、あの行動はいささか謎が残っている。 「うん、そうなの。本番で起きたイレギュラーには反応しない。それが鉄則なんだ」 仮定が肯定されたことで、さらに疑問は強くなった。 「ダンスに支障が起きない場合に限る、なんだけどね」 「支障が起きそうだったのか?」 「衣装を留めてた安全ピン。さすがにこれはステージに残しておけないって思ったの。裸足で踊るナンバーも多いから。拾うなら今しかないなって拾っちゃった」 「あの一瞬でそこまで考えてたんだな……」 こちらから観た限りだが、振り向いて床に落ちたものを認識するまで、数秒もなかった気がする。 「周りは常に意識しないと。ずっと前だけ向いてたら立ち位置とかもズレちゃうから」 その言葉で、本当に何も考えていないわけではないのも知って、俺の"ファン"心理はますます加速していった。 FAN for FUN 発表会まで、あと1ヶ月と迫った頃。 日が経つにつれ、苗字と連絡を取り合う頻度が減った。 練習で忙しい。 尤も単純で、至極らしい理由。 俺がそれを邪魔する必要性はどこにもないため、"遅くなってごめん"と来るLINEに"返信は要らない"と添えて返す。 別段それが寂しいとも思わなかったのは、やはり俺は踊る彼女が好きなだけであって、それ以上を求めていないのだと改めて知覚した。 スマホに溜まったこれまでの動画を見返す日々は、それだけで充実していたし、来る舞台に期待が高まったりもしている。 そんな日々が終わりを告げたのは、意外にもそれを観る直前のことだった。 突然掛かってきたLINE通話に、自室で暇を潰していただけの俺はすぐに反応しようとして、意識的に一呼吸を置く。 「どうした?」 落ち着いた声を心掛けた。 『もしもしっ、冨岡くん、今大丈夫?』 「俺は大丈夫だが、苗字は?」 『うん、今レッスン終わって帰ってるところ』 ふぅ、と小さく吐いた息の向こう、外の音が聴こえて時間を確認する。 9を差す短針は当たり前に午前ではなく、午後だ。 「遅くないか?」 『明日の確認してたら遅くなっちゃった。1人で歩くのちょっと怖くて、家着くまで話してもいい?』 「構わない」 脊髄反射で返してから、疑問が浮かんだ。 「本番は明後日じゃないのか?」 そのまま言葉にすれば、ふ、と息を吐くのを耳元で聞く。それだけで心臓が高鳴った。 『うん。明日は本番のためのリハーサル』 そういう世界なのかと、少しまた理解をした。 「どんなことをするんだ?」 『照明さんと音響さんとの打ち合わせとか、実際の立ち位置の確認とかそういうの。あとは本番と同様の通しでやって、って感じ。朝9時から始まって、終わるの今くらいなの』 「……大変なんだな」 一言しか出なかったのは、全く想像がつかないからだ。 しかしそれだけでは完璧な他人事にしか聞こえないと続きを伝えた。 「何か…、力になれることはあるか?」 それが買い出しでも何でも、迷惑にならない範囲でできるならと考えた頭は、 『明日、来られないよね?』 質問で返されたことで一度止まる。 「行っていいなら、行く」 焦ったせいか、どうにも口調が定まらない。 『ほんと?忙しくない?大丈夫?』 「大丈夫じゃなきゃ行くとは言わない」 辛うじてそう言い切ってから、浮かんだ疑問を口にした。 「俺が行ってもいいのか?」 考えてみれば、家族でもない、完全な部外者だ。 それに、苗字に聞いた情報以外、その世界のことを知らない俺は場違いではないかという危惧が生まれた。 『20歳未満の子にはね、親の手伝いが必要な子もいるから身内パスっていうのが出るの。本番当日はチケット使うんだけど、それがあるとゲネも全部客席で見られるんだ』 「げね…?」 『あ、最終リハーサルのこと。ゲネラールプローベってドイツ語で"通し稽古"っていう意味なの』 「業界用語か」 『説明しないとわかんないよね。私も最初はみんな何言ってんだろって感じだった』 小さく笑うのは、当時を思い出しているのが窺える。 「俺は使えるのか?」 『うん?』 「その身内チケットだ」 『あ、うん。冨岡くんさえ良かったらだけど。あっても無駄になっちゃうし、舞台裏の話とか気にしてくれてたから』 それは苗字だからだ、という理由はひとまず置いておく。 「それなら有難く使わせて貰う」 『うんっ。使ってあげて』 ふふっと笑う声を耳元で聴いて、ただただ嬉しくなった。 設営があるため正午から入れるというその会館は、初めて来た場所だった。 ガラス張りの正面入り口を超えて、また広い空間の先にはこれまたガラスで仕切られた向こう側がある。 "着いたら連絡ちょうだい" あらかじめそう言われていた通り、 "着いた" とだけを送れば、すぐにそのガラス戸の向こうから笑顔が見えた。 「冨岡くんっ」 正直、まったく慣れない場所で見知ったその顔を視界に入れて、安堵したのは事実。 「こっちこっち!」 手招きされるまま進んだ先には、受付と表記された簡易的な長机とパイプ椅子で、そこに座る人物が男女1人ずつという以外、誰かもわからない。 「すみません、身内パスお願いします」 「あ、名前ちゃん?はいよー」 机に置かれた名簿にレ点を付けたあと、首から下げるタイプのそれを渡すのを苗字が受け取る。 「今年はついに彼氏同伴かぁ?」 「違いますよ〜。友達です」 仲睦まじく見える知らない男に、目を窄めたと同時に振り返った笑顔に心臓が音を立てた。 「はい、冨岡くん。これ下げてれば今日、客席と舞台裏、どっちも行き来できるから。明日はこの裏にチケットの半券挟んでね」 「わかった」 身内パスとやらを受け取って、首に掛けた瞬間、どうにも特別な感じがする。 ただの"ファン"よりも、近くなれた。そんな感じがしたからかもしれない。 「俺は、どこにいればいい?」 「うん?っとねぇ、全体の流れ観たいなら客席で、出演者の待機の仕方とか観たいなら舞台裏かな?」 「苗字は?」 「私は、もうちょっとしたら場当たりの確認でステージに…」 「客席にいる」 返事を聞くより早く、客席に繋がる重い扉を開けて閉めてから、息を呑んだ。 舞台以外の照明は落ちていながらも、客席に設置された物々しい機材と、何人か明らかプロの人間がマイクで何かを指示している。 張り詰めたような、厳格な雰囲気を纏うその空気を肌で感じて、しばらくそのまま立ち尽くしていた。 此処が君の観ている風景 [mokuji] [しおりを挟む] ← ×
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