ピリッとした緊張感が張り詰める中、 『持ち時間各自7分でーす。最初のナンバーお願いしまーす』 抑揚のない声でそう言ったのは、この中の誰かわからない。 バタバタと足音を立てて位置につくと、講師の言う通りに動いていく子供達を眺めつつ、どこに腰を掛けようかを悩んだ。 座席中央はカメラと機材がほぼ占めていて、その間を縫ってまで真ん中を陣取る勇気もなく、無難に扉を開けた先、一番近い右側に座る。 『うん、もうちょっと広がれる?たーたらったー♪で始まった時、外が4番。そうそう。そしたらー、ソロの時いこうか。みんな捌けてー、ワンツー、てれってって♪ってなりましたっはいっ』 マイク越しに誘導する通り、2人が両端に立った瞬間、その姿をパッと照明が照らす。 『うーん、照明さん、もうちょっとサス小さく、内側にできますか?』 『了解でーす』 サスというのがまた業界用語だと知ったのは、その円形が窄まってからだった。 『あと4分30秒でーす』 先程と同じ声が響いてから、 『はーい、じゃあ音でお願いしまーす』 講師の声に応えるように 『暗転からの、音ドーンで』 またどこからともなく声がする。 その通りに始まった曲の中、『外側っ!番号良く見て!』や『集まって〜!タンタン♪ポーズ!』といった講師の掛け声が響く。 懸命に踊る姿をただただ見入っていた矢先 『時間でーす』 抑揚なく響く声は、無情だと感じた。 それでも挨拶をするとバタバタと袖へ走っていく子供達は、それが当たり前の世界なのだろうというのも、気付かされる。 つかえることなく進む"持ち時間7分"も、それを当然のようにこなしていく講師も生徒も、俺にとって目新しいものだった。 淡々とした空気の中、次、と呼ばれた先に、苗字を視界に捉えて、そこからは彼女しか見えなくなるかと思いきや、意外と冷静に客観視できたのは、それがゲネと呼ばれるものだったからか。 まだ荒削りの演目が徐々に完成されていく過程をこの目で観るのは初めてで、心が揺さぶられた。 最終までを見終えてから、『これから休憩でーす』という誰かの声に従って席を静かに立つと、重い扉を開ける。 パスがあれば舞台裏に入れると言っていたが、本当に俺が行っていいものなのか半信半疑のまま、"出演者控え室"と書かれた矢印の方向へ進んだ。 FAN for FUN さきほどの緊張感とは打って変わって、多目室と書かれた部屋にいる子供達は、ゲームや談笑や踊りの確認など、思い思いのことをしていて、まるで学校のような雰囲気を感じる。 幼児・小学生と書かれているから、ここに苗字はいないのだろうと中を覗くだけで歩を進めた。 廊下の分かれ道を真っ直ぐ行こうとしたところで、 「あ、いたいた!冨岡くん!」 反対の方から呼ぶ声に足を止める。 「探したんだよ?LINEしたのに〜」 「悪い。見てなかった」 「大丈夫っ見つかったから!今から先生達のリハだけど、どうする?」 質問の意味がわからず、瞬きで返してしまっていた。 「私達は今のうちに衣装着たりご飯食べたりするんだけど、冨岡くんご飯とか持ってきた?」 「……いや」 そうだ。長丁場になると知識としてはあったのに、何も考えていなかった。 今気付いたところでどうしようもないため、一度外に出てコンビニかどこか 「はいっ」 手渡された小さめのトートバッグに、また瞬きで返してしまう。 「よかったらこれ食べて?ただのおにぎりだけど」 「いい、のか?」 「うん。冨岡くんのために作ってきたから」 逸る気持ちを抑えつつ、覗いた中にはサランラップで包まれたおにぎりが3つ入っている。 しかもただの白米じゃない。 これは―… 「ごめんね。私のと同じように作っちゃったから五穀米と玄米なんだけど」 「……いや、美味そうだ。とても、助かる」 「良かった」 安心したような微笑みにこちらも嬉しくなる一方で、落とした視線に若干の疲れが見えた途端、申し訳なさが募った。 「忙しかっただろう?作らせて悪い」 「ううん。私今日の流れとか何も説明してなかったって思って、せめてものお詫び」 「俺から訊けば良かった」 「その訊くっていうのも、ある程度わかってないと疑問すら浮かばなくない?」 「……。確かに」 「だから、ねっ?おにぎり食べて?」 ぱっと笑ったその悪戯っぽさに、口角が上がる。 こういう気遣いも、"ファン"である所以なのだろう。 「あ、ごめんね。飲み物はちょっと買ってなくて、今買「いい。それくらいは自分で買う」」 つい言葉を遮ったのは、これ以上の負担を掛けたくなかったからだが、キツイものになってしまったと気付いて続けた。 「俺は、苗字の踊りを観に来たんだ。邪魔したいわけじゃない。俺のことは気にしないでくれ」 「……。うん。でも、そこの自販機なんだけど…」 きょとんとした顔で指差した背後には、至近距離に佇むそれ。 「買う?って訊きたかったんだ」 一気に罰が悪くなる俺に、眉を下げて微笑う。 「冨岡くんって、ほんとに私のダンス好きでいてくれてるんだね」 その言葉にも、どう返していいのか迷った挙句、喉が詰まったまま動かなくなった。 同時に思う。 何故そんなに、寂しそうな顔をするのだろうと。 「ますます頑張んなきゃ!」 そう言って拳を握った時にはいつもの笑顔に戻っていて、気のせいだと思うことにした。 それは矢継ぎ早に続く、 「先生のリハが終わってちょっとしたらついにゲネだから、冨岡くん楽しいと思うよ?」 「さっきのがゲネじゃなかったのか?」 「あれは場当たりっていって、ただ重要なことだけの確認なの。ゲネはほんとに最初から最後まで、衣装とかも全部本番と同じ流れを行うリハーサルなんだ」 「じゃあ苗字も…」 意識せずとも目を留めてしまう普段着に、こくっと小さく頭が動く。 「これから衣装と髪型セット」 「尚更こんなところで油を売ってる場合じゃないだろう」 「大丈夫。まだ全然時間あるから」 「俺が良くない。時間があるなら休んだほうがいい」 「……ごめん」 謝られた意味が何かというのは全くわからないまま、それでも何かを返さなくてはいけないと開いた口は、 「おう、名前、お疲れ」 俺より遥かに長身の男によって遮られた。 「お疲れ様です」 下げた頭をポンポンと叩く動作に目を窄める。俺を見た瞬間、その面がニヤけた。 「ついに彼氏できた?」 「違いますって。それ何でみんな訊くんですか?」 「だってお前ダンスばっかで男っ気ないんだもん。みんな心配してんだぞ?」 「しなくていいでーす」 「恋愛もダンスの肥やしっていうんだからな。特にお前が目指す系統は男を知ると深みが出る「はいはいセクハラでーす。代表に言いつけますよー」それはヤメテマジデ。ぶん殴られるから」 「じゃあ冗談言うのやめましょうねー」 笑い合った後、去っていく背中をじっと見つめ、それが先ほど講師としてマイクを握っていた人物だと結び付いた。 「ごめんね、みんなして彼氏彼氏って」 「……いや」 いつの間にか寄せていた眉間を勘違いされたのかもしれない。 別に俺は彼氏と思われたままでも構わない。そう口走りそうになったのは耐えた。 「仲、いいんだな」 代わりに出した台詞は、思ったより低くなる。 「誰彼構わずいっつもからかってくるんだあの先生。だから対処法も教えてもらったの」 苦笑いをすると、髪を直した後の指が上を指した。 「ご飯食べるところ、3階のロビーに椅子と机があるから一緒に行こう?私の控え室も3階なんだ」 そう言われては断る理由がないと、首を縦に動かす。 そのままエレベーターに乗り込むと、光った3の文字の直後、開いた扉から降りた。 眼前に広がるロビーの広さに、若干圧倒されたところで、こっちこっちと誘導されるまま窓の方へ向かう。 「ここで待ってて。今飲み物」 「いい。大丈夫だ。苗字は自分の準備をしてきてくれ」 わざわざ遮って強くした口調に、迷ったように瞳が動いたのが見えた。 「そっちの方が、"ファン"として安心する」 口は上手くないと自覚はあるため、できるだけわかりやすいような一言に努めてはみたが、それが正解かはわからない。 止まったままできた間に、気まずさは感じた。 しかしそれでも、 「うんっ。じゃあ、そうする」 にこっと微笑う苗字は嬉しそうで、安堵する。 ゲネが始まる時間を告げてから、控え室に向かう背中を見送って、1人椅子に腰を下ろした。 さほど高さはない地上を見下ろしながら、今日観ている風景は全てが真新しい。そんなことを思う。 彼女が観る風景はあの柔らかい瞳に、どんな風に映っているんだろうか。 同時にそう、ふと考えた。 舞台に立つ姿は、輝いている。 だけどあちらから観えるものは、同じではない。 苗字にとって"俺"はどんな風に映り、そして、どの位置に居るのだろうか。 握り飯を一口頬張ってから、くだらないことを考えていると気が付いて空を見上げた。 位置など決まっている。 さっき自分で言ったこと。 "ファン"だ。 それしかない。 「……うまい」 呟いてから、そういえば飲み物を買うのを忘れていたことにも気付いて落とした視線の先には、日常が広がっていた。 此処が僕の観ている風景 [mokuji] [しおりを挟む] ← ×
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