「今度パン屋さんで踊るの」 あっけらかんとした口調で言う苗字に、俺は理解が追いつかないまま両手に収まるぶどうぱんを齧った。 「何でパン屋さんなの?って思った?」 咀嚼で忙しい口の代わりに頭を小さく動かせば、その笑顔が深まった気がする。 「パン屋さんの駐車場でね、月に1度ハンドメイドマルシェがあって、そこにスタジオ代表で何組か出る時間を設けさせてもらってるの。今回は私達のナンバーが選ばれたから、日曜のステージはパン屋さんっ」 「…まるしぇ?」 「市場とかそういうの」 そういうことか、と意思を伝えるため、もう一度動かした頭には微笑みではなく笑いが零れた。 「冨岡くんって、ほんと食べてる時喋んないんだね。錆兎くんが言ってたとおりだ」 こちらの答えを訊く前に弁当箱を箸でつつく動作を横目で見ながら、もう一度パンに齧りつく。 昼食の時間、自然と足を運ぶようになった人通りが少ないこの階段は、今まで錆兎しか存在を知らなかった。 それを何故、苗字が一緒に食べているかといえば、それも自然な成り行きだと言える。 ダンスを習っていることを周りに知られたくないと言われた手前、教室で今のような会話はできない。 転入当初の数週間こそ必要最低限の会話しかしていなかった俺達も、徐々に共有する秘密を分け合いたくなったのだと思う。 言うなれば、苗字は俺に話をしたい、そして俺は、苗字の話を聞きたい。そんな需要と供給が、一致した。 だから人目につかない昼食時に、短いものではあるがこうして顔を突き合わす。それが自然と始まった流れ。 ただ、たまに錆兎がフラッとここに来るため、その時は話したいといった主旨も伝え、苗字も構わないと了承していた。 しかしそれも、錆兎の勘の良さと言うべきか。 俺達を遠巻きに見ただけで教室に戻っていったかと思えば、あとから 「義勇って食べてる時、何も喋らないよな」 そう苗字に同意を求めただけで、根掘り葉掘り訊いてこなかった。 もしかしたら、勘違いはされているかも知れない。 訊かれたら否定すればいいか、と考えながら、ただ口を動かす。 もうすぐ鳴るであろうチャイムで掻き消されてしまう前に、思い立ったことを伝えたくなって、急ぎ目に食道へ送った。 「観に行っても、いいか?」 「え?」 視線が合った時には、大きく見開かれていた。 「観に行きたい。迷惑じゃなければ」 「……。いい、けど…っていうか嬉しいけど…、この間より規模小さいし、そんなにすごいイベントってわけでもないよ?」 「それでもいい」 言い切った俺に向けられる笑顔は嬉々としていて、口に出して良かった。そう考える。 「あ、じゃあ…明日フライヤー持ってくるね」 「ふらいやー?」 「チラシみたいなやつ。そこにお店の住所とか、何時からとか全部載ってるから」 「わかった」 今まではただのクラスメイトとしての関わりが、次第に変化しだしたのは、その日からだった。 FAN for FUN ステージは、パン屋の駐車場。しかも店の入り口の一角。 後ろには自販機がある上に、パン屋も通常営業中のため、踊っている傍から客が通りすぎていく。 観客の雰囲気も、手づくりのものを売る店を見るがてら。それくらい生温く緩いものだというのが伝わってくる。 それでもこの前とは違う服に身を包んだ苗字は、1曲を踊り終えるまで一切の手を抜くことがなかった。 結局大した盛り上がりはないまま、まばらな拍手に見送られ、隅で集まったあと、上着を羽織りながら俺の方に小走りで向かってくる姿は学校とも、踊っている時とも全然違う。まるで別人のように感じた。 「冨岡くん!ほんとに来てくれたんだ!」 「……来ると、言った」 情けないながら、圧倒されてしまっている。 始まって終わるまで、息をするのも忘れて魅了されていた。 その妖艶さに。 「この前とは、違うんだな」 「ん?」 「踊りだ」 「そうなの。この間のは春に披露したナンバーのアレンジで、これはまた夏にあるイベントで発表するやつ。どう?可愛くない?」 そう言ってクルッと回るその動きもキレがある。 しかしその勢いでふわっと揺れるスカートから、見えてしまいそうな中に目を逸らす。 太腿から足首までの生足は、余計直視ができない。 「今回は妖精がテーマなの」 「だから飛ぶような動きが多かったのか」 「嬉しい!気付いてくれた!?」 「…なんとなく、わかった」 それが肝だったのか、輝かせていく瞳も見られなくなって、上着で隠された上半身に視点を固定する。 それも確かその下は胸元まで露出されていたが、今見えないだけだいぶマシだ。 「ね、冨岡くん」 「…なんだ?」 「これから時間ある?ちょっと話さない?すぐに着替えてくるから!」 恐らく、俺に聞いてもらいたいことがあるのだろう。 その思惑をなんとなく気が付いて、 「構わない」 二つ返事を返していた。 * * * 近くのファミレスに入って注文を終えるなり、「それでね」と続ける表情はとても楽しそうだ。 「私が習ってるのは一般クラスっていって、難易度は高いの。すごく難しいんだけど、でも踊れるようになるのが楽しくって…。どうだったかな?今日の私、みんなについていけてた…?」 そう言って眉を下げたものの、どこか手ごたえはあるように見受けられる。 それを第三者の意見を得て、確かなものにしたいのだろうというのも伝わった。 「正直、俺は踊りに関してずぶの素人だ。言っていることが的を射てるかどうかはわからない」 「それでもっ!いいの!っていうか…こういう感想を聞くのは、詳しくない人の方がいいんだ」 「そうなのか?」 「うん。先生に教えてもらったことなんだけど、ダンスの技術とか知ってる人って、やっぱりそっちに意識が向いて"考えちゃう"んだって。それは評価であって、"感じたこと"じゃないから、純粋なものじゃないんだ」 「そうか…」 「うん…。だから冨岡くんが観てて思ったこと、なんでもいいから聞かせてほしいな。勿論ダメなところはダメだって言ってくれていいからっ」 真剣な目を受けて、考える。 何でもいいと言われたのには、多少肩の力は抜けた。かといって、感じたままを伝えるには粗削りだ。 それに正直、やはり全体的でなく、個人しか観ていなかったという背徳感がある。 「もう一度、観たいと思った」 とっさに突いて出た言葉は、間違っていない。そう感じ、続けた。 「本当に、妖精が飛んでいるようだった」 幾ばくかの勇気を出して告げたその感情に溢れ出た目の前の笑顔は、心音を掻き乱すのに十分すぎる。 「嬉しい…っ」 口元を両手で押さえる姿に、同じことを思う。 俺も、嬉しいのだと。 どこが良かっただの、そういう細かいものは正直わからないし、説明もできない。 だけど、そう感じたのは確かだ。 "妖精"とテーマがあると聞いてから蘇ってきたのは、耳に手を当て頷いたり、飛んだり回ったり、どこか"かわいらしさ"がある動作が多かった。 それでも後半に進むにつれ、艶やかさが増したような気もする。なんて、それはとてもじゃないが本人の前で口には出せないので割愛する。 「そういえば、人数が少なかったように思うが…」 若干、言葉を濁したのは確信はなかったためだ。 「あ、うん。この間は他の先生のクラスと合同ナンバーだったから大人数だったの。いつもは6人なんだ」 「合同とかいうのも、あるんだな」 「冬の発表会なんかは3クラス合同とかあってすごい壮大だったりするんだよ〜」 「こういう催し物は定期的にあるのか?」 「うーん、まぁ1年を通すとそれなりに…?私のクラスは結構多いほうかな?とにかく場数をこなせっていう先生だから」 「また観に行きたい」 それは勝手に口を突いたものだったが、後悔はしていなかった。 「ほんと?じゃあまたイベントあったら冨岡くんに真っ先に教えるね」 そうやって、嬉しそうに微笑ってくれるからだ。 流れで交換したLINEは、この日から絶えず動くことになる。 昼食時しか話せなかった制限が解かれたことで、苗字はことあるごとに"聞いて聞いて"とダンススタジオで起きた出来事を送ってくるようになり、俺もそれに対し、気になったことを質問で返すから、自然と常々そのやり取りが続くようになっていた。 一方で、学校では挨拶くらいしかしないこの関係性は、やはり奇妙なもの。 ただの友達というのはあまりに軽く、だからといって恋愛対象として意識しているわけでもない。 それは苗字も同じだろう。 結局のところ、彼女は"踊り子"で、俺は彼女の"ファン"だという位置づけが、名前をつけるとしたなら一番しっくりくる。 そういえばこの間、"踊り子"の単語を出した俺に、"言い方古くない?ダンサーって言おうよ"。そう返してきたあとの絵文字が唐突に蘇って喉を鳴らした。 思い出し笑いが増えたのは単純な話、こうして俺が知らなかった世界が身近に感じられるようになった嬉しさがある。 それから夏を迎え、秋が終わりを告げるまで、何度か苗字が出るという催し物を観に足を運んだが、一切、関係性の変化は起こらず、俺はそれが心地好いと思うようになっていた。 "ダンサー"としての彼女を、いち"ファン"として見守る自分は嫌いではない、と。 むしろ拙い感想を、嬉々として受け入れ喜んでくれる瞳に、少しでも映っていたいという願望すら持っていたように思う。 君の観ている風景 [mokuji] [しおりを挟む] ← ×
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