それに対し苦手意識は、どことなくあったように思う。 あくまで主体的に行うと言った場合に限りだが、俺の人生において、重要か否かを問われれば、それほどではない。 むしろわりと早い段階から、何故授業の一環として組み込まれているのかという疑問はあったし、基本のステップで躓き続ける俺に、教師は何度か粘り強く指導したあと、 「どうにも、リズム感があれだな……」 そう、しみじみとされたのも覚えている。 敢えて言葉は濁していたが、それが良い意味合いでないものだというのはわかった。 だから今の今まで、それそのものを敬遠していたようにも思う。 あの時―… 楽しそうに踊る彼女を観るまでは。 FAN for FUN 始まりは、日曜に錆兎と訪れたゲーセンだった。 複合商業施設の2階にあるそれに向かうには、正面から入るのが最短なため、駐輪場から入口の間にある吹き抜けを抜ける。 いつものように素通りしようとしたところで、その一角に人だかりができているのに気が付いた。 「何かあったのか?」 錆兎の疑問に、俺はこう答える。 「多分、催し物だ」 平日はなんの変哲もないコンクリートでできたスペースも、休日となると何かしら開催されていると知ったのは、先週家族で訪れた時だった。 その時は子供向けのクラフト教室が開かれていて、案外盛況だったことを思い出す。 今日もそんな感じだろうと、人の背中が犇めく光景に目をやった。 途端に上がる歓声と拍手のあと、自然と捌けていく人だかりに、マイクを持った1人の男が喋り出す。 「改めまして、ありがとうございました〜!いやぁ、すごかったですね〜!ヨーヨーをあれだけ長時間回せるのも驚きましたが、それを一度放して、後ろでキャッチするっ!これには僕、感動して言葉も出ませんでした!あれ、練習してできるようになる気がしないです!ほんとにすごいっ!」 抑揚と動きをつけた話し口は、そのまま流れるように次の催し物の名を叫んだ。 さっきとは打って変わって、パラパラとした拍手のあと、流れ始める音楽に、つい呆けたまま眺めている自分に気付く。 錆兎に声を掛けようとしたと同時、僅かに上がる歓声に、そちらへと顔を戻した。 目に飛び込んできたのは、まだ幼い4人組。 猫や犬などそれぞれの動物を模した格好に、自然と口角が弛んだ。 しかし、音楽に合わせ、俺がなかなか習得できなかったステップをいとも簡単に踏んでいるのを見た時は、複雑な感情が湧いて出る。 小さい身体ながらダイナミックに動く4人に、時折名前のようなものを呼ぶ大人は、おそらく親か何かなのだと推察した。 「へぇ、すごいな。まだ小学生にもなってないだろうに」 「そうだな」 観客が少ないながらも懸命に前を向いて踊るその表情は、若干硬い。 どこからともなく聞こえ出した手拍子は、徐々に周りに伝染していき、ついには錆兎までもその拍子に合わせて手を叩いていた。 時間はそれほどに長くない。3、4分といったその踊りが終わったころには、そこにいる人間が全員拍手や歓声を上げていて、4人はバラバラに頭を下げて去っていく。 上手い下手、そんな次元を超え踊っている姿に、心を動かされたのは確かにそうだった。 先ほどのマイクを持った男が事細かに褒めたあと、「さぁ、つづいては!」と次へ進もうとする。 「行こうぜ」 「あぁ」 歩き出そうとする背中に続いて、足を動かしたのは、 「おっと、スタンバイが先かな!?2人ほど準備が遅れてる?わっかりました〜じゃあ場を繋ぎましょう〜!いいですね!セクシーな衣装っ!みんな女の子のグループだ!」 その台詞で少しばかり止まった。 目端で捉えた先、上半身は身体にピッタリとフィットしている挙句、胸下までしかない丈で、確かに目のやり場に困る。そんなことを思い浮かべた。 「今度は大人が踊るのか」 同じく立ち止まった錆兎は、単純に年齢層が高くなったことに驚いていて、観点のずれに若干恥ずかしくなる。 「これは?いちにさん……随分人数多いけど、同じ先生の生徒さんたちなの?」 それぞれ、立膝をついたり片手を伸ばしたり、それぞれにポーズを決めている中、1人が無言で首を縦に動かした。 「そうなんだ!年齢層広くない?中学生もいるよね?……え!?」 耳を傾けたあと、何度か頷いてからマイク越しに喋り始めるのを何となく聞く。 「中学生から20歳まで全部で12人いるんだって!幅広いね〜!」 言葉の途中で小走りで走ってきた2人に気が付いて 「こっちこっち〜!ちょっと〜遅いよ〜女子〜!なんちって」 マイク男が笑いながらそう言えば、1人が申し訳なさそうに手を合わせては何度も頭を下げていた。 そこで初めて、全員が裸足であることを気が付く。 「お、始まるな」 折角だから見て行こうぜ。そう言った錆兎の声は音楽に掻き消されたが、そう言ってくれて良かった。 そんなことを、心の底から思った。 再びマイク男が話し出すまで、瞬きをしていたかすらわからない。 最初こそ、年齢がぐんと上がった大人数のパフォーマンスは単純に迫力が違うと、ただ呆けているだけだった。 だがその中で、ひと際目を引く存在が在った。 その理由について、説明は難しい。 ただ、本当にただ、踊っていく中でどこに位置が変わろうと、その動きを自然と目で追っていた。 綺麗だ、と。 心の底からの感嘆が出た。 気が付けば、場内はまばらな拍手に包まれていて、錆兎も先ほどの子供たちと同様とまではいかないが、賞賛を送っている。 「カッコ良かったな。人数がいるからこそできる表現だ。隊列が移り変わっていくのは圧巻だった」 「……そう、だな」 同意をするのに躊躇ったのは、その人物以外、観ていなかったという後ろめたさからだった。 正直全体がどうというのは、露ほどにも覚えていない。 ただ深く頭を下げ、その場を後にする姿にさえ、ずっと夢中になっていた。 安堵したように隣に笑い掛ける表情は踊っている時とは違い、幼く見える。 僅かながら速くなる鼓動は、 「今度こそ行こうぜ」 歩き出した錆兎に続くことで、落ち着きを取り戻した。 その時は、世の中にはあんな世界も存在するのだと、どこか自分とは違うものと認識していたように思う。 心が動いたといえど、その場限りのもので、この先の継続はない。 そこで踊っていただけの人間の素性を調べる手立ては限られてくるし、そこまで労力を使うほどのこととも言えない。 ただ単に、踊る姿に見惚れた。 それだけのこと。 実際、錆兎との別れ際、「また明日」と言った俺は、既にその存在を頭から消し去っていた。 だから余計に驚きが出たのだろう。そう、今は推測している。 まだ眠気を引き摺った頭だったから余計に、というのも、思い返してみればそうだ。 「転校生を紹介する」 まるで漫画の台詞みたいだ、と視線を前に動かした俺の心臓は、一気に高鳴っていった。 「苗字名前です。よろしくお願いします」 そう言って深々と頭を下げ、はにかんだ笑顔は、まさに昨日観たばかりのもの。 だけどその身を包んでいるのは、身体を強調する艶やかな服ではなく、当たり前に健全な制服で、裸足でもない。 それでも一目で間違いないと認識したのは、それだけ俺が彼女を目で追っていたということだろう。 机の間を抜けて隣に座る動作に、今も目が離せないまま。 側面だった顔が正面へと変わって、ニコッと微笑む姿にとっさに目を逸らそうとしたが、 「よろしくお願いします」 小さく下げられる頭には、会釈を返すより他なかった。 そういえば先週、担任が週明けにくる転校生をどこの席にするか、くじ引きで決めさせられたんだと、今更ながら思い出す。 「授業始めるぞ〜」 チャイムとほぼ同時の掛け声に、俺を含め皆が教科書や筆箱を出していく。その間にも、気が付かれぬよう、横顔を窺った。 高校3年生の時期で転入というのは、なかなか見ない光景だからか余計に気にはなる。 それでも沸いた疑問をそのまま本人にぶつけられるほどの図々しさも社交性も持ち合わせていない。 だから疑問は疑問のまま、ただ担任の指示通りに教科書を開いた。 多分、昨日俺があの場にいたことも、本人は知らないだろう。 まばらな人だかりとは言え、俺達は離れたところにいた上に、あれだけ激しく踊っていたら、いちいち観客の顔なんて見てもいられなさそうだ。 だから俺も、余計なことは言わない。そう、決めた矢先のことだった。 「……勘違いだったらごめんなんだけど、昨日、会ったよね?」 顔色を窺うように出された忍び声に、心臓が音を立てる。 どう返していいのか。 反射的に知らないふりをしたくなったのは、それこそねぶるように観ていたのを本人に知られていたことに対する心やましさだ。 だからすぐに返答できず、言葉が詰まる。 俺が作った沈黙を、その間でどうにも良くないものと受け入れたらしい。 「……あ、覚えてないかな、私がいたのとか……」 ちらりと向けられた視線が後方の錆兎の方へ動いて、言葉の意味を知った。 俺達の視線に気が付くことなくシャーペンを走らせてる表情は、さっき転校生と紹介された時とまったく変わりがない。 それだけでわかった。 錆兎は、微塵も覚えていないのだろう、と。 だから早々に顔を横へと戻す。 「……良く覚えてる」 速くなった口調で、少し焦っているのに気付いた。 「正直踊りのことはわからないが」 今の今まで記憶の隅に追いやられていたとはいえ、昨日湧きあがった感情をなかったものとして終わらせたくはない。 「すごく、印象的だった」 頭を捻っても出てくる語彙はそれだけで、これではきっと半分も伝わらないであろうと繋ごうとした言葉は、 「ほんと?ありがとうっ」 嬉しそうに微笑う華やかさで、喉の奥へと追いやられた。 「……あ、でも…」 言い淀んだあと、その表情は苦笑いへと変わる。 「私がダンスしてるの、周りには内緒にしてくれない?」 要望する経緯が何かまで、俺にはわからない。 わからないから、短く答えた。 「わかった」 考えるまでもなく承諾をしたのは、俺がそれを吹聴する必要性はどこにもないからだ。 「ありがと」 安心をしたのか、また微笑ったのには少し胸を撫で下ろす。 しかしそのあとの目の見開きには心臓が高鳴った。 「そうだ、名前訊いてなかった…!教えて?」 期待に満ちた大きな瞬きに「冨岡だ」と小さく答えた後には、「下の名前は?どういう文字書くの?」間髪入れずにそんな質問をされ、とっさに教科書を突き出していた。 「へー、冨岡、義勇くん……」 氏名欄を見つめ何度も頷いた顔は、すぐにこちらに向かって微笑む。 「あらためて、よろしくね」 「……。よろしく」 思えばこの時から、彼女との奇妙な関係は確立されていたのかも知れない。 僕の観ている風景 [mokuji] [しおりを挟む] ← ×
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