short | ナノ





放課後を迎えた教室。
窓の外からは運動部の掛け声が聞こえてはくるが、此処には残っているのは俺達だけだ。
ひとつの机をふたりで囲みながら、卒業文集のテーマについて考える。
それがここ連日の日課になっている。

「アンケートと、なんでもランキングと、あと何にしようか〜」

頬杖をつきながらスマホを操作する姿を一瞥して、まだ真っ白いままの紙に視線を落とした。

「ランキングは隣のクラスもやると、錆兎が言っていた」
「んー、だよね。どうしても被っちゃうよ〜。ネットに載ってるアイデアはみんなも見てるだろうしさぁ」

スマホを投げ出し机に突っ伏した瞬間、風に乗って漂ってきた苗字の香りに、自分でも良くわからないが、咄嗟に身体を後ろに引く。
「やっぱネタ被りはしょーがないのかなぁ」
横を向いた瞳が、窓の外より遥か遠くを見つめていて、何か真新しい案を出した方が良いのだろうと考えてみても、残念ながら何も浮かばない。
「先生は何て言ってた?」
代わりに思い出した事を質問してみれば、表情がますます曇っていく。
何かまずい事を訊いたかと、若干焦る俺に目もくれず、深い溜め息と一緒に目を閉じてから開けた。
「みんなの名前の由来とかどう〜?とか言われた」
それは明らかに不満げな口調で、何故かと理由を考える前に
「そんなの一年の時やったじゃんねぇ」
続いた言葉で別の方へ考えが回る。

「名前の由来なんか、訊かれたか?」
「え?あったよー。自己紹介か何かプリント作るからって由来書かされたの」
体勢はそのまま、顔だけを上げた事で目が合ってそのまま約二年前を思い返してみた。
記憶にない、と言い掛けた時
「あ、クラス違かったから、もしかしたらやってないのかも!」
出された台詞に納得する。
「そうかも知れない」
「冨岡くんとこは自己紹介のテーマ何だった?」
突然の発問に、また考えた。
「確か…」
そう言いつつ視線を上に向けても、全く思い出せないので早々にそれを戻す。
「覚えてない」
「なんだぁ、ヒントにしようと思ったのに〜」
んー、と喉を唸らせてまた窓の外を眺める目が、何処か哀しそうに見えたのは、気のせいだろうか?
「名前の由来は駄目なのか?」
湧いた疑問は言葉を変えて、口から出ていて、「んー」とまた小さく唸る意味は理解出来なかった。
そこまで不満を露わにする程、悪い案だとも思わない。
卒業文集のテーマとしてどうかと言われれば、そこの違和感は拭えないが。
「冨岡くんの名前って誰が考えたとか知ってる?」
質問で返されると、正直一旦思考が止まるな、と自覚する。
「親だ」
何の捻りもなく、瞬時に答えた。
「お父さん?お母さん?」
「多分、どっちもだ。昔そんな事を言われた記憶がある」
「そっか〜」
それだけで終わらせようとしている会話を、沈黙になった事で気が付いて眉が動く。
「苗字は?」
「え?何が?」
「名前だ。親が考えたのか?」
俺だけに訊いておいて、そのまま終わらせるのはフェアじゃない。
少しばかり強めた口調も、窓の向こうを見つめたままの目に、今度こそ眉が寄ってしまった。

「父親なんだって〜」

内容からは読めなくても棘がある言い方なのは、嫌でも伝わってくる。
「…不満げだな」
だから、そのままを口にした。
「そうなの。嫌なの」
「嫌いなのか?」
「嫌いっていうか、しょーもなっていう人」
遠くを見つめ続ける表情が、寂しそうなものへと変わっていくものだから、この話を続けて良いものなのか、少し迷いが生じていく。
それでも
「由来なんて何にもないの。だからヤなんだ〜。一年の時は適当にそれっぽいの自分で考えて出してさ〜」
ケラケラと極めて明るく笑う苗字は何処か強がっている。そう感じた。
「本当に、何にもないのか?」
そう口に出してから、質問ばかりしている自分にも気が付く。
これは、訊かなかった方が良かったのかも知れない。
途端に泣きそうな、顔をするから。

「父親の浮気相手の名前だったんだって〜」

そう言うや否や、起き上がった勢いに少し圧倒されてしまった。
「無駄話してる場合じゃないや。アイデア練らないと。もうネタ被ってていっか〜」
担任から資料だと言って貰ってきたこの一年のクラス便りを捲りながら、急にやる気を出した姿に、同じように視線を落とす。
多分、この話はこれで終わりにしたいんだろう。
だから、多分俺はこれ以上深く触れない方が良い。
良いんだろう、けど──…

「どうして、俺に話したんだ?」

どうにも、気にはなる。
深い個人事情を聞かせる程、俺と苗字は仲良くもない。
こうして文集を作る係になるまで、挨拶さえ交わしていたかどうかも記憶が危ういくらいに。
だから、気にはなってしまう。

「え〜?何でだろ?」

目を合わさないまま笑われて、そこに意味はなかったのかと自己完結させようとしたのと同時だった。

「友達欲しかったのかなぁ。ほら、私あんま上手く溶け込めないし。って知らないか。でも、だから?冨岡くんが苗字さんじゃなくて苗字って呼び捨てで呼んでくれるようになったのちょっと嬉しかったなって」

早口で言い終えると、へへっと笑う姿に、そういえば呼び方に変化が起きていた事を今、自分でも知る。
意識をしていなかった分、それを嬉しい、と感じていた事に驚きを隠せなかった。

心臓が動いたのを誤魔化すように、手を動かす。
年度最初に配られたプリントが目に入って、今の話の流れから自然とクラス全員分のフルネームを注視した。

「名前」

知った時には、口に出していた。
その表情が驚きから、苦いものに変わっていく。

「…名前は、ちょっと…」
「名前と、呼ぶ事にする」
「私、嫌いだって言わなかった?」
「だからだ。だから、名前と呼びたい」
「何それ嫌がらせ〜?」
「嫌がらせじゃない」

上手くは言えない。
だけどそういうつもりじゃないのはわかって欲しい。
その一心で、その瞳を見つめ続ける。
「まぁ、良いけどさ〜」
罰が悪そうに目を逸らされたけど、少しだけ上がる口の端には気が付けた。

「名前」
「なーに?」
「呼んだだけだ」
「嫌がらせじゃん」
そう言いつつ噴き出すものだから、俺もつられて笑ってしまいそうになる。
「嫌がらせじゃない」
「はいはい」
「名前」
「また呼んだだけ?」
「そうだ」
「冨岡くんって」
今度は困ったように笑ったものの、それ以上の言葉を紡がなかったので何が言いたかったかはわからない。
「名前」
「はいはい」
「俺の事も名前で呼んで良い」
「…え?冨岡くんの下の名前なんだっけ?」
「義勇だ。此処に書いてある」
「あ、ほんとだ〜」
指を差した先を覗き込んでから、上げた瞳に俺が映る。
「義勇くん」
「…何だ?」
「呼んでみただけ」

微笑んだ姿が、さっきとは違い、遥か遠くを見つめてなくて、それだけで良かった。そんな風に思った。


名前を呼ぶよ

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