主幹に指示された刻、それより若干早く郡役所に着いた二人は遠巻きに出入りする人の様子を窺っていた。 昨日の今日では全ての行方不明者の情報を処理し切れるはずもなく、今も絶えず扉が開いては閉まるを繰り返している。 「ちょっと来るの、早すぎたかな?」 「…そうだな」 どうしようか。 言葉にしなくとも、二人の双眸がそう伝え合う。 恐らく、昨日のように職員が出払うにはもう少し時間が掛かるだろう。 しかし中でそれを待つのは不自然すぎる。だからといって此処でただ立ち続けるのも手持ち無沙汰だ。 「そういえば、そこにも小物屋があった」 「ん?どこ?」 義勇が指を指した先を名前の視線が追う。 こじんまりとした店構えだが、掲げた看板には確かに義勇が言う通り小間物と認められていた。 「この間はゆっくり見られなかっただろう?」 引かれていく手に、名前は何度か瞬きをすると口元を弛ませる。 掌から感じる温もりを噛み締めていた所で、不意に振り返った表情が呆れに近いものへ変化した。自然と足も止まる。 「…また、締りがない顔になってる」 「だって…」 もう片方の手で口元を隠してはみたが、溢れていく笑顔は止まらない。 「また、だって、も言ってる」 「えへへ…だって、嬉しいんだもん」 繋がれた手と手を見つめたまま、もう一度抑え気味の笑声を零す名前へ表情だけで懐疑を表す義勇には気が付いてはいないが、ゆっくりと言葉を続けた。 「こうやって、一緒に出かけたりするの、今までしたことなかったでしょ?だから…」 また溢れた笑顔によって途中で止まったが、言わんとしている事は、正確に伝わってくる。 全く同様の感情を、義勇も心のどこかで抱いていたからだろう。 思えば恋仲になってからも、こんな風に過ごすのは皆無だった。 鬼殺隊としての立場や使命を考えれば当然と言えば当然だが、今訪れたこの穏やかな時間は、自分達の、いや、これまで犠牲になった人間達の悲願を成し遂げられたからこそ与えられたもの。そう強く実感している。 だからこそ、今こうしている事を赦された気もしていた。 「…だから昨日も、あんなにニヤけてたのか」 義勇の言葉に、こくと動く頭。 まだ治まる事のない顔の弛みにつられるように口元を上げた後、繋いでいた手の力を強めると歩き出した。 雲路の果て 「…わぁ、かわいい」 並んでいる品物を見るや否や、目を輝かせていく姿はまるで無邪気なもの。 髪飾りや化粧品を隅から隅まで見ては、吃驚や笑顔を繰り返していく名前は、やはり自分とは異なる性別なのだろうと義勇は考える。 「いらっしゃいませ」 奥から出てきた小柄な女性は、ニコニコとした笑顔で二人を見つめた。 それにも気が付かず、夢中になっている名前へ声を掛ける事はせず、楽し気に見守るその姿に人の善さを感じる。 「何か気に入ったものはあるか?」 「…え?んっと、これ。すごくキレイ」 迷う事なく人差し指を向けた先、花紺青色で描かれた花紋章に義勇の瞳孔が若干動いた。 「本当だ。綺麗だな」 「あ、嬉しいっ」 両の手を合わせる店員へ自然と二人の視線が集まる。 「それ、私が作ったんですよ〜」 「え!?」 これまでの中で一番の驚きを見せると凝視し始める名前ほどではにが、これには義勇も多少吃驚はした。 「そうなのか?」 「えぇえぇ。そうなんです」 「見事だな」 「へへ〜、ありがとうございます」 「これは…、何だ?」 訊ねる言葉を探すも、そのまま疑問を口にしていた。 長方形に近い形をしているが何の用途に使うものか、義勇にとっては全く想像が出来ない。 「帯留めです。帯紐通して使うの。こんな風に」 そうして指し示した腹部には、紋章が違うものの、似たようなものが留められていた。 「それも自分で作ったのか?」 「そうなんです〜」 「凄いな。どうやって作るんだ?」 「簡単ですよ?描いて焼くの」 あっけらかんと言いのけた店員に、義勇の目が僅かに窄まる。 「…簡単とは言い難いが…」 「あ、そっかそっか。元々京で清水焼の勉強してたから私」 へらっと笑うその姿から、未だに帯留めに視線を落としたままの名前へ視線を動かした。 「折角だから買っていこう」 「あ、うんっ」 慌てて懐へと動かす手より早く、現金を出すと店員に渡す。 「ありがとうございま〜す。今着けていく?」 黙って頷くその頭は、少しばかり珍しい。いつもならば慌て気味にでも、返事をするのが癖になっているはずだった。 しかし、突然の発問に圧倒されたのだろう。 義勇はそんな風に考えながら、帯留めを装着されていく名前を見つめていたが、違和感にはっきりと気が付いたのは、それを着け終えた後の事。 「うんうん、かわいいかわいい」 満足した様子で腕を組む店員に 「ありがとうございます…」 弱々しく言うその表情はどこか浮かないもの。 「また来てね〜」 早々に店を後にした瞬間、義勇は疑問をぶつけた。 「どうした?」 「ううん、なんでも「ない訳ないだろう」」 若干強めになった声色は、意識して柔らかくする。 「…欲しくなかったのか?」 記憶を辿れば、名前の態度が変わったのは、これを購入すると決めてからだ。 もしかしたら本当は他に目当てのものがあって、値段等を考慮し我慢していたのではないか。 だからそんなに侘しげな表情になっているのかも知れない。 そこまで考察した所で、今度は横に振られる頭に疑問が強くなっていく。 「じゃあ、何だ?」 「……」 答える間は十分作ったものの、開かれない口唇に業を煮やす。 「言ってくれなきゃわからない」 若干また強めてしまった口調に、吐こうとした短い息は 「…楽しそう、だったから」 その言葉によって止まった。 ともすれば聞き逃してしまいそうなか細い声は続く。 「…それに、義勇、嬉しそうだった」 そこまで言うと完全に俯いてしまう姿に、泣いてしまっていやしないかと焦燥が募った。 確かにそうだった。 そう認めざるを得ない。 折角なら此処に幾分かお金を落としていこう。そんな気にさせる店員の振る舞いではあった。 しかし、それは―… 「そういうつもりじゃない!そう感じたのはあの店員が名前に対し気遣いをしてくれたからであって俺がどうこうというのとは違う!何とも思ってない!」 ほぼ一息で言い終えてから思う。 道の往来でありながら、こんなに必死で弁解をするのは名前だからなのだろうと。 慌てている自分の姿が滑稽なのはわかってはいるが、冷静に諭せる余裕もない。 「…ごめんね」 小さく謝るだけで、上げようとしない頭へそっと手を添える。 「謝らなくいい」 一度言葉を切ると、間を空けてから続けた。 「…嬉しかった」 感じたそのままを口にすれば、驚きで上げられる顔。それが涙に暮れているのではない事に安堵をしている。 「…嬉しい、の?」 「あぁ、嬉しい。名前がそれだけ俺を好いてくれていると確認する事が出来た」 「そ、そんなのっ当たり前だよ!義勇のこと大好きだもん!」 勢いのまま言った後、紅潮させていく頬をそっと手の甲で撫でた。 弛んでいく口元より早く笑いを零すと、僅かに驚いているその瞳に応える。 「俺もそうだ。だから、心配しなくていい」 「…うん」 納得したように大きく頷く動作で離れた左手を戻す前に肩へ乗せた。 きょとんとしているその口唇へ、刹那的に触れれば更に血色が増していく。 「…ぎゆっ」 咄嗟に名を呼ぶ名前の瞳が遥か後方へ動いた事で、その視線の先へ振り返った。 建物からぞろぞろと出てくる人物達が、職員であるのを心付き迷わず手を取る。 「行こう」 「うん」 職員達と入れ替わるように開いた扉。 たった一人、受付台に向き合う主幹の男の双眸がすぐにそれを捉えた。 「こんにちは、丁度良いですね。それとも外でお待ちでしたか?それなら申し訳ないです。少し時間が掛かってしまいました」 口早なのも、動かない表情筋も相変わらず。しかしその前には、二つ分の椅子が置かれている。 「さあお座りください。何処で何の邪魔が入るかわかりませんからちゃっちゃと作ってしまいましょう」 指示通りに腰を掛けたと同時、怒涛の如く尋問が始まった。 「冨岡義勇さんの生年月日は?」 「今のお住まいのご住所は??」 「戸籍を作る屋号にご希望は?」 ひとつの質問に答えた後には、すぐに次の質問が飛んでくる。 その間にも筆を動かす手は一切止まる事がない。 その速さについていけるのは、当然義勇だけで、名前は一切間を空けない二人の会話をただ見ているだけしか出来なかった。 しかし、話が中盤に差し掛かった頃、主幹はふと思い付いたように言葉と手を止めると名前の顔を見た。 「結婚をするというのなら、貴女の戸籍もお調べしないといけませんね」 あ、と本人が声を上げるより早く、冊子を手に取ると 「お名前は?」 そこへ目を落としながら訊ねる。 「苗字、名前です」 「ふむ、苗字さん苗字さん」 動かした頁に、義勇と名前が同じように不可解な表情をする。 「…ありました」 「え!?」 今度は一気に驚きに満ちていく。差があるとするなら、声を出すか出さないか。 二人の反応は当然だった。 それは、頁を捲ったとも言えない。ざっと親指の腹がなぞっていっただけ。少なくとも二人にはそう見えた。 「苗字名前さん。現住所は狭霧山の鱗滝左近次邸、となっていますが合っていますか?」 それでも全く顔色を変えず話を続ける主幹に意識をそちらへ向ける。 「あ、はい!合ってます!」 「そうなると」 先程の覚え書きへ視線を落とすと、一切の動きを止めた。 目蓋さえ閉じない姿に若干募った憂慮は、突然急速に始まる瞬きに安堵の息を吐く。 「冨岡義勇さんの戸籍を今お住みの屋号にて作り苗字名前さんをそこへ嫁いだ形にするのが一番無駄がなくて良いのですがいかがでしょうか?」 「はい!」 「構いません」 「ではそのような形で進めていきましょう。入籍は本日されていきます?」 淀みなく流れてくる質問に、今度こそ義勇と名前が互いに目を合わせたまま止まる。 「入籍日に拘りがあるのならそちらを優先させるのも構いません。その場合本日は戸籍の作成だけで済ませる事は出来ます。どちらがよろしいですか?」 感情が一切見えない主幹の提案だからだろうか。 意味を理解するのがだいぶ遅れたように思う。 「今日、できるん、ですか?」 未だ正確に把握し切れていない名前のたどたどしい質問にも 「可能です」 最速で返ってくる返答。 どうしようか。 自然と見つめ合った双眸が、互いにそう伝える。 主幹の言葉を借りるのならば、拘りなど何もない。 それこそ、正式な夫婦になれるか。その一点だけを問題としていたので、考える程の余裕すら持てなかったのが実際の所だ。 だから今も、自分達の置かれた状況を理解して尚、全く現実として実感がない。 「あ、私は、いつでも!」 「俺も、特には…」 仲良く口ごもる二人に、主幹は僅かに目を窄めると筆を揺らす。 「それでは本日入籍しましょう。お待ちください」 そう言ったきり、書き物に集中し始めた姿に、とても横槍を入れられるような雰囲気ではないのを感じた。 みるみる内に文字で埋まっていく紙面を、ただただ黙って眺める。 "姉 蔦子" そう認めた後、完全に止まった筆がコト、と短く音を立てて置かれた。 「出来ました。冨岡義勇さんの戸籍」 「…え!?」 目を丸くする名前の横、義勇は僅かに身を乗り出す。 そんな簡単に作れてしまうものなのか。何処か半信半疑な瞳を向けるも、主幹は別段気にした様子もなく、二人へとそれを見せるために角度を変えた。 「ご確認をお願いいたします。こちらが現住所、戸主は冨岡義勇さん、左にお父様、お母様、ひとつ飛びます、お姉さん。ひとつ戻り本日妻となった名前さん、お名前や生年月日に間違いはないでしょうか?」 言葉の通り、義勇、父、母、妻、そして姉の順に記された名前達を眺めていく。 「名前さんの生まれやご両親、前住所につきましてはこのお名前の上の欄に書き起こしてありますのでこちらもご確認をお願いいたします。間違えがなければお手続きは以上となります。お疲れ様でした」 口早にそう告げた後、一方的に下げられる頭につられ小さく会釈を返すが、その実感というものは未だに皆無だ。 確認した所、間違いはない。 しかし、本当にこれで終わりなのだろうか?そんな事を訊ねたくなってしまう。 余りにも淡々と進んでいった挙句、理解が追い付かないまま終了させられてしまった。 正直、そんな感覚が強い。 しかし顔を上げた主幹から発せられた 「ご結婚、おめでとうございます。末永く、お幸せに」 珍しくゆっくりとした口調と共に上がる口元は、紛れもない現実なのだと伝えていた。 Joyful 門出を祝す [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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